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第1章 4話

【第一章 4】


 響き渡る悲鳴と瓦礫のころがる音で、マーガレットは目を覚ました。

 一時的に意識を失っていたらしい。

 視線を上げると、地面に膝をついたレオンとその場に倒れ込んだジェイミーの姿が見えた。

 どうやら一階まで叩き落とされたようだ。無傷で済んだのは、今も効力を失わないジェイミーの異能のおかげだろうか。

 ……しかし、今はなぜか手足が地面に縫い付けられたように動かない。

 何とか眼だけで周囲を見回すと、泣き叫ぶ貴族たちが逃げ場を探して走り回っている。

 その怯えた視線の先に――――巨大な屍鬼が立っていた。

「ようやく起きましたか。仕事中に居眠りとは良い度胸ですね」

 従者の身を案じるでもなく、レオンが毒を吐く。

 多少は腹が立つものの、この状況でいつも通りの言葉が聞けたことにホッとする。

「あの、レオン伯爵……これは……?」

「ジェイミーさんの異能が暴走しているんですよ。おそらく重力子でも可視化して操る能力なんでしょう。そこら中の重力場が狂っていて、動きにくいことこの上ない」

 不機嫌に呟いて、僅かにふらつきながら立ち上がる。

 全長三メートルをゆうに超える禍々しいマーブル模様の化け物は、丸太みたいな腕をだらんと前に垂らして、今にもこちらに向けて走り出しそうな気配を漂わせていた。

 屍鬼の目的は、「命あるモノを喰らうこと」――ただ、それだけ。

 生きながら屍となった彼らに意思は存在せず、ただ原始的な欲求の赴くままに、破壊と暴食を繰り返す。欲望に心を喰い尽くされた者の、凄惨な末路だ。

「迎撃します。貴女はそこの娘をさっさと鎮めて、屍鬼の核でも探して下さい」

 有無を言わさずそう命じたレオンは、巨大な敵に向けて一歩踏み出した。

 異形の細胞に覆われた屍鬼の殻は、銃弾も刃も通さない。滅ぼすには、『コア』と呼ばれる異形の細胞が密集した器官を砕くしかないのだ。「見透す瞳」なら、その器官を探せる。

