5話
「くっそ」
どうしてこうなるんだ。
蛍と別れてから二日がたった今日、たまたま昼にコンビニまで出かけていたところを襲われた。そう、ヘラルーケという名の化け物に。
しかし、不幸中の幸いというべきか、俺を追い続けているやつは空を飛んだり高速で移動したりせずに、ただ走って追っかけてくる。最初に襲われたやつと同類らしきそれに追われながら商店街を駆け抜けていく。
鬼気迫る表情の中学生が昼に商店街を全力でダッシュする、という何も見えない他人から見れば、何をそんなに急いでいるのか、と思われるだろうが、仕方がない。もし、一瞬でも走る速度を落とせば恐らくは死ぬだろう。
そういや周りから俺ってあんまり気にされてないみたいなこと言われたような……今はそんなことどうだっていいな。
「そもそもなんでいるんだよ! あの二人は何やってる!」
そんな風に叫んだところで回りに奇怪なやつだと思われるだけだが(いや、だから気にされないんだけど)、こうでもしなければやってられない。後五十分、五十分逃げ切れば自然消滅してくれるはずだ。
ああ、なるほど。五十分全力疾走か。
「死亡確定」
それにしても、だ。なんでこんなに人が回りにいるのに俺にしか興味を示さないんだよ。そんなに美味くは無いと思うんだよな。なんならまずいと思うんだよな。そんな思考を振り払い、ただ無心に走り続ける。
向かうべきは二人のうちどちらかがいるであろう、あの石のある場所。
「見えたっ!」
刀を振る蛍の姿が確認できる。後は近くまで行って、助けてもらえれば。
「雫君、伏せて!」
予想よりも早く、いや早すぎる助けの手が差し伸べられた。蛍は手の持った刀をこちらへ向けて投げたのだ。それも刀を回転させることなく真っ直ぐと投擲された刀は、間一髪伏せることで避けた俺の背後で何かを貫く音を鳴らした。
顔を上げ、お礼の一言でも言おうかと思ったが、状況はそれどころではない。現在蛍の後ろに見える敵影は六程度。もし一体だったならこっちまで逃げてきて刀を拾ってとか、俺が刀を放り投げるとか、そんなことが出来たろうが、六体相手に逃げてここまで来るのも、俺が投げるのを待つのも両方遅すぎるだろう。
このままじゃ蛍は死ぬ。
『ドクン』
俺は知っている? 目の前で人が殺される恐怖を?
『ドクン』
あの女の子もヘラルーケに?
『ドクン』
女の子? 誰だ、その子は?
記憶に残っていない記憶があるのか? 分からない、ただそこには女の子がいた。俺もいた。そこで女の子はどうした? 何があった? 何を言った?
あの時、蛍が俺に「幸せなことでも思い出して」と言ったときに思い浮かべていたあの記憶の女の子?
思い出そうとすればするほど、溶けかけの氷のようなその記憶は溶けていき、掴みようの無い、捉えようの無いものへと変化し消えていく。
「っ!?」
突如思わず目を閉じてしまうほどの光が世界を覆った。
目を開けると、謎の空間にいた。上も下も右も左も全てが七色に輝き、水中にいるような感覚が襲う。
そして何かが問いかけてくる。
――お前の目的はなんだ?
と。
「目的? そんなもの――」
果たして目的などあったのだろうか? 過去から現在にいたるまで確固たる意思を持って目的を持って何かをしたことがあったろうか? 考えるまでも無くそんな物は無かった。だから今だって反射的に『無い』そう答えようとした。ただ、自分の口が自分のものでは無いかのように硬く閉ざされたまま、開こうとしなかった。
――なにを求める?
「なにを……?」
気が付けば幾つもの写真のようなものが三百六十度、いたるところに現れては消えていく。よくよく見れば俺の記憶の断片らしく、見覚えのあるものがほとんどだ。ただ、数枚黒一色に染められたものがいくつかあった。きっとこれが失った記憶、欠けた記憶だろう。なぜ欠けたのか、なぜ消えたのか、それすらも分からない記憶。
そして次々に写真は消えていき、また新しいものだけが現れる。
「……力、今の目的は求める物は力だ。力があれば俺の記憶が見つけられる」
きっと記憶をどこかのヘラルーケが持っているはずだ。
最後に一枚だけ残った写真には、蛍が写っていた。ただ、背後には六体のヘラルーケもしっかりと残っている。
――力を何のため?
