風刃の儀(後編)
少しだけ時間を遡ってからの続きとなります。
「ラフ&スムース」
「はあ……はあ……」
全身が怠い。
それに、これは、何?
身体が熱を持って、熱く感じる。
部屋から出て廊下を渡るだけの作業が
かつてこれほどの苦行だったことがあっただろうか?
まさかちゃんと自立歩行もできなくなっているとは思いもよらなかった。
壁伝いに手を添えながら
まるで切り立った山の崖を歩いているような感覚。
これが本当に自分の身体なのだろうか?
――当たり前だ。
体力が尽きて身体が悲鳴を上げてるって時に
”力”を発動させたんだからな。
「深山の……能力…………あれが?」
――アレは本来、常世での業だ。 現世で使うものじゃない。
それを深山の一族は一時的にだが引っ張り出すことができる。
だが使うのは現世の、生身の肉体だ。
当然反動がある。
例え万全の体調だとしても無理があるんだよ。
それに少しでも負けないために日々修練を積んでいると言ってもいい。
「はあ……はあ……」
――それをお前は体力残量ゼロの時点で解き放った。
どうなってしまうかは、馬鹿でもわかるだろう?
それが、この結果だ。
「…………」
――だから成り損ない共は力に目覚めると同時に
足りないエネルギー源補充の為に生贄を探し求める。
自らでのコントロールが効かないからだ。
お前も今、感じている筈だ。
目覚めたのだからな。
感覚が鋭敏になって本能がエネルギー源を求めようとしている。
「…………」
――本来はその為の風刃だ。
あれにエナジーを溜めておき、解放と同時に”力”を使う。
いわば外部バッテリーやスタビライザーの役目も果たしている。
必要な瞬間のみ必要な力を発揮することができる。
そして、それこそが深山流の真骨頂。
「……じゃあ、今の私は……」
回復しないでこのまま……
堕ちていって、しまうのだろうか?
――回復はするさ。
だが、それなりに時間がかかる。
大抵はその間に本能の欲求に負けて暴走してしまうんだがな。
人間の三大欲よりも強力な分、性質が悪い。
理性で押さえつけるのが困難だ。
例えばの話だが、普通の人間が意図的に息を止めて自殺できるか?
そういうことだ。
「……く…………」
――だが、心配はいらん。
そもそも、深山の一族は其の辺の有象無象どもとは
魂のレベルが違う。
最初は難しいかもしれんが……
どくんっ!
!?
――ちょ、ちょっと! なに勝手に入れ代わってるの!?
私は今、急いで……
「……………………
――――だぁっっ!!」
――!
「…………な?
こうやって、訓練次第で軽度のエナジー枯渇程度なら
気合で抑えられるようになる。
また今度、コツとか教えてやるよ」
――ナイス! そのまま道場に向かって!
「え…………立ってる者は親でも使えってか? いや、自分自身なんだけどな!
でも私を移動手段に使うの、やめてもらえる?
これ、本能を押さえつけてるだけでべつに体力が戻ったわけじゃないんだからな」
――元はといえば貴女が原因なんでしょう?
「……はあ…… ち! しゃーねえな! でも道場の入口までだからな。
あとは自分でなんとかしろ!」
◇◆
「はあ……はあ……」
「……睦月。 来たのか」
「む、睦月……!」
どうやら、ぎりぎり間に合ったようだ。
けれど、ここからが正念場だ。
なんとか水無月の過去の行いを上手く隠したままで
風刃の儀を止めないと……!
「睦月! 部屋でおとなしくしてろと言っただろ……!」
師範代の叱咤の言葉を大婆様は右手で制す。
「……なんの用じゃ? ただ風刃の儀を見届けに来た訳でもなさそうじゃが?」
「……その…………
先ほどの、試合結果に……
再考の余地がある……と思いまして、ここに参りました」
「……ほう? わしの判断にケチをつける……と、言うのかえ?」
眼光鋭く、口角を吊り上げながら睨みつけられる。
「……っ!
