半月の使者
世界が、スクリーンのように広がっている。灰色の無機質な屋根は縦長に伸びていて、視線を少しずらせば半月が見えた。白く霞んだ月光と半分に割れたその形が、満月よりかは心地良い。ホーム中ほどにあるベンチの上で、浩介はだらしなく横になっていた。
音一つしない片田舎のプラットフォームで、秋の夜風に吹かれていると、気分だけは歳を取っていく。真っ赤に染めた髪が揺れて、数か月後に成人を迎える自分を笑った。
電車がホームに入ってくると、浩介は酔ったふりを決め込むことにした。酒を口にしたわけではないのに、何故か泥酔した人間のように振る舞いたくなるときがある。電車はほんの数十秒だけ停車して、たった一人背の高いやせた男をホームに残して去ってしまった。
男はホームの奥の方からゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。ジーンズにロゴの入ったTシャツを着ていて、ポケットからベルトにかけて伸びたチェーンが歩くたびに揺れている。
浩介は慌てて目を閉じると、口をポカンと開け、その男が通り過ぎるのを待った。徐々に大きくなった足音がすぐそこまで近づいている。
「起きてんだろ。酔ってる人の顔じゃない」
思っていたより低い声だった。薄目を開けると、男はじっとこちらを見つめてきていた。あか抜けない顔つきで、歳も自分と同じくらいだろうか。酔ったふりを途中で止めるわけにもいかず、頭を押さえながら半身を起こすと、浩介はわざとくぐもった声を出した。
「頭痛いんだ。飲んでから結構時間経ってるから、顔は普通かもしれないけど」
「だったらそんな大の字で寝てないで、うずくまったり、顔をしかめていたりしていたはずじゃないのか」
浩介は額に当てていた手をおろして、男を見つめた。
「何が言いたいんだよ。てか、誰だ?」
「半月の使者」
「お前こそ酔ってるんじゃないのか」
男は鼻で笑うと、月を指さした。
「お前、どうせああいう二つに割れた月を見て、悟りでも開いたつもりでいたんだろう」
それが真実なのか分からなかったが、浩介は胸の辺りにぽっかりと空いていた穴が埋められていくような気がした。
男はすっと手を差し出して、それから口元をゆるめた。
「行くぞ。お前を月の国へ連れて行く」
差し出された手を握り、そのまま立ち上がった。ぐっと手に力を籠めて、そういえばこんなものを欲していたのかもしれないと、浩介はゆっくり歩き始めた。