18話
「いてっ」
こつん、と気持ちよく寝ていたわたしの額を何かがつついた。せっかく寝ていたのに起こされたことを少しばかり不満に思って体を起こすと、そこには誰一人としていなかった。わたしの気のせいかないかとも思ったが、どうやら頭に何かぶつかったのは気のせいなんかではなかった。
とっても綺麗な、水晶みたいなものが人影の変わりに布団の上に落ちていた。きっとこれが頭にぶつかったんだろう。
そして記憶を失った今、それが何かを今すぐに自分の力だけで断定することは不可能と言っても過言ではないけど、なんとなく察しが付いた。
そう、なんとなく。なんとなくそんな気がした。
「サンタさんからのプレゼントかな」
肝心のサンタさんはいないけど。
「よし」
人の温かさが微かに残っている綺麗なこれを手に持って、奏ちゃんの部屋まで駆けていった。
「な、何じゃ! 何事じゃ!」
もう夜中だけあって流石に寝ていたけれど、わたしが大きな足音を立てて、乱暴に引き戸を開けたら奏ちゃんは起きてくれた。髪型はぼさぼさで、少し涎も垂れてて、ものすごく慌ててるけど、起きてくれた。
「これ……」
そう言って小さくて綺麗な何かを奏ちゃんに突き出した。
「どうしたんじゃ」
「さっきわたしのところに来たんだよ」
「まさか!」
「これだけしかなかったけど、でもたぶん」
神妙な顔を浮かべると、奏ちゃんははっきりと言った。
「今日までの数日分の記憶がなくなるかもしれないけど、よいな」
「もちろん、心配要らないよ」
ほんとは少しだけ複雑だった。記憶が無いのは寂しいし、怖いけど、今の自分が消えちゃうって言うのもなんだか嬉しい気持ちにはなれなそう。
「どうすればいいのかな?」
「それを、自分の中に吸収するみたいな感じと言うか、受け入れる感じと言うか、まあそんなんじゃ」
「……う、うん」
「な、なんじゃ。説明が下手で悪かったの」
「大丈夫だよ。ちゃんと分かったから」
目の前で奏ちゃんは体全体を使って補足説明をしているけど、言ってること自体は最初と変わらないし、特に分かりやすくなった風にも感じない。
でも一生懸命なのはよく分かる。
「自分の部屋で、一人でやっても良いかな?」
「そうじゃな。色々と思うこともあるじゃろう」
「ごめんね、ありがとう」
「ワシに言ってどうする。ワシは何にもしとらんよ」
「そんなことないよ」
ふぅ、緊張してきちゃった。はぁ、どうしよう。うぅ、不安でいっぱいだよ。あぁ、失敗したらどうしよう。
自分の部屋に戻りながらそんなことを何度も考えたけど、考えたって仕方ない。やることは一つなんだから。
「もう少し待っててね、わたし」
最後に一つだけやっておきたい事があるんだ。わたしがいたことをちゃんとみんなに覚えておいて貰うために。
「ん、あぁ」
意識が蘇ってくると、小鳥がさえずる声が聞こえてきた。朝なんだろうか?
「蛍……」
「奏さん。おはようございます」
わたしは言った。
けど、奏さんは複雑そうな顔を浮かべる。嬉しそうな、でも寂しそうな、そんな顔だ。
「記憶は、あるんじゃな」
「もちろんです」
わたしは意地悪だ。だって、何をすれば、どうすれば奏さんが複雑な顔をしなくて済むのか分かっているのに、それをしていない。
「ここ一週間前後の記憶は、無い……んじゃよな」
「え? 奏ちゃん、何言ってるの?」
肩を落として、やっと生還した人間を前に暗い顔を浮かべる奏ちゃん(やっぱり変な感じだなぁ)に言ってあげた。
「うぅ、……ぐすん」
布団に顔を沈めて奏ちゃんは動かなくなってしまった。
「ちゃん、は余計じゃ」
顔を上げて少し不満げに奏ちゃんは言う。
それなりに長いこと一緒にいるけど、今日は始めてなことがあった。なんとなんと奏ちゃんが泣いていたのだ。本当にびっくり。でもなんか凄く嬉しい、だって好きな人の初めて見る一面だもん。
「あのさ、少し、五分で良いから一人にして欲しいんだけど」
「ん、なんじゃ感動の再会じゃというのにワシはもう満足なんじゃな」
「違うけど――」
そう言って視線を自分の机へと送る。実際のところ内容は完全に把握してるし、どんな気持ちで書いてたのか、それどころか鏡とにらめっこしたり、記憶を取り戻そうとしたときに、子供みたいに泣きじゃくってたのも覚えてるけど、でもやっぱりちゃんと読まないといけないものなんだ。
『わたし』が『わたし』に向けて書いたものだから。
「――昨日までのわたしからの気持ちを受け取らないと」
「そ、そうなのか?」
何を言っているのか奏ちゃんにはさっぱりだろうけど、後でちゃんと話してあげよう。もちろん、ゆっくり話をするためしなきゃいけないことが山のようにあるけど。
「ね、お願い」
「うぅ、仕方ないの」
しぶしぶ、という感じではあったけど、奏ちゃんはわたしを一人にしてくれた。前より気持ち物腰が柔らかなのが少し昨日までのわたしに嫉妬しそうになるけど、自分で自分に嫉妬したってどうしようもないね。
机の上に、一つのノートが置いてあった。
使いかけのノートで、わたしに向けて色々と書いてあるのはノートの中盤、というよくよく考えればわたしがそれに目を通すことなく終わってしまっても不思議じゃないようなところに書いてあるはずだ。
「いくらなんでも、もう少しわたしが絶対に見ることになるような工夫をするべきだったなぁ」
結果として見れているから良いけど。
「どれどれ」
中身を全て分かった上でノートを開いた。
『月宮蛍さんへ
えーっと、わたしです。分かりますか?
