要領の良い友人
――正直者は馬鹿を見る。
こう言ってのけたのは、高校の時の担任だった。むっつりと気難しそうな男性教諭で、確かに色々と損をしてそうな人だった。
だからといって、仮にも聖職にある者が授業中に漏らす言葉ではなかったが。
私も人から真面目だと、そう評されることの多い人間だ。そしてこれまで生きてきた中で、自分は損な役回りをしているな。そう思う出来事が幾度かあった。
その度に、ぼそりと呟いた彼の教諭の言葉を思い出す。同時に、大学時代の友人のことも思い出した。
大学時代の友人、仮にKと呼ぼう。彼は私や高校時代の担任と違い、何とも要領の良い男であった。私たちのように貧乏くじを引くことのない人種であった。
何とも気さくな男で、するりと人の心の内側に入り込む。だから、友人と呼べる人間の数が恐ろしい程多い。何せ、私のようなぼっち属性著しい人間とも友人であったのだから。その交友関係の広さは計り知れない。
その社交性の高さから、大学生活をこれでもかと謳歌していたK。複数ものサークルを掛け持ちし――その実数を知る者はいなかった。多分本人含め――常にどこかしこの飲み会に顔を出していた。
逆に、大学の講義に顔を出すことは極めて稀であった。Kが講義に顔を出した日は、必ず雨になる。そんな噂がキャンパス中に実しやかに流れるほどであった。
それでもKはなんなく単位を拾い集める。要領の良さの発露だ。先輩たちから、『あの講義はテストが簡単だ』『出欠を取らない』『配布されるレジュメさえ暗記すればOK』、そんな講義情報をしっかりキャッチする。
そしてどの講義にも、Kの友人がいるのだ。Kは彼らから講義で配られるレジュメや、講義のノートをコピーしては試験に挑む。
かくいう私も、度々Kにノートのコピーを頼まれた。真面目な人間なので重宝された方だろう。欠席せず、きちんとノートを取っていたからな。
Kは『佐藤(私の名だ)のノートが一番分かりやすい』、そんな調子の良いことを毎度言っては、私にコーヒーを奢ったものだった。
たった、パックコーヒー一つで単位を取得できるのだ。安いものだったろう。
そんなKの大学生活に呆れ果てた私は、一度こう尋ねたことがある。『お前は何のために大学に来ているんだ』、と。
しかし、Kはきょとんとした顔でこう答えるのだ。『俺ほど大学という機関を有意義に活用している人間はいない』
何をふざけたことをと、私は思ったが。続く彼の言葉はこうだ。『大学の勉強なんてクソの役にも立たん。大学とはコネを築くための場だ』
私は不覚にも一理あるかもしれない。そう思ってしまった。だから悔し紛れに言ったのだ。『なら、とっととコネを作りに行きなよ。こんな所で油を売ってないで』
Kはまたもや不可解なことを言われた、そんな顔をした。そして言う。『何を言う。今まさにコネを作っているだろう。佐藤とのコネを作っているんだ』
私のようなぼっちとのコネが何の役に立つ。そう思ったものだが、Kは続ける。『佐藤は優秀だからな。きっと将来一角の人物になるだろ。重要なコネ作りだ』
そんなことを言って、Kはにかりと笑う。満更でもないと思ったのは、きっと一生の不覚だった。
今日また、あの人懐っこい笑顔を思い出した。先輩秘書たちから面倒な仕事を押し付けられ、また損な役回りを負ったからだ。
私は今、大物国会議員Aの秘書の一人であった。もっとも若輩者なので、まだまだ下っ端秘書だ。一番の下っ端だ。
今日も今日とて、面倒くさく、且つ何の点数にもならない仕事を片付ける。やるからには真面目に。とことん手を抜かない。
この性分、本当に馬鹿を見てるなあ。そう思いながら手首に巻いた小さな腕時計を見る。……いい加減、休憩を取るか。そう判断する。
ぐっと伸びをすると、椅子に腰掛ける。目の前の机に放りだされた新聞を何とはなしに手に取る。地方紙だ。ウチの先生の選挙区のあるH県の新聞。
「あー、N市の市長選がそろそろか。ま、あそこなら現職のD市長が……はあ!? えっ、何? 冗談でしょう?」
市長選の立候補者の一人に、とんでもない名前を見つける。そう、大学時代の友人Kである。
小さな写真に写る顔はあの頃と余り変わらない。卒業から6年経っているのにな。きっと苦労してないからだろう。あの持ち前の要領の良さで。
なんて、卒業から一度も顔を合わせていないのに、勝手にそのように思った。
ブ、ブブ。何の前触れもなく、ポケットに入れたスマートフォンが振動する。何故だか嫌な予感を覚えた。これが虫の知らせとやらであろうか?
花柄のカバーの付いたスマートフォンを取り出す。……知らない番号だ。通話ボタンをタップする。耳に当てた。
「はい……」
「あっ、佐藤? 俺、俺。俺だよ……」
どこのオレオレ詐欺だ。いや、誠に遺憾ながらその声の主を私は一発で分ってしまった。
「お前、Kか……?」
「おうよ。佐藤の心の友、Kとは俺のことだ」
「何で、私の番号を知っている」
「ん? 決まっているだろう。友人を辿りに辿って行き着いた」
全然決まっていない。しかし、こいつの友人関係を辿りに辿っていけば、世界中の全ての人間に通じそうで恐い。
「……そうか。それで、私に何の用だ?」
「おう、それはだな……」
後日、私を介してウチの大先生に面会したKは、見事その心を射止めた。そして自らの応援演説にウチの大先生を引っ張り出したのだ。
そして、そして、見事現職のD氏を破り、初当選。まだ二十代の、しかも悪くない顔立ちをしていたものだから、全国放送の電波にもKの顔が流れやがった。
……マジか、こいつ! 私は心中で叫び声を上げたのだった。
それからもこのKとの縁は途切れることなく、ばかりか深く絡み合っていくのだが……。
まあ、私たちの関係がどう変わっていくのかはまた別の話である。