第3章 4話
【第三章 4】
大気を揺らす爆発音に、レオンは足を止めた。
発生源は、現在地の河原のすぐ近く。目と鼻の先で、白い煙がもうもうと舞い上がっている。
「あれは……」
木々の向こうを見据え、ぽつりと呟いた。同じように立ち止まった軍人が振り返る。
「急ぎましょう。なにか事故が起きたのかもしれません」
非常時でも冷静さを失わない声に、少年は頷くだけで返す。
そのまま、二人は砂埃と火薬の臭いが漂いだした空気の中を、一斉に駆け出した。
辿り着いた先には、まさに惨状と呼ぶにふさわしい光景が広がっていた。
敷地内の土はあちこちに焦げをつくり、朽ちた壁を焼き尽くさんと紅蓮の炎が這う。
かつて工場だった建物は、支柱のいくつかを残してほぼ半壊していた。
「これは、なんという……」
さすがに驚愕を隠し得ない様子で、ヘルマンが唖然と声をもらす。しかし、すぐ我に返ると、急ぎ周囲を見回した。
そこには、火の手を前にして立ち尽くす下士官たちがいた。
「おい、これはどういうことだ」
「は、ハッ! その、突然、建物の中から爆発が……」
「生存者の確認は」
「い、いえ、まだ行っておりません」
しどろもどろになる若い兵士に舌打ちして、ヘルマンはレオンの方を振り向いた。
「自分は建物内の確認に行ってまいります。伯爵は安全な場所にてお待ちください」
返事も聞かず、部下にいくつか指示を出した准尉は、炎の中へ駆け出して行った。
長身の背中が、今にも崩れ落ちそうな建物に飲み込まれる。
残された下士官たちは、貴族を誘導しようと少年の背中を押した。
「シュタインベルガー伯爵、どうぞこちらへ」
「……なるほど。僕を証言者に仕立て上げるつもりですか」
少年が呟くと、よく聞き取れなかったらしい兵士が怪訝な顔をする。その側頭部に――鋭い回し蹴りが叩きこまれた。
「ぐ、っ……」
濁音混じりの息を吐き出し、一撃で昏倒した青年が地に沈む。
「な、なにをなさるのですか!?」
突然の凶行に、下士官たちが戸惑った声を上げる。
色めきながらも身構える彼らを眺め、軽々と着地したレオンが瞳に嘲りの色を浮かべた。
自身も迎撃の構えをとり、不機嫌そうに言う。
「――ヘタな三文芝居はもう見飽きました。まずは、飛び道具を持った生意気なサルの駆除から始めましょうか」
◇
鈍い痛みで、リヒトは目を覚ました。
身体が動かない。覚醒した耳が、パチパチと火の粉の爆ぜる音を拾う。
蒸し暑いのはこのせいか。見れば、遠くの壁を炎が囲んでいた。
このままではナッターが調達してきてくれた火薬にまで引火してしまう。……そうなると、みんなが危ない。
彼らは無事だろうか。自分が攫ってきた、あの使用人の少女も。
なんとか頭だけ動かして、周囲を窺う。すると、ふらつくフォーゲルが例の少女を助け起こしているのが見えた。……ああ、無事なようだ。ビーネや、ヴァールも……他の者も、爆風に巻き込まれるのは免れたらしい。
「……リヒ姉!?」
きょろきょろと何かを探していたフォーゲルが、倒れたリヒトに目を留めて愕然とした面持ちで叫ぶ。その声につられてこちらを見た者たちの顔から、一斉に血の気が引いた。
そんなに酷い状態なのか。確認しようにも、そこまで首が回らないので自分の身体が見えない。ただ、肩から下に押し潰されそうな重圧を感じる。
おそらく瓦礫の下敷きになったのだろう。ならば、もう助かるまい。
早く退避しろと仲間に告げようとしたところで、リヒトは奇妙な光景を目にした。
脇目もふらず、人質の少女が駆け寄ってきた。
少女は、リヒトの上に乗る石材へと手を伸ばす。
「んぅうううううっ!」
自身も傷を負いながら、それでも、彼女は伸ばした腕に力を込めた。
だが、当然のように巨大な瓦礫は動かない。
「やめろ……無駄だ」
「や、めませんっ! 必ず、助けますわ!」
炎が包囲する工場に爆音が響く。音が近い。火薬を保管する箱のひとつに引火したようだ。
間もなく他の場所にも火が回るだろう。そうなれば、この廃屋は完全に崩れ落ちる。
