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第1章 1話

【第一章 1】


 人生とはままならないものだ。

 マーガレット・ヴァレンタインはいつもそう思う。

 たとえば、珍しく自分で朝食を作ろうとしたものの、目玉焼きがうっかり中途半端に焦げたスクランブルエッグになったとか。そのことで雇い主からさんざん馬鹿にされたとか。

 慌てたせいでポットと茶葉の準備を忘れ、毎日たのしみにしているモーニングティーからインスタントのドリップコーヒーへと変更を余儀なくされたとか。そのせいでさらに雇い主から馬鹿にされた……などなど、今朝の出来事だけでも枚挙にいとまがない。

 分かっている。ほぼ自業自得だと、マーガレットだって認めているのだ。

 だというのに、あの雇い主ときたら……。

『貴女はどんな食材でも廃棄物に変える腕前を持っていますね』だの、『元から頭が悪いのに痴呆まで始まったとか、人生詰みましたね』だの。

 きっと、あの人の口は毒と二酸化炭素しか吐き出さない。

 なんて環境に悪い人だろう。いたいけな乙女心と自然は、彼のせいでボロボロなのだ。

 そんな風に自分の失敗を棚上げしつつ、感傷にふける少女は今にも雪の降り出しそうな空を見上げて、ぶるりと身震いした。

 硝子細工みたいな翡翠の瞳には、一面に敷き詰められた重苦しい色の雲が映っている。

 支給された女中のお仕着せの上に、カーディガンと綿のたっぷり入ったクリーム色のコート、加えてマフラーや編み上げのロングブーツにミトンの手袋で武装しても、まだ寒い。

 長い蜂蜜色の髪をおろしていればもう少し温かいのだろうが、仕事の邪魔になるので三つ編みにして後頭部でまとめている。

 ――そう、仕事。

 マーガレットは仕事に出掛ける為、三階建ての屋敷の前で雇い主が出て来るのを待っていた。

 なぜ外で待っているのかといえば、出発する寸前に忘れ物を取りに戻ったからだ。そうしてかれこれ十分ほど待ちぼうけをくらっている。

 普段から抜け目のない彼が失敗するのは非常に珍しいので、若干の親近感が湧く。しかし、寒空の下で放置プレイは勘弁していただきたい。

 帰ってきたら少しくらい文句を言ってやろう。

 そう思っていた彼女の後ろで、カチャと扉の開く音がした。

 出てきたのは、銀の髪に澄みきったアイスブルーの瞳の、透き通るような肌を持つ少年だ。

 十五歳の男の子にしてはやや小柄で、背丈はマーガレットより頭半分高いくらい。若者らしくネイビーのスーツに、やはり厚手のフロックコートで防寒対策をしている。

 ともすれば背の高い少女のようにも見える彼は、開口一番にこう言った。

「アホですか。貴女は」

「なっ!?」

 いきなりの罵倒である。寒気の中、けなげに主を待っていた女の子に対して、あまりにもあんまりな扱いだ。

 いくらなんでもコレは見過ごせない。迎撃しようと口を開いたその時、

「……これに見覚えは?」

 すっ、と白い封筒が差し出された。

 ある貴族の家章印が捺された、正式な招待状。

「――――あ」

「さすがに憶えてはいましたか。ただでさえデキの悪い脳細胞が全滅していなかったようでなによりです」

 半眼で睨まれつつ悪口を浴びせられても、マーガレットは何も言い返せない。

 見覚えがあるどころか、ついこの瞬間までハンドバッグに入っていると思っていた物だ。

 しかし、一目で上等だと分かる封筒は、間違えようもなく目の前にある。

「確認に戻って正解でした。貴女に準備するよう言い付けた招待状が、なぜかキッチンテーブルに堂々と置いてありましたからね……申し開きがあるなら聞きましょうか」

 静かに叱られながら、少女は目を白黒させる。

 どこで見落とし――あ、そうだ。リビングに朝食の片付け残したコップがあるのを見つけて、慌てて洗った時に置いたんだ。……そして、そのまま忘れてきた。

 この屋敷にはもう一人侍女さんがいるのだが、昨日から生憎と風邪で寝込んでしまっている。食事の準備から何からいつもフォローしてもらっているので、こんな時くらいは恩に報いようと苦手科目に挑戦した結果がコレだ。全く、慣れないことはするものではない。

 などと自己弁護を脳裏に並べること、二秒。

 すでに取り潰されたとはいえ、自分は子爵家の娘。恥ずかしい行いは出来ない。たとえ貴族でも、間違えたら素直に謝る潔さは大切だと亡き母は言っていた。ウチは貧乏貴族なんだからそれくらいしなきゃ生き残れない、とも。

