014
何処に行く訳でもなく歩き回る者。
何度も同じミスを繰り返す者。
何も出来ずに立ち尽くす者。
アルフヘイムの冒険者管理局。
ラグナロクのメインホールは混乱した冒険者で埋めつくされていた。
それを眺めるミルフィーユも、自分たちの無力さを思い知らされていた。
彼女は以前、彼女たちの身を案ずる白瀬にこう言った。
「冒険者は皆自分で考え行動出来ます!だから心配しないで下さい!」
だが現実はこれだ。
何も出来ない。やらなきゃいけない事は分かっているのに、何から始めれば良いのか分からない。
誰も指示を出せない訳じゃない。でも誰に何を指示すれば良いのか分からない。
彼女たちの頭には、ある不安があった。
《自分たちはまた捨てられるのではないか。》
その不安が彼女たちの動きを鈍らせた。
ミルフィーユ自身も、ラグナロク結成以来、白瀬がいつも座っていた椅子にもたれかかり何も出来ないでいた。
いつもこの椅子に座り、笑って、拗ねて、タバコばかり吸っていた。
でもそれだけで良かった。
マスターは何もしなくて良い。自分がマスターの手足となるから。
マスターの身に何かがあれば、我が身を賭して守るから。
そう思っていた…それなのに…
ラグナロクのギルドマスターである白瀬の居場所は常に彼の持つ携帯端末を通して確認されていた。
その携帯端末の反応が消えた事に最初に気づいたのは管理局局長の鉄入1192号だった。
場所は商業区と工業区の間にある中央公園。
マスターの良く行く公園だ。
1192号はすぐに公園近くにいる全ての弟たちに確認するよう指示を出した。
1192号自身は公園内の観測用ライブカメラの映像を見ていたが、反応の消えた位置は丁度カメラの死角になっており確認出来ない。
マスターはよく携帯端末をどこかに置き忘れたり、落として失くす事がある。
だが携帯端末の反応が消えるなんて事は初めてだ…
念の為、冒険者の彼女たちにも知らせるべきか…でも誰に?
この場合はミルフィーユさんで良いのだろうか…
ラグナロク結成の際、白瀬の役職は新しく出来た《ギルドマスター》に変わった。
白瀬はいまだ彼の作ったギルド〈ヘイムダル〉に籍は置くものの、いまはラグナロクのトップ。
各ギルドならばトップの艦長が不在なら、No.2の副長に報告すれば良い。
だが、ラグナロクにはNo.2がいない。
事務方トップの1192号も冒険者に指示を出す立場ではないし、白瀬の乗るラグナロクの旗艦〈ヘイムダル〉の新艦長ミルフィーユも、いちギルドの艦長であって、ラグナロクの代表には成り得ない。
ラグナロクはマスターである白瀬をトップとして、残りのみんなは横並び。
マスターはそれすら嫌い、みんなと同じ列に、なんならその後ろにいる事を望んでいた。
だからマスターは仕事をしない。
分からないから分かる人に、出来ないから出来る人に、そう言って仕事をみんなに任せてくれた。
でも成功したら一緒に喜んでくれた。
でも失敗したら一緒に考えてくれた。
みんなそれだけで嬉しかった。
《ありがとう》
それは初めての言葉。
亜人は人間の為に働くのが当たり前なのに、いつもそう言ってくれた。
《いってらっしゃい》《おかえりなさい》
それは彼女たちがずっと言って欲しかった言葉。
それだけでどんな困難にも立ち向かえた。
ラグナロクのスタッフも、冒険者の彼女たちも全てはマスターの為に存在した。
いつもそう有りたいと思っていた。
それはマスターの望む〈自立〉ではなく、〈依存〉だと知りながら。
マスターさえいればNo.2は必要なかった。
でもそのおかげでこれだ。
マスターがいなければ、自分はこんな事すら決断出来ない。
改めて兄たちの偉大さを実感した。
兄たちに比べ、なんて自分は…
それでも自分はここを任されたのだ。
このままでは兄たちに合わせる顔がない。
1192号は席を立ち、弟たちに確認を急ぐよう指示を出す。
そこに飛び込んで来た最悪の報告。
映し出された映像と、泣き叫ぶような弟の声で1192号の思考が止まる。
茂みの中で串カツ屋台担当の弟が煙を上げて横たわっている。
ボロボロの身体には何本もの枝が突き刺さり、その手にはしっかりと壊れた携帯端末を握っていた。
それは何者かに壊されたマスターの携帯端末。
事態は1192号の処理能力を越えている。
それでも年長者として、周りで立ち尽くしている弟たちを支えなければならない。
いまだに混乱している頭を叩き、公園の封鎖と、マスターの捜索を指示する。
港湾施設の弟たちには全ての船の出港を止めさせた。
問題になれば自分が処罰されれば良い。
いまは何よりもマスターの事を優先しなければ!
