ⅩⅤ Riging
「ラフ&スムース 第三章」
ドクンッ!
「…………っ!」
な、なんで…………
日影先生が……孝志のサーブ……を?
ドクンッ!
それに、今の、瞳の色は……なに?
ドクンッ!
あの瞳で、敵意を…………向けられた!?
ドクンッ!
紅の……瞳……
ドクンッ!
どこかで、私はアレと同じようなもの、を……?
ドクンッ!
「痛っ! あ、頭……が……」
ドクンッ!
「はあっ! はあっ! はあっ! はあっ!」
胸が…………苦しい…………!
ドサッ!
…………!?
「…………あ……えっ?」
「お、お母さんっ!」
「日向先生っ!」
ハッと我に返り目の前を見ると
日影先生が倒れていた。
「…………だ…………大丈夫、だから……」
先生はすぐさま身を起こそうとするも
しゃがみ込んだ状態のままで俯いて立ち上がろうとしない。
「はあ……はあ……」
審判席から降り、駆けつけた羽曳野先輩が様子を見る。
「大丈夫…………って、先生!? 顔面蒼白じゃないですか!?
脂汗も凄い! だ、誰か! 保健室にっ」
「し、心配ないって…………言ってるでしょ!
さ、騒ぐんじゃ……ないわよ!」
「……っ! し、しかしっ!」
「お母さん……」
「あと、一点取れば……勝ちよ……ねえ、ひなの?
最後まで、やりたいんでしょ?」
「やだ……違う……
私はただ、お母さんと、一緒に……」
「…………ごめんね。
ちょっとだけ……ペース配分、間違えただけ……だから……
さ……位置に、戻りなさい」
「で、でも……」
「ひなの!」
「う…………うん……」
ひなの部長は日影先生を心配そうにチラチラと見ながらポジションに戻る。
そして、俯いたまま喋っていた日影先生が
ようやくゆっくりと顔を上げた。
私と目が合う。
「…………」
そこに言葉はなく
彼女はただほんの少しだけ口角を上げ、笑みを浮かべていた。
「……日影……先生……」
既に、瞳の色は元に戻っていた。
いったい、あれは、なんだったんだろう?
「……さて……と…………
すう~……はあ~……すう~……はあ~……
…………せえ……のっ! ……くぅっ!」
深呼吸をした後、気合を入れるも
まるで生まれたての子鹿のように
ブルブルと立ち上がる。
「……っ!」
なんで……そこまでして?
もしかして、元から体調悪かったんじゃ、ないんですか?
なのに、どうして……
「そ、それじゃあ、再開、しますよ!?
本当に、いいんですね!?」
「はあ……はあ……」
日影先生は羽曳野先輩の問いには答えず
荒い息を整えながら無言でサーブの構えを取った。
「し、6-1!」
私は、サーブを受ける春菜ちゃんの横で
棒立ちで、ただ呆然としていた。
頭がごちゃごちゃになってて考えがまとまっていない。
「鈴音……………………
…………鈴音っ! 来るよ!」
「……はっ!?」
そうだ!
マッチポイントなのに、何を呆けているんだ私は!
このポイントを取られたら
もう試合は終わってしまうんだぞ!
相手がどんな状態であれ
今は、やるしかないんだ。
切り替えろ!
パコンッ!
「「!?」」
な!?
見る影もない。
まるで勢いのない、ただ、入れるためだけのサーブ。
しかも、それすらも届かない。
ぱさっ
球はネットを越えずにコート中央に転がった。
「フォ、フォールト!」
「はあ……はあ……」
「お、お母さんっ! やっぱり、もう駄目だよ! もう、やめよ?」
「…………嫌……よ」
「ど、どうして……?」
「……降りたら、負けに、なっちゃうじゃ、ない……
私は…………負けない……特に、あいつの……前では……
強者であり続けないと、いけないんだから……」
「あ、あいつって……?」
「…………」
「…………わかった。
お母さん。 じゃあ、このサーブだけは、何が何でも入れて!
そしてお母さんはハーフポジションでコート左に寄って!」
「…………ひなの?」
「コートの三分の……ううん!
四分の一だけでいい! 守って!」
「「!?」」
「…………わかった。 ふふ……じゃあ、これは絶対、外せないわね」
再びサーブの構えを取る。
しかし、やはり顔に生気は無く、本当に辛そうだった。
パコン!
またしても勢いのないサーブ。
もう、先刻までとは違い、余裕も何もなく
ただただ必死のようだ。
いくら全力を出し切ったからといっても
たった一発のサーブでこうもなるものなのだろうか?
