12話
「どうした、浮かない顔じゃの」
「まあ、いろいろあってな」
帰ってすぐに駆け寄ってきた奏に奪い返した、というか返してもらった蛍の幸運を手渡すと、足早に蛍の部屋に向かっていった。
なんだかんだと言ってもやはり心配だったのだろう。
「情でも移ったか?」
「何に?」
「あの女以外に誰がおる」
「そういうわけじゃない。と、思う」
「弱気じゃな」
どうなのだろう。奏の言う通り情が移ったのだろうか? そもそもなんで俺は浮かない顔なんてしていたんだろうか?
それすらも分からない自分にため息をつきながら、とは言え色々な感情が混在しながらも蛍の帰還は一分でも早いほうがいい、とだけは確実に思っていた。
「まあいいだろ、やろうぜ」
「そうじゃな、話はそれからでも遅くはなかろう」
奏は消しゴムほどの大きさの幸運の結晶を蛍の胸に押し当てると、それをゆっくりと沈めていく。沈んでいけばいくほどに輝きを増し、太陽の光を押し返すほどに増幅した。それと比例するように緊張感も増していく。
「うぅ」
光が一点に集中するほどに幸運が沈んだ頃、蛍は目覚めを俺たちに期待させるうめき声を漏らした。
上手くいったんだ。
俺も、奏も、確信したと言っても良いだろう。いや、間違いなく確信していた。
「ふぅ」
奏は自分の仕事である幸運を戻す作業を終え、短く息を吐いた。
薄っすらと蛍の瞼が持ち上がっていき、そこに生きた人がいることに安心し切っていた。もう終わったと、明日からは何事もなく進むだろうと、なんなら起き上がってから何と声を掛けようか、などと考えていた。
蛍は上半身を起こすと、俺と奏に視線を送り、そして部屋をぐるりと見渡した。
「蛍、体はなんともないじゃろうな?」
その言葉を聞き、自分の体をぽんぽんと叩き確かめている。
「なんともないですよ」
途方もなく久々に聞くように感じる声に、まだ残っていた僅かな不安を消し飛ばした。
「ところで」
「どうした?」
今度は俺が応じる。
「あなたたちは、誰ですか?」
戦慄した。
温かな太陽の日が射すこの部屋が一瞬にして凍結してしまったような感覚に陥り、脳内ではたった一言だけによって埋め尽くされた。
――誰ですか?
「冗談、だろ……?」
なるべく平静を保ちつつ尋ねる。
「……も、もちろん!」
予想以上に気丈な返事が返ってきたが、それがより俺に事実を知らしめた。少しの間、不安げに揺れる瞳、きっと気遣われてしまったのだ。記憶を失った人間に。
「ごめん、ちょっと動揺しちゃって。どのくらい覚えてるんだ?」
「えへへ。ほぼ全部分かりません」
俺の言葉から嘘がばれたことを察したのだろう。照れたように笑いながら、申し訳なさそうな声で、そして敬語で蛍は言った。
「俺はタメ口で良いから」
初めてこの家にやってきたときに蛍が言った言葉そのままを、今の蛍にかける。
「全部となると自分のこともか?」
「月宮蛍十四歳、サンタクロース。これぐらいしか覚えてない」
やけに限定的な記憶だな、そう思った。自分の名前や年齢ならまだしも、サンタクロースとかは忘れていそうなものだが。
「サンタが何かは覚えとるのか?」
「それは覚えてますよ」
「せっかくじゃワシもタメ口とやらで……」
もじもじとこの真面目な状況で何を恥ずかしながら、とそんな意を込めて頭でも叩いてやろうかと考えていると、優しく笑んだ蛍は口にした。
「わかったよ」
そして奏も少しだけ嬉しそうに笑った。
まったく気楽なもんだ。そう思う反面、少しだけ落ち着いた。
結果がどうあれ、一先ず蛍の死は免れたんだ。記憶はまあ単純な記憶喪失なら医学的な方面で考えれば良いし、そうでないなら大方理由の予想はつく。
また取り返しに行くほかにないだろう。
「まず、なにをするか?」
「もちろん、全力でわたしの記憶を元に戻すんでしょ?」
「それはまあそうなんだけど、」
視線を奏に送ると、やれやれといった様子で続きを話し出す。
「恐らく記憶を失った理由はわかっとるんじゃ」
「じゃあ、早く――」
やはり記憶が無いままというのは不安が大きいのだろう。焦りを隠しきれない様子の蛍を手で制しつつ、奏は俺の言いたいこと、まさにそれを口にする。
「早くしたいのはやまやまじゃ、だが、ワシも雫も残念じゃが疲れとる。もちろん、疲れとるなんて理由で先延ばしにされたくはないじゃろうが、疲労した状態でどうこうできるほどに状況は簡単じゃないのじゃ」