「おい……もう、いいから……早く、あいつら連れて……逃げろ」
「いやですっ! 逃げるなら、リヒトさんもいっしょです!」
「なんで、だよ……お前には、関係、ないだろ……はやく、にげ……」
「逃げません!」
顔を真っ赤にして、障害物を持ち上げようとする少女は大きく息を吸い込んだ。
「――乙女はっ、最後まで幸せになることをあきらめないのですっ!」
外まで響くような大声で、叫ぶ。
本当にこの娘はよく分からない。……けれど、勇ましいその声が、惨状に怯んでいた男たちを動かした。
「おい、そっち回れ!」
「一斉に持ち上げるぞ!」
「急げ! 引火する!」
勢いを増した炎が、淀んだ空気を焦がす。屋内の温度は肌を焼きそうなほど上がっている。
それでも、誰一人として危険な場所から脱出する気配はなかった。
「いくぞ……せーのっ!」
掛け声と共に、瓦礫がゆっくりと動き始める。肺の中に熱された空気が流れ込んだ。身体の感覚はすぐに戻らない。けれど、押し潰されそうだった圧迫感はもうなくなった。
やがて、巨大な石材は、仲間たちと少女の手によって完全にリヒトの上から取り除かれた。
「リヒ姉! 大丈夫か!」
「ああ……悪い。足が、動かない」
「こりゃ折れてやがるな……おい、動かさねぇように運ぶぞ! そこのデカイ板もってこい!」
ヴァールの指示で、作業台だった木板がリヒトの傍に運ばれる。衰弱した身体を乗せた簡易の担架は、八人がかりで支えながら持ち上げられた。
誰も先に逃げ出そうとしない。ゆっくりと寄りそいながら歩く仲間たちの中に、気遣うような少女の顔を見つけた。
すまない、と。回らない口で、伝えようとした。彼女は標的ではない。傷つけるつもりのなかった者を傷つけるのは、リヒトにとって間違いだったから。
けれど、謝罪を告げようとした声は、少女の笑みにかき消された。
「乙女の根性の大勝利ですわ」
そんなふざけたことを言って、少女は笑った。
不思議なほど優しいその眼差しが、弟の真っ直ぐな瞳と重なる。性格は似ていない。容姿だって、どこから見ても別人だ。なのに――
――不意に、担架の揺れが止まる。
「テメェ……なんのつもりだ! ナッター!」
フォーゲルが声を荒げる。周りの仲間も、目に見えて身体を強張らせていた。
僅かな人垣の隙間から見える光景に、リヒトは瞠目する。
そこには、軍服を纏うナッターが仲間に銃口を向けて立っていた。
「運のいいヤツらだな。まさか全員が生きているとは」
驚いたように、冷たい声が言う。
彼は指先を引き鉄に掛けたまま……薄い唇を、歪に吊り上げた。
「だが、ここで終わりだ。帝国の未来の為、お前たちは死ね」
◇
「このクソ野郎、軍に寝返ったのか!」
「いいや、俺は元から帝国軍の人間だ。お前たちには言ってなかったが、祖父が軍の幹部でな。目的を遂行する為、利用価値のある田舎の犯罪者集団に接触した。……俺が孤児だという作り話をお前たちが信じた時は、あまりの間抜けさに腹が捩れるかと思ったよ」
嘲る声に、フォーゲルたちが殺気立つ。この場にいる誰もが、今にも飛びかからんばかりの怒気を滾らせていた。
その姿を眺めて、長身の軍人はさらに歪な笑みを深める。
「なあ、不思議だと思わないか。そこで死にかかってる女やアーベントは、お前たちと違って、ずいぶん俺に気を許していただろう。だから今回の作戦も容易く乗った。何故だと思う?」
挑発するような口調にも、ヴァールたちは動けない。
ナッターという男の銃口は、さっきからずっと、横たわるリヒトに向けられていた。
「簡単な話だ。俺もアーベントと同じく『異能』を持っていた。その力で、リーダー格であるそいつらの心をコントロールしてやったんだよ」
鈍く輝くライトブラウンの瞳に、愉悦が滲む。
「――俺の耳は、他人の『心の声』を拾えるんだ」
周囲がにわかに浮足立つ。それは、信じ難い独白への動揺だろう。
黙ったままのマーガレットも周りと同じような表情を浮かべている。
アナスタージアは、異能とは現存するものに働きかける力なのだと言っていた。