数日間あなたの体を借りていた者です。借りていたというか、わたしもあなたの一部なんだけど、わたしの記憶が残っていれば説明は要りませんね。
もし、記憶がなくなってたら……まあ、周りにいる人が教えてくれるでしょう。
なんとなく自分が消えちゃうみたいで、少し怖くなったのでわたしがここにいた痕跡みたいなものを残すために置手紙みたいなことをしています。
正直これでわたしがここにいたことは証明されるのかな、と思うのでこれ以上書くことがあるとは思えないんですけど、かといって書き出してしまった手前もう少し何かを書かないともったいないような気がしてきています。
わたしが生きていたのは短い間でしたけど、楽しかったです。あの二人に挨拶ぐらいしたい気持ちもありますけど、一人は家出してるし、一人はなんか下手なことすると泣き出しちゃいそうな気がして『さようなら』とかとても言えそうにないです。だからあなたがその分何かをしてください。
「何かってなんだよ」
そんな風に思うかもしれませんけど、とりあえず何かです。何かとしか言えません。わたし自身何をして欲しいのか分からないから自分で何をするのか決めてください。
あとは――怖いです。
ちゃんと記憶は戻りましたか?
全部思い出しましたか?
失敗してたらまた二人が悲しんじゃいます。失敗しててもわたしは謝ることも出来ないのがまた怖くて仕方ないです。
というかまずわたしにあなたが謝ってください。
日記くらい書いていてくれたならもう少し不安が緩和されていたのに……というかそもそもどうして記憶をなくしちゃったんですか! 事故ですか? それとも変な薬とか食べ物でも食べましたか? それとも……まあこれは良いです。
言いたいことなんて次から次へと浮かんできますけど、時間がありません。たぶん大丈夫だと思うけど、それでもやっぱり早いうちにわたしは記憶を取り戻したほうがいいと思うので、これを書き終わったらすぐにやっちゃいます。
そう!
料理をこれからは毎日してください。体が勝手に動くようになるくらいに、です。料理が得意な気だけするのに、全然包丁が扱えなかったですよ。そのせいで指にいくつ切り傷をつけたことか。その指の怪我はそのときのものです。特に変なことは無いから心配せずに。
それから――
やっぱりやめましょう。これ以上はキリがないです。記憶が残っていたら、適当に思い返してください。残って無くても、気にする必要も無いことですから気にしないことをお勧めします。
じゃあ、えっと、少し待っててください。すぐに記憶を取り戻してきます。
二人によろしく言っておいてください。
二人目のあなたより』
我ながらよくもまあ自分に向けて手紙なんて書けたな、と思う。
だってたとえこれ読むのが一〇年後だったとしても記憶があれば(記憶が無いことを想定されているんだけど)、おおよその雰囲気みたいな物は覚えているだろうから、すっごく恥ずかしくなりそうなものだよね。
「わかったよ、きっとわたしを辱めたかったんだね」
なんで書いたのか、なんで文字が滲んでいるところがあるのか、全てを知った上できっと今はわたしの中にいるわたしに言ってみた。
もちろん返事は無い。
「さぁ、勝手に約束されちゃったもんね。二人によろしく言わないといけないな」
まったく、勝手に家出なんてしちゃって、おかげで色々面倒だよ。
絶対に買い物につき合わせてあげないとだね。
すぐに連れ帰って見せるよ、雫君。
「奏ちゃーん、あのさー」
「ちゃんはいらーん!」
というわけで、18話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。




