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第4章 2話

【第四章 2】


 元から人通りの少なかった伯爵家の周辺は、いまや完全な無人地帯と化していた。

 どこを見ても住民の影はなく、それどころか野良猫の一匹すら見当たらない。

 まるで別世界の背景のようになってしまった屋敷の壁を、旅行鞄に乗った少女が必死に乗り越えようとしていた。

「せーの……えいっ!」

 縁に手を掛けて、勢いよくジャンプする。バタン、と大きな鞄が倒れた。けれどもなんとか目論見は成功し、少女――マーガレットは、敷地の中へと侵入を果たした。

「ふぅ。この壁さえ越えれば、もうこちらのものですわ」

 ドロボウみたいな台詞を口にしつつ、屋敷の玄関に向かう。

 結局、列車には乗らなかった。それでどうなるのかも、なんとなく覚悟している。

 だけど、やっぱり伯爵を置いて逃げたくなかったのだ。

 ――逃げるなら、一緒がいい。

 そう思って、この場所まで戻ってきた。

 辿り着いた屋敷は、なんだかガランとしている。扉には鍵がかかっていた。

 もうここにはいないのだろうか。行動に迷いが生じる。

 しかし、レオンがなにに気づいたのかくらいは知っておいた方がいいだろう。

 一週間ほど前に、彼は奇妙な資料を取り寄せていた。それは、昔の新聞だったり、名簿や図鑑といった古い物ばかり。

 ひょっとすると、あれがなにか関係しているのかもしれない。

 覚悟を決めたマーガレットは、隠し持っていた合い鍵で扉を開けた。失くしたと思ったら、荷物整理の時にベッドの下から出てきたものだ。紛失に関してはすでにこってり怒られたので、見つけたことを黙っていたのは差し引きゼロになるのでは……と、考える。

 ささやかな良心の呵責を頭から追い出して、外より僅かに温度が高いだけの廊下を進む。

 辿り着いたのは伯爵の執務室。いつもなら怯えながら開けるその扉を、勢いよく開放した。

 普段通り、彼の仕事部屋は物が少ない。綺麗に片付けられた室内で、目的のものはすぐに見つかった。

 大きな机の上に放り出されていた新聞。日付は今から一四年前のものだ。

 紙面には、たくさんの写真が記載されていた。どうやら『完全なるエネルギー体』の発見を祝う式典の光景らしい。写った人々は、誰もが興奮気味の笑みを浮かべていた。

 ――そのうちの一枚に、少女は目を奪われた。

「……お父様、お母様…………?」

 揺れる瞳の先、そこには、小さな赤ん坊を抱く若い夫婦の姿があった。

 小さな写真の下に『フロライナのエネルギー工学研究者・ヴァレンタイン子爵夫妻』と、さらに小さく記してあるので間違いはない。

 しかし、マーガレットが驚いたのはそれだけではなかった。

 印のついた他の写真に目を向ければ、会場のそこかしこに見覚えのある人々がいる。

 ベルギウス侯爵、歌劇団に入ったばかりのマリアらしき少女、まだ十歳前後の頃のナッター……警備にあたる者の中には、ジェイミーとよく似た女性兵士を見つけた。

 これは、一体どういうことなのだろう?

 少女は戸惑った表情を浮かべる。

 ――薄暗い部屋の中、ただでさえ冷たい室温が、さらに下がったような気がした。


                  ◇


 押し黙った二人を見据えて、少年は口を開く。

「今まで異能の発現は個体差や、負の欲求の大きさが関係していると考えていました。しかし、中にはイレギュラーな存在もいた。たとえば、元ベルギウス侯爵夫人のツェツィーリエ。彼女も夫と同じく欲深い人間でした。ベルギウスの保有する『偽石』もすぐ近くにある。――なのに、彼女は異能を発現していません」

 レオンの指摘に、エーデルトラウトは隣の人物に視線を投げる。確認を求められたアナスタージアは、頷くだけでそれに応えた。

「『マザー』が公開されたのは、僕の父が帰還した時と記念式典の日のみ。その当時の写真には現在の異能保有者や血縁の人間がしっかり写っていました。けれど、夫から幽閉じみた扱いを受けていたツェツィーリエはいなかった。……そういえば貴女もいませんでしたね、ドクター」

「ああ。私は急患が入っていたんだ。その頃は今ほど石コロに興味がなかったし、式に参列したいとも特に思わなかったからね」

「そして、多くの『偽石』に関わっていながら、貴女も異能を持っていない」

 研究者の表情は変わらない。作り物めいた微笑を浮かべて、かつての教え子を眺めている。

「父が帰還した港は、爆破グループの姉弟が暮らしていた領地のすぐ近くでした。その内、弟だけが異能を持っていた。おそらく、彼が用事を言い付けられた時に出くわしたのでしょう。その領地はほとんど焼失していたので、他の者がどうだったかは調べられませんでした。ですが、姉弟が式典に参加できたとも思えませんし、その地方で『偽石』が回収されたという記録もありません。……なら、『マザー』が関係していたと考えるのが順当です」

