表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/26

第3章 4話

【第三章 4】


 大気を揺らす爆発音に、レオンは足を止めた。

 発生源は、現在地の河原のすぐ近く。目と鼻の先で、白い煙がもうもうと舞い上がっている。

「あれは……」

 木々の向こうを見据え、ぽつりと呟いた。同じように立ち止まった軍人が振り返る。

「急ぎましょう。なにか事故が起きたのかもしれません」

 非常時でも冷静さを失わない声に、少年は頷くだけで返す。

 そのまま、二人は砂埃と火薬の臭いが漂いだした空気の中を、一斉に駆け出した。


 辿り着いた先には、まさに惨状と呼ぶにふさわしい光景が広がっていた。

 敷地内の土はあちこちに焦げをつくり、朽ちた壁を焼き尽くさんと紅蓮の炎が這う。

 かつて工場だった建物は、支柱のいくつかを残してほぼ半壊していた。

「これは、なんという……」

 さすがに驚愕を隠し得ない様子で、ヘルマンが唖然と声をもらす。しかし、すぐ我に返ると、急ぎ周囲を見回した。

 そこには、火の手を前にして立ち尽くす下士官たちがいた。

「おい、これはどういうことだ」

「は、ハッ! その、突然、建物の中から爆発が……」

「生存者の確認は」

「い、いえ、まだ行っておりません」

 しどろもどろになる若い兵士に舌打ちして、ヘルマンはレオンの方を振り向いた。

「自分は建物内の確認に行ってまいります。伯爵は安全な場所にてお待ちください」

 返事も聞かず、部下にいくつか指示を出した准尉は、炎の中へ駆け出して行った。

 長身の背中が、今にも崩れ落ちそうな建物に飲み込まれる。

 残された下士官たちは、貴族を誘導しようと少年の背中を押した。

「シュタインベルガー伯爵、どうぞこちらへ」

「……なるほど。僕を証言者に仕立て上げるつもりですか」

 少年が呟くと、よく聞き取れなかったらしい兵士が怪訝な顔をする。その側頭部に――鋭い回し蹴りが叩きこまれた。

「ぐ、っ……」

 濁音混じりの息を吐き出し、一撃で昏倒した青年が地に沈む。

「な、なにをなさるのですか!?」

 突然の凶行に、下士官たちが戸惑った声を上げる。

 色めきながらも身構える彼らを眺め、軽々と着地したレオンが瞳に嘲りの色を浮かべた。

 自身も迎撃の構えをとり、不機嫌そうに言う。

「――ヘタな三文芝居はもう見飽きました。まずは、飛び道具を持った生意気なサルの駆除から始めましょうか」


                  ◇


 鈍い痛みで、リヒトは目を覚ました。

 身体が動かない。覚醒した耳が、パチパチと火の粉の爆ぜる音を拾う。

 蒸し暑いのはこのせいか。見れば、遠くの壁を炎が囲んでいた。

 このままではナッターが調達してきてくれた火薬にまで引火してしまう。……そうなると、みんなが危ない。

 彼らは無事だろうか。自分が攫ってきた、あの使用人の少女も。

 なんとか頭だけ動かして、周囲を窺う。すると、ふらつくフォーゲルが例の少女を助け起こしているのが見えた。……ああ、無事なようだ。ビーネや、ヴァールも……他の者も、爆風に巻き込まれるのは免れたらしい。