そう、もし仮に今日と同じような条件で手元に帰ってくるというのならば今からでも構わないが、戦闘にでも発展した場合ただでさえ不利なのに、より一層自分たちを敗北へと追いやる結果に繋がりかねない。
「そっか、なら仕方ないね。わたしも二人に怪我とかして欲しくないし」
笑っていた。
さっきの焦りはどこへいったのか、いやどこにも行っていないのだろうが、笑っていた。思えば俺は蛍が笑っている以外の顔を見たことがないかもしれない。なぜだろう? 考えるまでもなく蛍がそれ以外の表情を作ろうとしなかったからだろう。まあ、そもそもそんなに長い付き合いでもないし。
じゃあ、そう言って蛍は起き上がった。
「わたしに家事は任せてよ! ほかに何にも出来ないけど、これくらいはやっちゃうよ」
そういうと部屋を出て行ってしまう。その背中はどこか、儚げだ。
「どうするかのぉ」
「まあ、また出向くしかないだろ」
「そのときはおぬし一人で行ってくれんか?」
「お前も来てくれたほうがずっと楽なんだけど」
「蛍が心配じゃ、もちろん昼はワシも仕事をこなすが」
奏のいうことが分からないでもない。目を離したら消えてなくなりそうな、なぜかそんな気持ちにさせられた。ただ背中を見ていただけなのに、だ。
「俺一人に任せてもいいのかよ、どうなるか分からないぞ」
「そうじゃな、ただ一度は成功しとる」
「一度は、な」
正直に言ってしまうと怖かった。
もう一度顔を合わせることが、なぜかお姉さん風を吹かせたがる、やけに俺にそんな気があるようなそぶりを見せる、そんな人間ではない何かである、本人によると名を影宮落葉、と会うことが。
「怖いんじゃな」
「そんなわけないだろ」
拳を強く握り、全身にしっかりと力を入れて言った。
「強がるんでない」
「ばーか」
そういうと、逃げるように自分の部屋に向けて足を動かした。
久々に何もかも見えない振りをして逃げてやりたい気分だ。なんでこんな気分なのか、どうしてこんな風に思うのか、考えようとすればするほどに分からなくなっていく思考も何もかも、全てをゴミ箱に捨ててやりたい。
その日の夜は、本当に蛍が食事を作っていた。
「さあ、召し上がれ。全部体が覚えてたからあんまり苦労しなかったよ」
手を後ろで組みながらそんなことを言われても……、そんな風には思わずにいられなかった。それに、ゴミ箱に絆創膏を使うときに出るゴミがいくつも入っているのを、既に確認済みだ。
「カレーか、今日は栄養がしっかりと取れるの」
「なんだ、俺へのあてつけか?」
「さぁ? 蛍が寝とる間にカップラーメンしか食べれていないことへのあてつけのわけがなかろう。ワシはそんなに小さくはないからの」
明らかな敵意を感じながら、というか明らかにこの三人の中で最小を誇る奏が小さくないとか言ってるのを見ていると、もちろん小さいの意味が別にあることを理解していることにはしているのだが、どうしてもおかしく思える。
「蛍は食べないのか?」
「わたしは散々つまみ食いしたからもうお腹いっぱい」
少し照れくさそうに言っているが、どうしてもそれが手を極力俺たちに見せないための言い訳にしか聞こえなかった。
「でも浅漬けは頂こうかな」
不自然だとでも思ったのか、相変わらず左腕は隠したまま右手だけを浅漬けに伸ばした。わざわざ、箸を手に持って。別に浅漬けぐらい手でも、と思うのは俺だけではないだろう。
「箸の持ち方は記憶を失っても綺麗なんじゃな」
「そ、そうかな?」
よくよく見れば確かに綺麗な持ち方だ。なぜだろう。咄嗟にスプーンを置いてコップに手を伸ばしてしまったのは。
スプーンなら持ち方に綺麗も汚いもないはずだよな……?
「癖はしっかりと体が覚えとるということじゃな」
なら包丁捌きはどうなるんだ、と思ってしまいそうになるが、やはり毎日ほぼ確実にそれも長いこと使ってきた箸と、恐らく最近始めたであろう料理とでは話が変わってくるのだろう。
「二人はゆっくり食べててね。わたしは先にお風呂入ってくるから」
「やっぱり服の脱ぎ方も前と同じなんじゃろうか……」
となりに座る俺がギリギリ聞き取れる音量で聞こえてきた声だったが、うん、無視をしよう。
というわけで、12話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。