 ……しかし、根本が『小心』のマーガレットは、それが怖い。

 姿形が変わったとはいえ、元は人間だ。「殺す」ことには多大な抵抗がある。

 ――けれど、レオンはもう前に進んでしまった。

 倒れたジェイミーも様子がおかしい。震える身体から、異様な気配が放たれている。

 早くなんとかしないと、彼女まで屍鬼になってしまう……。

 キュッと唇を引き結んだマーガレットは――覚悟を決めて、動かない手足に力を込めた。


                  ◇


 広い部屋の隅で、殺意を滾らせる化け物。

 灰に紅を混ぜた毒々しい殻を持つ屍鬼は、飢えた獣のごとく、白く塗り潰された双眸をギラつかせて低く唸った。

 そのどろりと粘つくような視線を受けても、レオンに怯む様子はない。

 口端を歪めて、頭上の化生を見返した。

「化け物の分際で、この僕を威嚇するとは良い度胸ですね」

 嘲るように微笑んで、ボロボロになったジャケットの袖を引き千切った。

 手袋を外すと、灰銀に輝く腕があらわになる。明らかに火傷の痕ではない、異形の色彩。

「――『不壊のアンブロークン・アーム』開放」

 冷たい声で呟くと同時に、レオンの左腕が変異する。肘の付け根から指先まで、表皮が岩肌のようにゴツゴツと隆起していく。

 屍鬼の殻に物理的な衝撃は通らない。だが、同じ細胞から生まれた、それ以上の硬度を持つ物質ならば――。

 レオンの核となる本質は『傲慢』だ。傲慢な人間は他者を見下し、常に上からモノを見る。故に、いかなる時も「誰より優れていたい」という虚栄的な負の欲求が付きまとう。

 だから、異能を発現した時からレオンは本質を磨き、低俗な欲求を排除し続けた。

 それは己が常に強者であるための鍛練。

 彼は、心を喰らう異形の細胞に対しても『傲慢』であり続けたのだ。

 生粋の支配者である少年は、自分の前に立ちはだかるものを許さない。

 強固な意志が生み出し、磨き抜かれた異形の腕は、人体が耐えうる三百秒の間――彼に、「絶対不壊」の力を与える。

「ジェイミーさんの本質が『依存』なら、ベルギウス侯爵は『執着』といったところでしょうか……なんとも脆弱な核ですね」

 見下して、嘲り笑う。

 レオンが一歩近寄ると、巨大な屍鬼が身構えた。

 それは剥き出しの本能が察知した危機。野生を思わせる、己に害為す者への警戒だった。

 ……やがて、鋼材をいくつも束ねたような腕が振り上げられる。

 同時にレオンの身体は前方へと引き寄せられた。

 かつて、ディートヘルムのものだった異能。他者を自分の元へ引き寄せる力。

「引力、ですかね」

 殺戮の化身たる巨大な敵が、目の前に迫る。それでも、少年は平然と笑っていた。

 風を切って唸る拳は、攻撃対象を引き寄せることでその威力を倍増させる。

 少年の肉体など、ただの一撃で薄氷のように粉砕されるだろう。

「――化け物ごときが生意気です」

 それでも、レオンの表情は変わらない。

 傲慢に笑って、引き寄せられる敵の胸元へ自ら跳んだ。

 肉迫する『死』を目前に、異形の腕を引き絞る。


 ――やがて、空を揺るがすケダモノの咆哮と共に、殺し合う拳が撃ち出された。


                 ◇


 少女は冷たい闇の中にいた。

 母と同じ黒の髪も、足元も、指先も――何も、見えない。

 とても寒くて、凍えてしまいそうな空間で。ただ、滑り落ちる雨を視ていた。

 天から地へ。上から下へ。絶え間なく降り注ぐ、真っ赤な光の線。

 ……ここは、夢の中だ。

 いつもみる夢。母が墜ちていくのを、何もできずに眺めているだけの、残酷な幻の中。

 けれど、今日はやけに紅い雨が騒がしい。

 理由は分かっている。

 母が死んだ原因を知った。母を殺した人間を見つけた。

 実の父親だと名乗った男。いつも、ジェイミーにいやらしい目を向けていた貴族。

 太い指で触られるのが嫌だった。必要以上に近付いてくるのが気持ち悪かった。

 父親なんていらない。お母さんさえいてくれれば、それでよかったのに。

 ――殺さなくちゃ。

 ジェイミーは見えない口で呟いた。

 あいつを。大切な人を奪った男を……殺さなくちゃ。

 謡うように囁くと、指の先が冷たくなった。

 『雨』を掴める右手――おそらくは、あの貴族と同じ力。

 そう思うだけで、自分の存在すら憎らしく感じる。

 ――憎い、憎い、憎い。

 胸に殺意が満ちる度、どんどん指先が冷たくなって、何も感じられなくなる。

 はやく、しないと。

 不思議なことに、どの『雨』が例の男に繋がっているのか、ジェイミーには探さなくても判った。

 いちばん汚くてドス黒い雨。きっと、傷つけてはいけない器官から伸びる線。

 お母さんの時とは違う方法で、コレを思い切り「引っ張って」やろう。

 ……内臓が、すべて千切れるくらいの強さで。

 ほとんど感覚がなくなった右手に、力を込める。

 そのまま勢いよく引こうとした腕を――――誰かが、掴んだ。

 なぜだろう。自分の身体は見えないのに、その手だけはちゃんと見えた。

 白くて細い指。その内側は、何かで擦れたように傷ついている。茫然とするジェイミーの耳に、今度はとても小さな音が届く。

 必死で、何かを止めようとするような。一生懸命、誰かに呼びかける声。

 その声が鼓膜を揺らす度、少しずつ人のカタチがはっきりと輪郭を結んでいった。

 やがて、涙で濡れた少女の顔が見えた時――ジェイミーは、掴んでいた『雨』を手放した。

「よかっ、た……」

 消えそうな声で呟いた少女は、傷だらけの腕でジェイミーを抱きしめる。彼女の温もりに触れて、周囲を包んでいた深い闇は、まるで霧が晴れるように消え去った。

「な……んで……?」

 肌もお仕着せもボロボロで。きっと、それは自分のために傷ついていて。

 なのに、少女は――マーガレットは、まるで痛がる様子も見せず、さっき会ったばかりのジェイミーを労わるように、抱きしめ続けている。

