11話 ひなのちゃんはのんびり屋
『ラフ&スムース』
「・・・それでは、今から鈴音ちゃんと、あいやーさんとの日中親善シングルス戦を始めたいと思います。」
「こらそこっ! あたしは”あいやー”なんて名前じゃないぞ!」
「私中国語、わかりません」
「に・ほ・ん・ご! だろうがーあああっ!!」
顔を真っ赤っかにしてみゆき先輩を怒鳴りつけているあいやー先輩・・・じゃなかった羽曳野先輩
なんだかわからないが前評判ではメンタル面で不利だったはずの部分は、これで同等以上になったようだ。
「けれど、みゆき先輩、審判してくれるんですか?」
一応こちら側なハズのみゆき先輩が主審をするというのは問題ないのだろうか?
「・・・・・・それもそうね、公平さに欠けるかも・・・どうしようか?」
僕らに問いかけるみゆき先輩、まあ僕は別に構わないんだが
「どうもこうもねえよ! みゆきでいいって!」
あいやーもとい羽曳野先輩も構わないらしい
まあ、みゆき先輩がこういうところで贔屓することは無いとは思うけど・・・
案外彼女もみゆき先輩のことは信頼しているっぽいな
「それに、そんな微妙な判定にはならないだろ? ハッキリとかたつけてやりゃいいだけだしな!」
こっちを見てニヤリとする
むむ!・・・そこまでなめられるとちょっとこっちも闘志がわいてくる
羽曳野先輩は団体ダブルス戦では部長・みゆき組に次いで二番手だ。
団体戦では三組が代表となることが多いが、三番手の三年生チームを抑えてのこのポジション。
つまり部内ではベスト4、四天王に位置する人、となる。
四天王の中で最弱・・・かどうかはちょっとわからないけれど、とにかく弱くはない
はたして勝てるのだろうか? 僕が・・・
「・・・審判・・・私がやろうか? みゆき」
一同がざわっとなった。
審判席の後ろに現れたその人は
去年の県大会、シングルス・ダブルス共に個人戦で優勝した人物
女子ソフトテニス部部長の「日向ひなの」だった。
と、あともうひとり・・・
「・・・部長たち、来てたんだ」
みゆき先輩は特に驚いた様子も見せず、そう言った。
「そりゃあ来るでしょ、部の朝練なんだから、当然!」
なんか、ふんす!ってな感じのドヤ顔でそう言ったのは、もうひとりの方
”自称”ソフトテニス部顧問、日影だった。
僕、もう数ヶ月もここにいるのにあんたの顔をここで見たの、初めてなんですけど・・・
「なんか面白そうなことやってるじゃん!
へえ・・・シングルスで羽曳野と山桃が試合?
いきさつはわかんないけど、珍しいカードね」
べつにこっちは面白くもなんともないのだが・・・まあそれはさておき
そもそも中学ソフトテニスではシングルスそのものがあまり普及していない
それだけでも珍しいのだが、更にその対戦内容が
ど新人とレギュラー二番手との戦いだというのだから、
普通はこんな一方的な試合を組むのはおかしいのだ。
ダブルス戦なら上手な人と組ませたりしてある程度バランスを取ることができる
しかしこれは本当の勝負、つまり「勝つ」か「負け」かをハッキリさせないといけない
個人の技量だけで優劣を決めないと、意味のない試合なのだ。
「ひなの・・・じゃあ審判たのむね」
「了解・・・お母さん」
・・・・・・ん?
・・・いま・・・なんと?
「・・・って、えええええええええっ!? お、おかあさんっ!? ひ、日影がっ!?」
べちーーーーんっ!!
「へぐっ!」
僕の頬に、テニスボールが直撃した。
「全くもう・・・”先生”でしょ? 私は」
体罰反対! 暴力教師め
「日影せんせー! 質問です。」
「ひ・む・か・い・せ・ん・せ・い! どぅーゆーあんだすたん?」
「・・・・・・」
・・・日向? あれ? 確かこいつの苗字は・・・って、そうか!
