002
何がどうした?
何が起こった?
何だこの座席は?
目眩がする。心拍数が上がる。吐き気がする。
“時間で〜すぅ!”
再び鳴り始めたアラームを慌てて止める。
いつものアラーム音と、見慣れた待ち受け画面のおかげで少しだけ周りが見られるようになった。
くわえたままのタバコを吸って、大きく息を吐く。煙は拡散され、だが消える事なく漂っている。
おかげで自分が宇宙空間の中にいる訳では無い事が分かった。
球状の空間。手を伸ばせば触れる事が出来た壁はモニター?360度の?
今、自分はマンガやアニメに出てくるロボットの操縦席のようなものに腰を下ろし、スマホ片手に、タバコを吸っている。
(灰をどうしょう…)
〈ピーピー〉
突然何かが鳴り出した。操縦席のボタンを押し、通信をつなぐ。
《何で分かった?》
当たり前の様に操作したが、初めて見るはずの、この操縦席を何で?そもそも何で操縦席だと分かる?
「艦長!シロボン艦長!」
操縦席に取り付けられている小さなモニターに女性の顔が映し出される。
見慣れぬ…いや!見慣れた顔。
でもそんな事が有り得る訳がない。
「ミルフィーユ?」
「ご無事ですか?艦長!」
今にも泣き出しそうなその顔は、彼女をサポートキャラクターに設定してから、10年以上毎日見てきたミルフィーユの顔。
でもそれはCGでは無く、現実の人間の顔。
「心拍数が危険値です!機体はこちらで操作します!直ちに帰還して下さい!」
〈ピー!ピー!〉
《コクピット内に火災発生!直ちに消化します》
〈あっ!!タバコの煙か!〉
操縦席の後ろから何かの動作音がした瞬間、目の前が暗くなる。
薄れゆく意識の中で、ミルフィーユの声だけが聞こえた。
(可愛い声してるんだなあ…)
◆
目を覚ませば、そこは見慣れた汚い我が家!
なんて事も無く、そこはもう部屋がSF!
ここは病室?ベッドから何からもう、未来!
さて…
信じられない事だけど、ここは所謂…
《異世界》ってやつ?
〈もう大人なんだけど!大きなお友達ではあるけれど!〉
ふと横を見るとそこには、泣き疲れたのか眠っているミルフィーユがいた。
(こういうのが銀色の髪っていうんかね)
頭を撫でてやると小さな角が見える。
(やっぱりあのミルフィーユが現実に…)
《おっぱい!!!》
「ようやく大人しくなったんだから、そのままにしておいてね!」
突然女性の声がする。色っぽい声です!
『ごめんなさい!』
「どうしたの?艦長。」
彼女は船医の〈玉藻〉ギルドメンバーTAKAさんのサポートキャラクターだ。
玉藻はミルフィーユと同じビースト種の狐タイプ。たしかミルフィーユと同じコラボキャンペーンでTAKAさんが当てたキャラクターだったはずだ。イラストレーターが同じっぽかったし。
狐耳に赤い縁の眼鏡がよく似合う、白衣の女医さん!そしてもう胸元が!《けしからん!実に、けしからん!》
「それだけ元気そうなら、もう大丈夫ね!」
驚いた!こちらの世界では、おっぱいも喋るとは!ここはまさに、おっぱいのワンダーランドやー!
「艦長!」
「はいはい。」
そろそろ怒られそうだ。
「マティーニが報告したい事があるみたいだから呼んでも大丈夫?」
「ああ…いや。それならブリッジに行くよ。少し艦内も確認したいし。」
ミルフィーユを起こさないよう静かに立ち上がりながら、玉藻にそう伝える。
「手伝いましょうか?」
悪戯っぽく笑った玉藻を見て、ようやく気付く。
「いや…大丈夫です!あと…服を下さい。」
◆
(はぁ〜スッキリ!いろいろと…)
部屋を飛び出し、トイレに駆け込んで正解でした!
ギルド艦〈ヘイムダル〉の全長は、確か2000メートルくらい。
艦首の兵装やら機関部やらもあるから、こうして移動出来る所は、そう多くないはずだ。
散歩と思えば丁度良い。
足が痛い!靴は無いんかい!
広い通路を歩きながら、ひとり愚痴る。
クタクタだったスーツは綺麗に洗われ、と言うよりまるで新品のようだった。
だが靴が無い!硬い床を靴下のままでは、さすがに辛い。
(部屋にいた時のままか…)
所持品はタバコとライター、それとスマホだけ。
(どうなっちゃうんだろう…帰れるん?)
周りを見渡せば見た事もない物ばかり…
見た事もない?知らない?
いや!
見た事がある!知っている!
どうしてトイレの場所が分かった?
なぜ玉藻とあんなに自然に、当たり前のように話せていた?
そしてあの操縦席。あれはバトルドールのコクピットだ。操縦方法だって多分分かる。
また吐き気がして来た。
俺の名前は白瀬 直斗。何処にでもいる普通のサラリーマン。そしてちょっぴりお茶目な35歳!現在彼女募集中です!