けれど、これは、入る!
もはや体力云々ではなく、気合と意地だけでねじ込んで来たのだろう。
「こんな、入れるだけの……サーブでっ!」
それでも、容赦をする必要はない! と言わんばかりに
春菜ちゃんは大きくテイクバックを取る。
パコーーンッ!
渾身のショットを日影先生めがけて放った。
しかし、先生はよろよろとコート端の
サービスサイドラインの外側へと向かう。
「っ!? 返す気が無いんか!?」
「…………任せた」
そこへ入れ替わるようにひなの部長が走り込んで来た。
「……うん! スイッチ」
ズサーッと靴底を滑らしながらも球をスイートスポットに捉えた。
パコーンッ!
「ま、マジかっ!?」
本気だ。
本当にひなの部長がコートの四分の三をフォローする気だ。
つまりそれって、ほぼシングルスのコート面積。
そう考えると、確かに不可能ではないだろうけど。
その面積で
私たち二人を相手にして一人で戦おうってことなの!?
――部長はなあ……、本気の振り幅が結構でかいんだ。
「……っ! いくら……なんでもっ!」
今度は私の方に球が来る。
当然、私はひなの部長が走って来た方の
ガラ空きの反対側を狙うつもりだ。 が
「!」
球が、来ない。
スライス!
滞空時間が長いうえに、深い!
球を待ってる間に戻られてしまう。
「だったらっ!」
ならば、跳ね際を、叩く!
「ここっ!」
パァーーンッ!
「!」
もう殆ど定位置に戻りかけている!
やはり本職が後衛なだけあってフットワークも半端無い!
まずい! 春菜ちゃんに、パッシング!?
パコーーーン!
「そう! 何度も! 通すかあっ!」
パンッ!
春菜ちゃんがボレーで迎撃! ジャストミート!
けれど、勢いが付きすぎた。
即座に打ち返すひなの部長。
シュパッ!
!
今度は、ドロップショット!?
ネット際に落ちる短いショットだ。 まずい!
距離的には私の方が近いから前に出て返すしかない!
だけど、ギリギリで追いついて普通に掬い上げたら
相手にスマッシュチャンスを与えてしまい格好の餌食となってしまう。
全力ダッシュで追いつき十分な体勢を取るしかない!
「だあああっ!」
「!? あれに追いつく!?」
ずしゃあああっ!
私はまるで波乗りサーフィンするかの如く、ネット際に滑り込む。
テイクバックは小さく、コンパクトに!
パコーン!
「やるね! 山桃さん!」
パコーン!
今度は中ロブ!
ネット際にいる私の頭を越えてきた。
だけど、春菜ちゃんが前に出る私の動きを見て
少しだけ下がってくれていたのが功を奏す。
「だぁっ!」
パコーン!
日影先生狙いのシュート。
パコーン!
「なっ!?」
しかし、読んでいたのか即座にひなの部長にポーチボレーで返される。
は、疾い!
流石はシングルスでも県大会を制しただけはある。
任されたダブルスコートの四分の三を見事にカバーできている。
常に先読みをし縦横無尽にコート内を駆け巡っている。
私たち二人を相手に、まったく引けを取っていない。
だけど
私の身体も、動く!
なんでかわからないけれどさっきよりも体が軽い。
頭のイメージに沿うように……いや、それ以上に動けている。
これなら!
十分、追いつく!
パコーン!
「!? また、ライジング!?」
そう! この打ち方が自分的には最もハマる。
これは元々孝志が標準装備を目標とし
研鑽を積んできた打ち方だったからだ。
本来リターンはワンバウンド後一番高い位置か落ち際でボールを捉える。
それが最も打ちやすく自分の力も乗せやすい。
しかしこのやり方ではどうしても相手の想像の範疇の球のやり取りとなってしまう。
想像を超え、追い付けるはずの球に追いつかれないようにする為には
球威もさることながら発射のタイミングを早めることが肝要となる。
だったら簡単な話だ。
ボレーのようにノーバウンドで打ち返すか
もしくは球の跳ね際を速攻で叩けばいい。
相手はイメージ通りのテンポで打ち合うことが難しくなるはずだ。
同程度の脚力を持つ短距離ランナー同士が競うなら
より早いスタートを切った方が勝つというのが道理。
つまり、ライジングショットとはフライングスタートと同等、≒なのだ。
違う点はフライングスタートは当然反則なのだけれど、
ライジングショットは反則ではない、という所だ。
しかしこれを体得するのは容易ではなかった。
何故なら球に十分に追いついた状態でないと
「跳ね際を叩く」というライジングショットの特性上、
実現させることができないからだ。
乱打などの限定状況やチャンスボールのみで打てたとしても
それでは実用性に乏しすぎる。
常に打つことができる状態でいるのが理想。
その為には相手の球種、コースを瞬時に読み取り先回りしなければならない。
これには反射神経に加え、球に追いつく瞬発力と脚力が必須となる。
前世ではそれを得るのに苦労した。
ぶっちゃけると、未完成のままで終わった。
しかし、今は。
「疾い! 山桃さんのフットワークは、もしかして、私以上!?」
もう、スタミナとか出し惜しみしてる場合じゃない。
最後まで保たなくてもいい。
日影先生だって惜しげもなく全力で魅せてくれたじゃないか!