「……リヒ姉!?」

 きょろきょろと何かを探していたフォーゲルが、倒れたリヒトに目を留めて愕然とした面持ちで叫ぶ。その声につられてこちらを見た者たちの顔から、一斉に血の気が引いた。

 そんなに酷い状態なのか。確認しようにも、そこまで首が回らないので自分の身体が見えない。ただ、肩から下に押し潰されそうな重圧を感じる。

 おそらく瓦礫の下敷きになったのだろう。ならば、もう助かるまい。

 早く退避しろと仲間に告げようとしたところで、リヒトは奇妙な光景を目にした。

 脇目もふらず、人質の少女が駆け寄ってきた。

 少女は、リヒトの上に乗る石材へと手を伸ばす。

「んぅうううううっ!」

 自身も傷を負いながら、それでも、彼女は伸ばした腕に力を込めた。

 だが、当然のように巨大な瓦礫は動かない。

「やめろ……無駄だ」

「や、めませんっ! 必ず、助けますわ!」

 炎が包囲する工場に爆音が響く。音が近い。火薬を保管する箱のひとつに引火したようだ。

 間もなく他の場所にも火が回るだろう。そうなれば、この廃屋は完全に崩れ落ちる。

「おい……もう、いいから……早く、あいつら連れて……逃げろ」

「いやですっ! 逃げるなら、リヒトさんもいっしょです!」

「なんで、だよ……お前には、関係、ないだろ……はやく、にげ……」

「逃げません!」

 顔を真っ赤にして、障害物を持ち上げようとする少女は大きく息を吸い込んだ。

「――乙女はっ、最後まで幸せになることをあきらめないのですっ!」

 外まで響くような大声で、叫ぶ。

 本当にこの娘はよく分からない。……けれど、勇ましいその声が、惨状に怯んでいた男たちを動かした。

「おい、そっち回れ!」

「一斉に持ち上げるぞ!」

「急げ! 引火する!」

 勢いを増した炎が、淀んだ空気を焦がす。屋内の温度は肌を焼きそうなほど上がっている。

 それでも、誰一人として危険な場所から脱出する気配はなかった。

「いくぞ……せーのっ!」

 掛け声と共に、瓦礫がゆっくりと動き始める。肺の中に熱された空気が流れ込んだ。身体の感覚はすぐに戻らない。けれど、押し潰されそうだった圧迫感はもうなくなった。

 やがて、巨大な石材は、仲間たちと少女の手によって完全にリヒトの上から取り除かれた。

「リヒ姉! 大丈夫か!」

「ああ……悪い。足が、動かない」

「こりゃ折れてやがるな……おい、動かさねぇように運ぶぞ! そこのデカイ板もってこい!」

 ヴァールの指示で、作業台だった木板がリヒトの傍に運ばれる。衰弱した身体を乗せた簡易の担架は、八人がかりで支えながら持ち上げられた。

 誰も先に逃げ出そうとしない。ゆっくりと寄りそいながら歩く仲間たちの中に、気遣うような少女の顔を見つけた。

 すまない、と。回らない口で、伝えようとした。彼女は標的ではない。傷つけるつもりのなかった者を傷つけるのは、リヒトにとって間違いだったから。

 けれど、謝罪を告げようとした声は、少女の笑みにかき消された。

「乙女の根性の大勝利ですわ」

 そんなふざけたことを言って、少女は笑った。

 不思議なほど優しいその眼差しが、弟の真っ直ぐな瞳と重なる。性格は似ていない。容姿だって、どこから見ても別人だ。なのに――

 ――不意に、担架の揺れが止まる。

「テメェ……なんのつもりだ! ナッター!」

 フォーゲルが声を荒げる。周りの仲間も、目に見えて身体を強張らせていた。

 僅かな人垣の隙間から見える光景に、リヒトは瞠目する。

 そこには、軍服を纏うナッターが仲間に銃口を向けて立っていた。

「運のいいヤツらだな。まさか全員が生きているとは」

 驚いたように、冷たい声が言う。

 彼は指先を引き鉄に掛けたまま……薄い唇を、歪に吊り上げた。

「だが、ここで終わりだ。帝国の未来の為、お前たちは死ね」


                  ◇


「このクソ野郎、軍に寝返ったのか!」

「いいや、俺は元から帝国軍の人間だ。お前たちには言ってなかったが、祖父が軍の幹部でな。目的を遂行する為、利用価値のある田舎の犯罪者集団に接触した。……俺が孤児だという作り話をお前たちが信じた時は、あまりの間抜けさに腹が捩れるかと思ったよ」

 嘲る声に、フォーゲルたちが殺気立つ。この場にいる誰もが、今にも飛びかからんばかりの怒気を滾らせていた。

 その姿を眺めて、長身の軍人はさらに歪な笑みを深める。

「なあ、不思議だと思わないか。そこで死にかかってる女やアーベントは、お前たちと違って、ずいぶん俺に気を許していただろう。だから今回の作戦も容易く乗った。何故だと思う?」

 挑発するような口調にも、ヴァールたちは動けない。

 ナッターという男の銃口は、さっきからずっと、横たわるリヒトに向けられていた。

「簡単な話だ。俺もアーベントと同じく『異能』を持っていた。その力で、リーダー格であるそいつらの心をコントロールしてやったんだよ」

 鈍く輝くライトブラウンの瞳に、愉悦が滲む。

「――俺の耳は、他人の『心の声』を拾えるんだ」

 周囲がにわかに浮足立つ。それは、信じ難い独白への動揺だろう。

 黙ったままのマーガレットも周りと同じような表情を浮かべている。

 アナスタージアは、異能とは現存するものに働きかける力なのだと言っていた。

 心のように存在が不確かなものを読み取る能力など、本当にあるのだろうか? 伯爵ならなにか知っているのかもしれないが、異能に詳しくもない少女はただ驚愕するしかなかった。