た、確か、剣道の試合では二度竹刀を落した者は
一本と見做された筈です! そして、今回は一本のみの真剣勝負。
いくら深山流の仕合いであろうと判定基準の変更には
事前の説明が必要だったと……私は、そう思いますが」
「……ふむ、確かにおぬしの物言いには一応筋が通ってはおるの……」
「だ、だったら!」
「しかし、おぬしは深雪に止めを刺さなんだ。
そして、そのまま意識を失った。
果たしてこれが実戦であったなら、
どちらが命を落としとったじゃろうな?」
「っ!」
「深山流は実戦用の剣術じゃ。
剣道の試合で勝てても何の意味も持たない。
そんなこと、おぬしなら
とうの昔からわかっていたと思うとったが?」
「そ、それは……」
「まあ、おぬしの言い分もわからんでもない。
剣を払い落とした時点で勝ちを確信したと言われれば
ルール上はそうなのかもしれん」
「…………」
確かに、あの時姉さんに一撃を加えてさえいれば
私の勝ちは確定だったのだろう。
でも……
「怖かった……か?」
「!」
見抜かれている。
そう。 怖かった。
誰でもない、自分自身が……だ。
あそこで姉さんに襲いかかっていたら
私は何をしていたのか、わからない。
壊れかけていた理性のブレーキを
ただただ必死に踏み続けていた。
そして、躊躇している間に限界を迎えた。
「ふん、そんな覚悟で、深山流を継げると思っておるのか?」
「…………そ、それでも!」
「納得がいかんか?」
「…………」
大婆様の問いに、無言でコクリと頷く。
「ほう、ならば今すぐ再戦できるというのか? その身体で」
「……っ!」
やはり、この身体のことも気づかれている。
しかし、圧倒的不利な状況からここまで話を持ってこれたのだ。
これはチャンスと捉えるべき。
たとえ体力が底をついていても、やりようはある筈。
「お、大婆様っ! それはっ!」
姉さんが顔色を変えて抗議の目を向ける。
「……深雪。
睦月はこう言っとるが、なにか反論はあるか?」
「う……ぐ…………」
姉さんは、口を真一文字に結び、押し黙ってしまった。
「……これは、仕切り直し、ですね」
総本家の女性が口を開く。
何故かホッとしている表情。 だったが、次の瞬間豹変する。
「あ! 駄目っ! 深雪ちゃんっ!」
「……!! 姉さんっ!」
「睦月には悪いけれど、私だって本気なんだ!
僅かな可能性に賭けて得たこのチャンス……逃す訳には、いかない!
再仕合は、しない! もう、これは決まったことなんだ!
私が、絶対! 当主に、なるんだ! ……だからっ!」
これ以上ないほどの、真剣な表情。
姉さんは、躊躇いなく両手を振り下ろす。
「!」
紅く怪しく光る刀身。
風刃に意志が、宿っている!?
ドッ!!
「「「……っ!」」」
その場にいた誰もが、止めるのを間に合わなかった。
「…………」
刀身を腹に突き立て蹲り、黙ったまま微動だにしない姉。
「「「…………」」」
「……な、なにも……起らない?」
師範代が呟く。
――いや、そんな筈はない。
風刃を体内に差し込んだ者に対する反応は決まっている。
適合するか、否か、それとも……
主不在状態の風刃に認められるかどうか。
それは、刀身を体内に入れた時の反応で決まるらしい。
認められれば、力の発動がまだの者はここで発動を促される。
刀身に内包されているエナジーを分け与えられ、
力の起動爆発が起こるためだ。
そして、風刃は解放され、主の望むままに、その真の姿を現す。
もしも認められなかったなら
風刃はその者の体内のエナジーをいくらか奪う。
いつか現れる主のために
その内部に力を貯蔵していくのだ。
エナジーを奪われる者は死ぬことはまずないが
時間に比例し体力の消耗が激しくなるため
早々に自身か、それができないなら人に抜き取ってもらう必要がある。
放っておくと際限なく吸われるため
いくら深山の者といえど、そのうち理性を無くし暴走してしまうからだ。
そして、もうひとつ。
問題は契約が続行中、つまり所有者がいる場合だ。
主以外の人間が手に取り、無断で風刃を使用したとする。
もし、風刃に敵だと認識されたなら――――?
カタカタと、刀身を握った両手が震えだす。
「う……ぐ……」
「! 姉さんっ!」
「……駄目……か!? エナジーを、吸われているのか!」
師範代が動く。
「あ……うぐあああっ! あがっ! がああっ!」
苦痛に表情が歪む姉、それでも、自ら刀身を抜く気配はない。
「も、もういい! 深雪! 刀身を抜け! 残念だが、ここまでだ!」
首をぶんぶんと横に振り、それでも抜く素振りを見せない。
「駄目じゃ! 風刃は深雪を認めない! 早う刀身を抜いてやれ!」
「は、はい!」
師範代が駆け寄るも、姉さんは後ろを向き縮こまり、抜くのを頑なに拒否をする。
「な、何をやっている! 手を離せ! これ以上は無駄だ!」
――残念だが、無理だ。
風刃は彼女を認めない。
早く抜いてやらないと、理性を失うぞ!