心のように存在が不確かなものを読み取る能力など、本当にあるのだろうか? 伯爵ならなにか知っているのかもしれないが、異能に詳しくもない少女はただ驚愕するしかなかった。
「予想通り、ヴァールは疑うか。フォーゲルやビーネも。リヒトは、まだ信じられないようだな。聡明だと思っていた弟も一緒に騙されたのだから無理はない。……そこの女は異能の知識を少し持っているのか。しかし、認めろ。これが俺の力だ」
誰かの息を呑む音が聴こえた。
本当にナッターは心を読んでいる。それを、たったいま自ら実践してみせたのだ。
驚愕の気配を漂わせたまま、フォーゲルたちの動きがさらに硬くなる。
頭の中を覗かれては、どんな奇襲であろうと成功しない。ましてや相手は銃を持っている。迂闊に動けば、ナッターの恰好の的になるだけだ
緊迫する男たちの背後で三度目の爆発音が響く。崩壊の時間は、すぐそこまで迫っていた。
「お前ぇ、目的があって近付いたとか言ってたな。……その目的ってのはなんだ」
ヴァールが険の滲む声で尋ねると、軍人は大仰な素振りで両手を広げた。
「今の帝国は脆弱だ。それも全ては無能な皇帝が王位に就いた為。この国の頂の座は、誇り高き皇弟殿下にこそ相応しい。故に、我々はクーデターを起こすことでブラウリーゼの衰退を露見させ、真の王とは誰であるかを全国民に知らしめる。アーベントの能力は、そういった意味では非常に利用価値が高かった。お前たちの存在も国家再興のスケープゴートとして足しになる。……だが、あの間抜けな異能者は浅はかな情に溺れて死んだ。もう少し役に立ててから、お前たちと共に処刑してやるつもりだったんだがな。残念だよ」
やがて、自動式の凶器が再び前を向く。
誰もがその銃口を悔しそうに睨みつけていた。
「無能なお前たちにも役割はある。発電所を爆破したテロリストとして、真の帝国民である我々の犯行を肩代わりして死ぬんだ。お前たちの安い命が新たな帝国の一歩となる――どうだ、ぬるい小悪党には破格の扱いだろう?」
爬虫類じみた笑みを浮かべ、ナッターが拳銃の位置を定める。
彼からリヒトを守ろうと壁になる男たちを掻きわけて、少女は人垣の先頭に歩み出た。
制止の声が聞こえる。けれど、マーガレットは足を止めなかった。
「なんの真似だ、小娘」
「彼らはたしかに過ちを犯しました。それは、きちんと償うべき罪だと思います」
震える膝を押さえつけ、キッと顔を上げる。
「――ですが、それはあなたたちも同じです! 自分の罪から目を背ける者が、より良い国などつくれるはずがありません!」
その翡翠には明確な怒りが滲む。
怯えながらも視線を逸らさない少女の額に、薄ら笑いを浮かべる軍人が照準を合わせた。
「新興貴族の使用人風情が偉そうに……なら、お前から死ね」
引き鉄にかけた指が動く。この距離で外すことはまずないだろう。
それでも、マーガレットは逃げない。
――こんなヤツに屈するのはイヤだ。絶対に、許したくない。
金属の擦れる音がする。――「死」が、そこまで近付いていた。
少女は瞳を固く閉じて、唇を引き結んだ。
軍人の表情が狂気に歪む。
獲物の恐怖を味わい尽くすような時間の果て。大きな爆発音が、空気を切り裂いた――
「サルの分際で人様の所有物に銃を向けるとは……飼い主の躾がなってませんね」
凍えるような絶対零度の声に、マーガレットは顔を上げる。
――そこには、左の拳を振り抜いたレオン・シュタインベルガーが立っていた。
「なっ!?」
武器を弾き飛ばされた軍人が、こぼれ落ちそうなほど目を見開いた。
殴られた右手を押さえ、慌ててその場から後退する。
「何故、お前がここに……外の兵士はどうした!」
「あの程度の雑魚が足止めになるとでも? ――一人残らず眠らせました。次はお前です」
平然と答えて、美貌の少年が焦るナッターを睥睨する。
「ど、どういうことだ……お前は、完全に騙されて……」
「騙す? ずっと疑ってましたよ。お前が、アホ面さげて僕の前に現れた時から」
少女のように瑞々しい唇から嘲笑がもれる。他者を見下すことに慣れた、傲慢な笑みだ。
