夜闇に消えたもの③
「ココ、スピカ……?」
シーツに手をつき上半身だけを起こしたシェイラは、ぐるりと部屋中を見回しながら二人の名を呼ぶ。
「……?」
何かが変だと感じた。
部屋の中がひどく寂しく見え、自らの息遣いまで聞こえそうなほどの静寂が気味悪い。突然、背筋からぞくりとした悪寒が立ち上った。
とっても大切な何かが零れ落ちてしまったかのような、胸の奥を重苦しくする空虚さに急かされ、慌ててベッドから降りスリッパに足を通した。
直ぐに床へと手と頬をへばりつかせ、両方のベッドの下を交互に、隅々まで覗きこむ。
昨日まで、間違いなくココとスピカはここで身体を丸くして閉じ込もっていたはずだ。
なのに薄暗いベッドの下、いくら目を凝らしても二匹の姿がない。シェイラは瞠目し、悲鳴交じりの声をあげた。
「ど、どうしてっ!?」
立ち上がったシェイラは、勢いよくベッドのシーツをまくり上げたが、やはりここにもココとスピカの姿は影も形も見当たらない。
「朝方にココが居ないのはいつもだけれど、でもスピカも見当たらないし……それに、それに……」
もしかすると二匹今朝も勝手に起き出して遊びに飛び出して行っただけなのかもしれない。
でも朝にスピカの姿さえみえないのは初めてで。
昨日の今日でのこの状況に―――胸騒ぎがした。
「ねぇ、どこに行ったの!?」
いつもはあまり出さない大きな声を張り上げながら見回しても、やはり姿はない。
シェイラは寝室から身をひるがえし、子供たちを探そうと走り出す。
この寝室に居ないなら居間にいるのか、それとも……。
勢いよく扉を開け飛び出したところで、目の前をよぎったのは赤い影。
「きゃっ!」
「お?」
急ぐままに体当たりをしてしまい、シェイラは反動でバランスを崩してしまう。
後ろへと倒れそうになったシェイラの腕を、すかさず伸びた大きな手が掴んで引き戻してくれる。
同時に香ったのは、よく知った日向の匂い。
この手の主を悟ったシェイラは、顔を上げて彼を見上げた。
「おはよう、シェイラ? どうした? ココとスピカの様子見に来たんだけど」
「ソウマ様! ココ、スピカも! 外で遊んでいませんでしたか!?」
「いいや? 家の周囲は誰も居なかったけど」
「そんなっ……。どうしよう」
「シェイラ……?」
眉を顰め、首をかしげているソウマ。
その男の声が、張りつめていた気を緩ませ、シェイラは瞳はみるみる間に潤んでしまう。
「しぇ、シェイラ!?」
まだ起き抜けの寝乱れた流れるままの髪に、薄く頼りない作りのネグリジェ。
素足のままスリッパを引っかけただけという、普段の彼女ならば絶対に人前に出ないであろう無防備な恰好で、突然に胸に飛び込んできた彼女にソウマの声は裏返った。
しかしシェイラがその動揺に気づく余裕はなく、更にソウマへと身を寄せ、縋り付いてくる。
「ソウマ様、わ、私、どうすれば……!!」
「え、えぇ? あーっと……何があった?」
無意識のうちにシェイラの手は、彼の服の布地をぎゅっと握る。
必死に赤い瞳を見上げ、訴えた。
「ココと、スピカが居ないんです。起きたら二人ともいないなんて、初めてで!」
「居ない? この里の中で誰にも知られずに竜を狙えるはずもないし……遊びにいったとかじゃないのか? 俺も良く見たわけじゃないから確実に外に居なかったって言いきれないし」
「違います! どうしてかわからないけれど、でも違う! 居ないの! 探さないといけないの!」
「えっ、今!? いやいやいやいや待て! 何飛び出していこうとしてる。まず自分の恰好を確認しろ!」
「え?」
手首を引かれとどめられたシェイラの頭から、すっぽりと大きな上着が被せられる。
振り返ってみたソウマの顔は、赤い顔をしていた。
(あ、服がそのままだった)
ようやく自分の恰好に気づきはしたものの、シェイラは特に恥ずかしさは感じない。
頭からソウマの上着をかぶったまま、掴んだ手首を放してくれないソウマに苛立った。
「服装なんてどうでもいいんです! 止めないでください!」
「どうでもよくないから! 頼むから部屋戻ってくれって」
「もう! 急がないといけないのに!」
自分の恰好よりもココとスピカのことのほうが重要だ。
普段ならばもちろん気を使うけれど、今は優先順位が違うと思った。
