唄②
ぱちり、ぱちりと、火のくべられた薪が跳ねる。
空は暗い闇に覆われ、星の瞬きと三日月が浮かぶだけ。
人間の町のように外灯は無く、ことさらに一つだけ灯る薪火は赤く鮮やかだ。
シェイラ達は借りた小屋のすぐそばで、地べたに絨毯を引いた上に腰を下ろし、火を囲んでいた。
あれからクリスティーネやミモレも晩餐に加わることになり、小さな家の居間には収まりきらない数になったため、外で薪を囲み食べることになったのだ。
「おぉ、よく短時間でこれだけ作れるもんだなぁ」
「焼いただけのもの以外の食べ物なんて本当に久しぶりですね」
並べられたのは冒険者たちが採取した食材に、シェイラが手を加えて作った夕餉。
温かい湯気を放つウサギの肉と野草の汁物と、食べ応えのある同じ肉の串焼きと、魚の串焼き。
茸と野草の炒め物と、ストヴェール子爵家定番の味の大きなオムレツ。
あっさりと食べられる瓜の塩もみに、塩をまぶした煎りピーナッツ。
そしてデザートに薄焼きの小麦粉生地にイチジクで作ったジャムを包んだ簡単なクレープと切り分けた果物類だ。
「あー、美味い。君がいてくれてよかったよ」
シェイラの左隣に座っているパーシヴァルが、汁物の椀を抱えながら言った。
反対の右隣にはソウマが居て、ココは彼の膝に頭を預け、すでに安らかな寝息を立てていた。
スピカはシェイラの膝の上で手と顔をべとべとにしながら桃を頬張っている。
「そんな……。でも有り難うございます」
好きに使えるキッチンのない旅の中で、久しぶりに思いっきり腕を振るえてシェイラも楽しかった。
「そういえば、パーシヴァルさん達はこの里に来る前はどのようなところにいらっしゃったのですか?」
「俺らはギルド商会を通して依頼を受けて、古い遺跡とかに入って珍しい物や資料を集めるってのが多いかな」
「いせきー?」
桃の汁のついた手をぺろりと舐めとりつつ、スピカが顔をあげた。
冒険の話に興味をひかれたらしい。
ココも起きていたなら、きっと目を輝かせていただろう。
そしてシェイラも、知らない世界のことには興味がある。
「そう。遺跡。いろんなところに潜ったよ。スピカは興味あるかい?」
「ある! ママとね、おはなしきかせてもらおうねー、っていってたの」
「あはは! それは嬉しいな。じゃあ何から話そうか」
パーシヴァルは大変に話し上手で、古い地下遺跡で竜の石像を発見した話、迷子になって一か月洞窟の中を彷徨った話、夜に狼の群れに囲まれ九死に一生を得た話を、身振り手振りで面白おかしく話してくれた。
彼の向こう側にいるローリーが「それはちょっと違う」と突っ込み、「いや、俺の記憶の方がただしい」などと返すやり取りも楽しかった。
ミモレもクリスティーネも、時々食事をつまみながらのんびりと彼の話に耳を傾けてリラックスした様子だった。
そんな楽しい食事もひと段落したころに、パーシヴァルの向こう側にいるローリーがリュートを取り出した。
「ではこの夕餉の余興に一曲」
彼が膝の上に抱えたリュートを、左手で爪弾くと、低く心地の良い音が夜の闇に散っていく。
「わ……」
「きれいねぇ、ママ」
「本当」
少し、音鳴らしを聞いただけで、柔らかなリュートの音はすんなりと耳に通った。
思わず身を乗り出したシェイラとスピカと、顔を上げたローリーの緑色の瞳が噛み合うと、同時に彼はふわりと微笑んだ。
――――纏う空気が、変わった。
「っ……」
おっとりと柔和な雰囲気だった彼の周りが、ぴんと芯の通ったものへと。
思わず息をのんだシェイラの耳に、間もなく音楽が流れ込んで来る。
そして、合わせて唄が。
「わ、ぁ……」
ローリーの爪弾く音色は複雑な指の動きに反して一音も乱れることなく穏やかに流れ。
唇から紡がれる唄は低すぎず高すぎず、心地の良い音程で。
この国では誰もが知っている、ネイファを護る竜を称える童歌が、赤い薪火が照らす空の向こう、際限なくどこまでもどこまでも広がっていく。