その時、背後で物音がした。
振り返るとそこには、ヘイムダルのギルドメンバーであるぽちが青ざめた顔で立っていた。
ぽちは1192号の制止も聞かず走り出した。
マスターの匂いを探すように、泣きながら走り回る。
その手に自分の携帯端末に付けられたストラップを握りしめながら…
すれ違う冒険者には事情を話し、手分けして探すように頼みこむ。
そして頼まれた者は、また別の冒険者へ…
それは間違いだらけの伝言ゲーム。
全ての冒険者に伝わった時、それは数万種類の答えとなってアルフヘイムを混乱が包んだ。
◆
マスターは魔王に封印されたらしい。
マスターは悪の秘密結社に拉致されたらしい。
マスターは現実世界に戻ったらしい。
私たちを置いて。
みんなバラバラ。
自室に閉じこもり泣いている者。
ゴミ箱までひっくり返して、居るはずのないマスターを探す者。
みんな、いろいろな噂に振り回されている。
アルフヘイムにいる冒険者とスタッフは総勢900万人以上。
マスターはどうやって、これだけの人数をまとめて来たのだろう…
1192号は再編成されたギルド艦の艦長や、バトルドール隊の指揮官たちを管理局の巨大ホールに集めた。
それだけでも34万人もいる。
これだけの人数が集まるのは結成式以来だ。
ホールのドアが開くと一斉に視線が集中した。
機械の身体でなかったら、マスターのように吐いていただろう。
だが壇上に向かう足の震えは止まらなかった。
1192号は彼女たちを招集する前、マティーニから届いたメールを確認した。
それは混乱のさなかで見逃していたメール。
もっと早く確認していれば…
もっと早く報告していれば…
彼女たちのこんな顔を見なくてすんだのに…
でも後悔してもマスターは救えない。
スクリーンに映し出される録画映像を背に、震える手でマイクを握り報告を始める。
マティーニからのメールの内容を。
そしてマスターが既に連れ去られてしまった事を。
ホール内を怒号が包む。
その怒号の中をひとりの少女が歩み出る。
金色の髪がキラキラ輝く不思議な少女。
壇上に立った少女は手にしたタバコに火をつけた。
咳き込みながら何本も何本も。
それはいつも白瀬が吸っているタバコ。
煙やニオイは広いホールに拡散し、すみずみまで届かない。
でもスクリーンに映った煙は不思議と冒険者たちを落ち着かせた。
〈げはっごほっぐへっ…くさっ!〉
綺麗な顔がマンガのように歪む!
〈もう臭い!だからタバコは嫌い!なんで私がこんな目に…〉
少し涙目になった少女は、じっと冒険者たちを見つめる。
〈君たちは前にもこんな混乱を経験しているのに、なんで何も出来ないの?〉
少女の透きとおった硝子のような綺麗な声が頭に響く。
〈混乱の中でも君たちは、これから始まるこの世界での冒険を楽しみにしていたんじゃないの?〉
いま楽しい?
みんなじゃなくて、君自身はどう?
いまを楽しんでいる?
なんでそんなつまらなそうな顔してるの?
世界はこんなに面白いのに!
ひとりじゃつまらない?
まわりを見なよ!こんなにいるよ!
大丈夫!きっと見つかる!
誰のものでもない、君だけの楽しみ方が!
だから顔を上げて、ほら、笑って!
〈いまはまだ、あいつの為で構わない。だけど…いつか自分の為に歩き出せたら良いね!〉
少女の優しい笑顔が冒険者たちを包む。
〈あいつひとりで何が出来る?早く助けてやんな!〉
冒険者たちは一斉に立ち上がる。
そうだ!マスターは私たちを待っている。
私たちがいなければ、あの人は何も出来ないダメ人間じゃないか!
マティーニたちだけじゃ絶対ムリ!
ギルドメンバーに連絡をとる者。
部隊編成の為に飛び出す者。
いつもの彼女たちに戻った…こんなに簡単に。
〈まったく…どいつもこいつも〉
1192号が少女の声に振り向くと、そこに少女の姿はなかった。
冒険者でもスタッフでもない不思議な少女。
それはマスターが出会った不思議な少女。
1192号は少女のいた場所に向かい、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。」
1192号は体の中に熱いものを感じた。それが何かはわからないけど。
だけどもう迷わない。遠慮もしない。
1192号はまだホールに残っている冒険者たちに指示を出す。
まだマスターがどこに連れ去られたのか分からない。
もっと情報を集めないと!
