第3章 終
【第三章 終】
静かな河原の小道を、二人で歩く。
足音は一つ。黙々と歩く伯爵の背中に、マーガレットは揺られていた。
レオンの身体は、容姿や性格に反して思いのほか温かい。細身の体格なのにこんな力があることにも驚いた。……しかし、それも最初の間だけ。
彼は、さっきから黙ったまま。疲れているはずなのに、文句も言わず運んでくれる。
いつものように皮肉でも言われている方がよかった。この状況は、あまりにも気まずい。
静寂が漂う木々の隙間を、冷たい風が吹き抜けていく。
……伯爵は、怒っているだろうか。
朝の喧嘩のこともあるし、不注意で攫われてしまったこともそうだ。勝手なことばかりする使用人に、呆れかえっているのかもしれない。
現状の恥ずかしさと気まずさから、マーガレットはそっと目を伏せる。
レオンは何も言わない。……だから、なにを話せばいいのかも、わからない。
けれど、マーガレットには聞きたいことと、言わなければならないことがあった。
意を決して顔をあげる。息を吸い込んで、おずおずと口を開いた。
「あの、伯爵……」
声をかけると、僅かに反応があった。
視線は前に向けたまま。しかし、レオンは小さく息を吐いて、
「なんです」
と、短く返事をした。
声音には相変わらず愛想がない。ただ、そこまで怒ってはいないようだ。
灯した勇気が消えない内に、マーガレットは胸の中にある言葉を吐き出すことにした。
「その……ありがとうございました」
「礼を言うなら自分の足で歩いてもらえませんか。まだ屋敷に着いてすらいないんですが」
「そ、そうじゃなくて……あ、いえ、それもあるのですけど!」
否定した瞬間に凄まじい苛立ちを感じ取った少女は、慌てて発言を訂正する。
「……あの、両親のこと……黙っていてくれて、ありがとうございました」
少年の引き締まった肩が、微かに揺れる。
さっき、伯爵が口にした言葉。――大切な者の想いを、他人に語らせてはいけない。
彼は、マーガレットの両親になにが起きたのかを知っている。だから、ぜんぶ気づいていたのだと思う。
……少女の父と母も異形の細胞を抱えていた。
おそらく、エネルギー工学の研究で『偽石』に携わったのだろう。
父の研究室で鉱石の光を浴びたマーガレットは、幼い頃に異能を発現したのだという。フロライナでは異能の認知度が低かったため、周囲には能力の存在を隠すよう教えられて育った。
両親も、アーベントと同じ。
異能の正しい対処法を知らず、それがあることを知る術すらなかった。
同じ人外の力を持つからこそ、分かる。自分の身の内に巣食うケダモノの気配。負の欲求を意識するたびに大きくなる、自我を失うことへの恐怖が。
きっと彼らは孤独に戦っていた。そして、いよいよ身の内の化け物が抑えきれなくなった時……自分の命より大切な者を化物から守るため、自分を殺したのだ。
――気づけて、よかった。
お母様やお父様が、自分を守ってくれたこと。その悲愴なまでの優しさを、自分で見つけられたことが、なによりも――。
「……なんの話か分かりませんね」
憮然としたレオンが言う。……けれど、その声はいつもよりほんの少しだけ、優しかった。
綻ぶように笑ったマーガレットは、コートの袖口でぐしぐしと目元を拭う。
「あの! 一つお聞きしてもよろしいですか!」
「それだけ元気なら歩けるでしょう? ……降りなさい」
それはムリだった。まだ足に力が入らないし、あとでお仕置きされるとしても、いまはなんだかこの温もりにくっついていたい。抵抗するように、ギュッと細い首筋に抱きついた。
溜め息を吐く音が聴こえる。やがて、あきらめた様子の伯爵からお許しが出た。
「『リヒト』や『アーベント』という言葉は、どういう意味なのでしょうか? アーベントさんは、絶対に届かないものとして、お姉さんをリヒトと呼んでいたそうなのですが……」
尋ねると、レオンは僅かに考える素振りを見せた。
「さっき聞いた他の名も合わせると、それは帝国の古語ですね」
「古語?」
「ええ。大陸の国々で使われている共通言語は、古代文明が滅び、様々な人種が入り交じったことで出来た言葉だと伝えられています。古代文明社会では国によって使用する言語が違ったらしく、その名残として古語があるのです」
記憶を探るように、少年の顔が少し上を向く。
「アーベントは『夜』、リヒトは『光』を意味します。おそらく、彼は実姉に家族以上の想いを抱いていたのでしょう。しかし、夜がいくら願っても、真昼の輝かしい光には手が届かない。……二人の関係や自害を決意した原因を考えると、それが正しい解釈だと思いますよ」
導き出された結論は、マーガレットに予想外の衝撃を与えた。
姉弟はどちらも同じく、家族として誰よりも大切に想いあっていたのだと、そう思っていた。
……しかし、それは違った。
「アーベントさんは、お姉さんに恋していたのですか……?」
「推論ですが。ただ、その異能者は亡くなる前、例の歌劇場で姿を目撃されています。まったく前ぶれのない自殺なら、暗示にかけられた可能性は高いでしょう」
ほんの数週間前まで、帝都では原因不明の自殺が相次いでいた。それが異能の力であることはマーガレットも知っている。その首謀者である女性のことも。
隠されていた真実に驚きながら、それでも、納得できる部分もあった。
アーベントが憎んでいたのは、自分ではなく姉を傷つけるモノだったのだ。
両親も、学校も。大切な一人を守るため、彼は破壊を繰り返した。
いつからそれが恋に変わったのかは分からない。けれど、アーベントは最期まで弟として姉を守ることを選んだ。自分を家族として信じているリヒトを傷つけないよう。……自身の想いは、胸の奥に秘めたまま。
それは、あまりにも切ない恋の結末。
マーガレットは真っ暗な夜空に見たこともないアーベントの姿を映す。彼は、最後になにを思ったのだろう。姉を守って死ぬという選択に、後悔はなかったのだろうか。
考えを巡らせた少女は……すぐに考えることを止めた。
――その答えは、きっと他人が語るべきものではなかったから。
背負われたまま屋敷に辿り着いたマーガレットは、おかしな状況に気付いた。
玄関にカルミアがいない。
勤勉な侍女は、雇い主が帰宅したときには必ず出迎える。なのに今日は姿が見えない。
キッチンの方から洗い物の音がするので、眠ってしまったわけではないのだろう。
それにしても、珍しい。伯爵も訝しげに首を傾げていた。
――しかし、それがカルミアの小さな親切であったことは、すぐに判明する。
「……余計なことを」
光景を目にしたレオンが、煩わしそうに呟く。
部屋まで運んでもらう途中、通りがかった執務室の扉が開いていた。そんなこと、カルミアなら絶対に見逃さない。
けれど、中にはもう一つだけ、ありえないものが残っていた。
それはきっと、本当に小さな親切と、不器用な主への気遣い。
開かれた扉を覗いたマーガレットは、おもわず嬉しくなって――微笑んだ。
部屋の窓際に鎮座する、大きな仕事机の上。
そこには、空っぽになったお皿が、ぽつんと取り残されていた。




