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第2章 3話

【第二章 3】


 歌劇場から徒歩で五分ほどの場所に、フォレスト家の屋敷はある。

 人気の作家と女優夫婦の住居だけあって、貴族のそれに劣らぬ豪華な佇まいだ。

 まだ新しい邸宅の扉を潜ると、マリアはすぐに建物中の明かりを全て点けて回った。

「じきに電熱器ヒーターが利きだすから、しばらく寒いけど我慢してね」

「お気遣いなく。それより、使用人は雇わないんですか?」

「ええ。主人が人嫌いなもんだから……おかげで掃除が大変なのよ」

 客人である少年が尋ねると、マリアは溜め息まじりに呟いた。

 そう思っていた過去の自分の『記憶』がある。だから、答えはこれが正しい。

 手探りでも決して不自然になることがないよう、マリアは細心の注意を払っている。

 質問した少年、医師の補佐であるというレオン・シュタインベルガー伯爵は、特に疑う素振りも見せず、労いの言葉をかけた。

 こっそりと肩の力を抜いて、息を吐く。

 たとえアナスタージアの知人とはいえ、油断はできない――してはいけないと、本能的な部分が告げていた。

 なぜそう思うのかは分らない。

 彼は大人びた雰囲気を持つ美しい少年だ。しかし、それだけ。これといって危険を匂わせるような要素は、これまで一つもなかったというのに。

 どこかで彼の名前を聞いた気もするが、マリアはそれも思い出せない。

 ……まったく、どうかしている。

 びくびくと見えないものに怯えて。こんな態度はまったく『歌姫』に似つかわしくない。

「あの、顔色が優れないようですけど、お身体がつらいのですか?」

 立ち止まったマリアに声をかけてきたのは、伯爵の従者であるという少女だ。

 飛びぬけて美人というわけではないが、愛嬌のあるかわいらしい顔立ちをしている。

 主に対してこちらの使用人はどこか好感が持てる。相変わらず理由は分からないが、なんとなく近くにいると気が安らぐのだ。

「……ええ、大丈夫よ。ありがとう」

 微笑んで、気遣いに礼を言う。

 いずれにせよ、こんな子供に心配されたとあっては看板女優の名折れだ。

 子供の頃、自分が憧れたかつての名優たちは、みんな高潔な顔をしていなかったか。

 胸中で己を叱咤したマリアは、毅然とした表情を作り直して顔を上げる。

「先にシャワーを使わせてもらうわね。診察は、その後でもいいかしら?」

「ああ、構わないよ。ゆっくりしてくるといい」

 アナスタージアの許可を得て、客人たちをリビングに通したマリアは、部屋を後にする。

 自分の屋敷で行動にいちいち許可を求めるのも変な話だ。以前の自分は、こんな時どうしていたのだろう?

 ……ああ、思い出せない。

 けれど、しゃんとしなくては。

 自分は女優、「マリア・フォレスト」なのだ。その名に泥を塗る言動があってはならない。

 堂々と胸を張り、しっかりとした足取りで廊下を進む。ついさっきまで無人だった屋敷は、まだ冬の寒気が蔓延して肌を刺すように冷たい。だが、それもじきに暖かくなるだろう。寒がりの夫が屋敷と共に購入した最新の電熱器は、値段に見合うだけの働きをしてくれる。

 そういえば、夫はまだ帰っていないのだろうか。人嫌いの彼は、舞台の後も仲間たちと酒場に繰り出すことなく、真っ先に家へ帰ってくるはずなのに。

 記憶があやふやなマリアの浮かべた疑問は、やはり、明確な答えを得ることはなかった。


                  ◇


 リビングに残された三人は、無言のまま、革張りのソファーに腰掛けていた。

 誰も口を開かない。せめてお茶でもあれば気まずさも和らぐのだろうが、家主のマリアにそこまで気を回す余裕はなかったようだ。手持ちぶさたのマーガレットは、仕方なく部屋の中に視線を向けつつ……チラチラと雇い主の様子を窺っていた。