「准尉、僕の屋敷で物盗りの男を捕まえた時、なぜ『警察に身柄を引き渡せ』などと口走ってしまったんです? ……ウチの使用人を攫ったグループの一員かもしれないのに」
最後の一言で、軍人が顔色を変える。
青褪めた表情は、彼の驚愕を克明に物語っていた。
「それ、は……」
「ああ、安心してください。疑ったきっかけはそれだけではありません。言ってましたよね。研究所の所長から僕の話を聞いた、と。……誰のことでしょうか? 僕に研究所の知り合いなんていませんが」
相手を虚仮にしたような声は止まない。一切の容赦なく、レオンが敵を追い詰める。
「馬鹿な! アナスタージア・クラウは、お前を知り合いだと言っていた!」
「たしかに彼女とは知り合いですね。しかし、あの女狐は僕と同じ特務機関の主任です。研究所になど所属していません」
「な……っ!」
「最初から玩具にされていたんですよ、お前は。おかげで屋敷を出る前に女狐と連絡を取ることができました。ドミニク・ヘルマン准尉は陸軍宮廷近衛隊所属。今回の指揮を執ったのは近衛の司令官ですか。能力名『読み取る耳』の異能持ち。……本質が『虚栄』の准尉にはピッタリの力ですね。そんなに自分への評価が気になりますか?」
コートのポケットから紙片を取り出したレオンは、ひらひらと目の前で振ってみせた。
そこに何が書いてあるのか、マーガレットの位置からでは見えない。けれど、アナスタージアからもたらされた様々な情報が記されているのだろう。
揶揄する言葉で状況を理解したらしい軍人は、顔を激しい怒りで染めていた。
そこに、さっきまでの狡猾な知略家の面影はない。
「このクソ餓鬼……調子に乗りやがって!」
罵声を吐いて、軍服の懐に手を入れる。再び現れた掌には、もう一丁の自動式拳銃が握られていた。
「サイドアームですか。準備のいいことで」
至極、煩わしそうに呟いたレオンは、左の手袋を外す。
見えたのは鈍い輝きを放つ肌。彼の一言で、灰銀の表皮が岩のように隆起する。
――異形の細胞を飼い馴らした『不壊の腕』。
物理干渉の可能なモノに絶対不壊を誇る左腕が、銃口に向けて構えられた。
「……どうしました、撃たないんですか?」
射線上に迎撃の姿勢を取ったレオンが冷静に尋ねる。
いくら頑強な鎧を持つとはいえ、それは左腕の一部に限定された条件だ。飛び道具の方が有利であることにかわりはない。
しかし、軍人の表情は精彩を欠く。それどころか、怯えたように青褪めてさえいた。
「な、何故だ…………何故、心の声が読めない。それに、この雑音はなんだ……?」
愕然と、声をもらす。まるで幽霊を見たとでもいうような反応に、少年は冷やかな視線を向けた。
「なにか勘違いしているようですが、お前が読み取るのは心ではなく『思考』です。いくら脳の電気信号を傍受しようと、使用する言語が理解できなければ意味はない……今、僕は独自の暗号で思考しています。他人の頭を覗ける程度の力で僕に挑むなど、百万年早いですよ」
吐き捨てて、レオンは地を蹴った。
焦った軍人が引き鉄をひく。しかし、放たれた弾丸は、呆気なく異形の腕に弾かれた。
「――文字通り、己の愚行を死ぬほど後悔させてあげましょう」
冷酷な宣言に、短い悲鳴がつづく。
恐怖に歪んだ顔へと、人外の拳が突き刺さる。
しなやかに、鮮烈に。重く凶悪な一撃が、長身の軍人を軽々と吹き飛ばす。
二度、バウンドした身体は、砂袋のような音をたてて床に崩れ落ちた。
完全に意識を刈りとった敵にはもう見向きもせず、腕を一振りして汚れを払ったレオンは、不機嫌そうな顔で背後を振り向いた。
「伯爵……」
「まったく。勝手に屋敷を飛び出したあげく攫われるとは、間抜けもいいとこですね」
呆然としたままの少女に、いつも通りの毒舌が降り注ぐ。
しかし、その場に座り込んだマーガレットは、何も言い返せなかった。
「いつまでそうしているつもりですか。さっさと脱出しますよ」
「あ、あの……伯爵、その、ですね……」