「戦うため、生きるため、取り戻すため。ただ今はまず、守るため」
返答は無い。
「不満か?」
俺の言葉が世界に響く。世界は答えに満足したのか、それとも呆れ返られたのか、無音で世界に亀裂が走りそして砕け散った。
空は青く、風は寒く、地面は硬い。普段の世界への帰還を果たした。しかし、のんびりとお茶をすすり日常を楽しむ余裕など微塵も存在し得ない。
ありとあらゆる感覚が研ぎ澄まされ、世界の動きが極限まで鈍化して見える中、全意識を手へと集めありったけの感覚を総動員し、そこにハンドガンがあることを想像する。するとコンマ一秒ほどもラグはなく、ずっしりとした重さのハンドガンが現れた。
しゃがんだ状態だった体を起こし、銃口をヘラルーケの頭らしき部分へと向け、迷い無く引き金を引く。俺など目にも入ってなかったご様子のヘラルーケ共はいっせいに視線をこちらに集めた。
だがしかし、そのときにはもう弾丸は頭を捕らえる寸前だった。
残り四。
カブトムシのようなやつが羽根をバタつかせ一直線に向かってくる。だが、流石にただ突っ込まれただけならば慌てず回避をし、がら空きに背中に二発、しっかりとした反動が伝わってくる。
振り返り、次の敵を確認しようと視点を遠めに合わせつつ振り替えるが、そこにはあの時と同じ、青い剛毛が視界いっぱいに広がっていた。
「敵に背中を見せるなんて、まったく」
そんな優しげな声が耳に届くころには青い剛毛から鋭い刃が顔を覗かせ、淡く発光し、そしてその肉体を空気中へと溶け込ませた。
「人に偉そうに言うわりには」
蛍の背後から迫る二匹の頭を丁寧に撃ちぬき、淡く発光しだしたのを確認してから、蛍へと視線を運び続きを口にした。
「自分だって敵に背中を向けてるな」
「五月蝿い」
刀を鞘に納めると、刀を納めた鞘でど突かれる。
「じゃあせっかくだし、後は雫君が頑張ってね」
刀を石のほうへと向け、そこから出てこようとしているやつらが三体ほどいるのを指し示す。
「お、おう」
最低でも後三十分以上残ってるよな。
その後は蛍によってヘラルーケについて最も大事だといわれることを何度も何度も繰り返されながら俺は戦った。
大事なことというのは、
「良い? 人が襲われて、幸運をとられちゃったら五分以内に絶対に倒すんだよ? じゃないと勝手に消えて、自分の住処に帰っちゃうから」
ということだった。
「それと、たーまに他の地域が取り逃がしたのがやってきたりするから、報告を受けたら二四時間町中を探し回ること」
ちなみに俺はその他の地域が取り逃がしたのにやられたらしい。そして恐らくは俺をここまで追ってきていたのも、そういう類だろう。
まったく、仕事ぐらいちゃんとしてくれよ。
「はれて雫もここの住人というわけじゃな」
疲れ果て、情けないことに蛍に抱えられてようやく辿り着いたサンタの掬うこの家で待っていたのは奏だった。
「そうじゃのー部屋はあの狭いところでよいな。おぬしがこの家で始めてみた場所もあそこじゃろ」
「あの部屋は蛍のじゃないのか」
床に直接腰を下ろし、見上げるようにして蛍に訪ねた。
「わたしがあんな物一つ無い部屋に住んでると思ってたんだ。へー」
目を細めて睨まれているが、世の中全部に対応していたんじゃ生きていけないからな、たまにはスルーも大事だ。
「一つ聞きたいことがあるんだがいいか?」
「なんじゃ?」
「幸運の結晶の中に自分の記憶が混じってたら思い出せたりするのか?」
「まあできるじゃろうな、記憶だけなら。じゃがもう既にワシか蛍もしくは別のサンタが取りこんどるじゃろうし、そうでなくともまず見つけられるか……」
「出来るってことだけわかれば十分だ」
蛍も奏も心底不思議そうな顔を浮かべているが、別にいいか。
「とりあえず休ませてくれ」
「初めてであんなに暴れまわったら疲れるもんね」
「なんじゃ、貧弱じゃの」
年寄りに貧弱と言われるというのは屈辱的ではあるが、実際にこの年寄りよりも貧弱なことは間違いないので言い返せない。そもそもおかしいだろ七七七歳で見た目幼女とか。合法ロリにも程がある。
「そうじゃ」
階段に足を引きずるようにして向かっているさなか、奏が声を上げる。