「予想通り、ヴァールは疑うか。フォーゲルやビーネも。リヒトは、まだ信じられないようだな。聡明だと思っていた弟も一緒に騙されたのだから無理はない。……そこの女は異能の知識を少し持っているのか。しかし、認めろ。これが俺の力だ」

 誰かの息を呑む音が聴こえた。

 本当にナッターは心を読んでいる。それを、たったいま自ら実践してみせたのだ。

 驚愕の気配を漂わせたまま、フォーゲルたちの動きがさらに硬くなる。

 頭の中を覗かれては、どんな奇襲であろうと成功しない。ましてや相手は銃を持っている。迂闊に動けば、ナッターの恰好の的になるだけだ

 緊迫する男たちの背後で三度目の爆発音が響く。崩壊の時間は、すぐそこまで迫っていた。

「お前ぇ、目的があって近付いたとか言ってたな。……その目的ってのはなんだ」

 ヴァールが険の滲む声で尋ねると、軍人は大仰な素振りで両手を広げた。

「今の帝国は脆弱だ。それも全ては無能な皇帝が王位に就いた為。この国の頂の座は、誇り高き皇弟おうてい殿下にこそ相応しい。故に、我々はクーデターを起こすことでブラウリーゼの衰退を露見させ、真の王とは誰であるかを全国民に知らしめる。アーベントの能力は、そういった意味では非常に利用価値が高かった。お前たちの存在も国家再興のスケープゴートとして足しになる。……だが、あの間抜けな異能者は浅はかな情に溺れて死んだ。もう少し役に立ててから、お前たちと共に処刑してやるつもりだったんだがな。残念だよ」

 やがて、自動式の凶器が再び前を向く。

 誰もがその銃口を悔しそうに睨みつけていた。

「無能なお前たちにも役割はある。発電所を爆破したテロリストとして、真の帝国民である我々の犯行を肩代わりして死ぬんだ。お前たちの安い命が新たな帝国の一歩となる――どうだ、ぬるい小悪党には破格の扱いだろう?」