 しなやかに、潔く、けれども誇り高く生きよと、子爵家の矜持を叩きこまれてきたのだ。

 それに、きちんと謝ればいつも厳しい彼だって許してくれるかもしれない。

 覚悟を決めたマーガレットは、深々と主に向かって頭を下げた。

「……ご、ごめんなさい」

「今夜は美味しい塩を準備しておきますね、マーガレットさん」

 ――ダメだった。

 朝の十時にもならない内から夕飯の寂し過ぎる献立が決定してしまった。

 とほー……と肩を落とす少女に、もはや反論する余地はない。

 ミスを犯したことも原因ではあるが、そもそもマーガレットは彼に逆らえないのだ。

 美しく、いつも自信に満ちあふれ、何より「傲慢」な、レオン・シュタインベルガー伯爵。

 『英雄』と呼ばれた父を持つ彼に、マーガレット・ヴァレンタインは――借金をしていた。

 それも、けっこうな額の。

 自分がこしらえた借金ではないとはいえ、そのカタとして娼館に売られかけていた自分を彼が救ってくれたことは事実。よって、レオンには逆らえない。自業自得な失敗の上乗せもあって、余計に逆らえない。

 逆らえないのだけれど……。

「さっさと馬車を呼んできて下さい。早くしないと貴女だけ歩いて向かわせますよ」


 ……もうちょっと優しくしてくれてもいいのに、とは思うのだ。


              ◇


 現代より千百年ほど昔。人類は、「終焉」を知った。

 それがどれほどの規模で、どんな被害をもたらしたのか、精確に知るすべはない。

 分かっているのは、文明が一度滅んで、生き残った者はゼロの地点から再び歩き出さなければならなかったという事実だけ。

 なにしろ当時の資料が一つも残っていないのだ。その道具も、時間も、余裕もないくらいに世界が破壊された――という伝聞だけが、歴史として形を残している。

 知識はあってもカタチがない。そんな空っぽの前文明を引きずりながら、人類は千百年余という長い時間を、文明社会の復興と進展に注いできた。

 いくつもの問題を抱え、それでも人類が歩み続けて到達した現代。

 中には、どうでもいいような事柄を声の大きな人が叫んで問題化させた物件もあるだろう。いずれにせよ、どの時代でも人類は問題に直面し続けている。

 しかし、中には解決の光を見出したものもあった。

 社会の発展と同時に、翳を落としてきたエネルギー源の枯渇。

 その救済となる伝説――人の歴史と共に語り継がれてきた『完全なるエネルギー体』を、名もなき一人の冒険家が見つけ出したのだ。

 大陸中が歓喜に沸き、人々は彼を誉め称え、出身国の皇帝はその冒険家にあり余る褒賞と爵位、そして消えることのない「英雄」の称号を与えた。

 誰もが天に御座す神と、名もなき英雄に感謝の祈りを捧げた日から、十四年。

 やはりというべきか、人類は問題に直面していた。

 舞台となったのは、かつて英雄が石を持って帰還した地、帝国ブラウリーゼ。

 大陸でも群を抜く発展を遂げた帝国に、『完全なるエネルギー体』の偽造品と、それが生み出した異形の脅威が、また新たな影を落としていた――。


               ◇


 規則的な蹄の音を響かせて、二頭立ての馬車が土の道を駆けていく。

 帝都の石畳とは違う、低くて角のない丸い音。

 新しくはないがきれいに保たれた客席で、向かい合わせに座ったレオンとマーガレットは、窓の外に流れる景色を静かに眺めていた。

 冬を迎えた東の森には、葉の枯れた寂しげな木々が並んでいる。空を覆う灰色の雲と相まって、なんとなく物悲しくなる風景だ。

「伯爵、一つお訊きしてもよろしいでしょうか」

 長く続いた沈黙を打ち破って、少女が向かいの雇い主へと声を掛けた。

「何です?」

 窓枠に肘をついていた少年は、そちらへ顔を向ける。

 目的地まであと少し。真剣な面持ちの従者は、なにやら気になることがあるようだ。

 どうせ大した話ではないだろうと思いつつ、退屈しのぎに返事をした。

「これから向かうベルギウス侯爵家のパーティーで、お食事しても良い時間はどれくらい頂けますか?」

 ――本当に、どうでもいい話だった。

 あまりにも予想通り過ぎて、レオンは驚くことすらできない。

 どうして真顔でそんなくだらない質問が出来るのか、理解に苦しむところだ。

「マーガレットさん、ちょっと耳を貸してください」

「? はい」

 寄せられた顔面を、右手でそっと鷲掴む。

「いだだだだだっ!? いっ、いたっ、痛いですわ!?」

「痛みで空腹を忘れさせてあげますよ」

 ギリギリと頭蓋骨を絞め上げる責め苦は、マーガレットが「ごめんなさい!」を二十回ほど繰り返すまで止めなかった。

「ひ、ひどい……なんて暴力的な人なんでしょう……」

「貴女がふざけたことを言わなければ、僕も体力を浪費しないんですがね」

 涙目でこめかみを押さえる従者に、少年は呆れたような視線を向ける。