◆
ミルフィーユはアルフヘイムの宇宙港の封鎖を解き、足止めされていたクエストの依頼主たちに謝罪して回った。
いま自分に出来る事はこれくらいだから。
ヘイムダルはマティーニ、琥珀、ダージリンが不在な為、出港は出来ても戦闘は出来ない。
だから自分たちは、ここを守る。
マスターの帰る場所を守る事が、いまの自分に出来る事だから。
ミルフィーユは宇宙港のベンチに座り、ため息をつく。
マティーニたちの荷物は宇宙港で発見された。
マティーニの携帯端末には、マスターを連れ去った連中の偽装された輸送船の映像が残されていた。
現在ギルド艦を中心にアルフヘイム周辺を捜索してはいるものの、手がかりは掴めずにいた。
1192号の話では連れ去った連中は映像解析から、おそらくサイボーグだろうという事が分かったそうだ。
マティーニたちが付いているとはいえ、マスターも無茶をしなければ良いのだけど…
「艦長〜!」
ヘイムダルのギルドメンバー梓が慌てて走って来た。
「どうしたんです?そんなに慌てて?」
「分かるかも知れない!」
「…?」
「連中の事!サイボーグなんでしょ!」
「そうですけど…でもどうして?」
梓はミルフィーユの顔に向けて両手を突き出す。すると1本の指は2つに分かれ10本指に、腕からはいくつもの小さなアームが現れた。
「私もサイボーグだから!」
サイボーグの身体を構成するパーツには、いくつかのパターンがある。
梓のような特別製は別として、現在使われている物のほとんどはアンドロイドのパーツの流用だ。作られたメーカーや年代から識別出来る。
それに今ではほとんど使われない技術だし、再生施設だってユグドラシルか三星重工のどちらかだ。
管理局の端末を使いデータベースの検索が開始された。
すでに1192号が三星重工に掛け合い、データの閲覧許可は貰っている。でもユグドラシルはまだ…
「そんなのハッキングしちゃえば良いじゃん!」
「えっ!大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫!それに問題にしようもんなら、ただじゃおかねぇ!」
席についた梓は、早速検索を開始した。
ミルフィーユはそのスピードの速さに呆気にとられた。でもこれならすぐに見つかるかも知れない。
『分かったよ!艦長!』
梓の顔から笑顔が消え、ミルフィーユに向き直る。
「サイボーグ3人の内2人は宇宙軍の軍人だね。ただ…2人とも8年前に死んでいる。記録の上では…だけどね。」
そこまで話すと梓は立ち上がり、モニターに映し出された公園内の録画映像を見つめる。
「この首から下すべてが機械の男の記録はユグドラシルにも、三星重工にも、どちらにも無い。それにこいつの体…ツギハギだらけじゃん。」
「それはどういう事ですか?」
「正規のルートで入手した物じゃないって事。こんな危ない事をするのは開拓者ぐらいだね。」
「それじゃあ…」
「マスターを連れ去ったのは宇宙海賊。それに宇宙軍も関係してる。」
「大変です!」
1192号が頭から白い煙を上げながら飛び込んできた。
所属不明のバトルドールから宇宙海賊の情報がもたらされた。
マスターは第五火星にいる。
ただ気になったのは…
《ただいま火星に落下中!》
あの人はいったい何を…
宇宙海賊は軍用のバトルドールを使用している。おそらく戦艦もそれなりだろう。
ならばこちらはそれ以上の戦力がいる。
それでもかなりの損害は出るだろう。
だけど宇宙海賊はラグナロクにケンカを売った。
ひとの大切な場所を土足で踏み荒らした。
ガキの悪戯を笑って許してやれるほど、私たちはできた大人じゃない。
《文句があるなら梓まで!》というメッセージを残し、ユグドラシルから強奪した6万隻の巨大輸送船に物資とバトルドール隊を満載し、出撃可能なギルド艦4万隻と共にアルフヘイムを出撃した。
目指すは第五火星。
焦土に変えてくれる!!!
前回の後書きに〈女の子たちのお話〉と書いた割には、随分と鉄分の多い話になってしまいました。
(≡人≡;)
さて、次回はへっぽこマスターのお話を書こうと思ってはいます。
たぶん脱線する十でした。