 爬虫類じみた笑みを浮かべ、ナッターが拳銃の位置を定める。

 彼からリヒトを守ろうと壁になる男たちを掻きわけて、少女は人垣の先頭に歩み出た。

 制止の声が聞こえる。けれど、マーガレットは足を止めなかった。

「なんの真似だ、小娘」

「彼らはたしかに過ちを犯しました。それは、きちんと償うべき罪だと思います」

 震える膝を押さえつけ、キッと顔を上げる。

「――ですが、それはあなたたちも同じです! 自分の罪から目を背ける者が、より良い国などつくれるはずがありません!」

 その翡翠には明確な怒りが滲む。

 怯えながらも視線を逸らさない少女の額に、薄ら笑いを浮かべる軍人が照準を合わせた。

「新興貴族の使用人風情が偉そうに……なら、お前から死ね」

 引き鉄にかけた指が動く。この距離で外すことはまずないだろう。

 それでも、マーガレットは逃げない。

 ――こんなヤツに屈するのはイヤだ。絶対に、許したくない。

 金属の擦れる音がする。――「死」が、そこまで近付いていた。

 少女は瞳を固く閉じて、唇を引き結んだ。

 軍人の表情が狂気に歪む。

 獲物の恐怖を味わい尽くすような時間の果て。大きな爆発音が、空気を切り裂いた――


「サルの分際で人様の所有物に銃を向けるとは……飼い主の躾がなってませんね」


 凍えるような絶対零度の声に、マーガレットは顔を上げる。


 ――そこには、左の拳を振り抜いたレオン・シュタインベルガーが立っていた。


「なっ!?」

 武器を弾き飛ばされた軍人が、こぼれ落ちそうなほど目を見開いた。

 殴られた右手を押さえ、慌ててその場から後退する。

「何故、お前がここに……外の兵士はどうした!」

「あの程度の雑魚が足止めになるとでも? ――一人残らず眠らせました。次はお前です」

 平然と答えて、美貌の少年が焦るナッターを睥睨する。

「ど、どういうことだ……お前は、完全に騙されて……」

「騙す? ずっと疑ってましたよ。お前が、アホ面さげて僕の前に現れた時から」

 少女のように瑞々しい唇から嘲笑がもれる。他者を見下すことに慣れた、傲慢な笑みだ。

「准尉、僕の屋敷で物盗りの男を捕まえた時、なぜ『警察に身柄を引き渡せ』などと口走ってしまったんです? ……ウチの使用人を攫ったグループの一員かもしれないのに」

 最後の一言で、軍人が顔色を変える。

 青褪めた表情は、彼の驚愕を克明に物語っていた。

「それ、は……」

「ああ、安心してください。疑ったきっかけはそれだけではありません。言ってましたよね。研究所の所長から僕の話を聞いた、と。……誰のことでしょうか? 僕に研究所の知り合いなんていませんが」

 相手を虚仮にしたような声は止まない。一切の容赦なく、レオンが敵を追い詰める。

「馬鹿な! アナスタージア・クラウは、お前を知り合いだと言っていた!」

「たしかに彼女とは知り合いですね。しかし、あの女狐は僕と同じ特務機関の主任です。研究所になど所属していません」

「な……っ!」

「最初から玩具にされていたんですよ、お前は。おかげで屋敷を出る前に女狐と連絡を取ることができました。ドミニク・ヘルマン准尉は陸軍宮廷近衛隊所属。今回の指揮を執ったのは近衛の司令官ですか。能力名『読み取るリーディング・ドラム』の異能持ち。……本質が『虚栄』の准尉にはピッタリの力ですね。そんなに自分への評価が気になりますか?」

 コートのポケットから紙片を取り出したレオンは、ひらひらと目の前で振ってみせた。

 そこに何が書いてあるのか、マーガレットの位置からでは見えない。けれど、アナスタージアからもたらされた様々な情報が記されているのだろう。

 揶揄する言葉で状況を理解したらしい軍人は、顔を激しい怒りで染めていた。

 そこに、さっきまでの狡猾な知略家の面影はない。

「このクソ餓鬼……調子に乗りやがって!」

 罵声を吐いて、軍服の懐に手を入れる。再び現れた掌には、もう一丁の自動式拳銃が握られていた。

「サイドアームですか。準備のいいことで」

 至極、煩わしそうに呟いたレオンは、左の手袋を外す。

 見えたのは鈍い輝きを放つ肌。彼の一言で、灰銀の表皮が岩のように隆起する。

 ――異形の細胞を飼い馴らした『不壊の腕』。

 物理干渉の可能なモノに絶対不壊を誇る左腕が、銃口に向けて構えられた。

「……どうしました、撃たないんですか?」

 射線上に迎撃の姿勢を取ったレオンが冷静に尋ねる。

 いくら頑強な鎧を持つとはいえ、それは左腕の一部に限定された条件だ。飛び道具の方が有利であることにかわりはない。

 しかし、軍人の表情は精彩を欠く。それどころか、怯えたように青褪めてさえいた。

「な、何故だ…………何故、心の声が読めない。それに、この雑音はなんだ……?」

 愕然と、声をもらす。まるで幽霊を見たとでもいうような反応に、少年は冷やかな視線を向けた。

「なにか勘違いしているようですが、お前が読み取るのは心ではなく『思考』です。いくら脳の電気信号を傍受しようと、使用する言語が理解できなければ意味はない……今、僕は独自の暗号で思考しています。他人の頭を覗ける程度の力で僕に挑むなど、百万年早いですよ」