だからこんな事にこだわって、探しに行くのを押し留めてくるるソウマが恨めしく、口をとがらせてしまう。
「大体、ソウマ様が早く寝ろなんて言うからこうなったんです!」
「俺のせいか!?」
「だ、だってずっと起きていたなら、きっと気づけたのに……!」
「はぁ?」
眉を寄せたソウマの顔を見て、すぐにシェイラは我に返った。
「っ……」
自分の吐いた暴言に、唇をかみしめる。
(あぁ、違うのに……)
ソウマのせいだなんて本当は思っていない。
彼は昨夜、シェイラの身体を気遣って休むように促してくれたのに。
怒鳴りながら言い捨ててしまった言葉は、自己嫌悪の材料にしかならなかった。
あの時起きていたならこんなことにはならなかったのにと思ったら、彼を責める台詞が口からすべり出てしまっていた。
シェイラは完全に混乱している。
でも僅かに残る冷静さが、失言を自覚してしまって、更に何をしているのだろうと落ち込だ。
……今、この手の中に握る小さな手が無いことが不安で怖くて仕方がない。
どうしようもなく、頭の中が混乱していた。
「っ………」
「あぁ、もう。泣くな。わかった、分かったから」
「ご、ごめんなさい。ソウマさまのせいではないのに」
「分かってるって。大丈夫だから」
何処にいるのか、何をしているのかまったく分からないなんて、初めてのことだ。
「二人に何かあったらどうしよう」
「大丈夫。竜は強いし、里は竜にとって一番に安全な場所だ」
肩を落とし、声を震わせるシェイラの額に、身をかがめたソウマがとんと額を合わせてきた。
数センチも空いていない目と目。
呼吸さえも感じられる近い距離と、引き寄せられた体温がじわじわと気持ちも身体も温めてくれる。
しだいに落ち着きを取り戻し、深く息を吐いたシェイラ。
「あのう。そろそろ宜しいかしら」
ふとかけられた声に思わず視線を向けると、生暖かい笑みを携えたミモレとクリスティーネが、今のダイニングテーブルの椅子に腰かけて微笑んでいた。
テーブルの上に湯気のたつティーセットがあり、何故かはわからないが姉妹でここでお茶をしていたらしい。
「っ!」
シェイラは肩を跳ね上げ、慌ててソウマから一歩距離を取る。
「……もーちょっと待てよ」
「ソウマ様! す、すみません、いつのまにいらっしゃったのですか!?」
恥ずかしさに顔を赤らめるシェイラの横で、ソウマは不満そうに唇を突き出していた。
そんな二人に生温かな目を向けるミモレが、ごほんと一つ咳をして、周りの視線を集めた。
「とりあえず。今の会話内容で色々と理解はしました。ココとスピカが居なくなったと」
「え、えぇ! そうなんです!」
「そんなにあわてなくても、そのうち帰って来るのではないでしょうか」
「そんな……!」
冷静なミモレの台詞に、シェイラは憤る。
「竜の子はある程度大きくなるまでは基本的に巣であるあの洞窟の中で育てられるのですが、飽きた幼い竜が、外の世界を見てみたくてよく脱走するんです。同じようなものでしょう? いつも放っておいても勝手に帰って来ますわ」
「同じじゃないです。それにミモレ様。竜は、幼い竜を護るのではないのですか? どうしてそんな……居なくなっても放任してらっしゃるのですか」
ココやスピカくらいの子竜達は、本来なら外に出ることは禁止されているはず。
まだ己の身を護ることのできない幼い子らを、里の竜がみんなで守っているからだ。
そのはずなのに今、ココとスピカが居ないことに慌てている者は人間の感性を持つシェイラだけで、誰も急いで探そうとはしていなかった。
「ここは竜の里です」
ミモレはテーブルの上にのティーカップを手にしながら言った。
「幼い子を里の中に置いているのは、人の手から守るのが主な目的です。人間は徒党を組んで、さまざまな道具を使い、知恵を絞り竜を得ようとしてきますもの」
お茶を一口飲み、それから素っ気ない態度で言葉で続ける。
「人からは、守ります。しかし自然界で淘汰されるようならば特に何もいたしません。水におぼれようが、獣に食われようが、只それまでの弱い子だったというだけですわ」
「そんな…、ソウマ様……」
子供を強い子に育てる為に、幼い子を崖に突き落とすという獅子の諺をどこかで聞いたことがある。
