風刃の儀(前編)
今回は睦月と深雪の過去エピソードです。
これは第三章というよりは第二章の補足となります。
鈴音が茶道教室から抜け出し
みゆきの剣道の試合を覗き見してた時の裏事情ですね。
「ラフ&スムース」
私には、物心付いた頃から、ある種の強迫観念めいたものが、あった。
――――それは、全てを背負うこと。
いつだったか、私は姉に連れられ、初めて道場に足を踏み入れた。
「よし、じゃあ睦月は初心者だし、今日はお姉ちゃんによく教わるんだよ」
親戚筋でもある師範代の人が、にこやかにそう話しかけてくれた。
「はいっ!」
でも
知っている。 この空気。
そして、この見慣れた風景。
――――何故!?
「メーン!」
スパーン!
「…………え?」
何が起こったのかと、あっけにとられる姉の表情。
「し、信じられん! 深雪は手加減してたのかもしれんが、
まさか初日にこんな鮮やかに一本取るなんて……!」
「……い、いや、……あ、あはは!
すごいよね! 睦月は! 流石は我が妹だよ!」
「お、おねえ、ちゃん?」
「……………………今度は、手加減なしで、行くよ?」
「……う、うん……いたく、しないでね? おねえちゃん」
最初、わたしは姉の言葉に対し、心底本気でそう思ってそれを口にした。
でも、「私」は
竹刀を振る度に思い出していた。
この感覚、覚えている。
たぶん、私は、この道場の中で、一番強い。
太刀を持つにはまだこの幼い身体では扱いが難しいだろうが
もし、小太刀を持たせてくれるのならば、
おそらくこの場の全員を切り倒し、○すことができるだろう……
それが、たとえ相当な実力者である筈の、実の姉であろうとも。
「……はあっ、はあっ!
……そ……そんなっ……!」
姉の顔が歪む。
この事実を受け止め信じることができないのだろう。
「……凄いっ! この子は、まさに神童……紛れも無い、天才だ!」
「……っっ!?」
「深雪も、幼い頃から相当に筋が良くて、
これは鍛え方によっては深山家歴代でも屈指の実力者になるとは思っていたんだが……
まさか、それを軽く凌駕する才能の持ち主が、これほどの身近にいるとはな!
満足していた私が迂闊だった。
これならもっと早くに睦月を道場に通わせるべきだった!」
当主不在であるこの道場の、師範代の先生は興奮気味にそう言った。
「……っ!!」
「これは、将来が楽しみだ! 歴代最強の当主が生まれるぞ!」
「……お、おねえちゃ……ん……?
……………………っ!!」
「…………」
そこには、わたしには目を合わさず、
すごい形相でただ黙って俯き唇を噛む姉の姿があった。
こんなはずじゃ、なかった。
ただわたしは、偉大で優しい姉の勇姿を満足気に見ながら
手取り足取り構ってもらいながら教えてもらうつもりだった。
それだけで、よかったのに
……こんな、今まで見たこともないような目で
姉に見られることになるなんて、
昨日まではまったく想像すらしていなかった。
――――だってしようがないじゃない。 姉が弱すぎるのが悪いんだから!
「違うっ! おねえちゃんは弱くないっ! わたしはそんなこと思っていない!」
――――つまんないな、もっと私に剣技を磨く、足しになるような相手はいないのか?
「わたしは、初心者なんだっ! これから、ゆっくり、おねえちゃんの大きな背中を追って……」
――――私の背中に皆を従わせればいい。
私は、深山家当主となるべくして、全てを背負って生きる為に、生まれてきたのだから
「違う! 違う! わたし、わたしは……深雪おねえちゃんの、
おねえちゃんに憧れてるだけの、ただの妹だ!