 吐き捨てて、レオンは地を蹴った。

 焦った軍人が引き鉄をひく。しかし、放たれた弾丸は、呆気なく異形の腕に弾かれた。

「――文字通り、己の愚行を死ぬほど後悔させてあげましょう」

 冷酷な宣言に、短い悲鳴がつづく。

 恐怖に歪んだ顔へと、人外の拳が突き刺さる。

 しなやかに、鮮烈に。重く凶悪な一撃が、長身の軍人を軽々と吹き飛ばす。

 二度、バウンドした身体は、砂袋のような音をたてて床に崩れ落ちた。

 完全に意識を刈りとった敵にはもう見向きもせず、腕を一振りして汚れを払ったレオンは、不機嫌そうな顔で背後を振り向いた。

「伯爵……」

「まったく。勝手に屋敷を飛び出したあげく攫われるとは、間抜けもいいとこですね」

 呆然としたままの少女に、いつも通りの毒舌が降り注ぐ。

 しかし、その場に座り込んだマーガレットは、何も言い返せなかった。

「いつまでそうしているつもりですか。さっさと脱出しますよ」

「あ、あの……伯爵、その、ですね……」

 もごもごと口ごもる従者に、主は怪訝そうな表情を向けた。その珍妙な物体を見るような目付きにも、マーガレットはやっぱり反抗しない。なぜなら、

「その……実は、さっき撃たれかけた時に、腰が抜けてしまいまして……」

 ……レオンに運び出してもらわないと、この場で焼け死んでしまうから。

 遠目に眺めていたフォーゲルたちが何やら脱力しているが、構っていられない。

 少女は媚びるような視線で、必死に「置いていかないで」とアピールした。


                 ◇


 廃工場の外は、すでに夜が満ちていた。

 帝都郊外の暗闇を、燃えさかる炎が煌々と照らす。

 ふいに、廃墟の中で大きな爆発が起きる。雷鳴のような轟きを最後に、朽ちかけた建物は完全に崩れ落ちた。

「……っぶねー。危機一髪だったな」

 身構えたフォーゲルが、呆けた顔で呟く。リヒトが周囲を見渡すと、ただ一人を除いて、みんな同じような表情を浮かべていた。

 その例外である少年が、やけに不機嫌そうな視線をリヒトに向ける。

「それで、貴女たちはこれからどうするんです? もうすぐ消防隊や警察が到着する頃だと思いますが」

「どうって……警察につき出さないのか?」

「嫌ですよ、面倒くさい」

 こともなげに、シュタインベルガー伯爵はそう言ってのけた。

 さすがに驚いたのか、冷静沈着なはずのヴァールが目を剥く。

「俺たちはお前ぇを殺そうとしたんだぞ?」

「はぁ。貴方がたごときにこの僕を殺せるとは思えませんが……まぁ次に何かしてきたら潰してあげますよ。それ以外は好きにしなさい。他の貴族がどうなろうと、僕の知ったことではありません」

 まるで興味もなく言い捨てて、自宅へ帰ろうとする。その背中には――顔を真っ赤にした使用人の少女がいた。

 よほど恥ずかしいのか、紅潮した顔を伏せて誰とも目を合わせようとしない。

 それに比べて、少年は何も気にしていない様子だ。背負う時こそ凄まじくイヤそうな顔をしていたものの、今では平然とそのまま帰宅しようとしている。

 ……帝国中のどこを探しても、使用人を背負う貴族などいないだろう。

 あまりにも奇妙な主従の二人に、仲間たちも不思議そうな視線を向けていた。

「あとは自首するなり逃げるなり、自分たちで決めてください。それでは」

「待ってくれ」

 思わず、リヒトは少年を呼び止めていた。怪訝そうな顔が振り返る。

 ――どうしても、彼女に聞きたいことがあった。

「爆発が起きる前、お前は何か言いかけていただろう? それが私の弟に関することなら、教えてくれないか。……頼む。それさえ分かれば、私は……もう、どうなってもいい」

 背負われた少女に懇願する。仲間たちが、一様に息を呑んだ。

 けれど、本心だった。いま、それ以外に欲しいものは、何ひとつない。

「それは……」

「やめなさい」

 応える言葉を、伯爵が遮った。少女は驚いたように自らの主を見る。

 なぜ、とめるのだろう。困惑するリヒトに、少年は氷蒼の瞳を向けて、言った。

「大切な者の想いを他人に語らせてはいけません」

「でも……どうしても、分からないんだ」

「なら探し続けなさい。貴女が悩み抜いて、見つけた答えこそが唯一の真実です。でないと、最後まで心を隠し通した貴女の弟が報われない」

 それだけを告げて、伯爵は踵をかえす。途中、半身をひねって振り向いた少女が、慌てた様子で口を開いた。

「あの! わたしの答えは言えませんけど……アーベントさんはきっと、お姉さんを大切に思っていました! きっと……きっとそうですわ!」

 確信に満ちた声が、折れ曲がった道の向こうへと消えていく。

 手を振る少女のシルエットが闇に溶けて、再び、沈黙が流れた。

「……行こうか、リヒ姉」

 隣を見ると、どこか心配したようなフォーゲルの顔があった。いや、全員が同じような表情を浮かべている。大事にされていることがよく分かる顔。――いままで、気付けなかった表情。

「うん……ごめんな。よろしく、頼む」

 弟のことはまだ分からない。けれど、せめて自分を大切にしてくれる人たちの顔くらい、ちゃんと見ておこう。


 そう思って答えると、気の良い仲間たちは、みんな安心したような笑みを返してくれた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