それほどに遠くまで通る、朗々たる唄だった。
(こんなの、聞いたことないわ)
子爵家という仮にも貴族の家で生まれたシェイラは、教養に必要なものとして子供のころから楽団の演奏を数多く聴いたものだし、中には国有数の演奏家の音楽演奏会にだって行ったことがある。
しかし彼ほどに心を鷲掴みにしてしまうような唄、聞いたことがなかった。
唄で、音楽で、こんなに感情を揺さぶられることがありえるなんて、到底知らなかった。
シェイラは間抜けにも口をぽかんと半開きにしたまま、ローリーの奏でる音と声に聞き入った。
周りのみんなも、反応はまちまちだが一言も発さずその音に耳を傾けている。
それまで彼ら冒険者一行に一切興味を示していなかったミモレとクリスティーネさえも、視線を真っ直ぐにローリーへと向け、関心したふうに微笑を浮かべていた。
「え……?」
シェイラの視線の先、ローリーのリュートのすぐ傍で、薄絹がひるがえったように見えた。
(なに?)
シェイラは目を瞬かせ、ぎゅっとつむってみてからまた見開く。
「っ……!?」
見間違いどころか、翻る衣をもつ『何か』が増えていた。
輪郭もつかめない程にあやふやで、なんとなく透けて見えるような気もする。でもそこに居るのだと、分かる。
ぼんやりとだから自信はないが、たぶん人型をした、手の平ほどに小さなもの。
ローリーが音を奏でるたびに、ふわりふわりと浮くそれは増えていく。
踊るようにローリーの周囲をその『何か』が飛び回る。
茫然としているシェイラの隣で、ソウマが「へぇ」と関心したように息を吐いた。
視線で何がどうなっているのかと訴えてみると、彼の膝の上で眠るココを起こさないためか、ソウマはそっとシェイラの方に体を傾け、耳元で小声で答えてくれる。
「精霊を生み出せるほどの音楽を奏でるのか。凄いな」
「精霊?」
「そう」
耳に、ソウマの低い声とともに吐息があたった。
(っ!)
近すぎる顔に僅かに動揺した。
シェイラが思わず瞼を伏せた先で、スピカが精霊と呼ばれたそれらに向け、小さな手を伸ばしていた。
彼女の声も、場の空気を読んでか小さくささやくものだ。
「しろいことー。あと、きいろいこっ、かわいいねぇ」
ふわりふわりと飛ぶ精霊が、スピカに答えたのかこちらに寄ってきて小さな手に触れた。―――触れた、ように見えたのだが。
でも精霊はスピカの手をすり抜け、そしてすぐに見えなくなってしまう。
「消えた?」
「精霊はそういうもんだ。実体をもたないあやふやな存在で、生まれても結構すぐに消える」
「ん? 何々?」
音楽に耳を傾けていたパーシヴァルが、ソウマとシェイラの会話に不思議そうに首を傾けてきた。
答えたのはスピカだ
「せいれえさんだよっ」
「精霊? 春節の祭で精霊が春を呼んでくるとか言われてるけど、本当にいるのか? ここに?」
「そうそう。 ぱーしばるにはみえないのねぇ」
「んんー……」
スピカが手を伸ばし、ローリーの傍から離れてこちらにきた精霊に触れようとする。
そのスピカの手の先をパーシヴァルは目を眇めて凝視していた。
薪火を挟んで斜め前に座るレオも、無言のままだが眉を寄せそのスピカの手元を見つめていたが、でもやはり彼らには見えないようだ。
二人とも結局、残念そうに息をついて首を横を振るのだった。
「すっげぇな。さすが竜の里。精霊までいるのか」
パーシヴァルが大きな手を伸ばし、スピカの頭をがしがしと撫でていると、突然にクリスティーネが話に参加してきた。
「あら。いいえ、精霊はどこにでも存在しておりますわ」
「え? 何処にでもですか?」
シェイラは思わずクリスティーネの顔を見た。
彼女は微笑したまま頷いて、特に冗談を言っているようにもみえなかった。
(今、この精霊が見えるということは、私の目に精霊が映るようになったということだけど。ども、どこにでも存在している?)