将来、当主となったおねえちゃんを陰で支えることができたら、それでいいんだ!」
――――本当は理解っているんだろう? そんなものは、ただの幻想だって、ことが……
だって、深山家当主となることの、本当の意味は
「う、うわあああああああああああああっっ!!」
◆◇
それから、わたしは基本ひとりきりで修練をするようになった。
当主には私がなる。
たとえ姉にどんなに嫌われようと
それが最善だと思った。
垣間見た記憶の断片。
姉に、同じ運命を背負わせたくない。
決着は、私自身の手で付けなくては。
しかし、この身体には欠点もあった。
身体能力はおそらく前世にも引けを取らない。
技はすべて使える。
むしろより洗練されていると言ってもいい。
だが……遅くにまで剣の修業をしてたある日、
身体の異変に気が付いた。
「深山睦月さん。
残念ですが貴女には、貴女の母親と同じ症状が見られます。
今のところ軽度ではありますが、いつ症状が重くなるかもわかりません。
けっして無理はなさらないように」
「…………そう、ですか……」
幸いにも、姉はこの因子を引き継がなかったのが唯一の救いと言えよう。
苦労は私だけでいい。
それに、今の実力差なら感づかれることもなく事は終わる。
最終試練は私が突破する。
万が一にもそれ以外はあってはならないのだ。
◇◆
「私が道場の全員を倒しきったら、相手をして欲しい」
「……え?」
「それを最終試練としてくれて構わない。
もし、それで貴女を倒すことができたなら
”風刃の儀”は私が受けさせてもらう」
姉の真剣な眼差し。
ただの一度も勝てたことがないというのに
道場の全員を相手にしてから、私と戦う?
やる前からハンデを背負うというの?
一体、何のために? ……まさか?
「だから、この一戦のみで
師範代にも、大婆さまにも納得して認めてもらう。
これが――――最後だ!」
「……わかったわ」
断る理由はなかった。
姉にはまだ伸びしろがある。
なら、むしろまだ成長しきっていないうちに決着をつけた方が
労せずして当主の座を勝ち取ることができる。
客観的に見れば、成長期の只中である私たちが
結論を出すにはまだ少々時期尚早であるように見えるのだろうが
どのみち今現在、深山の当主候補は私たち二人しか上がってきていない。
そこで年下である私が勝利すれば、文句を言う者はおそらくいないだろう。
「本日は、深山宗家より大婆様がお見えになっている。
そして、お忍びではあるがもう一人……
こちらは紹介を割愛させていただくが
けっして失礼の無いよう、己に恥じた戦いをしないよう、心がけるように!
それでは、――――始めっ!」
それは、今までとは少し様相が異なっていた。
いつもなら
どちらが先手を打ったとしても
必ずすぐさま攻めに転じようとしていた姉。
それが多少のフェイントは入れるものの
ほぼ防戦一方に徹していた。
こちらがわざと隙を見せようが、
リスクを負ってまで攻めてくる気配がない。
こんなことは初めてだった。
いくら技で優っていてもここまで防戦に徹されたら流石に攻めあぐねる。
つまり、いつの間にか防戦のみに集中されたなら
姉は私とここまでやりあえるようになっていたのだ。
間違いなく、以前よりも上達していると言えよう。
……それにしても……本当に上手く、なった……
前回までの手合わせなら、
姉さんの攻めや守りはわたしには手に取るようにわかった。
同じ流派だ。 しかも私には前世で学んだ実戦経験もある。
実力差が明白なら次にどんな技で仕掛けてくるのか読むのは容易い。
だからどう崩せばいいのか、どこの隙を突けばいいのかを
すぐに判断し実行することができた。
けれど、今回は違う
技量そのものや癖はそこまで以前と変わってはいない。
けれど、わかっていても簡単に突き崩すことができなくなっている。
相当に練習したのか……いや、それもあるんだろうけど
……きっと、そうじゃない。
以前とは、気構えが変わったんだ。
以前とは違う何かが……姉には、あった。
それが何なのかはわからないけれど。
……くっ! しかし、このまま……じゃ……
これは真剣勝負。
どんな手を使おうが要は勝てばいいのだ。
だからこのやり方も、けっして卑怯ではない。
「……はあっ、はあっ、はあっ、はあっ…………」
随分と時間が経った。
まずい、体力の消耗が限界に近い。
仕方がない、最後の力と技を駆使して無理にでもあの守りをこじ開けるしか……
「すう~~~……はあ~~~…………」
私の気合で場の空気が変わる。
まるで空間全体が軋んでいるような、そんな気がした。
相手もそれを敏感に察したようだ。
「…………」
「…………」
「は、あーーーーっっ!!」
怒涛の攻撃の嵐。
これには流石の姉も竹刀が右に左にと振られ、受けきれなくなってきたようだ……が
それでも彼女は歯を食いしばり、なんとか耐えに耐えていた。
まだ、耐えるのか?
