【2・倒れている男】
【2・倒れている男】
「ザン、誰か戦っている!?」
ルーラが叫びながら馬車の屋根に降りる。
「集団か?」
「1対1」
「どこだ。見えないぞ」
身を乗り出したベルダネウスが目を細める。しかし、夕方でうす暗くなっていることもあり、彼女の言う争う人の姿は確認できない。
しかし、屋根に立つルーラの目はしっかり戦う二人の姿を捕らえていた。
「結構先。あ、一方が倒れた。やられたみたい」
「殺されたのか?」
「いや、動いている。やった方は行っちゃった」
「とどめを刺さずにか?」
「うん。やられた方は追いかけようとしているけど、起き上がることも出来ないみたい」
何にせよ。このまま進んでいけば出くわすだろうと、ベルダネウスは馬車の歩みを早めた。
「あたし先に行ってようか」
「待て。周囲に誰か潜んでいないか? 特にその二人が戦っていた辺りに」
「二度続けて罠とは思えないけど」
言われて彼女が改めて周囲を見回す。
彼らが進んでいる道は森の中を抜ける一本道で、時折木々の途切れたところからはのんびりとした田園風景が広がっている。
二人が戦っていたのは森を抜ける道で、左右をうっそうと茂った森に挟まれている。確かに先ほど同様、誰かが隠れ、待ち伏せするには格好の位置である。
「誰もいないみたいだけれど……木が多くてよくわからない。でもザン、罠だとしたら早すぎない?」
「注意するに越したことはない。弓や魔導による奇襲に気をつけろ」
「了解」
ルーラは馬車の屋根に片膝で座り直すと、手にした石槍を構えた。
人の目には見えないが、風の精霊が彼女のお願いで馬車全体を覆い始める。これならば、もし矢が飛んできても先の襲撃同様逸らせるし、炎の攻撃魔導を受けてもほとんどを外側に散らしてしまう。
ルーラのいった通り、道の真ん中に男は倒れていた。苦悶の表情を浮かべながらベルダネウスたちの馬車に手を伸ばす。
「すみません。助けてください」
彼は右足の腿を斬られ、周囲の地面を血に染めていた。相当のたうち回ったのだろう。全身血の混じった泥まみれで、基はかなり整った顔立ちと思われる青年の顔はすっかり血の気を失っている。年はルーラよりも2、3才年上、20才ちょっと前に見えた。
先ほどの女とは違い、どう見ても本物の怪我人である。
「ザン、いいよね」
返事を聞かずに、ルーラが馬車から飛び降りて男に駆け寄った。こうなっては止めても無駄なのはベルダネウスもわかっている。
「応急手当が済み次第出発する」
周囲に人影がないのを確かめると、彼女を手伝うため彼も御者台から降りた。男は腿の傷の他にも肩や腕に傷があったが、こちらはたいしたことはない。傷を水で洗い、手持ちの薬で応急手当をする。
男が苦痛に声を上げるのに対し揉んだコカネの葉を口に押し込んだ。コカネの葉は精神を麻痺させて痛みを緩和する効果がある。多用すると中毒になるが、それだけに効果は高い。麻薬は扱わないはずのベルダネウスも、非常時のためと少量、薬箱に入れているぐらいだ。たちまちに男の表情からも苦痛が和らぎ始めた。
男を地面に転がっていた荷物と一緒に馬車に乗せると、出発する。
「まったく。どうしてこうも怪我人を拾うのか」
これまでの経験から、怪我人を拾うと、必ずと言って良いほどトラブルも一緒に拾うことになる。今回は違いますようにと願いつつ、彼は馬車を走らせた。
「この道をもう少し行けば宿屋があるわ」
ルーラが先ほど上空から見た家を思い出して言った。
「よし、そこで医者と役人を呼んでもらおう」
既に周囲は暗くなり始めている。
空の光が太陽から月に変わる頃、ベルダネウスたちはその宿屋についた。2階建ての石造りの家で、狭間亭と書かれたふるぼけた木製の看板が立てられていた。中からは明かりと一緒に騒ぐ声が聞こえてくる。
建物の裏には鶏小屋が見え、番犬とおぼしき大型犬が怪しむように彼らの馬車を見た。
風の精霊にお礼を言って別れると、ルーラは宿屋に飛び込んだ。
「すみません。怪我人なんですけど、治療できる人か場所を知りませんか。役人にも知らせないと」
中にいた4、5人の客が振り返る。着ているものから、旅人ではなく酒を飲みに集まった村人たちのようだ。
「治癒魔導を使える魔導師とかいませんか?」
「魔導師なんてこの村にいたか?」
「ほら、この間戻ってきた村長んとこのパインちゃん。確か魔導を勉強してきたとか」