子供がいるってことは、つまり結婚したんだよな
名前も変わって当然なんだよな
「・・・・・・はいはい、まあいいわ、で、なに?」
「部長はどう若く見ても14歳なんですけど、ということは日影せんせーは子供を身篭ったのは」
べちーーーーんっ!!
「へぐっ!」
「はい、質問終わり! 早く試合しちゃいまちょうねーすずねちゃん」
ひ、ひどい・・・!
そんなにまでして年を秘密にしたいのか・・・このおばはんは!
「・・・んっ・・・んう!」
「・・・大丈夫? みゆき」
「だ、だいじょう・・・ぶ!」
部長がサポートして、みゆき先輩はようやく審判席から降りてきた。
やっぱり、まだぜんぜん治ってないみたいだな・・・足
「・・・・・・」
羽曳野先輩は、もう落ち着きを取り戻しているみたいだ。
無言でみゆき先輩を見つめながら真剣な表情になっている
動揺してるうちにスタートダッシュで打ち崩せたら良かったんだけど
そんなに甘くはないか・・・
「じゃあこれ、今回の試合内容ね」
みゆき先輩が何やらメモを書いて部長に手渡す。
・・・でも、この試合でメモ書きするほどのことって、何かあったっけ?
「よいしょ、よいしょ・・・」
部長が審判席によじ登っている
う~ん・・・ホントにこの人そんなに強いのかな?
めちゃおっとりしてるような気がするんだけど
「・・・・・・ふう」
ひと呼吸置かれた。
どうやらのんびり屋さんのようだ。
ガサガサとさっきのメモ書きを取り出し、読む・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・お、おそい!
「・・・・・・あ、えっと・・・とりあえず、トス・・・しててください」
・・・大丈夫なのだろうか? この人は?
一抹の不安を感じたが・・・まあ試合をするのは僕たちだ。 問題はなかろう
トスとは、サービス権やコートサイドを決めるためのくじ引きみたいなもので
片方の人がラケットを回して、もう片方がラケットが倒れ落ちるまでに裏か表かを言い当てるのである
ちなみに、日本ソフトテニス連盟公認マークが付いてる方が表になる。
「山桃、お前はコートとサーブ、どっちが欲しい?」
「・・・えっ?」
「好きに選ばせてやる・・・それくらいは、ハンデだ」
「そうですか・・・・・・では、お言葉に甘えて」
僕はコートを眺めた。
毎日練習で使っているコートだが
気持ちを切り替えて、彼・・・”孝志の目”で見てみたかったからだ。
知識だけなら僕は羽曳野先輩よりも、きっと上だ。
鈴音が数ヶ月しか経験がないとしても、孝志は違う
中学三年間の経験がある
だけど、頭で分かっていても、はたして身体がついてくるのだろうか?
孝志と今の僕では体格も力も感覚も違う。
それに、経験と言ってもそれはもう遠い昔の話で、現役を離れて相当の時間が経過している
つまり、ありていに言うと、忘れかけている
こんなんでアドバンテージになりうるのかどうか・・・
・・・とにかく、なんでもいいから、思い出せ!
彼が、得意だったこと・・・不得手なこと・・・
鈴音ができること、できないこと・・・それらを上手くパズルのように組み立てることができたなら・・・
きっと勝機は、あるはずだ!
・・・コートは・・・土、クレーか・・・
それは、幸いなことに彼が中学時代、毎日練習していたコートと同じだった。
「・・・決めました。 では、サーブを貰います。」
「・・・ほう、ならコートはあたしだが、面倒なのでこのままでいいと思うが?」
「はい、では、このままで」
サーブ権とコートサイドは決まった。 あとは
「・・・じゃあ、乱打・・・する?」
部長がメモを読み終わったのか、声をかけてきた。
・・・ありがたい。
羽曳野先輩とは今まで全くと言っていいほど練習では関わっていない
まあそれは相手も同じなんだが、こっちは別に見られて困るようなものは何もない
でも、少しでも羽曳野先輩の癖とかでも見ることができれば、今後に役立つかもしれない
それに・・・
「いらないでしょ、そんなの・・・公式の試合じゃあるまいし、遊びだし」
「・・・!」
「さっさと終わらせて、練習のためにコート空けてあげないと、皆練習できないじゃんか」
しまった!
