Ⅴ 挑戦!
「ラフ&スムース 第三章」
「ちょ、ちょっと待って! えーと、山桃さん!」
日影が手招きし僕をコート外の木陰まで連れて行く。
「……なんですか、せんせえ?」
「…………ちょっとお! 私こんなことやってる場合じゃないんだけど!
早くパソコン治してもらって溜まった仕事をやらないとなんだけどお!」
「まあ、それは理解しますが
でも壊れてる箇所によっては今日明日では
なんともならないかもしれませんし、
いつ治るとか確約はできませんよ。
最悪、完全にお亡くなりになって使い物にならないかもだし」
「えっ…………じゃあ、今まで苦労して作った私のデータ……とかは……」
「最悪、全部パーです」
「ええーっ!? そんなん、困るぅ~!」
「だから、パソコンに詳しい人なんかは
常に定期的にバックアップを取るんですよ。
いつPCがお亡くなりになっても被害を最小限に留める為に」
「……え、……そ、それも、ちゃんと直したら、だ、大丈夫なんだよ、ね?」
「だから、壊れてる箇所によるんですってば!
ハードディスクっていう頭の記憶部分が物理的にやられてたら
記憶喪失でパーになってて終わりなんですよ。
データ復旧してなんとかなる場合も希にあるにはありますが……
その場合、個人での復旧はちょっと難しく、専門業者に任せる必要があるので
結構な出費を覚悟する必要が……」
「えーっ? そんなん、困るー!」
いや、困られても知らんがな!
壊れたのは僕のせいじゃないし!
……そういえば、孝志の頭のデータ復旧もその内どうにかせんといかんのか。
バックアップデータはちゃんとここにはあるんだけどナー。
人間もパソコンみたいにデータ転送できたら簡単でいいんだけどね。
そしたらUSBのような入出力端子に接続すれば一発で終わりなのに……ねえ?
「…………」
入出力端子、か……
接続……できる箇所は確かにあるにはあるんだよな。
入出力用のスロットというかスリットいうか、
それが転生前より一個余分にあるんだけれど……
って! でもそれってデータ転送用じゃないしー!
いや? ある意味データ転送用なのか?
DNA……遺伝子情報という膨大なデータを一瞬にして転送できるしな。
すげーな人間! でも記憶データは転送できないから意味ないんだけどな!
「…………」
思わずえっちい妄想が頭をよぎってしまった。
あわわわ! いかん! 思考がオヤジ化してきている!?
いや、それともこれ、淫乱になってきてるのかー?
ああああやばい! 孝志の記憶が僕をどんどん汚染してきてるよう~!
どっちにしろこのまま考えてては、まずい!
思考すとっぷうー!
「……なにあんた頭抱え込んでしゃがみこんでんの?
あ! もしかして、治せる自信が無くなっちゃったとかぁ?」
「い、いやっ! そういうわけではっ!
……と、とにかくっ! 見てみないことにはなんとも言えません。
今はやれることやりましょう? 帰ったら必ずちゃんと見ますから!」
「えー、もうこんなん放っておいて早く行こうよー」
「む…………”こんなん”ってなんですか?
僕ら選手にとってはこっちのが重要なんですよ!
せんせえも皆の気持ち、忘れてなければわかる筈ですよね?
大人なんですから、相手の立場も立てるってこともしないとダメでしょう?」
「うっ……」
「余裕がないのはわからなくもないですが、
そういう時こそ人の真価ってのが出るもんなんです。
人の上に立つ者なら、そういう所しっかりしましょうよ!
皆、貴女の一挙手一投足を常に見てるんですからね!」
「うう……そ、そうだね…………ごめん。 先生大人気なかった……かも」
しゅんとなる日影。
流石にちょっとムッとなってきつく言いすぎてしまったかな?
「わ、わかればいいんです。
ちょっとこっちも少し、言いすぎました」
「…………」
なんか、無言でこっちをじっと見つめている。
「……な、なんですか?」
「…………なんか、山桃ちゃんって……」
「……え?」
「う、ううん、なんでもない!
し、仕方ないわねえ! じゃあいっちょ
皆の仕上がり具合を見てあげましょうか!」
…………いや、ここに約一名、まったく仕上がってない人がいるんですけど!
いきなり仕上がり具合をチェックされても困るんですけど!
「それじゃあ、みんな一旦集合ー!」
わらわらと、女子部員が集まってきた。
総勢何人だ? 思ってたよりも意外と多いかもしれん。
「それじゃあ、今更なんだけど基礎中の基礎
素振りを全員でやっていきたいと思います。
フォームのチェックをしますので各自気を抜かないように!」
「先生ー! まずは先生のお手本が見たいです!」
一人の女子部員が手を挙げてそう言った。
「えっ!? あ、そ、そうね…………でも、先生も結構ブランクあるから
勘を取り戻すのに少しかかりそうだから、えーと……
あ! そうだ! ひなのちゃんにお願いしちゃおうかしらー?」
「え……わたし、お母さんのお手本が、見たい」
「え”!? ひ、ひなのちゃんー!?」
いきなり日影の提案は却下された。
どうやら信じていたものに裏切られたようだ。
まあ、でもこれはべつに嫌がらせとかじゃなく
部長は本当に純粋にそう思って言っているだけなのだろう。
部員たちもなんかうんうんと首を縦に振っているし。
「う……もう! わ、わかったわよっ! やればいいんでしょ! やればっ!」
本当に久し振りっぽいな
大丈夫なんだろうか?