もごもごと口ごもる従者に、主は怪訝そうな表情を向けた。その珍妙な物体を見るような目付きにも、マーガレットはやっぱり反抗しない。なぜなら、
「その……実は、さっき撃たれかけた時に、腰が抜けてしまいまして……」
……レオンに運び出してもらわないと、この場で焼け死んでしまうから。
遠目に眺めていたフォーゲルたちが何やら脱力しているが、構っていられない。
少女は媚びるような視線で、必死に「置いていかないで」とアピールした。
◇
廃工場の外は、すでに夜が満ちていた。
帝都郊外の暗闇を、燃えさかる炎が煌々と照らす。
ふいに、廃墟の中で大きな爆発が起きる。雷鳴のような轟きを最後に、朽ちかけた建物は完全に崩れ落ちた。
「……っぶねー。危機一髪だったな」
身構えたフォーゲルが、呆けた顔で呟く。リヒトが周囲を見渡すと、ただ一人を除いて、みんな同じような表情を浮かべていた。
その例外である少年が、やけに不機嫌そうな視線をリヒトに向ける。
「それで、貴女たちはこれからどうするんです? もうすぐ消防隊や警察が到着する頃だと思いますが」
「どうって……警察につき出さないのか?」
「嫌ですよ、面倒くさい」
こともなげに、シュタインベルガー伯爵はそう言ってのけた。
さすがに驚いたのか、冷静沈着なはずのヴァールが目を剥く。
「俺たちはお前ぇを殺そうとしたんだぞ?」
「はぁ。貴方がたごときにこの僕を殺せるとは思えませんが……まぁ次に何かしてきたら潰してあげますよ。それ以外は好きにしなさい。他の貴族がどうなろうと、僕の知ったことではありません」
まるで興味もなく言い捨てて、自宅へ帰ろうとする。その背中には――顔を真っ赤にした使用人の少女がいた。
よほど恥ずかしいのか、紅潮した顔を伏せて誰とも目を合わせようとしない。
それに比べて、少年は何も気にしていない様子だ。背負う時こそ凄まじくイヤそうな顔をしていたものの、今では平然とそのまま帰宅しようとしている。
……帝国中のどこを探しても、使用人を背負う貴族などいないだろう。
あまりにも奇妙な主従の二人に、仲間たちも不思議そうな視線を向けていた。
「あとは自首するなり逃げるなり、自分たちで決めてください。それでは」
「待ってくれ」
思わず、リヒトは少年を呼び止めていた。怪訝そうな顔が振り返る。
――どうしても、彼女に聞きたいことがあった。
「爆発が起きる前、お前は何か言いかけていただろう? それが私の弟に関することなら、教えてくれないか。……頼む。それさえ分かれば、私は……もう、どうなってもいい」
背負われた少女に懇願する。仲間たちが、一様に息を呑んだ。
けれど、本心だった。いま、それ以外に欲しいものは、何ひとつない。
「それは……」
「やめなさい」
応える言葉を、伯爵が遮った。少女は驚いたように自らの主を見る。
なぜ、とめるのだろう。困惑するリヒトに、少年は氷蒼の瞳を向けて、言った。
「大切な者の想いを他人に語らせてはいけません」
「でも……どうしても、分からないんだ」
「なら探し続けなさい。貴女が悩み抜いて、見つけた答えこそが唯一の真実です。でないと、最後まで心を隠し通した貴女の弟が報われない」
それだけを告げて、伯爵は踵をかえす。途中、半身をひねって振り向いた少女が、慌てた様子で口を開いた。
「あの! わたしの答えは言えませんけど……アーベントさんはきっと、お姉さんを大切に思っていました! きっと……きっとそうですわ!」
確信に満ちた声が、折れ曲がった道の向こうへと消えていく。
手を振る少女のシルエットが闇に溶けて、再び、沈黙が流れた。
「……行こうか、リヒ姉」
隣を見ると、どこか心配したようなフォーゲルの顔があった。いや、全員が同じような表情を浮かべている。大事にされていることがよく分かる顔。――いままで、気付けなかった表情。
「うん……ごめんな。よろしく、頼む」
弟のことはまだ分からない。けれど、せめて自分を大切にしてくれる人たちの顔くらい、ちゃんと見ておこう。
そう思って答えると、気の良い仲間たちは、みんな安心したような笑みを返してくれた。