「わ、わかってる。 でも……」
姉さん……
「…………なるんだ」
「!?」
「それでも……私はっ! 当主に……なるんだああっっ!!
……あ、ああああああっ! あがあああああああああああっっ!!」
ビクビクと、身体が痙攣をし始めた。
「は、はようせい!」
「深雪! 少し手荒だが、許せ!」
「嫌っ! やだあああっ! 風刃! 私を! 認めてよおおおっ!」
師範代は姉さんを強引に押し倒し、仰向けにさせ
柄を握っている両手をむしり取るように引き剥がす。
「ふんっ!」
そして自らが柄を握り直し、天に向かって引き抜こうと試みた。
「っ!? ば、馬鹿な!? ……ぬ、抜けん……だと!?」
「なにっ!?」
更に渾身の力を籠め、引き抜こうとするが、
それでも刀身は彼女の体内から一寸たりとも動かない。
大婆様も想定外の事態に驚いている。
――おかしい。 認められず適合しなくても
通常ならエナジーを吸い取る過程はほんの数秒の筈だ。
敵と見做された!? にしては……
「師範代! 退いてください!
私が抜き取ります!」
「睦月!? しかし!」
もし、もしも風刃に敵だと見做されているのなら
風刃は容赦しない。
エナジーを加減して奪うなんてまどろっこしいことはしない。
身も心も魂も、跡形もなく!
全てを喰らい、吸い尽くされ殺されてしまう!
だけど!
今度は私が風刃の柄を握り込む。 そして。
「だとしたら、仮契約は未だ有効だということ! 風刃は私の命令を聞くはず!
風刃! その刃の呪縛を解きなさい!」
バチンッッ!!
「っ!! なっ!?」
刀身から電流のようなものが走り
思わず柄から手を離してしまった。
「いうことを、聞かない!?」
拒絶、された?
な、なんで!?
――わからない。 こんなことは初めてだ。
仮契約は切れている。 つまり今、風刃は主無しの状態。
だったら二通りの反応しかないはずなんだ。
「がっ……あがっ! ぐがががあああっ! がはっ! げっ! げえええ~っ!」
痙攣が全身におよび、更に酷く激しくなる。
ビクッ! ビクッ! ビクッ!
姉は床を転げまわり、嘔吐し泡を吹き、ついには、失禁してしまった。
白装束が肌蹴、ほぼ半裸となっているが今はそれどころではない。
「ね、姉さんっ!!」
「いかん! このままでは……深雪っ!」
こんな、ここまで吸い尽くされたら姉さんが――――死んでしまう!
どうしてこんなことを!? 風刃! あなたはいったい何がしたいの!?
「――! だったら!」
意を決して、もう一度姉の懐へと飛び込む。
そして、背中から抱き締めるように覆いかぶさった。
「睦月!?」
「睦月! いったい何を!」
「言うことを……聞かないなら、言うことを聞くようにしてやれば、いい!」
今、ここで私ができること、それは!
柄を握りなおす。
バチンッ!
「ぐっう!」
またしても電撃のような衝撃が私を襲う。
だけど、今度は離さない! たとえ腕がもげようとも! 意地でも!
そのまま、前に倒れ込み柄を床に押し付け、姉ごと私の全体重をかけた。
「「睦月っ!?」」
そう、つまり
姉の身体を貫通した風刃は、今度はそのまま私の身体を貫く!
ずぶりと、体内にめり込んでいく感触。
「うっ! う……」
覚えている。 昔の、記憶。
姉を挟んだまま刀身を根元まで押し込んだ、その時。
「――――風刃よ! 今、我との契約を望む!
我に従い我が刃となり、そして力となれ!
ならば、この身全てを、魂すら! お前に捧げよう!」
ごうっと、一陣の風が、吹いた。
オカエリナサイ
「!!」
空っぽになっていた筈の体力が、みるみると戻っていく。
いや、それどころか……
――これは!
「睦月の、瞳が……赤から
まるで翡翠のような……緑へと…………大婆様、これは?」
「……風使いの、証じゃよ。
どうやら、あやつは風刃によってもう一段上の覚醒を促されたようじゃ。
やはり、あの子はなるべくして……
そういう星の下に、生まれておったんじゃな……」
そして、私はこの時を持って
風刃の主となった。
この後少しだけエピローグを書く予定です。