「・・・山桃さんも、それでいい?」
「・・・・・・は、はい・・・」
ああ言われては、引き下がるしかない
確かにこれは個人的な私闘だ。
試合で長引くのはやむを得ないが、無駄な時間をかけるのは迷惑でしかない
「・・・・・・」
僕は、手に持った相棒を見つめていた。
ずっと永いこと保管されていた・・・彼の相棒を・・・
できれば・・・少し打ち合いをして、このラケットの感覚を取り戻したかったのだが・・・
仕方がない、ぶっつけ本番だ!
ジッパーに手をかける
ジイイイイィッ!
僕は”ラケット”という名の”剣”の刀身を・・・鞘・・・つまり、ラケットカバーから
長年の封印を解き、この場で・・・抜き放った。
実際は一度は春菜の家でこいつを見てはいたが・・・
やはり、実戦での場とでは見え方そのものが全然違う
この室外の空気と、この土のコートの上で、こいつは、久しぶりの戦場に喜び打ち震えているような気がした。
「・・・春菜、これ・・・カバー持っててくれる?」
昔のウッドラケットのカバーは現在のようにフルサイズのケース状のものではない
ラケット面だけを保護するハーフサイズのものが殆どだ。
つまりシャフトやグリップ部分は普段から丸見えなのだ。
このカバー・・・ラケットを保護する目的としては幾分頼りないものだが
刀の鞘として見た場合、こっちの方がなんだか断然カッコよく見えてしまう
その鞘を、親友に預ける。
必ず生き残って、それを取りにまた帰ってくるぞ!
という意思を指し示すが如く
「・・・うん! 鈴音・・・約束・・・覚えとるからねっ!」
そう、僕は彼女と約束をしていた。
一度は断念しかけていたが、
次の試合、このラケットを使い、必ず勝つことを!
それをこんなところで終わらせるわけにはいかない。
「・・・ん? また変わったラケット使ってるな、お前」
羽曳野先輩が気づいたようだ。
「なんだこりゃ?」
「あっ!」
僕の手から、ネット越しにラケットがひょいと取り上げられてしまった。
・・・べつに見られて困るもんではないが、なんだか感じ悪い
「ふ~ん・・・メーカーはYONEXか・・・けど、これは・・・」
「先輩! そんなのべつにいいじゃないですか! 返してください!」
「まあ待てよ、取りゃしないって!」
ニヤニヤしながら僕の手の届かない所でじろじろ眺めている
そんな暇があるなら、乱打でもさせてくれよ!
さっき言ってたことと違うじゃないか!
「・・・なにこれ?・・・もしかして、木製か?」
「そ、そうですよ! 何か問題でも?」
「木製っておまえ・・・いったい何年前の代物なんだよ?」
「・・・・・・」
「・・・なんだ、金持ちの道楽か? ヴィンテージラケットなんか使って」
「ち、違いますっ! 気に入ったから持ってきただけで・・・もう、いいじゃないですかっ!」
「気に入ったから・・・ねえ・・・・・・・・・あたしは、気に入らないね!」
「・・・!」
「おまえ、先日まで小綺麗な最新高級ラケット使ってたじゃんか!」
・・・なんで、そんなこと・・・知ってるんだよこいつ
「なんで勝負にそれ使わないんだよ、あたしをなめてんのか?」
「・・・舐めてなんか、いません」
僕が男ならペロペロしたいかもしれないが・・・
いや、やっぱり思わないな、こいつだと
「こんなの使って負けた言い訳にされたくねえんだよ! とっとと代えてこい!」
「・・・これしか、持って来ていません」
「んだと? おまえこんな化石みたいなボロラケットで勝負しようってか? ふざけんなよ!」
流石に、カチンときた。
「・・・・・・ボロかどうかは・・・貴女が決めることじゃ・・・ないでしょ!」
「・・・なに? もしかして怒ったの?」
「これは僕の大切な思い出の品なんだ・・・そして、今でもこいつは僕に使ってくれって言っている」
「・・・なんだそりゃ? ラケットがモノ言うかってーの! 中一なのに厨二かおまえ!」
「ああ失敬、中二はあたしかあ~」
笑いながら人のラケットをブンブンと振り回している
・・・この! もう我慢できん!