その白瀬 直斗としての記憶。
それともうひとつ。
艦長シロボンとしての記憶。
2つの記憶、思い出が俺の中にある。
元カノとの甘く切ない胸キュンも、報酬の回復アイテムをみんなに分配しようとして、間違えて全部売却しちゃった思い出も。
どちらも本当で、どちらも現実。
でもやはりここは異世界なんだ。
いまこの世界での記憶はゲームをしていた15年分の記憶。子供の頃に誰もがやったような思い出。女の子の縦笛を舐めたり、ブルマをこっそりかぶってみたり、そんな記憶はここに無い。
だからこそ余計に怖い。
帰れなかったら?
2つの記憶を持ったまま、世界の違いを比べながら生きるのか?
部屋に置きっ放しの、処分しないまま死ぬ訳にはいかない秘蔵のお宝たちは?
足に力が入らない。その場にヘナヘナとへたり込む。
“ぷっぷー”
クラクション?いや!人の声だね。うん。
振り返ると小型のクルマが目の前に。
《必殺!ひき逃げアタック!》
クルマは急に止まらない。
しばらく進んでクルマが止まる。
ゴロゴロ転がり回避出来たから良かったが、ブレーキ踏んだ?ぷっぷーって言う前にブレーキ踏んだ?
「おいっ!!!」
「ニャハハハッ!ごめんごめん!でもそんな所で座ってる艦長も悪いんだニャ!」
子供のように元気に笑う彼女は、主にバトルドールの整備を行う整備長の〈ニャモ〉。
ギルドメンバーの本田△さんのサポートキャラクターだ。ビースト種の虎タイプ。猫耳?は可愛いが、リアルで聞くと若干イラっとするその語尾は本田△さんの趣味だ。
「あっ!」
ニャはどうした!突然声をあげたニャモの視線を追うと、ひき逃げアタックの犠牲となった、かわいそうなスマホがそこにあった…
《ウソだろーーーー!!!》
「ニャハハ…大丈夫ニャ!直る…直すニャ!
心配ないニャ!余裕ニャ!…多分。」
慌ててクルマを飛び降りたニャモが残骸を拾い集める。
「本当に大丈夫ニャ!それまでニャモの携帯端末を貸しとくニャ!」
呆然と座りこんだままの俺に向かって何かを投げて来た。受け取ったそれは、スマホ?似てるけど少し違う…
「ではでは!バイバイニャーー!」
「えっ!あっ!ちょっと!」
クルマに飛び乗り音もなく走り去る。逃げるように…いや!逃げやがった!!
エンジン音もしないクルマは現実世界の電気自動車をSFっぽくしたような感じだった。
それにこのスマホ。こちらの世界では携帯端末という。操作方法も分かるが、人の個人情報を覗き見る趣味は俺にはない。ましてや女の子のだし!〈しっかりロック掛かってるし…〉
いや!違うんだ!ついうっかりだ!ついだ!
現実世界と異世界の記憶。こんなところでも比べてしまう。
こんな事がこれからもずっと…
◆
人間知ってる事しか知らないし、分かる事しか分からない。
現実世界に戻る方法。
考えて分かるなら、いくらでも考える。
が、考えたところで分かる訳がない。
考えるなら《いま》をどうするかだ。
そんな事を考えながら、ブリッジに向かって歩いていると、前方からまたクルマが近づいて来た。ニャモのそれとは違い、静かに目の前に止まる。
「こちらでしたか、艦長。お迎えに上がりました。」
ヘイムダル副長ウンディーネの〈マティーニ〉だ。
「ご報告があるのですが、とりあえずブリッジまでよろしいでしょうか。」
自動操縦に切り替えたクルマはブリッジへと移動する。隣に座るマティーニからは、甘くなんともいえない良い香りがする。
白みがかった半透明のスレンダーなその身体。カクテルのマティーニは無色なはずだが、〈それしか知らん〉という理由で名前をつけたんだそうな。で、その身体は…なんとも、その…ウンディーネはみんな…その…
みんな裸!ハダカ!HADAKA!なのであります。チラ見せずにはいられません!すまん!イボGさん!
「どうされました?」
どうも何もありません!
「いや。なんでもない。」
大丈夫?声うわずってない?平気?
◆
程なくしてブリッジに到着する。
バトルドールのコクピット内を大型化したというか、いかにもSFですな〜。
好きです!こういうの!
「ヘイムダル。先ほどの映像をもう一度。」
ギルド艦のメインコンピューター〈クラバウターマン〉うちのクラバウターマンは小さな女の子の姿をしている。
元々設定されていたものです。本当です!
この子はメインコンピューターであり、ギルド艦そのもの。艦内全ての機材、その全ての運用、管理を行ってくれている。
ヘイムダルが手をかざすと、全面のモニターに映像が流れる。
分割された映像は、星クジラ戦での映像のようだ。ブリッジ内、各バトルドール内の映像が流れる。
捕獲が成功し、みな興奮している。
そこにはスーツ姿の俺も。
だが問題はそこではない。一瞬映像が乱れた。次の瞬間、俺以外の、サポートキャラクターのみんなが、まるで糸の切れた操り人形のように動かなくなった。でもそれは一瞬の間だけ。みな辺りを見渡し動きだす。
《サービス終了のあの瞬間だ》
「艦長。ご報告というのはこの事です。いま艦長や、私たちサポートキャラクターに置かれた状況。ゲームが終了し、全てが終わるはずだったあの瞬間、みなに起きたこの異変…」
「ちょっと待って!」呼吸が乱れる。
「ゲームの事、みんな…これがゲームだった事知っているのか?」
「はい。」
マティーニは取り乱す事もなく、静かにそう告げた。