【3・泊まり客】
【3・泊まり客】
「僕はリック・テートリアと言います。本当にありがとうございました」
微かに血の気の戻った顔で男は言った。足の傷のせいで歩くことはきつそうだが、とりあえず椅子に座って食事が出来るぐらいには回復していた。
怪我人にしては食欲は旺盛で、彼は早々と三杯目のシチューに取りかかっていた。
「助けていただいたばかりか、治療代や宿代まで出していただけるなんて」
「出すと言った覚えはありません。とりあえず立て替えただけです。後で払ってください」
途端テートリアが青ざめた。
「そんな、あなたは怪我人である僕から金を取ろうと言うんですか!?」
「怪我人が治療費を払うのは当然です」
「医の心は人の心、慈悲の心と聞いています」
「私は医者ではないので、医の心は持ち合わせていません」
ベルダネウスは彼の前に宿の請求書を見せた。宿泊費と食事代、食事代には赤でおかわりの分が追加されていた。
テートリアは無言で財布を取り出すと、中身と請求金額を交互に見て
「……半分で良いですか……」
半泣きになったその顔に対し、ベルダネウスはあくまで冷静に
「ちょっとこの袋の中身を調べさせてもらいますよ」
と一緒に拾ってきた彼の荷物を引き寄せた。
「ひどい。弱っている怪我人にやさしくしようという気持ちがないんですか」
「弱っている人には優しく、弱っているふりをしている人には厳しく。が私の信条でして」
テートリアの荷物からは、固く布で巻いた1,000ディル金貨が出てきた。全部で30,000ディルはある。贅沢さえしなければ50日は過ごせる金額だ。
「少なくとも、立て替えた分は後で払っていただけそうですね」
主人にテートリアの分は別に請求書を書いてほしいと告げると、ベルダネウスは金貨を袋に戻してテートリアに返した。
もう渡さないとばかりに袋を抱きしめるテートリアの姿に、ルーラは後悔混じりのため息をついた。あの時、彼を助けたことは間違ってはいないと今でも彼女は思っている。が、感謝の形を示してもらえないことにやはりもやもやした。
「ルーラ」
新しく運ばれた料理をベルダネウスは彼女の前に滑らせ
「うまいぞ」
言いながら彼自身も料理を口にした。ルーラも合わせるように料理を口に運び
「おいしい!」
他に行き場のない人達目当ての宿だから、料理には期待していなかったが、これはうれしい誤算だった。特に豪華というわけではないのだが、味付けから焼き加減、煮加減と全てが上等で、自然と料理を口に運んでしまう。
旅をするものにとって、食事は大きな要素をしめる。どんなひどい旅でも、食べ物さえ良ければ苦しさに耐え、前に進むことが出来る。
「何、肥料が良いだけですよ」
満足げなルーラの笑顔に、照れくさそうに主人が笑った。
ホークラットという名の宿の主人によると、この村には一人しか衛視がおらず、その一人も泊まりがけで出かけているという。
「まぁ、衛視のお世話になるような事件はほとんど起こりませんからね。せいぜい酔っ払いか喧嘩ぐらい。周りの人達がまぁまぁで納めちゃう程度ですから。その一人の衛視って、何才だと思います? 今年で62なんですよ」
「事件がほとんど起こらないって、最近になって盗賊の被害が多くなったはずじゃないんですか? 野犬に襲われたり」
ベルダネウスに茶化すように言われて、これまた主人は笑ってごまかした。
少し気が晴れたのを感じ取ったベルダネウスは、改めてテートリアに向き直ると
「明日になったら町まで送りますよ。そこで役場か衛視隊に被害届を出しましょう」
まっすぐ彼を見据えて言った。
「あ、いえ。そこまでしていただかなくても。町まで連れて行ってくだされば後は僕だけで」
「遠慮しなくて良いですよ」
「あ、いえ、本当に良いんです」
普通じゃない断り方に、ルーラは眉をひそめた。なまじベルダネウスの顔が真剣なだけに、被害者であるはずのテートリアの態度が異常に思えるのだ。
「……わかりました。明日あなたを町まで届けて、それで終わりにしましょう。治療に使った薬代はサービスということで」
これ以上の深入りは無用だとばかりの口調でベルダネウスが言った。それは、あなたとの関わり合いはこれでお終いという宣言のようにも聞こえた。
ちょうどその時、先ほどのボロを着た男が食事を終え、階段を上り始めた。客室はみんな二階にあるのだ。
それに合わせるかのように二階から一人の男が
「主人、熱い紫茶をもらいたいのだが」
そう言って階段を降りてきた。歳は20代後半ぐらいだろうか。精悍な面構えで、歩き方一つとっても堂に入っている。腰に剣を携えているし、なかなかの剣士だろうことはルーラにも想像できた。
(あれ、この人どこかで?)
ルーラが思い出そうとするよりも早く、
「見つけたぞ!」
叫びと共に、テートリアが剣を手にその男めがけて襲いかかった。いや、襲いかかろうとしたが、右足の怪我のせいでギクシャクした動きにしかならない。
「金を返せ!」
階段に駆け寄り、男めがけて駆け上がろうとしているらしいが、よたよたとした上がりにしかならない。
「お前か、あそこでのたれ死ぬのだとばかり思っていたぞ」
「あのまま死んでたまるか」
声だけは勇ましいが、その動きは痛々しい。客たちも何事かと見物に回っている。
「レイソン様、お知り合いですか」
「知り合いとは言えんな。こいつは私を知っているらしいが、私はこいつを知らん」
「人の心もないお前に知られようとは思わない!」
叫び声だけは力強く、テートリアが階段を上がる。先ほどから階段の途中で、何事かとレイソンとテートリアを見比べていたボロの男が、避けるように階段の端に寄った。そしてテートリアを追い越させると、逃げるように階段を降りようとした。
その判断はまずかった。テートリアが、もう少しでレイソンに剣が届くというところで段を踏み外し、
「うわぁぁぁぁぁっっ!」
勢いよく階段を転げ落ち、ボロの男を巻き込んだのだ。
二人の男はもつれるように階段を転げ落ちた。と、その衝撃でボロの男の懐から小さな革のケースが転げ落ちた。地面に落ちた弾みでその蓋が開き、中からいくつもの煌めく石が散らばった。
その場にいた人達が思わず息を呑んだ。ほとんどの人が、それらの石が高価な宝石だと判断した。
「ち、違います違います。これは偽物です。安物です」
言いつつ散らばった石を拾い集める。客の一人が拾うのを手伝おうとすると
「触るな!」
そのすごい形相に、たまらずその客はたじろいだ。もはや、誰もその意思が言われた通りの偽物や安物と思う者はいなかった。
石を拾い集める男の横で、地面を転がるテートリアが悲痛な声で右足を押さえる。包帯が赤くにじんでいた。
「傷口が開いたな。ルーラ、手伝え」
歩み寄るベルダネウスに
「自分で拾う。手を出すな!」
ボロの男が睨み付ける。
「この人の怪我もあなたが拾ってくれますか。石はあなた、怪我人は私が拾います」
ルーラに手伝わせてテートリアを担ぎ上げると、ベルダネウスは宿の主人に自分たちの部屋へと案内させた。そこで手当をしなおすつもりなのだ。
二人にかつがれ苦悶の声を上げながら二階に運び上げられるテートリアの姿に
「馬鹿が」
レイソンは鼻で笑うのであった