 優しくされる理由が分からない。助ける理由なんて、彼女にはないはずなのに。

 ジェイミーがそんな疑問を口にするより早く。何事か呟いたマーガレットは、広い部屋の隅へと視線を走らせた。

 騒々しい音が鳴り響いている。そこには、巨大な化け物と闘う銀髪の少年の姿があった。

「伯爵! 左肩の付け根です!」

 息を吸い込んだマーガレットは、大きな声でそう叫んだ。

 石の床を抉る凶悪な一撃をかわしたレオンは、後ろを振り向いて――微かに笑った。

「……もう大丈夫ですわ。これで、みんな無事に帰れます」

 そう言う彼女の顔を見て、ジェイミーはなんとなく疑問の答えを理解した。

 年上なのに、とても可愛らしいと思える柔らかな笑顔。

 きっと、マーガレットは誰も見捨てることが出来ないのだ。他人の傷を自分のもののように悲しんでしまう……そんな、優しい人だから。

 傷だらけの少女は、自分が救った命を見つめて、どこか誇らしげに笑っている。


 ジェイミーにはそれがほんの少しだけ――お母さんの笑顔と、重なって見えた。


                   ◇


 幾度も攻防を繰り返す中で、レオンは相手の動きを注意深く分析していた。

 対象を引き寄せる異能はそれなりに厄介だが、攻撃が直線的なので躱すことは容易い。

 二百四十秒で、二十二発の拳撃を叩き込んだ。その間に、屍鬼のコアは左胸周辺にあると絞り込んでいた。

 圧倒的に右腕での打撃が多く、迎撃する左腕の反応が僅かに速い。特に胸から上に撃ち込んだ時は顕著となる。

 核が『執着』だった侯爵は、案の定、動く屍となった後もその性質を残していた。

 破壊衝動と食欲に支配されながら、己の生命に「執着」する。

 実にディートヘルムらしい行動だ。おかげで弱点を特定しやすかった。

 後はめぼしい個所に乱打を仕掛けてやろうと考えていた頃、背後で響く少女の声を聞いた。

 まるで、無事に生きて帰れと言わんばかりの、祈るような声。

「……変な人ですね、貴女は」

 呟きながら、唸りをあげて振り下ろされた巨大な拳を躱す。鈍い音をたてて、石造りの床が無残に砕け散った。

 残る時間は、あと、わずか。

 身を捩るようにして追撃を回避し、引き寄せられるままに地を蹴った。

 空中へと墜ちていくような感覚。自由落下に身を任せながら、凄まじい速度で繰り出された左腕に、同じく異形の『不壊の腕』を合わせる。

 迎撃のためではなく、人外の力を受け流すため。外へ払った掌に重い感触。同時に、ゴウッ、と衝撃波のような暴風がレオンの耳元をすり抜けていった。

 目前にはガラ空きになった左肩。渾身の一撃だったのか、防御がおざなりだ。

 銀の髪をはためかせたレオンは、凶器と化した腕を引き絞って……傲慢に笑った。


「――お前ごときが僕を阻むなど、百万年早いですよ」


 ――――決着の時は、一瞬。

 全体重を乗せて加速した異形の腕が、屍鬼のコアを殻ごと貫いた。

 響き渡る断末魔の悲鳴。

 大音量の金切り声をあげて、欲から生まれた化け物は――死の向こうの命を終わらせた。


                 ◇


 ボロボロと崩壊する屍鬼を見て、マーガレットはギュッと唇を引き結んだ。

 いつになっても慣れない。理解はできても、心は納得していなかった。

 異形の細胞に自我を喰い尽された人間が、もう元に戻らないことは分かっている。それでも、他に救う術はなかっただろうかと、有りもしない方法を探してしまう。

 マーガレットの核は『小心』。弱いから、どんなに抗っても最後は現実を受け入れる。

 けれど、可能な限りは諦めたくないと――いつも、そう思うのだ。

「マーガレット、さん……?」

 小さな声が聴こえて、我に返る。視線を下げると、腕の中でぐったりと横たわるジェイミーが、不安そうな瞳でマーガレットを見上げていた。どうやら異能を暴走させて体力を使い果たしてしまったらしい。少女の美しい顔には、濃厚な疲労の色が滲んでいた。

 ……ああ、そうだ。今は、みんなが無事に済んだことを喜ぼう。

 ただ一人。それでも、マーガレット・ヴァレンタインはこの子を救うことが出来たのだから。

「大丈夫ですわ。あなたは、これから幸せに生きるのです。お母様の分も、必ず」

 安心させるように、ふわりと笑う。

 揺れる黒の瞳に涙を滲ませた少女は、それでも健気に微笑んで静かに目を閉じた。

 温かな重みを腕の中に感じていると、硬い靴音を響かせてレオンが帰ってきた。さっき見た時よりも服はボロボロで、身体中に傷がたくさんついている。

 けれども美貌の伯爵はそれを気にする風でもなく、不機嫌そうに口を開いた。

「暴走を止めるのにどれだけ時間をかけるつもりです? 日が暮れるかと思いましたよ」

「ぐっ……」

 ――そしてこの毒舌である。

 褒めろとは言わない。けれど、少しくらい労っても罰は当たらないのではないか。

 ふつふつと湧き上がる怒りを、マーガレットは喉の奥で押し殺した。

「数々の失敗に対して成功が二つ……貴女、夕飯の条件をちゃんと憶えてますか?」

 レオンの発言で、渦巻く怒気は瞬く間に霧散した。

 ……そう、塩。完全に忘れていた。

 吊り上がっていた眉が途端にふにゅっと下がり、悲惨な未来を案じる顔になる。

 そんな従者の顔を眺めて、レオンは小さく息を吐いた。

「……このあと無事に『偽石』を回収すれば――予定していた塩にパンとスープ、あと一品くらいつけるのもやぶさかではありません。どうしますか?」

「やります!」

 ――とても、良い返事だった。

「やったー! やりましたわ! 乙女の根性の勝利です!」

 諸手をあげて万歳するマーガレットに、レオンが「早くしなさい」とぞんざいに言い放つ。

 主を失くして崩れ落ちた屋敷には、少女の歓喜に満ちた声が、いつまでも響いていた。




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