突き落とした子供が登ってこられなければそれまでだと。
彼女たちはそういう感性なのだろうか。
森で迷子になっているかもしれない。川におちておぼれているかもしれない。
そんな危機に負けてしまったならば、もうそれまでの子だったのだと、切り捨ててしまうのが竜なのか。
シェイラはあまりの人の子育てとの違いに困惑し、思わず縋るふうに傍らのソウマを見上げた。
その視線を受けたソウマは、苦笑いしつつ赤い髪をかき上げる。
「うーん……竜はいろいろ面倒臭がりだからなぁ」
「ゆ、行方不明の子どもを探すのが、面倒くさいんですか?」
本気で理解が出来ない。
「自分の生んだ子どもだとかですとまだ別かもしれないけど。でも今回はこの里の子でもない火竜と黒竜だしなぁ。自分の種族じゃないって辺りがもう、水竜にとってはどうでも良さ二倍だろうな」
「そんな……」
「いや、本当に事件に巻き込まれたとか、誰かが何かしたと分かるならあれだけど、今回はさ、ほら……」
濁された語尾にシェイラは肩を落とした。
今回は、シェイラとココとスピカの仲たがいの末の結果である。
「たぶん、あの子たち自主的に出て行ったんですよね。私が、嫌になったんだわ」
「いやいやいや。嫌とかまでいかないと思うけどさ。うん……」
誰かに連れ去られたという可能性が限りなくすくない状況である以上、大がかりな捜索は難しいのだ。
ソウマの説明に頷くクリスティーネとミモレの反応に、それが真実なのだとシェイラは悟った。
さらさらと流れ続ける水は手で掴もうとしても指から零れ落ちてしまいとらえる事が難しい。
何にも囚われず、流れるままに生きる性質の水竜は、何かに興味を持ち固執することが少ない。
それは竜相手であっても同じのようだ。
何の悪意もなく、本当に水竜にとってこれはどうでも良くて面倒くさいことなのだ。
こういうところが竜と人との感覚の違いであり、人として育ったシェイラが到底理解できないところだった。
(少し前の私なら、人と竜の違いを発見するたびに大喜びしていたけれど)
理解できなくても、知られることが堪らなく楽しかった。
しかし実際に交流をして深く関わってみると、感覚の違いゆえに通じなくて面映ゆいことが多いのだ。
彼らが『こういうもの』だと言うのだから、今回はもう仕方がない。
竜の考えを人間側に変えろというのは身勝手だ。
シェイラは顔を上げた。
「水竜の里からの協力は難しいということですね」
「我々の長が命じれば動きますわ」
「え!」
「でも、たかが一晩、他の種の子竜がどこかへ行った程度で、長の腰が上がるはずもございません」
「ですか……」
肩を落とすシェイラに、涼やかな声がかけられた。
「私は、何度も交流してますし、探しに行くのもかまいませんが」
「クリスティーネ様!」
「まぁ、姉さんが自ら動くなんて珍しいこと」
ミモレが眉を上げて、驚いたあと。
テーブルに手をつき椅子から立ち上がり、シェイラより頭一つ分は背の低く、幼くみえる容姿の彼女はシェイラへと視線を向けた。
その透明感のある水色の瞳を向けられると、どうしても少し緊張してしまう。
「申し訳ありませんが、私は遠慮します。拗ねて飛び出して行った我儘な子供の為に労力を割くほどに優しくはございませんの」
「そう、ですか……」
「俺も探すぞ。ココモスピカも生まれた時から見てるやつらだしな。勝手なことするなって、げんこつでも喰らわして躾てやる」
「ソウマさま……」
「よし。じゃあクリスは空から探してくれよ。んで、俺たちは徒歩で森の方を探そう。木の茂ったあの辺は空からじゃ見通し悪すぎるからな。あと気まぐれか何かで手貸してくれる奴もいるだろうし、一通り集落にはしらせておくか」
ソウマの提案に、皆が頷いた。
「そうね。歩いて森歩きなんて大変そうですし、是非空からの探索に周らせていただくわ」
「私はこちらでのんびりお茶をしておりますわ。もしあの子たちが帰って来るようなことがあれば、知らせて差し上げてもよろしくてよ」
ソウマに促され、着替えるために部屋に戻ろうとした時に届いたミモレの言葉に、シェイラは唇を綻ばせた。どうでも良い、放って置け、竜はそういうものだと、あれだけ言っておきながら、結局は助けてくれることが嬉しかった。




