【1・倒れている女】
「魔導人の心臓」の主人公、自由商人ベルダネウスと精霊使いルーラの2作目です。時系列は前作の少し後になりますが、話のつながりはないので前作を読んでいなくても差し支えありません。
400字詰原稿用紙にして130枚ぐらいの長さになります。
【1・倒れている女】
左右を森に挟まれた道の真ん中に女が倒れていた。歳は20をちょっと過ぎたぐらいだろうか。肩まである癖のある金髪はくしゃくしゃで、服は破れて泥まみれ。白い足が露わになり、上半身に至ってはほとんど下着姿である。
弱々しく顔をあげた。
「……助け……て……」
持ち上げた上半身から豊かな乳房がこぼれ、桃色の乳首が現れたのを、目の前で止まった馬車の御者台にいるザン・ベルダネウスにはハッキリ見えた。しかし、目尻は下がるどこか微動だにしない。女に興味がないわけではない。見た目は老けて30代後半にも見えるが、実年齢はまだ29才である。
馬車の屋根では、少々くたびれた革の鎧姿のルーラ・レミィ・エルティースが粗末な石槍を構えながら、片膝をついて倒れている女を見ている。鎧の下に着ている服はどれも男物だが、その中にある体は、間違いなく16才の女性だと胸の膨らみと、元気と繊細が仲良くしている顔が主張している。
「あ……」
力尽きるように、路上の女が横に倒れる。その勢いでスカートがはだけ、薄い下着が見えた。
「グラッシェ」
ベルダネウスがゆっくりと馬の名を呼び
「走れ!」
倒れている女に向かって馬車を走らせた。
女が驚いた。このままでは間違いなく自分は馬車に轢かれる。
「おやり!」
叫ぶと同時に、女は横に跳んだ。
途端、道を挟む森から無数の矢が飛んで来る。しかし、矢がベルダネウスたちに届こうかという時、全ての矢が弾かれるように流され、明後日の方向に飛んでいく。
その内の一本が、避けた女の足下に突き刺さった。
「馬鹿、何してんのよ!」
森から弓矢を構えた男たちが飛び出し矢を放つが、先ほどのように馬車のそばに行くと矢は左右に逸れてしまう。
「杖を!」
男の一人から杖を受け取った女がそれをかざす。この杖は魔玉の杖と呼ばれる。魔力と呼ばれる人の力ある精神力を様々な現象に転化させる魔玉を先端に固定した杖で、魔導師の身分証明書ともいえる品物だ。つまり、この女は魔導師ということだ。
杖の先端に着けられた拳大の玉が淡く輝き、頭上に揺らぐ炎が生まれる。
それが大きくなり始めた時、地面が突然、彼女の足下をすくうように突きだした。
たまらずバランスを崩して女は倒れ、頭上の炎がかき消える。他にも彼女たちのいる場所で次々と大地の突起が生まれては彼女たちをひっくり返していく。
「な、何だ?」
一同がが呆然とする中、馬車は遠ざかっていく。
すると、もう良いだろうとばかりに大地の突起は全て引っ込み、平らな地面に戻った。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
男の中で一番体の大きいのが心配そうに駆け寄ってきた。
「何よ。今のは何なの?」
女が立ち上がり、呆然と辺りを見回した。
「……精霊使いだ」
男の一人がつぶやいた。
「俺、見たことある。屋根にいた女、あいつの持っていたのは精霊の槍だ。あいつ精霊使いだ」
男たちは唖然として顔を見合わせ、続いて目の前の女の露わなままの胸に視線を向けた。
「馬鹿、どこを見てんの!」
慌てて女が胸を隠した。
「追いかけるわよ。うまくいけば、うちの村に泊まるわ。宿に泊まれば、その間にあいつらの馬車を奪えるわよ」
「村の中はまずいですよ、お嬢様」
「こんなことが村長にばれたら」