 さっきからどうも落ち着かない。レオンはいつもと変わらず無愛想な表情を浮かべている。なのに、どうしてこんなに自分の胸はうるさくなるのか。

 その整った横顔を見ていると、頬が赤くなっていくのが自分でも分かる。これでは彼を見かけてはしゃぐ令嬢たちと同じだ。

 「慎み深い淑女」を自認するマーガレットにとって、この状況はあまりよろしくない。元子爵家の娘として、恥ずかしい行動をとるわけにはいかないのだ。

 それに、伯爵も群がってくるような女の子を嫌っているようだし……。

「なんです? さっきから珍妙な顔で人を眺めまわして」

 ……どうやら覗き見はバレていたらしい。

 完全に隠せているつもりだったマーガレットは、大いに慌てふためいた。

「なっ、なんでもありませんわ!」

「言いたいことがあるなら早く言いなさい。こちらも塩の準備をしなくてはなりません」

「なんでいつも罰が夕飯に直結するんですの!? ていうかそれ自由な発言を許されてませんわよね!」

 思わず叫ぶと、うるさそうに顔をしかめられた。

 おかしい。自分は決して間違ったことを言っていないはずなのに。

 釈然としない思いを抱きつつ、マーガレットは顔を俯けた。

 こんな状況でも彼に嫌われていないか気になる辺り、いよいよ覚悟が必要なのかもしれない。

 ――マーガレット・ヴァレンタインは、レオン・シュタインベルガーのことを……。

「いやぁ、君たちは相変わらず仲が良いね。実に馬鹿馬鹿しくて愉快だよ」

 クスクスと笑う声に、少女の意識は現実に引き戻された。

 見れば、向いのソファーに腰掛けたアナスタージアが、唇を歪めて主従を眺めている。

「性根のついでに眼球も腐りましたか、ドクター?」

「性格に関して君にだけは言われたくないねぇ。視力は良い方だよ。常人の倍はよく見える」

 揶揄を返されたレオンが小さく舌打ちする。

 どうやら彼の機嫌は悪化の一途を辿っているようだ。

 ここは自分が空気を和ませるべきではないだろうか。と、やや下心の滲む考えがマーガレットの脳裏をよぎる。

「あの……ひょっとして、マリアさんは記憶喪失なのですか?」

 恐る恐る尋ねると、アナスタージアが、おや、となにやら意外そうな顔をした……かと思えば、すぐにからかうような笑みを浮かべる。

 それがまるで浅ましい内心を見透かされたように思えて、少女の頬は赤くなった。

「そうだね。ただ、彼女の症状は通常の記憶障害とは少し異なる。逆向性健忘とよく似ているんだけどね――マリア・フォレストは、自己の認識が出来ないんだ」

「自己の認識、ですか?」

「ああ。要因はおそらく部分的な記憶の欠落なんだが、どうも彼女は自分という人間を過大評価しているきらいがある」

「そうでしょうか。そんな人には見えなかったのですが……」

 マーガレットは首を傾げた。

 自己評価が高い人間なら、もっとレオンのように尊大な言動をとるのではないだろうか。

 とても彼女がそんな内心を隠しているとは思えない。

「精確には、『女優としての自分』への評価だがね。誰しも理想の自分像というものを持っているものさ。彼女の場合、その偶像に対する憧憬が強すぎるんだ。よって記憶が欠損して過去が揺らいだ現在、思い描いた理想の姿を現実のものと認識し、結果、現実のマリア・フォレストとの乖離が進んでしまった……その思い込みのおかげで元から評価の高かった演技が突き抜けたのは、彼女にとって幸運な偶然だったのかもしれないがね」

 アナスタージアの説明を、少女は黙って聞いていた。

 自分を自分と認識できない人が得る高い評価は、果たして嬉しいものだろうか。

 それがどうしても肯定できず、マーガレットは眉尻を下げる。

「貴女が絡んでいるということは、原因は異能なんでしょう?」

 そう言って、さっきまで沈黙していたレオンがソファーから立ち上がる。

 手には大きな革製のトランクがあった。一見、旅行用の鞄に見えるそれは、内装に『偽石』を収容するための特殊な加工を施したものだ。

「おそらくは、ね。彼女から相談を受けたのがつい最近で、まだ特定しきれていないんだ。君も知っているだろうけど、無自覚の異能者は診断が難しいんだよ。下手に力を遣わせようとすれば心を喰い尽くされる可能性があるからね」

