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とりどりの短編集

悩める神父のぼやき

作者: 風見 十理

 


「まただ。まあた、結婚式の予定が一つ消えた」


 エールのジョッキをカウンターに叩きつけて、フィリップはうめいた。

 騒がしい酔っ払いの笑い声、あちこちに倒れたまま放置してある安っぽい椅子。その隅で酔いに顔を赤らめたその中年の男はくたびれていて、場に溶け込んでいた。


「結婚式? あなたのですか?」


 若い男の声がした。彼が隣にかけてフィリップと同じものを注文する。フィリップは男を見ずに、けっと(わら)った。


「そんなわけないだろうが兄ちゃん。この国は一夫一妻制、結婚詐欺でもなきゃ、結婚式の予定が何個もあるはずない」 


「では、結婚式の予定が一つ消えたとは?」


 フィリップはエールを一気飲みし、たくわえた髭を濡らして、げっぷした。


「へへ、これでも俺は神父をやっていてね。俺が執り仕切るはずだった結婚式の予定が一つ、消えちまったのさ。まあ、こんな飲んだくれの神父に見守られなくてよかったかもなあ」


「神父殿でも誰でも、羽目を外したい時はあるでしょう」


 若い男が、フィリップにエールを頼む。

 目の前にどんと置かれたまずいエールに、フィリップはのろのろと手を出した。


「今回も婚約破棄だと」


「今回も?」


「ああ、(ちまた)で流行っているらしい。流行って欲しくないものだがなあ。なんでも最近じゃこの国の第二王子? あー、第三だったかな? 第四? まあ誰でもいい、王子が長年連れ添った婚約者に婚約破棄したとか聞いたな」


「ああ、噂になっていますね。もしやその婚礼をあなたが執り仕切る予定だったのですか」


「馬鹿言えい、王族の結婚式は大司教様がやるもんだ。そこらの神父なんてお呼びじゃない」


 しゃくりをあげてフィリップは大声でもう一杯頼んだ。目の前に二杯になったエールを見つめて、彼は深くため息をつく。


「これで大司教様の一日の仕事がなくなったわけだ。聞くところによれば就任したばっかりの若造で、本部で椅子に座っているだけで、俺の何倍の給金を貰っていることやら……羨ましい! 仕事しろ! こちとら貴重な収入源が消えたっていうのに」


「婚礼のことですか?」


「そうだ。うちの教会はいつも火の車。布施だけじゃ足しにならず、別の稼ぎ口を探さなきゃやっていけないほどさ。そん中で、結婚式は、いい仕事なんだがなあ」


「いい仕事」


「ああ。なんたって、幸せなもんだからなあ。人を幸せにして金を得る、最高だろうよ」


 力が抜けたようにフィリップはジョッキから手を離す。

 地に足がついていない様子で、ぼんやり空を見上げる彼は、へへっと楽しそうに笑った。


「これからの希望にあふれた未来を見据えるあの輝いた顔よ。万感の思いを込めて宣言する誓いの言葉よ。そりゃ未来は、俺のように嫁にガミガミ叱られながら尻に敷かれて、娘におとーさんくちゃいとか言われて落ち込む奴もいるだろうよ。だがなあ、輝く未来を望む若者をみてると、心から幸せになれよ! って気持ちになるんだ」


 若い男が何も言わずに見てくる気配を感じながら、フィリップはため息をついた。


「……婚約破棄か、原因は俺にはわからん。まあ、なんだ、いろいろ混み合ったことがあるんだろ。それでも、婚約してたってことは、将来をみての約束してたってことだ。政略結婚だろうと、恋愛結婚だろうと、そこには未来は幸せになりたいって気持ちはあったはずさ。それが無くなって破棄になるのは、俺は悲しい!」


 フィリップはジョッキをがっしり掴むと、また一気に飲み干した。俺は悲しいと何度も呟きながら、カウンターに沈んでいく。


「では、なんとか破棄せずに婚礼を挙げたとして。それが本人達にとって不幸せなものでも、あなたは幸せを祈るのですか?」


「あったりまえだろうよ、兄ちゃん。不幸せなそうならなおさら祈る。誰だって幸せになる権利はある。こんな神父の言葉は届くかわからんが、神に幸せにしてくれーって頼む。どうなるかはわからんが、それが俺のできることで、やるべきことだ」


 ふ、と若い男が笑った。

 彼はおもむろに立ち上がり、金を取り出してカウンターに置く。金額は彼が飲んだ分にしては多すぎる。

 のろのろと、ようやくフィリップは隣の若い男を見上げた。金髪の美麗な男が青い目を細めて、口に笑みを浮かべている。


「……兄ちゃん、こんな場末な場所は似合わんな」


「私も、少し羽目を外したい時がありますので」


 店主が男の金を受け取って、若い男とフィリップの顔を見比べる。若い男が二人分と言うと、店主は納得したように下がった。


「おいおい、若いモンに奢ってもらうほど落ちぶれてはいねえよ」


「ええ、ただでは奢りません」


「なんだあ? なにも金目のものはねえぞ」


「ものはいりません。あなたの名前を教えてください」


 フィリップは首をひねりながら、ぶっきらぼうに名前を告げた。若い男はその名前を反芻しながら、頷いて、背を向ける。


「では、フィリップ。楽しい時間でした」


「……はあ」


「あ、そうそう」


 若い男は忘れ物をしたという顔で、フィリップを振り返った。


「私も、婚約破棄は好きではありません」


 それだけ言うと、彼は喧騒の中をうまくくぐり抜けて消えて言った。

 フィリップはよくわからないまま、飲み残したエールをちびちび飲み始める。

 明日からの生活はどうしようか考えながら。





 半年後、フィリップは酒場で会った若い男と再会する。

 彼の正体に驚き腰を抜かしたフィリップは、神父ではじめて、王子の婚礼を執り仕切ることとなる。



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― 新着の感想 ―
[一言] なんて素敵な言葉なんだろ。 「あったりまえだろうよ、兄ちゃん。不幸せなそうならなおさら祈る。誰だって幸せになる権利はある。こんな神父の言葉は届くかわからんが、神に幸せにしてくれーって頼む…
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