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君の死

 君は、住宅街を歩いていた。

 似たような家が延々と立ち並ぶ、新興住宅地だ。といってもこの家々が立てられてからすでに五年ほど経つ。既にどの家も時の流れに晒されて、それっぽくなっている。

 夕暮れも間近という時間だった。街灯がぽつぽつとつき始め、君の足もとを照らす。電信柱には烏や椋鳥がとまり、暮れる町を眺めている。東の空には藍色が混じりつつあった。

――君はだんだんと心細くなっていた。

もしかしたらたどり着かないかもしれない、と思ってしまった。

夕暮れ前につく約束だったのに、もうすぐそれは過ぎてしまう。このままでは怒られてしまう。

汗が君の頬を伝う。焦りだ。胸の奥からもくもくと煙のような焦燥感が喉を締め付け、君の呼吸を荒くさせる。血流が上手く流れなくなる。指先の感覚が失われていく。背筋が熱くなっていく。

耐え切れなくなり、君は一目散に駆け出した。

その先は閑静な住宅街を網目のように覆う道路の交差であり、また同じように閑静な佇まいの十字路だった。家々の塀に囲まれており、交差する道路の確認が少々困難な様子であった。しかしさほど大きな道ではなく、人通りも殆ど無かった。

だからというわけではないが、自動車は君が飛び出してくることなど予見していなかった。

彼は君が飛び出して来ることを予見し、注意しながら速度を落とし運転をするべきだった。彼は君の突然の出現に対し即座にブレーキを踏んだが、間に合わなかった。制動距離分だけ自動車はスライドし、君を轢き飛ばした。

君は右の横っ腹を車に突進され、そのまま真横へ倒れた。君の身体は支柱を無くし力なく地面になだれた。

君はなにも考えていなかった。

言葉にまとまるだけの秩序だった思考はできていなかった。ただ動転した視界と暑すぎるアスファルト、そして目の前に広がる藍と橙の混じったマーブルの空だけが君の感情を支配していた。

運転手の男はしきりに携帯電話に向かって叫んでいる。君の瞼が閉じようとしていることに気づいていなかった。

君は身体をよじろうとするが、上手く動かせないことに気づく。熱帯夜に呻くように、寝返りをうとうとするだけなのだが、腰と右腕が動かない。左足首も感覚がない。頬と額からは血が流れ、君の視界を覆う。拭おうにも腕は不自由だ。そこで瞼を閉じることとなる。美しい空も見えなくなる。すると今度は君の耳がやたらと冴え始める。普段は聞こえない血管の脈動もうるさいほどに響き始める。頭痛もがなりたてるように広がっていく。額を中心に波紋のように全身に振動が伝わっていく。

君は叫ぶ。


およそ1時間ほどだろうか。

運転手の不手際があったおかげか救急車がやってくるのは、町中の事件にしてはかなり遅れたといえる。君は意識をとうに失っていて、この時の記憶はない。救急隊員が君を担架で運ぶ歳、憐れむように君の瞼を下ろしたのを君は知らない。

君は病院に搬送される途中に死亡が確認された。

君の母親は君の死を知り、とても悲しんだ。泣き喚く君の母を君の父は宥めたが、彼もまた一人涙した。

君を追い詰めた約束は未だ果たされず、その理由はわたしも知らない。君のしたかったことは道半ばで失われ、罰でもない偶然と君の罪で失われる。君の義務も焦燥感も全て君から失われ、君は生の実感を抱きながら燃えたぎる死を迎えた。

君を轢き殺した運転手の男は、君に対し泣いて謝り、君の両親に対し生涯にわたり償いをするとした。彼はおおよそ善良な人間だった。

 彼の善良は君のそれとは比較することはできない。なぜなら彼もまた君と同程度の過失を犯している。加えて君を殺すという人間的な罪をも負っており、またそれについては人間的な罰が下されるだろう。

 君は辛くも君を縛る生存に伴う因果から解かれ、宗教的な経過を経ないまま死を迎えることができた。

 これに対し何かしらの異議を唱えるつもりはない。君の果たしたかったものの真意を、わたしは眺めたかった。君を焦らせるものとはなんだろう、誰が怒るのだろうとわたしは考えた。

 その矢先のことだった。

 君の死亡を見届けたわたしは君に思いを馳せながら、平坦になっていく住宅街を見下ろす。この街に君は生きていた証拠は少しずつ消えていくことだろう。君の存在は実在した君から離れ、概念として減少していき、いつか無くなってしまうだろう。

 悲しみにくれる人間たちもいつかは笑って暮らし始める。わたしもいつかは君を忘れてしまうだろう。それがいなくなった人間の宿命だと思う。

 電信柱に沿って設置された街灯が、順々に点灯し始める。

夕暮れも間近という時間だ。電線にとまり町を眺める。東の空は藍色が混じりつつある。

君がいた交差点には花が添えられている。


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