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第3章 1話

【第三章 1】


 「これは夢だ」と、唐突に理解できてしまう瞬間がある。

 マーガレット・ヴァレンタインにとって、それは決まって両親がいた頃の夢だ。

 場所はブラウリーゼの隣にあるフロライナ王国。小さいけれど、その歴史は大陸で二番目に古い。科学の発展も目覚ましい現代において、国民が幽霊や黒魔術なんてものまで古き良き伝統として愛してしまう、少し変った気風を内包する国。

 その南端の辺境の地に、没落しかけのヴァレンタイン子爵家はあった。

 貴族でありながらエネルギー分野の学問に傾倒する変人の父と、そんな彼に一目惚れして名家である実家を捨てて嫁いできたという、これまた変わり者の母。

 貴族社会から明らかに浮いた二人は、異能を持って生まれた娘をとても可愛がってくれた。

 小さな領地では数少ない住民たちとも仲が良く、みんなで協力しあって農作業を手伝ったり、季節が巡るごとに王都で行われるバザーの準備をしたりと、忙しい日々を過ごしていた。

 貧しいけれど、幸せな暮らし。

 両親は将来のことを考えて何度か娘を王都のダンスパーティーに連れて行ったものの、マーガレットは社交界特有の華やかな雰囲気にまったく馴染める気がしなかった。騒がしい村のお祭りの方が、よっぽど楽しいと思った記憶がある。

 いつまでも続くと思っていた平穏な生活は――しかし、ある日突然に終わりを告げた。

 ……優しかった父が、最愛の妻を刺し殺して自らも命を絶ったのだ。

 当主の不祥事により子爵家は取り潰し。その上、父が膨大な借金の保証人になっていたことが判明する。携わっていた研究が成功すれば返済できるはずだったというそれは、とても十四になったばかりの小娘が払えるような金額ではない。

 残された娘は、両親を亡くして一ヶ月もしない内にその身一つでの逃亡を余儀なくされる。

 仲の良かった領民たちが協力してくれて、何とか国境は越えられたものの、ブラウリーゼに入ってすぐの町で、マーガレットは呆気なく金貸し業者の手先に捕まった。

 格子のついた牢のような荷馬車に積まれ、そのまま斡旋屋の元へ向かうことになった。

 なんでも「商品」は若ければ若いほど高値で売れるらしい。娼館を訪れる客の中には、幼い女の子が好みだという気持ち悪い男もいるそうだ。

 他にも、元子爵令嬢の肩書で値を吊り上げられるだの、顔立ちや身体つきが幼いから二つか三つはサバを読めるだのと、男たちはこれみよがしに語っていた。

 ……しかし、マーガレットの耳にはそれらの下卑た会話はまったく届かなかった。

 思い出されるのは、自宅の光景。大量の血液を浴びたソファー、散乱した家具。血の気を失くして、真っ白になった両親の――――


 ――慌てて、眼を開いた。


 呼吸の乱れが激しい。息苦しさを感じて、ベッドの上で身体を起こす。

 視界いっぱいに広がるのは、真っ黒な部屋。僅かな月明かりが差し込む大きな窓。

 ここが生まれ故郷ではないとすぐ認識できるようになったのは、つい最近のことだ。それまでは現実と夢の区別がつかなくて、よく真夜中に取り乱していた。

 心を落ち着けるように、大きく息を吐く。悪夢から解放された身体は、ぐっしょりと汗で濡れていた。肌に張り付く下着やパジャマの感触が気持ち悪い。

 ベッドを抜けて、手早く着ているものをぜんぶ脱いだ。タオルで全身を拭い、新しい下着と寝間着をチェストから取り出して袖を通す。もたもたしていると、この寒さでは汗が冷えて風邪をひいてしまう。ブラウリーゼの冬への対応も、最近ではずいぶんと慣れたものだ。

 ついでにこの悪夢にも慣れればいいのだけれど、現実はそう簡単ではない。

 普段は気を張っているので平気だ。でも、無防備な夢の中ではどうしても弱い部分を晒してしまう。

 ふいに懐かしい両親の顔が浮かんできて……マーガレットは大きく首を振った。

 弱気になってはいけない。自分は、名誉ある子爵家の娘なのだ。苦しい時でも潔く、しゃんと前を向いていなくては。

 気を取り直した少女は、再びベッドに潜り込んだ。

 夜明けはまだ遠い。あまり眠くはないけれど、少しでも身体を休めておこう。寝不足でミスなんかしたら伯爵の過酷なお仕置きが待っている。ごはん系の罰はイヤだ。心が餓死する。


 目を閉じて、眠気のおとずれを待つ。

 深い深い闇の中。ようやくやって来た微睡みに身を任せたマーガレットの脳裏に、ふと、いまも解決していない疑問が浮かんだ。


 ――なぜ、お父様はあんなことをしたんだろう?