「ありゃ駄目だ。魔導の勉強について行けなくて逃げてきたんだ」
「いいかげん諦めて、どこかに嫁に行けば良いのに」
「ダメダメ。美人だけど3日で飽きるから」
「あのいつもくっついている2人は」
「パインちゃんを嫁にするだけの甲斐性があれば、とっくに独り立ちしているよ」
赤ら顔で笑う客たちにルーラはいらついてきた。
「村長の娘さんじゃなくて。お医者様とか、薬草師とかいないんですか?」
「薬草に詳しい奴ならいるぞ」
「誰ですか?」
「ここの主人だ。おーい」
呼ばれてひょろっとした男が出てきた。年頃は20代半ばだろうか。短く刈った髪に愛嬌のある大きな目。猫のアップリケのついたエプロン姿で、手には出来たばかりの炒め物が乗った皿を手にしている。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「怪我人です。手当をお願いします」
言われて、主人は皿を客たちの前に置くとルーラに連れられて出て行った。
馬車の中の怪我人を見ると
「とにかく中へ。ミリア!」
ベルダネウスとルーラが男をかついで中に入れると、厨房から熊のアップリケのついたエプロンをした小柄な女性が出てきた。彼女がミリアだろうが、ちょこんとした感じはルーラよりも年下に見える。主人は彼女に客たちを任せて奥に行った。
「ここの主人は薬草に詳しいんですか?」
「詳しいって言うか。主人は薬草師だったんですけど、それじゃあ食べていけなくてこの店を始めたんです」
「二日酔いの薬やら何やらで重宝しているぜ」
客たちが笑って付け加える。みんな興味津々で怪我人を見ていた。
薬を手に主人が戻ってくる。彼は男の傷を酒で洗うと、各種薬草を練り込んだ軟膏を塗り、包帯を巻く。酒がかなり染みるはずだが、コカネの葉で神経が麻痺しているのか、男は悲鳴一つあげない。
「しばらく安静にして様子を見ましょう。問題がなければ、明日にでも町まで連れて行ってください。あなたはこの方の家族ですか、あるいは友人」
「見ず知らずの仲です。ここに来る途中、倒れているのを見つけてここまで運んだんです。申し遅れました。私、自由商人のザン・ベルダネウスと申します。こちらは私の護衛兼使用人のルーラです」
簡単に自己紹介すると、ベルダネウスは改めて皆を見回し
「皆さんに、この方を知っている人はいませんか? ルーラが遠目で見た限り、誰かと争っていたということですが」
しかし、主人夫婦も客たちも首を横に振った。少なくとも、この村の者ではないらしい。
「あんたはどうだ。来る途中、見なかったか」
隅でパンとスープの簡単な食事をとっている男に声がかかった。見るからにボロな服を着たその男、どうやらここに泊まる旅人らしい。30代後半ぐらいに見える顔をあげて、怪我人の顔を見ていたが
「知りませんね」
とだけ答えてまたパンを口に運び始めた。
「とにかく……どうする、ザン?」
「どうするか……。すみません、ここからダイスンまでどれぐらいかかりますか?」
「ダイスンまで」
主人夫婦が顔を見合わせ、にやりと笑う。
「結構かかりますね」
「いけないことはないですけど、向こうに着く頃は真っ暗ですよ」
「門が閉まって入れないかも」
「最近、盗賊が出始めたんで、見知らぬ人は出入りが許されないんですよ」
「野宿して襲われる人も多いようですし」
「盗賊だけでなく、野犬も多いんですよ」
立て続けに言いまくる夫婦に、ベルダネウスも苦笑いした。たまらずルーラが彼の耳に口を寄せ
「ザン、いいの? どう聞いてもあたし達を泊まらせるためのでまかせなんだけど」
「あれぐらいは営業努力の範囲内だ。知らない土地で野営するより良いだろう」
ルーラに答え、外を指さす。
外はすっかり日が落ちてしまい、主人夫婦の言うことが嘘でも、もはや選択肢はなかった。
「ご主人。部屋は開いてますか?」
「はい。ございます。ミリア、お客様、三人です」
営業用の笑顔で応じた主人に言われて、
「かしこまりました。部屋の用意をしますので、しばらくお待ちください。それと、馬車の止め賃と飼い葉代は別料金となっております。なお、宿代その他は前払いでお願いします。さきほどの薬草代も別料金になります」
ミリアもまた営業溢れる笑みで頭を下げる。
「わかりました。それより、なにか食べるものをお願いします」
心底疲れたように、ベルダネウスは手近な椅子に腰を下ろした。