 それが、レオンの得た仮説。

 異能を発生させる大元は、人類の作り出した『偽石』ではなかった。

 ひょっとすると引き鉄にはなったのかもしれない。しかし、その種を蒔いたのは「完全なるエネルギー体」である『マザー』だ。

 ーー人類の救済と伝えられてきた輝石が、人の身勝手な欲求に代償を求めた。

「……その情報をどうするつもりだ?」

 エーデルトラウトの視線が、スッと鋭くなる。険の滲むその声は、言外に「国を売るつもりか」と問うていた。

 敵意を剥き出しにする皇弟を眺めて、少年はその浅慮を嘲るように笑う。

「これから滅びる国を売って、何になるというんです?」

「ぐ……」

 正論を口にすると、エーデルトラウトは低くうめいて押し黙る。

 不敬を咎める者などこの場にはいない。

「言ったでしょう。身内の野暮用を片付けに来たと。……教えてください。『マザー』は、旧第一発電所のどこにあるのか」

 断定的な口調で、レオンは告げた。

 琥珀の瞳が驚愕に染まる。

「気づかないと思いましたか? あのブライニクルは危険な『マザー』に関連する施設が爆破された矢先に起きた異常現象です。結びつきがないとは思えない。しかも、帝国は生きた鉱石の莫大なエネルギーと危険性を知っている。国家間の事情で捨てることが出来ないのなら、人が近付かない場所に隠している可能性くらいは考えるでしょう」

「――貴様、帝国から光を奪うつもりか?」

 肉食獣を思わせる眼光が、少年を射抜いた。――しかし、レオンは動じない。

「夜の明かりがなくなれば、星が美しく見えますよ。失うばかりではありません」

 平然と、そう言ってのけた。

 体裁など気にしている時ではないと、彼も知っているはずだ。そこまで愚かな男ではない。

 事実、皇弟は強張った肩から力を抜いて、不貞腐れたようにレオンを見た。

「……『マザー』をどうするつもりだ。いまさら捨てたところで、アレが止まるとは思えん」

 憮然と反論する。しかし、少年はそれを鼻で笑って否定した。

「捨てませんよ。あのブライニクルとかいう氷柱にぶつけます」

「どうやって触れることも出来ない天災にぶつけるんだ。大砲でも持ち出すつもりか?」

「いいえ、触れることは可能です」

 言って、レオンは自身の左腕に触れる。

「僕の腕は、物理干渉が可能なモノをすべて打ち砕く――絶対凍結の氷柱とて、例外ではありません」

「馬鹿な……危険すぎる」

「おや、珍しいですね。皇弟殿下が僕の心配ですか」

「当たり前だ。お前みたいな餓鬼でも、帝国の民であることに変わりはない」

 端正な顔が、僅かに変化した。

 それは意外な発言だった。

 皇族から気を遣われたことなど、一度もない。帝の血に連なる者たちには、親が『英雄』であるだけの生意気な存在として、扱われてきたというのに……。

 しかし、レオンはそんな驚きを口に出すこともなく、薄い笑みを浮かべる。

「――この僕が、天災ごときに敗れるとでも?」

 それはひどく傲慢な問い掛けだった。まるで、神すら見下して嘲り笑うような。

 揺らぎのない声は、たしかな自信を感じさせる。

 根拠などあるはずがない。なのに、聞く者が息を呑むほどの力強い響きを有していた。

 そんな少年の問いに答えたのは、沈黙していた元医師だった。

「中央の十五番光炉だよ。そこに、『完全なるエネルギー体』がある」

「アナスタージア!」

「ムダだよ、殿下。彼の本質は傲慢だ。自分で決めたことを曲げるはずがない」

 荒げた声を、平淡な態度でいなす。

 さすがに長い付き合いだ。アナスタージアは、教え子の性格を把握している。

「話が早くて助かります。あとは避難するなり留まるなり、お好きにどうぞ。……ああ、そうだ。車を一台借りますので、軍部の方に伝えておいてください」

 告げるべきことをすべて告げ、レオンは踵を返す。その背中に、抑揚のない声が掛けられた。

「……君の父上が言った通りになったね」

 独りごとのような呟きに、少年は足を止める。

 振り返ると、アナスタージアが興味深そうな目をこちらに向けていた。

「父がなにか?」

「いつか息子は真相に辿り着くかもしれない、と。……レオン君は知っているかな? 帝国の英雄が、異能を発現していたことを」

 研究者の言葉に、少年は顔色ひとつ変えずに頷いた。

「なんとなくは。……もっとも、確証を持てるほど父と顔を合わせた記憶もありませんが」

「忙しい人だったからねぇ。でもさ、彼もそのことを気にしていたよ。だからかな。彼は、まるで英雄という呼称に相応しくない異能を手に入れた」

 そう言って、アナスタージアは感情の読めない笑みを深めた。

 紅い瞳が教え子の眼を覗き込む。整った顔は、今日はじめて訝しむように変化した。

「私はね、マーガレット君と初めて会った時に驚いたんだ。――なにしろ、君が父親と同じ、『見透す瞳』を持つ女の子を連れてきたんだからね」

 氷蒼の瞳が、大きく見開かれた。

 まるで予想もしなかった事実。――従者と同じ異能を、父が発現していた。

「君が何を思うのかは知らない。でもね、これだけは覚えておきたまえ。『見透す瞳』は不安から生まれる異能だ。臆病者の英雄は、近くにいられない君をいつも案じていたよ」

 それは、あまり彼女らしくない助言だった。

 教え子が口にしなかった決意を察知したのだろうか。

 いずれにせよ、レオンにとっては余計な世話以外のなにものでもない。

「……情けない男ですね」

 顔をしかめて、煩わしそうに呟く。

「君は素直じゃないねぇ」

「意味が分かりません」

 苦々しげに答えて、外へ向かう。

 無駄話は終わりだ。もうここに用はない。

「おい、シュタインベルガー」

 ザラついた声が名を呼ぶ。

 しかし、少年はもう足を止めなかった。

「貴様の言動には不敬罪が適用される。俺が直々に処分してやるから覚えていろ」

 脅すように、低い声で命じる。

 その言葉の意味を正しく受け取ったレオンは、一度だけ、

「……皇族ごときが僕に命令など、生意気ですね」

 肩越しに振り向いて、答えを返した。

 それきり小柄な少年は、長い廊下に姿を消す。

 あとには、口をつぐんだ皇弟と研究者だけが、沈黙とともに取り残された。














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