「――それで、特定は出来ましたか?」

 尋ねる声は冷えきっていた。

 企みがあったことを決めつけるような口調に、元医師は悪びれもせず笑って返す。

「ああ。大体のところはね」

「ならさっさと処置してください。それが貴女の仕事でしょう」

 吐き捨てるように言い置いて、レオンはリビングの出口へと進む。

「ど、どこへ行かれるんですの?」

「仕事ですよ。家主が戻る前に『偽石』を回収します」

「あ、で、でしたら、わたしも一緒に……」

「いえ、結構です。保管場所の予測はついているので」

 すげなく告げた銀髪の少年は、振り返りもせず部屋を後にする。

 大きな木製の扉が閉まる音。それが関わりを拒絶されたように聴こえて、マーガレットはがくりと肩を落とした。

「うぅ……わたし、伯爵に嫌われてるんでしょうか……?」

「んー。それはないと思うんだがねぇ」

 ソファーに深く腰掛けたアナスタージアは、面白いものを見る目でへこたれる従者を眺めた。

「レオン君のことが気になるかい?」

「え!? あ、そ、それは……」

 率直な質問に、初心な少女は真っ赤になった顔を上げる。

 気になるかと問われれば、今の答えは是だ。けれど、その理由が分からない。

 昨日までは何ともなかった……なかった、はず、だと思う。

 レオンはいつも嫌味ばかりで、少しの失敗にもすごく厳しい。気も短いし、すぐ不機嫌になる。偉そうで、横暴で、傲慢な人。

 ……だけど、本当に危ない時は助けてくれる。

 屍鬼や異形の細胞と闘うためにたくさん努力をしたのだと思う。そういう苦労を、他人には一切みせない人だ。

 なにより、彼は人買いに売られかけた自分を救いだしてくれた――。

 ……気がつけば、マーガレットは自然と首を縦に振っていた。

「ふむ。やはり君は興味深い子だね」

 ぽつりとアナスタージアが小さな声で呟く。

 首を傾げる少女には構わず、元医師は楽しそうに口を開いた。

「安心したまえ。彼はマーガレット君を特別だと思っているよ」

「え、え? そうなのですか!? ……な、なんで?」

「彼は君の能力を珍しいと認めているだろう? 本質が『傲慢』である人間なら、それは本来ありえない。君たちは相反する方法で異形の細胞に抗っているんだ。それを、形はどうあれ認めるということは、その人間を特別と認めたのと同義なんだよ」

 説明してもらったものの、読解力の乏しい少女には今ひとつ意味が理解できない。

 そもそも透視能力なんてものがそこまで珍しいだろうか? マーガレットにとっては、伯爵のように腕が変化するほどの異能の方が、よっぽど希少性が高いように思える。

「君たち二人の本質は、全く真逆の性格を持つものだ。『傲慢』は外界に対してポジティブ、『小心』はネガティブ。どちらも等しく負の欲求を生じるけれど、受動的な本質は自己防衛を欲するためにその衝動がとても強くなる。つまり、傷つくことを恐れて異能の力に依存する傾向が強くなるんだ。……なのに、君は自分のために能力を遣わない。それどころか、傷つくことが分かっていても人のために行動しようとする。そんな受動の異能者を私は今まで見たことがない。レオン君のように己をあらゆる面で研ぎ澄まして負の欲求に抗う異能者からすれば、君は異質な存在なんだ。それを認めて傍に置くのなら、多少なりとも特別に感じているということではないかと、私は推測するね」

 いつになく饒舌な異能の研究者は、そう結論付けて説明を締めくくった。

 やはりマーガレットには難しい部分が解らなかったけれど、とにかく自分が変わっていることは分かった。

 しかし、喜んでいい内容なのかは微妙だ。「特別」という言葉に期待していたのは、そういう意味ではなかったのだけれど……。

 なんともいえない表情で押し黙る少女と、いつもと同じ微笑を湛えたドクター。

 二人はそれきり口を開くことなく、リビングに乾いた沈黙が下りる。静かになった部屋の中には、アンティークの柱時計の時を刻む音だけが、コツコツと断続的に響いていた。


 ――ふいに、マーガレットは奇妙な音を聴く。


 頭の中へ直に打ち込まれたような言葉に従い――少女は、ソファーから立ちあがった。


                 ◇


 目的の部屋に辿り着いたレオンは、とりあえずといった様子でドアノブを回す。硬い手応えが返ってきた。どうやら、鍵がかかっているようだ。

 ここはすでに使われていない部屋――自殺した当主の自室である。鍵をかけているということは、彼の死後、誰もここに出入りしていないのだろうか。

 微かな違和感を覚えつつ、レオンはポケットから折り曲げた針金を二本取り出した。

 室内の扉だからか、錠前の型は古い。これなら十数秒で開けられる。

 『冒険家なんてものは泥棒と変わらん』とは、冒険家だった父の言である。

 海底に沈んだ古代文明の遺跡に持主の許可もなく侵入し、宝はないかと勝手に探し回る。グラウンドライトをエネルギー源としていたのは古代人も同じで、廃墟の中から貯蔵された大きな輝石が発見されることもままあったのだ。