「明日はどうするんじゃ? 今は三人じゃからな。一人休みにするか、どちらかに二人用意するか」
「どっちでもいいから早く休息を」
蛍は苦笑いで俺を見やり、意見を述べる。
「もしどちらかに二人の人員を割くなら、わたしと雫君がコンビかな?」
俺に問いかけるような視線をこちらに送っているが、そんなこと聞かれても、そう答えようとしたとき、奏がどうやってか自分に問いかけられたものだと思ったらしく、蛍の視線とは九十度違う方向からの答えが返ってきた。
「そうじゃろうな。ワシにとって見れば足手まといでしかないからのう」
「悪かったな」
「事実じゃ、仕方あるまい」
「ああでも、雫君は明日休みたいよね」
「もちろん休みたい。何なら一週間くらい休みたいぞ」
もしかしたらサンタというのはブラック企業に勤めるサラリーマンなんじゃないか、とこのとき本気で思った。なぜか? なぜならば目の前で、腰に手を当て、胸を張り、堂々たる立ち姿で奏はきっぱりと言い切ったからだ。
「じゃあ明日は全員参加じゃな」
と。
その後俺は昼寝をした。保育園に何度か預けられたことがあったが、そのときは確か昼寝なんかをしていたような気がする。幼稚園でもしたっけな? 昔のことだから記憶があやふやだが、それ以来の昼寝だったわけだ。
「やっちまった」
そのまま完全に寝てしまい、起きたときには深夜三時。この時間は何にもやる事がない。テレビを見るにも砂嵐が近いだろうし、ちょっと運動でも、としたくもないことを思い浮かべるが暗すぎて運動どころじゃないだろう。
じゃあもう一回寝るか。そんなことも考えるには考えたが、寝たのが二時半から三時くらいのはずだ、つまりもう相当寝ていることになる。流石に眠気なんて物は完全に姿を見せそうにないし、本当にやることが無い。
とりあえずお茶でも飲もうかと部屋をでると、
「ふぁぁぁ」
誰かのあくびが近くで聞こえた。
「ああ、雫君起きたんだ」
「まあな、流石に寝すぎた。蛍はどうしたんだ?」
「わたしはご飯炊くの忘れてたことにさっき気が付いて」
目をごしごし擦りながらそう言った。
さっき、ってことはトイレにでも入ってたのか? まったく気が付かなかった。まさか寝ながら米を炊く夢を見たわけでもあるまい。
「大変だな」
「明日からは一人分増えるしね」
「申し訳ない」
「気にしないで、その分わたしの仕事が減るからね」
腕をまくって台所に向かいながらそんなことを言っているが、とはいえ色々面倒ではあるだろうな。
「もう一回寝るの?」
米を研ぐカシャカシャ音に混ざって蛍の声が届く。
「ごろごろして過ごすしかないだろうな、流石にもう眠くないし」
「本でも貸そうか?」
「いいのか?」
「どうぞどうぞ、ただお米研ぐの待ってもらえる?」
「なんだったら勝手に借りるけど」
ガシャン、という何か落とした音に続いて慌てふためく蛍の声が深夜の家に響く。そして落ち着いたのか、大きなため息が零れる声が聞こえてから蛍は言った。
「絶対にダメ」
「分かりました」
答えを聞く前から分かってはいたが、まさかそこまで焦るとは。そんなに見られたくないものでもあるのだろうか。
それから他愛の無い話を少しして、俺は本を借りた。あわよくば覗いてやろうかと思ったが、ガードが固すぎてそれどころではなかった。
ちなみに本は、一冊が絵本、もう一冊が小説だった。
絵本は所々傷んでいて長い間読み続けてきた物であることを容易に想像させた。中身はサンタクロースのものだった。しかしそのサンタクロースは一般的なものとはかけ離れていて、サンタクロースの服装は真っ黒な喪服のようだったり、大きな袋の代わりに棺を引きずっていたり、サンタクロースがプレゼントを届けるのが子供ではなく墓だったり。
想像のサンタクロースとはまったくの別物がそこには描かれていた。
そして何よりも驚いたのは、最後のページにひっそりと、
『サンタクロースは幻想の防人だ』
と書かれていたことだ。
その前にも何か文字が書かれていたのだが、それは完全に読めなくなってしまっていた。
というわけで、5話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。