掠れた声
「誰だ」
返事はない。
あるはずがない、この8畳の和室には、儂以外おらん。
だが、うすらぼんやりとした視界の中で、誰かが立っている。
老人ホームであるから始めは別室の者が迷い込んできたかと思った。
だが、扉が空いたような気配はなかった。
「誰だ」
最近、とみに老眼のけが強くなり、メガネをかけねば動くこともままならない。
「私を誰かと尋ねたな」
かすれた声が響く。
どこか、昔行ったことにあるコンサートホールのような声だ。
「儂に何か用か」
「ああ、そうだ」
その者は、儂に話しかける。
「お前は、長生きしすぎた。そろそろと向こうへ行ってもらわんといかん」
「儂に死ねというのか」
「端的に言えばそうだ」
「ならお前は死神か」
「否、死神にあらず」
「ならお前は何者だ」
「お前なら知っているはずだ」
暗かった部屋に、手探りで電気をつける。
そこには、よく見慣れた面がまえの人がいた。
「俺はお前だ」
2分後後、心臓のペースメーカーから発せられる電波が途絶えたことを受け、医師が老人の部屋を訪れる。
「心停止、瞳孔散大。反応なし……」
30分後、死亡が宣告された。