22話
流れ込んできた何かは、図々しくも人様の視覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして恐らくは味覚までもをジャックした。
ジャックされた視覚が映し出した物は、公園だった。目の前には男の子が一人だけいる。視線もやけに低く感じるな。ん、恐らくこれは落葉の記憶だろうから、ある意味蛍の記憶とも言えるわけか。
(もしや、若かりし頃の俺?)
口に出したつもりだったが、しかしそれは当然だと言わんばかりに脳内で木霊するだけだった。
公園、女の子、そして何よりも見たことのある顔の男の子、なるほど、蛍、落葉とは幼馴染に相当するわけか。俺でない可能性が大いに残っている以上雫少年(仮)としておくべきか。
「もうすぐクリスマスだねー」
雫少年(仮)は言った。実に無邪気だ。今と見比べると変貌を遂げすぎていて、自分が自分と気付けないんじゃないか、と思えるほどである。似てな過ぎて他人説が徐々に優勢になりつつあるぞ。
どうやら感情まで少なからず影響を受けているようで、白々しくもさっきの驚きやら恐怖やら色々なものをどこかに置き去りにして、今は少し、本当に少しだけ浮き足立っていた。
「ねぇ、サンタさんていると思う?」
「ゼッタイいるよ!」
雫少年(仮)は少女の言葉に間髪いれずに答えた。眩しすぎる満面の笑みを浮かべている。
実際にいるんだけれど、決してこのとき想像していたものではないことをなぜだか申し訳なく思わずにはいられない。他人でも自分でも、やはり申し訳なく思ったことだろう。たとえ見ず知らずの少年が公園でこんな事を話していたら、無言でジュースでも買ってあげるだろう。
「サンタさんはプレゼントをくれるんだよ!」
そう力説する雫少年(仮)に嫌気が差したのか、この子も眩しいと感じたのか、雫少年(仮)には背を向けてポツリポツリと言葉を零していく。
「サンタさんはね、怖いバケモノから守ってくれるんだって。絵本に描いてあったよ」
「そんなのウソだよ! ゼッタイいるもん!」
聞く耳を持とうとしない。
きっとこの少年は回りにいた大人たちには迷惑をかけただろうと思わずにはいられなかった。俺は静かな子供だったはずなので、こんな事はない……と思いたい。いや、まだ自分幼少時代説が他人説と競っているので、一応は周りの大人に申し訳なく思っておこう。
ごめんなさい。
「でもね、おかあさんは、サンタさんはいないって言ってるんだよ」
「ゼッタイいるもん!」
どうやら落葉少女の家庭(ということは蛍少女とも言い換えられるが)ではサンタクロースはいない、というスタンスを取っているらしい。
「蛍ちゃんはどう思ってるのさ!」
小さく足を地面に叩きつけた雫少年(仮)に答えるように、落葉少女(蛍少女)は振り返った。
振り返った……?
これは確定と取るべきか?
俺が疑問の答えを出すことを待つことをせず、振り返った落葉少女(蛍少女)は言った――正直さっき雫少年(仮)が『蛍ちゃん』と言っている以上蛍少女、でもいい気がするが、まあ一応落葉の記憶だから、落葉少女で通すことにしよう。しかし、こんな状況でこれが気になって思考の妨げになっていた、とか口が裂けても言えないな。そもそも、口は裂けてるものだし、今はどうやっても俺の声は誰にも届かないんだけど――否、落葉少女は言おうとした。
「うぅ」
落葉少女と感覚を共有している俺にもしっかりと伝わってくる、痛みを生じない苦しみが。徐々に強くなる喪失感が。そしてそれに抗おうと必死にあるものをかき集めて大事に大事に握り締めているはずなのに、それでも零れ落ちていってしまう感覚が。
「ど、どうしたの?」
雫少年(ほぼ確定)は心配そうに落葉少女を見やるが、彼には何も見えていない。
今の俺とは違って。
そう、俺には見えている。落葉少女の胸を突く虫の角のようなものが、そしてその先が紙一重のところで雫少年に触れていないことが。
「いやぁ!」
視界が酷く歪みだす。落葉少女が必死に抵抗しているのに、それが無力に終わってしまいそうなことに涙を零しているのだろう。
「えっ??」
もう何がなんだか分からない。そんな表情だが、泣き出したり、逃げ出したりしないだけ幼いくせに今の俺より強い子に思えてきて、目を背けたくなってきた。
「うっ!」
今度唸り声を上げたのは雫少年だった。
小突かれた程度ではあったが、虫型のヘラルーケの角先がどうやら肩口に触れてしまったらしい(触れたといっても、僅かに先端が肩の肉に食い込んでいるのだが)そして、何かが弾きだされ、小さな砂場に半分ほど沈めながら着地してしまう。
そして雫少年は、目の前で起きていることに対する恐怖もあってだろうが、気を失って倒れこんでしまった。
(まさか! このとき落としたのか!)