「黙りなさい。アタシの言うことが聞けないの!」
服装を直すと、彼女は肩を怒らせ歩き出す。
男たちは諦めたように大きく息をついた。
「この辺には盗賊は出ないという話だったんだが」
「いい加減な情報だったんじゃない」
ルーラは屋根から御者台のベルダネウスをのぞき込み
「あるいは情報にも入らないような新参の盗賊だな」
「あの女が盗賊の仲間だったから良かったけど、そうでなかったら轢き殺してたわよ」
「道の真ん中で女が倒れて、左右の森には弓を持った男たちが潜んでいる。これが罠でない方がおかしい」
盗賊たちが追ってこないのを確かめて、ベルダネウスは馬車の速度を緩めた。
「ザン、あちこちの盗賊に顔が利くんでしょ。こっちの方には知り合いはいないの?」
「初めての土地だぞ、無理を言うな」
ベルダネウスは自由商人である。自由商人とは、特定の店を持たず、商品を馬車に積んで自由に町や村を回り、品物を売買する行商人のことである。彼は護衛兼使用人のルーラと二人で各地を回り、「生き物と麻薬以外なら何でも扱います」と商売をしていた。
今回、彼らはある事情からメルサという国に向かっているのだが、この辺りは彼も初めての土地である。
慣れた土地ならばそこを縄張りにしている盗賊たちの情報も入るし、盗賊によっては「盗品で売りにくいものがあれば、私が買いますよ」と客にもするが、ここではそうもいかない。
「道はこれで合っているのよね、さっきみたいに一本間違えたなんてことはないわよね」
「確認するか」
既に太陽は西に傾き、その力が弱くなりつつある。野営に必要なものは一通り揃えてあるが、知らない土地では避けたいのが彼の本音だ。
森が途切れ、見晴らしが良くなると
「ちょっと飛んで、次の町への道と距離を確認してくれ」
「了解」
ルーラは立ち上がると、精霊の槍をかざして穂先である精霊石に意識を込める。精霊石は人と精霊たちの心をつなげる力を持ち、それを通じて精霊たちに望みを叶えてもらうのが精霊使いである。
彼女の思いを受けた風の精霊たちがどうしようかと彼女を回りながら囲み、やがて精霊たちが力を合わせて彼女の体を持ち上げる。
森と言うほどではない。林の中を風が吹き抜け、風の精霊たちの口笛が鳴る。笛の音と風の流れに身を任せるようにルーラは木々を縫い、掬われるように大空へと舞った。
今日の出番を終えようとしている太陽が、大きく手足を広げた彼女の体を赤橙色へと染める。
「さーて、ダイスンだっけ。次の町までどれぐらいあるかな」
彼女は自分たちが今まで進んできていた道のその先を見つめた。眼下にあるのは森と畑。右手の先には山々が群れをなし、小高くなったところにある風車小屋には牛車が止まっており、一人が大きな麻の袋を荷台に積んでいる。
左手の先には境界線のように川が流れており、水車小屋が見えた。
川のその向こうには町の明かりが見えるが、あいにくそれはダイスンではない。
道の先、森をいくつか越えたそのまた先に、赤茶けた屋根の群れが明かりと、煙突からの煙を伴って見える。
ダイスンの町だ。
ほっとすると同時に、そこまでの時間を素早く計算する。
(暗くなる前に着けるか微妙だなぁ)
槍の穂先を通じて彼女は風に語りかけ、ゆっくりと馬車に向かって下ろしてもらう。道が間違っていないことがわかっただけでもありがたかった。
降りる途中、町へと続く道のちょうど真ん中ぐらいに一軒の家があった。彼女がよく見えることが自慢の目をこらすと、道に向かって宿屋であることを示す日と月の図を染め抜いた看板が見えた。悪くてもあそこまでなら日が落ちるまでに行けそうだ。
いくらか気楽になった彼女は、また別のものが見えた。
それは……。