どうして、ここまでして……?
当主になんかなったところで、何もいい事なんて、無いのに……
「……うっ!?」
どくんっ!
「……!!」
ついに、私の身体が悲鳴を上げた。
どくん……どくん……
「う……うっ!」
胸が、痛い……
駄目だ! このままじゃ……負ける!?
動きが、今にも止まりそうだ。
「ううっ!……」
「…………悪いわね、睦月……でも、これでっ!!」
姉さん。
もしかして、私の身体のこと、知っていた!?
知っていて、わざとハンデを背負って……
そのうえで勝って、納得をしてもらおうと?
「はあああっ!」
勝機と見た姉さんが、ついに攻めに回ってきた。
一気にケリをつけるつもりだ。
「あああああああっ!!!」
パパーーーン!! パーーーン!!
「くうっ!」
駄目だ! どうしても身体が思うように……動かない!
「やあああーーーーっ!!」
パーーーーーン!!
しまった! 体が崩れた。
姉さんがこの隙を逃すはずがない! まずい!!
最後の力を振り絞ってか、今までで一番疾く重い一撃が繰り出されようとしていた。
「これでっ! 終わりよっ!!!」
それでも! 私はやられるわけにはいかない!
絶対!! 絶対!!! 絶対……にっっ!!!!
「……あ……あああああああああああーーーっっ!!!」
バシーーーーーーンッ!!!!
……………カララララ……
道場の隅に、竹刀が転がり落ちた。
曾祖母が立ち上がる。
「……いかん! 早く竹刀を拾え! ――――深雪っ!」
「……あ、ああ……あ……」
竹刀を落としたのは今まさに止めを刺そうとしていた深雪の方だった。
「……ふーっ!……ふーっ!……ふーっ!」
姉さんは、まるで、私のことが怖いのか、
恐怖で引きつったような表情をしながら慌てて竹刀を拾った。
「……ふーっ!……ふーっ!……ふーっ!」
この荒々しい呼吸は、誰?
もしかして、私?
……それに、視界が……世界の色が、変わった……!?
まるで、ネガフィルムのような色合いの世界……これは……何?
「……ふーっ!……ふーっ!……ふーっ!」
「あ、あああああっ!!!」
姉さんが渾身の一撃を私に向けて打ってきた。
もちろん、応戦、だ!
ばきいいいいいいいっ!!!
「……っっ!? ひ、ひいっ! い、いや…いや…ああああっ!」
途端、姉の表情が一変する。
まるで野放しにされた獰猛な獣でも見るような、怯えた、目。
「……ふーっ!……ふーっ!……ふーっ!……ふ…」
がらん、がらん!
と、真っ二つになった竹刀が
私の眼前に落ちてきた。
それが私の見た試合の、最後の光景。
ぶつっ…
暗転、視界が真っ暗に、なった。
「馬鹿がっ! 無茶をしおって!
まさかそのような状態の身体で”力”を使うなどと……」
曾祖母の声も、これを最後に、途切れた…