「じゃあ……まずは、フォアから!」
皆が固唾を飲んで静まり返る。
「…………い、いくわよ!」
すっ……
テイクバック。
彼女のラケットが、天を仰ぐ。
そこから、重力に逆らうことなく緩やかにヘッドが落ちてきた。
そして、その落下に合わせて日影自身のスイングスピードも加算されていく。
落ちきったヘッドは、今度はまるで離陸するジェット戦闘機のように
再び天を目指し上昇を開始する。
腕だけじゃなく、手首、握力、腰の回転、全ての身体の動きが連動し、
体重も後方から前方に向かい一気にシフト、更に加速に伸びが加わっていく。
ヒュウンッ!
「……!」
風を纏い巻き込みながらフォロースルー
そして、一連の工程が完了した。
あ、やっぱこいつ、うめえわ!
たったひと振りしただけでわかる。
流れるような綺麗なフォーム。 昔と変わらない。
あの頃の、日影のテニスだ。
「「「…………」」」
一瞬の静寂の後
「「「はえ~!」」」
「なんか、凄く……綺麗!」
「まさに教科書って感じ? いやそれ以上に芸術的にすら思える!」
「流石部長のお母さん! 部長も綺麗だけど先生のはその完成形って感じがする!」
皆が皆、銘銘に感嘆の声を上げている。
手本だからか
わざとスピードを落としてゆっくり見せてあげたんだろう
それが功を奏し皆の目にもしっかり焼き付いたらしい。
号令もかかっていないのにもう真似て素振りをしまくっている者もいる。
たったひと振りで一気に羨望の眼差しを集めて
日影の株はうなぎ昇りに急上昇だ。
「はは……」
しかし、当の本人は安堵の表情をしつつも苦笑い。
なんか余裕なさそう。
本当に全然やってなかったんだなこいつ。
「ま、まあこれが基本的なスイング……かな?
でも、あくまでもこれは基本ね。
なにせ相手は同じ軌道の球なんか殆ど打って来ないんだから、
これをベースにこれから様々なショットを身に付けていくように」
「「「はーい!」」」
皆素直に返事をしている。
どうやら効果は抜群だったようだ。
「そ、それじゃあ、さん、はい!」
「「「いち、にー! いち、にー!」」」
部員全員が一斉に素振りを始めた。
……あ、なんか、選手みんなのフォームを見ながら
だんだんと日影がこっちの方にテコテコと近づいて来てる。
これは真面目にやらないとなんか言われそうだな。
「いっち、にー! いっち、にー!」
「……!」
どうやら僕に気がついたみたいだ。
レギュラー陣では新参者の僕だから
色々と指摘されちゃうんだろうか?
――!
あ、やばい!
そういや僕があいつのフォームをわかるみたいに
もしかしたらあいつも僕のフォームがわかっちゃうかもしれないの……か!?
だとしたら、ちょっと……まずいかもな。
い、いやいや! そもそも僕は孝志と体格も骨格も違うし
同じフォームで素振りしてたとしても
そうそうバレたりはしないだろ……
でも、万一のこともあるし、……どうしよう?
そうこう悩んでる間に日影は僕の前で足を止めた。
じー……
や、やばい! マジでガン見されてるぞ!?
でも素振りをやめるわけにもいかんし……あわわ!
「い、いっち、にー! さん、はい! ごーろく! しっちはち!」
「こらそこ! 真面目にやりなさい!」
「あう!」
失敗。 余計に目立った。
そ、そうだ!
ここは、あえてみゆきちゃんに教えてもらった打ち方でやればいいんだ!
……あれ? えっと、どうやってたんだっけ?
鈴音OSだったら自然にできてたんだけど……
確か、こんな感じだったか……な?
「い、いっち、にい~~いい!」
中途半端に以前のフォームを取り入れたせいで
動きが壊れたブリキのロボットのように
ギクシャクカクカクとコマ送りみたいになってしまった。
「…………」
日影がジト目で僕を見つめている。
「……あんた、なにやってんの?」
「い、いやあ、はは、ちょっとコツをど忘れしちゃいましてぇ……」
「人を無理やり練習に引き込んでおいて、
そんなのが許されると思ってんのお?
……まったく、しようがないわね!」
そうぶつくさ言いつつ僕の身体に触れながら
手とり足取りフォームの指導を始めた。
「えっ、せんせえ!?」
「ほら! ちょっと力抜いて」
「は、はい……」
日影が僕の背後に回ってピッタリ引っ付いてきた。
「……!」
そ、そういえば前世も含めて
日影にここまで密着されたことって、確か今までなかった、ような……?