 持主の許可といっても、該当する人物と連絡をとるのは物理的に不可能なので、鍵のついた場所には解錠技術を駆使して押し入るしか手段がない。

 未知の技術が眠る遺跡の破壊は国際法で禁じられているため、海中で潜水服での作業を強いられる冒険家たちは、必然的にその解錠スキルを磨かねばならなかった。

 レオンの父も練習用として五百を超える鍵のサンプルを持っていた。屋敷の地下に眠るそれらを全て解いたレオンにとって、一般家屋用の鍵など無いのと同じ。細い金属の棒二本を差し込まれた鍵穴は、抵抗する暇も与えられず役割を終了させられた。

「これは……」

 暗い部屋の中に足を踏み入れると、思わず声がもれた。

 売れっ子だった作家の自室は、方々に資料らしき本や紙片が散乱した状態で放置されていた。荒らされたというよりも、片付ける気がないような印象を受ける。

 ――室内には、錆びた鉄のような匂いが充満していた。

 作家は自宅で頸動脈を切り裂いて自害したと聞く。他殺の線は極めて希薄。ならば、ここがその現場であり、本当に死後そのままの形で放っておかれたと見るのが妥当だろう。

 執筆用らしい古い机や床に敷いた絨毯には、大量の血液が染み込んで固まった跡がある。

 明確な死の痕跡。マリア・フォレストはこの惨状を見て記憶に異常をきたしたのか。

 湧き上がるいくつかの違和感を――レオンは強制的に排除した。

 今、為すべきことは一つ。『偽石』を速やかに盗み出し、証拠を残さず撤収する。それだけだ。他人の家庭の事情など心底どうでもいい。早く問題の輝石を探さなくては。

 後になって命名された『偽石』は、元はといえば諸外国へ売り出すために開発された代物だ。今でもその研究には世界各国から大きな期待を寄せられている。

 ……しかし、生み出されたレプリカはとんでもない副作用を内包していた。

 人体を変貌させる歪なエネルギーを持つ有害な輝石。

 帝国がその実害を知ったのは、研究所から大量の石が盗まれ、あろうことか裏市場に流された後だった。

 現在、異能者は突然変異種として認識され、各国で担当局への届け出を義務付けられている。異能者の屍鬼への変貌は、今のところ必然的に禁制品の所有量が多くなった帝国でしか起きていない。よって、事の真相は国外に漏れてはないようだ――否、そうなるように、帝国が『偽石』に関する情報を全て操作した。

 『マザー』の研究は人類を幸福な未来へと導くものだ。研究が進めば、未だ不透明な部分の多い古代文明の技術流用も可能となる。人々の暮らしは、今よりもさらに豊かで便利なものになるだろう。大きな期待は多額の寄付をもたらし、共同研究を呼びかける声は今も絶えない。

 ……だからこそ、帝国は『偽石』の問題を表に出すわけにはいかない。

 全て秘密裏に処理するために、国家は専門の機関を作り、アナスタージアやレオンのような技術者を集めた。

 アナスタージアは異能研究の第一人者として、レオンは並はずれた身体能力と知力、なにより一流の冒険者の元で育ったがゆえ身に付けた「盗賊」としての腕を買われて特務機関に所属している。生身で屍鬼に対抗できる異能の力も、選ばれた理由の一つだろう。

 だが、レオンにとって国家存亡の危機など瑣末な事柄だ。

 彼が許せないのは、四年前に事故死した父が『偽石』の研究に携わっていたという事実。

 そんな下らない過去が、レオン・シュタインベルガーという人間の本質を揺るがせる。

 レオンは『傲慢』な支配者。それを絶対のものとする為、身内の汚点はそそがねばならない。

 ――なんという無駄事。

 深い溜息を一つ、少年は室内をぐるりと見回した。

 『偽石』を欲するのは、その多くが切実に叶えたい願いを持つ者だ。密やかに囁かれる都合の良い噂を信じているのなら、出来る限り身近に置こうとするはず。

 鍵のかかった机の五つ目の引き出しから、目的の物は呆気なく発見された。

 成人男性の片腕ほどある円筒状の特殊金属の容器。その中に眠る、罪深い人の欲が生み出した劣悪な奇石。

 何の感慨もなくケースごとトランクに放り込んだレオンは……ふと、机の上に置かれた物に目を留める。

 血に塗れた原稿。ドス黒い生命の残滓がこびりついた紙面に、薄らと名前が書かれていた。

「――ああ、だから」

 文字を眺めて呟いた少年の後ろで、ゆっくりと部屋の扉が開いた。






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