「・・・こ、このや」
「・・・それでは、試合を始めたいと思います。 あいやーさんは山桃さんにラケットを返してください」
「・・・!!」
日向部長が淡々と、そう語った。
みるみる顔がまた赤くなる羽曳野先輩
「部長!」
「・・・なんですか? あいやーさん」
「あたしは、あいやーなんて名前じゃないです!」
「・・・・・・・・・・・・え?」
「・・・え?」
「・・・え?」
部長につられて、僕らも声を出してしまった。
ガサガサと、メモを読み返す部長・・・
「・・・でも、ここには、あいやーさんと・・・・・・あれ? 違った?」
「・・・・・・ぷっ」
思わず、声が漏れてしまった。
ギッっと羽曳野先輩の目線がこちらを向く
・・・おっと!
僕は慌てて平静を装い、口に手を当てた。
「・・・もしかして、部長・・・あたしの名前、覚えていないんですか?」
「・・・あっ・・・いや・・・えーと・・・そう、そうそう! 確か、もみじちゃん?・・・だよ・・・ね?」
なんかえらい自信なさげに確認してるなあこの人・・・
「ぷっ・・・くすくす・・・ご、ごめんごめん!」
みゆき先輩が間に入ってきた。 こいつの仕業か!
「みゆき! これはいったいどういうことよ!」
怒ってるなあ羽曳野先輩・・・まあ僕もだったけど、なんか、怒る気が失せてきた。
「ひなのちゃんって・・・あ、部長のことだけどね?
あんまし他人に興味無いんだよね・・・だから人の名前も顔も、適当にしか覚えてなくて・・・」
だから、メモ書きに”あいやーさん”って書いたのを、そのまま真に受けたのか?
いいのかよそれで・・・部長!
「えーと・・・ごめんなさい、もみじちゃん・・・
苗字難しくて、覚えてないの・・・・・・」
「・・・・・・羽曳野!です。 部長!」
「そ、そうそれ! ・・・・・・えと・・・は、はきび・・・の?」
「は・び・き・の! です! 部長!」
「そ、そうそう! それ!」
・・・絶対覚えてないな、今のも
なんか呆然とうなだれている羽曳野先輩
無理もない・・・今の今まで名前覚えてくれてなかったんだもんな部長に・・・レギュラーなのに
「はい、おちゃらけはやめにして、さっさと鈴音にラケット返して、椛!」
「・・・・・・ちっ! ほらよっ」
ぶんっ
・・・! このアマ、ラケットを投げ返してきやがった!
「あっ!」
しかもこれ、僕の身長じゃ取れな・・・い? 頭上を越えて・・・お、落ち・・・る~?
パシッ
振り向いたら、日影がいた。
どうやらラケットは、日影がナイスキャッチしてくれたようだ、助かった。
「・・・・・・」
日影はラケットを見つめていた。
「・・・・・・? 日影、せんせー・・・あ、ありがとう」
「・・・あっ! ああ・・・ほらこれ!」
日影の手から、やっとマイラケットが帰ってきた。
これでやっと戦闘態勢に、入れる
「それでは、時間もないことですし、3ゲームマッチで試合を行います。
知ってるとは思いますが、2ゲーム先取した時点で勝ちとなります。」
今、僕はちょっと頭に来ている
これが良い方に向くか悪い方に向くかはわからない・・・けど、負けたくない!
もしかしたら、これは僕のメンタルを突くために先輩はわざと攻撃してきたのかもしれない
だけど、後悔させてやる!
彼の記憶と鈴音の記憶・・・二つを一つに合わせて・・・勝つ!
「3ゲームマッチ、山桃サーバー、プレイ!」