かつての同級生のマドンナ的存在であった彼女の密着に
僕はなんだか少し、ドキドキしてしまった。
さわさわっ
「!? はにゃっ!?」
「ここは、こう……んで、ここはこうした方がいいわね。
あ、もうちょっとスタンス……脚、開いて」
「あっ! ちょ! や、やめぇ……う、うにゃああっ!
はひい! く、くしゅぐったひいぃ~!」
「変な声出すな! ビッチか!」
「うが!」
ひど!
おま、おまえが腰とか脇とかお尻とか太ももとかを絶妙なタッチで触ってくるからだろおー!
出したくて出してるんじゃないわい!
勝手に声が出るんじゃああ~!
「まあこんなもんね。
しかし、普通フォームをど忘れするってある?
ちゃんと試合に間に合うんでしょうねあんた?」
「だ、大丈夫ですよ!
ほら、いち、にー! いち、にー!」
……あ!
よくよく考えてみたら羽曳野先輩戦で既に見せてるんだし、今更だったのかあ……
◇
一通りの素振りを終え
今度は各ペアに分かれての乱打になった。
コートは二面なのでコートに入れるのは最大で四組までだ。
もちろんそこはレギュラー組が優先される。
あとはグラウンドの余ったスペースでやることになるのだが
校庭が広い我が校でも流石に部員全員が乱打できるほどのスペースはない。
だからレギュラー以外は時間を決めて譲り合って交代でやることになっている。
「さて……あ、部長!」
「……山桃さん、それじゃあ、一緒に乱打、する?」
確かにここはお互いをよく知るために一緒に乱打をするべきところだろう。
だけど
「いや、それをやったら春菜があぶれちゃって可哀想だから、僕は春菜とやりますよ」
「えっ?」
きょとんとする部長。
まあ当然だよな。
「申し訳ないですが、部長はせんせいとやっててくれますか?」
「……あ」
二カッと歯を見せ親指を立てる僕。
部長は頬を赤らめて笑顔を浮かべながら
「……ありがとう、山桃さん」
そう言って日影のところにタタタッと走って行った。
「お、お母さーん! わたし、あまっちゃったー!」
「え”! なんで!? あ、あいつ……山桃はー!?」
折角の親子交流の機会だし
ここは僕が遠慮すべきだろう
「春菜ー! 一緒にやろうー!」
暗い顔して負のオーラを纏い
コート脇の花壇にめりこんだまま体育座りをしていた春菜に声をかける。
あ、今更だけどよく見ると今日は春菜さんもテニスルックでしたか。
うん、なかなかに可愛らしいですね。
どうでもいいけどパンツ見えてるよ。 見せパンなんだろうけど。
「……えっ! 鈴音……ええのん?」
「ええも何も無いだろ。 僕らパートナーなんだぜ?」
「そ、そうやなっ! ……うん! 一緒にやろっ!」
ぱあっと明るくなった春菜が瞬時にすっくと立ち上がり
乱打に適正な距離を取るためスキップしながら離れて行った。
う、うん。 やっぱこれで正解だったな。
危うく大切なパートナーを闇落ちさせるところだったぜ。
僕はちらと部長達の方を見た。
……あ! 日影がジト目でこっちを睨んでいる。
ふ、ちゃんとこっちには春菜という正当な理由があるのだ。
だから文句を言われる筋合いは無い。
やっとあいつ、渋々とボールを打ち始めた。
パコーン!
パコーン!
ひなの部長は上機嫌で球を返している。
お互いホントに上手いな。
殆ど移動のための足を使っていない。
ほぼ定位置のままで打ち合ってる。
「…………」
「鈴音~! 行くよ~!」
「……あ! うん、どうぞー!」
いけね! こっちもちょっとは集中しないと!
試合も近いのに、少しでも腕を上げておかないとな。
パコーン!
パコーン!
「…………」
うず……
パコーン!
パコーン!
「…………」
うず……うず……
パコーン!
パコーン!
「…………」
…………あかん! もう駄目だ! 抑えられないっ!
「……お母さん、そろそろ、強く打って来ても「せんせえっ!!」
僕は、遂にたまらなくなって乱打を中断し日影に向かって叫んでいた。
「鈴音? ど、どしたん?」
「……山桃ちゃん?」
「山桃……さん?」
皆が僕に注目する。
「…………試合……」(ぼそっ)
「えっ?」
「試合が、したいですっ! 貴女とっ!
せんせえと部長のペアと、僕らとのペアで!
どうか、ご教授……よろしくお願いしますっ!」
どうやら、昔と変わらない日影を目の当たりにして
くすぶっていた僕の闘争心に火がついてしまったようだ。
今の自分の実力を知りたかった。
日影とひなの部長にどれだけ通用するのか、どうしても試したくなった。
羽曳野先輩との試合では推し量れなかったこと。
相手が日影なら……きっと、わかる!
僕はそう確信し、かつての好敵手に勝負を挑んだのであった。
現在、短期連載中の「おとこのいぶきはおんなのこ」も
併せてどうぞよろしくお願いします。(ぺこり)