記憶の欠片、俺の追い求めたもの。色々あってそんなに追い求めている感じはしないが、確実に求めたもの、といって良いだろう。正直なところ別視点からは記憶を取り戻しつつある、といっても良いが、けれどこれは自身のものとは違う。
「あ――ぅぁっ……」
もう声も掠れ掠れにしか出なくなっていた。しかし、意思だけは、望みだけは、感覚が繋がっていることによって、しっかりと、はっきりと、くっきりと、伝わってきた。
『助けてよ、サンタさん。
サンタさん。
サンタさん。
サンタさん。
去年も。
去年の去年も。
去年の去年の去年も。
お願いしたのに。
楽しいクリスマスをすごさせて。
って。
それなのに、今年はクリスマスすら迎えられないの?』
誰かに願うように、祈るように、望むように形にされた言葉はずっしりとした重みを持って俺の心の奥底にまでしっかりと届いた。
そして、世界がブラックアウトした。
きっと気を失って、別の場所から再開されるのだろうと思った。きっと誰だってそう思うはずだ。俺がそうだったんだから、今回だってそうに決まっていると勝手に思い込んでしまう。
けれど現実はまるで違った。
すぐに、五秒も掛からずに、視点の主つまりは落葉あるいは蛍によって瞼が持ち上げられた。
目の前に広がっていたのは、さっきと変わらぬ公園。
雫少年が、一部とはいえはじき出されてしまっているせいで気を失い、そして僅かに記憶を失い、そして感情も起伏が減る程度ではあるが失っている。
そして蛍少女も倒れている。が、今まさに何者かによって人としてではなく復活をしようとしていた。
では、誰の視点なんだ?
「わたし?」
「ん? 何じゃワシが見えるのか。面倒じゃのぉ、おぬしはこの子の姉妹か? まあ双子の姉妹じゃろうな。まあ、その……おぬしの姉妹は――」
まさか奏だなんて言わないよな?
喋り方、見た目は二十台くらいに見えるが面影はあるし、声だって似ている。
「――うまく言えんな。すまん、少し寝ててもらうの。おっと、そこの男児は友達じゃろ? 目の前で友達が倒れて気絶とは情けないが、起きたら二人で親御さんのところまで行くんじゃぞ」
双子?
気絶?
なにを言っているんだ。
「わたしは――」
「すまんの」
今度こそ本当に世界が暗転した。
しかし俺はそうと気が付くのにそこそこの時間を要した。
『蛍だよ。その子と一緒』
そう続いていたのだ。
言葉に出るよりも早く奏が眠らせてしまったが、やはりそうだった。落葉は、理由こそ不明だが、何らかの原因で蛍からこぼれた幸運が形を持ち、意識を持ち、成された言わば蛍そのもの、と言ってもいいのかもしれない。
その先の経緯も、その先の事情も、一切を知ることは出来なかったが、それから俺がサンタになるまでの時間を費やし自分を知ろうとした結果が今の落葉であることだけは間違いない。
そして記憶めぐりの果てに、たどり着いたのは現実だった。
「どうじよう! わだじ!」
酷いの一言に尽きる。
顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、正直人には絶対に見せていい物とは言えないほどだった。目からは大粒の涙を絶え間なく流し、そして鼻からも鼻水が垂れているし、言葉だって聞き取りにくいことこの上ない。けれどそれは同時に彼女がいったいどれほどまでに自分のやってしまったことを悔いているかを現しているとも言えよう。よくよく見れば、きつく両手を握り締めている。
そしてその姿は、必要以上に乱れたその姿は、俺の焦りと心配と乱れを多少ではあるが、必要最低限の落ち着きは手に入れた。
同じものを見たのか、別のものを見たのか、定かではないがきっと蛍も見たのだ。俺と同じもの事実を知るのに必要な何かを。
「何があったんじゃ!」
というわけで、22話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。