だったら、こっちだって!
それに、応える!
「やああっ!」
パコーン!
「始めて数ヶ月の子が、全弾ライジング!?
この子、これが――本来の姿、なの!?」
ラリーが続く。
「「…………」」
「お、おい……なんか、日向のやつ、押され始めてきてないか?」
「日向先生がポジション固定で動いてないから守備範囲が広すぎるんだよ」
「それにしたってこんな必死な表情の日向を見るなんて、今までなかったぞ」
「あの多彩なショットによく対応してるな、山桃ちゃん」
「……いや、それだけじゃない。
山桃ちゃんのリターンが物凄く早いんだ。
だから日向は必死に走りまわっている。 あれは新入生の放つ球じゃねえぞ!
ライジングショットを完全にモノにしている」
「見ろ! 今のなんか本当に跳ね際を即フルショットで叩いてやがる!」
「流石の日向も、ああも早くリターンされたらそりゃ手こずるだろ」
「すげえな……すげえよ山桃ちゃん!」
「……ら、らいじん……」
「「……は?」」
「……これは、もう、只のライジングショットじゃねえ!
電光石火の、雷の神、”雷神ショット”だ!」
「……か、かっこいい! それいいっ! それだーあぁっ!」
「「「うおおおっ! ラ・イ・ジ・ン!」」」
「「「ラ・イ・ジ・ン!」」」
「「「ラ・イ・ジ・ン!」」」
「「「ラ・イ・ジ・ン!」」」
「「「ラ・イ・ジ・ン!」」」
「う、うるせーっ!! ちょっと男子は黙れー!!」
なんか外野が五月蝿く騒いで羽曳野先輩が窘めているが、
今はそんなのに構っている暇はない。
しかし、確かに
日影先生が殆ど動けないせいもあるのだろうが
今度は互角か、それ以上の手応えがある。
打った球が速いテンポで返ってきてるので
流石のひなの部長も追いつくのには苦労しているみたいだ。
「はあ……はあ……お母さんはもう、限界だ。
だから、早く、終わらせる!
だから、山桃さん! もう、邪魔、しないで!」
パコーーン!
「はあっ……はあっ……
……嫌! です!」
パコーーン!
「……なっ!? なん、で!?」
パコーーン!
「だっ……て!」
パコーーン!
「くうっ!」
パコーーン!
「今なら、部長の、本気中の、本気が! 見られるからっ!」
パコーーン!
「!」
パコーーン!
「だからっ! どうしても、終わらせたいのならっ、
終わらせてみて、ください!」
パコーーン!
「…………い、言ったね…………わかった」
パコーーン!
ずりっ
「!?」
やば! また汗で、グリップが滑ってきて……
でも、こんなところで、終わらせたくない!
まだ、間に合う!
ギュッと握力を強め、グリップを握り直して、
打つ!
パコーーン!
「……! ……春菜さん、ごめんなさい」
それは、ほんの僅かな時間の差であった。
このリターンだけはライジングにならず
通常のショットとなった。
しかし、ハイレベルな攻防ではそれすら隙となってしまう。
相手に余裕を持たせてしまった。
「これで、決める!
はあっっ!!」
パッコーーンッ!
今日一番の強烈なシュート!
それはハーフポジションで構えていた春菜ちゃん正面に向けて放たれた。
「ひあっ!?」
だけど!
「届くっ!」
私はシュートを打つ直前にコースを見極め、既にダッシュをしていた。
追い付……いたあっ!
彼女の前をラケットで遮る。
頭の中でイメージができていた!
相手の二者間の隙間。 あそこだ!
これをイメージ通りのノーバウンドのボレーで返せれば!
ひなの部長は届かない! 決まる! いや!
絶対に決める!
「あああっ!」
パッ!
掴ん…………だ!?
コーーーーン!




