10話
ある夢を見た。
その夢の中で俺は女の子といた。そう、あの女の子だ。影も形も声すらもない、ただどうしてかそれを女の子だと言い切れる。
そんな謎の記憶。
いや、欠けた記憶と言うべきか。完全に消えたわけでなく、どこかに欠片として残っている記憶が部分的にその時を映し出す。二度目のその記憶が流れていくのを見ていると、何かを失ってしまったような感覚にさせられる。それは記憶ではなく、もっとなくしてはならないもの。
正体不明のそれは真冬の悪夢として俺を襲ってきた。何かに襲われた、そんな感覚だけを味わいつつ、生理現象として起こる瞬きによって視界が奪われたその無にも等しい時間で、世界は純白に彩られた。
影もなく、形もない。ただ、足が地に触れている感覚だけによってこの世界に少なくとも足場となる場所があることを知らせた。
「夢にしちゃリアルだな」
真冬だと言うのに脂汗が額に浮き上がる。
足元に、自分の影が出来上がっていたのだ。それは禍々しくうごめき、俺の体を乗っ取ってやろうと時を窺っているようにも見えた。
夢にしてはリアルすぎる禍々しさに、思わず後ずさるが、それが自分の足元から伸びている以上離れることは今後一生ありえないだろう。
そんなとき、世界が大きな衝撃によって揺らめいた。次第に揺れは大きくなり、やがて立っていることすらままならなくなる。しかし、突如として起きたそれは突如として終わりを迎えた。
揺れる感覚だけが体に残っている中、一時的に訪れていた静止が嵐の前の静けさであったことを思い知らされることとなった。
世界は再び蠢きだしたかと思えば、それはそんな前触れを一切見せることなく、反転した。
どこまでも白い世界をただただ落下していく感覚。なまじ世界が白一色のせいで恐怖すら沸き起こらない。せいぜい、下から吹きつける風によって自分が落下していると言う事実を理解することで精一杯だ。
次は何が起きるのか、夢の中だと分かっている事も重なり、少し楽しみになってきている。
「あ……」
白一色に染まる世界を落下している。そんな状況でも、やつはいた。足元から何があろうと離れることは無い。影が浮き上がり、俺の目の前で、肉体を持った人間へと変化していく。
すぅっと見慣れた手が迫ってくる。逃れようにも逃れる場所がここには存在しない。後ろには下がれず、左右に体を動かそうにも動かす前に捕まるだろう。夢の中で殺される覚悟を決めなくてはならないのか、とそう思ったときだった。
白一色だった世界が横に割れたのは。裂け目はその形を笹の波状に開いていき、分け目から覗いたのは薄暗い景色だった。そこには天井が映し出され、その場所がおおよそ夕方眠りに付いた自室であることを想像させる。
夢とはなかなか面白い、そんなことを思っていると裂け目が突然吸引力を持ち、俺を吸い上げていく。
敷布団しかない、つい最近俺の部屋となった四畳半の洋室で目が覚める。外はまだ電灯と月の光しかなく、薄暗い。時間は――
時間を確認するために薄暗い部屋の中で携帯を探す。
「三時二四分、だって」
「ああ、そうか」
何気なく時間を知らせてくれた誰かに声を返しながら思った。こんな時間に俺の部屋に何の用なんだろう、と。
それからは大して時間は掛かっていないだろう。
即座に声の主に正面を向け、身構える。
「人の寝込みを襲うなんてな」
「安心して、お姉さん以外はお昼以外この世界にこれないから」
「どうだか」
「信じてくれないの? まあいいや。お誘いに来たの、ああ夜のお誘いじゃないわよ。明日一緒に食事でもどう? 来てくれたら返してあげる」
返してあげる、それはきっと蛍の幸運だろうが、この女を信用するわけにはいかない。
「何を、返してくれるんだ」
「もちろんあの子の大切なものよ」
「ちゃんと言ってもらえるか」
「幸運の結晶、月宮蛍のね」
月光に照らされより一層怪しさを増す微笑みが真実と嘘の区別を難しくさせる。
「場所は今日と同じ場所、じゃあ待ってるわ」
それだけ言って窓から飛び去ろうとする後姿に声をかける。
「おい待て」
「夜更かしはお肌に悪いの」
振り返り言うとすぐに飛び去ってしまう。
自分勝手、自由気まま、そんな言葉がぴったりだろう。落葉、良い意味でも悪い意味でもよく分からない。いや、良い意味で、は余計か。
「寝るか」
今悩んだところで何にもならない、追いかけたところで昼の二の舞だ。いや、奏の助けがこない可能性が高い以上昼よりも悪い状況に陥るかもしれない。ならば寝て体力を回復しておくべきだろう。
「いや、その前に」
その前にやることがあった。むしろどうして今までやっていなかったのか、と不思議に思うくらいやっておきたいこと。
俺は部屋を出て、となりの部屋の扉を開ける。
そこはいかにも女の子、といった装いの部屋で物置が付いていることに軽く嫉妬しながら、ベッドに横たわる一人の少女を見つめる。
生きているのかどうか怪しく思えてくるほどに白い肌、そのくせなぜか筋肉は程よく付いている。今にも動き出して何か文句を言ってくるんじゃないか、と疑いたくなるような淡いピンクの唇。
力があったところで出来ることなんてたかが知れている。時空だって歪めることが出来るような力なのに人の核とも言える物は作り出すことが出来ない。
「人の幸運を守るやつが自分の幸運を取られるなんてな……」
蛍の顔をボーっと見ていると、あることを思い出した。そう、耳たぶの裏のほくろだ。しかもハート型という。
なんだかんだで見ていなかったのを思い出し、もしかしたらここで寝ているのは蛍の偽者なんじゃないか、という淡い期待にも程がある気持ちを抱きながら、しゃがみ、覗き込むようにして見る。
「んなわけないな」
そこにはしっかりとハート型のほくろがあった。
というわけで、10話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。