                    ◇


 投資先への定時連絡に、必要書類の作成、整理。その他もろもろの仕事をこなして、レオン・シュタインベルガーは午前の休憩をとっていた。

 機関から請け負う任務以外に、彼はいくつかの事業に携わっている。

 父の遺産は人生を二十回やり直せるくらいの額を残しているが、その上で胡坐をかくつもりは毛頭ない。マーガレットの借金返済も、個人の資産を崩して肩代わりしたものだ。

 「誰かに生かされるのは気に喰わない」そんな心が聞こえてきそうな、『傲慢』を核に持つレオンらしい態度だった。

 もうじきカルミアが珈琲を淹れて持ってくる時間だ。それを待つ間、レオンは机の隅に投げ出していた新聞を広げて読みはじめた。

 紙面には、『帝国議会に亀裂。広がる派閥争いの溝』だの『旧帝国第一発電所爆破事件、手掛かりは未だ掴めず』だのといった陰鬱な記事が並んでいる。いくら平和な世の中になろうとも、この手の話題は後を絶たない。みだりに異能力を疑う記事が出回らないのは国家からの圧力だろう。帝国にとってデリケートすぎるその問題は、為政者たちに厳しく管理されている。

 ……ふと、妙な引っかかりを覚えたレオンが記事を眺めていると、部屋の中にノックが響いた。顔を上げ、事務的な声で許可を出す。

 扉を開けて姿を現したのは、トレーを手にしたマーガレットだった。

「カルミアさんはどうしたんです?」

「たまにはわたしが給仕しようと思いましたの。それと、朝から仕込んだお菓子ができましたので、よければ召し上がってください」

 にこにこといやにご機嫌な様子で、珈琲と件の菓子を机に並べていく。

 レオンの前に置かれたそれは、焼きたての甘い香りを漂わせるシナモンロールだった。

 ……ただ、ロールと呼ぶには、形がやけに算用数字の「9」と酷似している。

 歪な菓子を凝視したまま手をつけない少年を見て、マーガレットが慌てて口を開いた。

「あ、あれですわよ? 形は、ほら、このちょっと飛び出した部分がサクッとなるように計算したものですわ。すごい新食感! ひと粒で二度美味しい新たな境地を開拓したのです!」

 数字の先端をちょんちょんと指差して、冷や汗を浮かべた少女が力説する。

 なぜ、そこまで頑なにミスを認めようとしないのだろう。彼女の料理の腕が壊滅的なのは、周知の事実だ。今さら守るべきプライドがどこにあるというのか。

「……僕はいりませんよ」

「えっ」

「当たり前でしょう。僕は甘いものが苦手ですし、そもそも毒と分かっている代物を口にする馬鹿がどこにいるというんです?」

 冷たく言い放って、珈琲に手を伸ばす。

 彼女は今までまともな料理を作ったことがない。なら事前に回避するのは当然の判断だ。

 なぜかこの使用人はちょくちょく無謀な挑戦に乗り出すのだが、その実験的な試みに付き合う義務もレオンにはない。どうせ、今回も塩と砂糖を間違えるとかいう、お約束のオチでも準備されているのだろう。

 面倒くさいが、何度か正論を突き付ければおそらく引き下がる。

 いつもの流れだ。そう思いながら前を向いたレオンは、ギョッと眼を見開いた。

 ――唇を引き結んだマーガレットの瞳には、大粒の涙が溜まっていた。

 呆気にとられた雇い主を、半泣きの少女がキッと睨みつける。

「……毒とか! なにもそこまで言わなくてもいいじゃありませんか! この人でなし! 女顔! キチク白髪ぁぁぁぁああああああああっ!」

「――ブチのめしますよ。こら、待ちなさい!」

 制止の声も聞かず、マーガレットは全速力で逃げ出していく。

 荒々しく扉を開け放つ音が響き、後には尾を引く絶叫と、立ち上がろうとしたレオンだけが取り残された。

「なんなんですか、あのバカ女中は……」

 舌打ちを一つ。浮かしかけた腰を、乱暴に大きな椅子へ下ろす。しばらく苛々と剣呑な光を浮かべていたアイスブルーの瞳が……ちら、と机上のシナモンロールに向けられた。

 表情は不機嫌そのもの。けれど、その眼差しにはどこか複雑な感情が滲んでいるようにも見える。

「後悔しているのなら、あやまった方がいいと思いますよ、旦那様」

 やけに間延びした声が廊下から聞こえた。

 部屋の中を覗き込んで話しかけてきたのは、侍女のカルミア・レコードである。

「僕は危機を回避しただけです。後悔などするはずがありません」

「あら、そうですか? 申し訳ございません。お姿が悔やんでいるように見えましたので」

 穏やかな微笑を浮かべたまま、カルミアは自然に頭を下げる。

 その姿に、レオンは眉間の皺を深めた。

「では、そのシナモンロールはお下げしてもよろしいでしょうか? 朝早くからメグちゃんが丁寧に下準備していて、残すのはもったいないのでカルミアが代わりに頂きます」

「……」

「旦那様に喜んでいただこうと甘さも控えめにしていたようなので、とても残念です。彼女、これだけは唯一自信があるお菓子だと言って、頑張っておりましたから」

 侍女は淡々と言葉を紡ぐ。おそらく主が頷くまで、チクチクと笑顔で責め続けるのだろう。普段は穏やかで控えめな性格だが、レオンの知る人間の中で怒ったカルミアは最もタチが悪い。こうも笑いながら雇い主を刺し続ける人間など、そうそういないはずだ。

 レオンは溜め息をついて……諦めたように両手をあげた。

「……帰ってきたら謝罪します……これでいいですか」

「さすがは旦那様。寛大なお心づかいに感謝いたします」

 どこか疲れたような雇い主を前に、侍女は笑顔でそう言ってのけた。





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