「だって! 今日の夕飯はお塩だけなんでしょう!? せめて昼食くらいちゃんと摂りませんと、飢え死にしてしまいますわ!」

 自棄になった少女が叫ぶ。

 それは、先程レオンが宣告した『お仕置き』への糾弾だった。

「一日くらい食べなくても人間は死にませんよ」

「心が! 心が餓死するのです!」

 必死である。

 どうにもこの少女、元子爵令嬢の割には、あまり貴族らしくない。言葉遣いだけはそれっぽいのだが、発想がいかにも庶子のものなのだ。

 単純すぎる。一体、どんな育ち方をしたのだろうか。生まれた時から多くの貴族を見てきたレオンにとって、彼女は不可思議な存在だった。

 食に対して貪欲なまでの執着を見せる従者に、少年は諦めたような溜め息を吐く。

「……今日の仕事できちんと役に立ったら、処罰の改善を考えましょう」

「ほ、本当ですか!?」

 途端にぱぁっと顔を輝かせるマーガレット。

 やはり、単純だ。

 もう半年ほど仕事に同行させているのだが、未だにレオンは不安になる。

 役立つ希少な「異能」を持っていたから借金を肩代わりして雇い入れたものの、自分は判断を誤ったのではないか、と。

「まぁ、今回もアレが出そうな案件ですからね。役に立ってもらわないと困ります」

 釘を刺すと、従者は急に全身を硬直させる。

 分かりやす過ぎる反応。増していく不安。

 やはり、彼女は今回の仕事をきちんと理解していないようだ。

「……あ、あの。やっぱり、今回は出るんでしょうか?」

「さぁ。ただ、発端となる現象がいくつか起きた上、条件も整っている。なぜ今まで『屍鬼グール』が出現しなかったのか、不思議に思えるほどの場所です」

 答えて、窓の外に目を向ける。アイスブルーの瞳はまだ遠く、次第に大きくなっていく古城のような石造りの屋敷に視線を据えていた。

「閉鎖された土地、複数の色濃い欲望。外部に流れ出すことのない負の欲求は、堰き止められた下水の澱のように濃度を増して、渦を巻く――あんな場所では、『偽石』に心を喰い尽くされた人間がいくら居てもおかしくない」

 低い声で謳うように言うと、マーガレットが短く息を呑んだ。

 怯えただろうか。けれど、これは脅しというわけではない。

 人類が、完全なるエネルギー体『マザー』を夢見て生み出した粗悪なレプリカ。内密に『偽石』と呼ばれるそれは、真実、人の心を喰らう。

 精神の奥深くに眠る、その個人の核を成す欲求。

 人工的に歪められた高濃度のエネルギーは、細胞内の塩基配列に異形の情報を組み込んで、心の求める形に肉体を作り替える。そうして生まれた異形の細胞は、人の内なる欲求を叶え、その代償として心を喰らう。

 欲に駆られた者たちは、「自分という存在そのもの」が餌になっていることに気付かない。

 ――やがて、理性も自我も失くした化け物が、人間の殻を破って外の世界へと這い出してくるのだ。

「で、でも……そうなる前に石を回収できれば、屍鬼は生まれませんわよね……?」

 まるで、祈るような。必死さの伝わる声が聞こえた。

 視線を戻すと、元令嬢の少女が両手を胸の前に組んで、真摯な瞳をレオンに向けていた。

 彼女は人を傷つけることを恐れている。それは、屍鬼となった相手でも同じ。

 ますます貴族らしくない。家柄に限らずヒエラルキーの上層に位置する者は、他者の使い方を学びこそすれ、他人を気遣うことなどまず思い付かないというのに。

 溜め息を一つ。レオンは、マーガレットの問いに一応の肯定を示した。

「そうですね。可能性はゼロではありません」

 そう答えると、目に見えて安堵する表情が浮かぶ。

「……わたし、頑張りますわ」

 両の拳を握って、少女は力強く宣言する。

 やる気が出たようで何よりだ。けれど、一つだけ忠告しておかなければならない。

 レオンは、互いの目的が一致した結果、帝国の特務機関の非公式構成員となって任務を請け負っている。

 機関はレオンの腕と異能を買い、少年はそこで与えられる「特権」を得た。

 目的は「『偽石』の回収と破棄」。その際、事が公にならなければ、いかなる手段を用いても国は罪に問わない――。

「ですが、もし異形が生じれば即時排除します――いいですね?」

 拒否を許さぬ確固たる問い。

 意思を強制する確認に、マーガレットは少し悲しそうな顔をして……コクリと頷いた。

 無垢な少女の複雑な胸中を、伏せた表情が物語っていた。

 しかし、アイスブルーの瞳は微塵も揺るがない。

 その決定を覆すなど、絶対に有り得ないとでもいうように。

 なぜなら、己の意志を貫くことこそが彼を象徴する意味――


 ――レオン・シュタインベルガーの核には、『傲慢』という銘が刻まれているのだから。





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