もしも精霊がどこにでも存在しているだとしたら。
シェイラの目に精霊が映るようになっているのだとしたら。
日常的に精霊を見かけているはずだ。
しかし春節の祭で一瞬だけ見た以外、シェイラは今初めて精霊を見た。だからこんなに驚いているのだ。
「まぁ人の里では確かに少ないかもしれませんわね。探してみれば案外いるのですが」
そう言ったのはミモレだった。
ローリーの奏でる音を邪魔したくはないが、しかしどうしても視界に映る精霊に興味はひかれて、シェイラは囁く声色を保ちつつも尋ねてみる。
「……精霊って、一体何なのでしょう」
「俺たち竜と似て非なるものだ」
「…………?」
すぐに返されたソウマの説明は、残念ながら簡潔すぎてまったく理解できなかった。
「えっと、精霊は……春節の祭のときになんとなく見た気もするのですが」
「今ははっきりと見えるんだ?」
「いえ、全然。透けて見えますし、しっかりと目で捕えようとしないといけないくらいです」
「透けてるのは俺たち普通の竜からみても同じだよ。すげぇあやふやな存在だからな、精霊は」
「は、ぁ……?」
ますます良く分からない。
眉を下げるシェイラに、ミモレが静かな声で助け舟をだしてくれた。
「精霊は竜と同じように世界に漂う力から生まれる存在なのです」
「竜と同じ?」
「えぇ。でも少し違うのは種類が馬鹿みたいに多いということかしら。竜は水、火、風、木と、後は闇から。白竜は何からか分かりませんが、その程度です」
「六種類ということですね」
「はい。でも精霊は――たとえば一雫の朝露からだったり。釜戸から跳ねた火柱だったり。もしくは人の強い思いからだって生まれるのですわ。数えきれないほど種が存在するのです」
「人の想いからも……?」
まさかそんなものから、と。シェイラは思わず声を漏らした。
「そうです。この世界にあるものほとんど全てから精霊は生まれます。ただ、力は圧倒的に竜の方が上。しかも先ほどもソウマが言っていた通り、実体もないあやふやで不確かなものなのです。私たちの目にも半透明にしか映らないし、朝雫から生まれた精霊なんて昼にはもう確実に消えてしまったりもする。人の想いから生まれた精霊も、少しでもその心が揺れればもういなくなっている。いつの間にか生まれていて、いつの間にかいなくなっている。そんな彼らを私たちは精霊と呼びます」
ミモレの説明を、クリスティーネが引き継いでくれる。
「人間が春節の祭で湛えている春の精霊とは、春に咲く花や、暖かな風、穏やかな陽など、春先に生まれた精霊すべてをひっくるめての名称ですわね」
彼女たちの話は、本当にファンタジー小説の中のようなもので、にわかには信じられないことだった。
でも確かにシェイラの目には今、宙をとび踊る半透明の精霊が映っていて、そしてローリーの『音』から精霊が生まれる瞬間も見てしまっていた。
あまりの驚きで喉が渇き、シェイラはカップを持ち一口飲んでから、もう一度隣にいるソウマを見上げた。
「あの。人の思いから、竜も生まれたりするのですか?」
「まさか、精霊どまりだよ。竜になるほどに強い想いなんてない。そもそも強い自然の力から実体化出来たのなんて始祖竜だけだから。俺らは普通にオスとメスから生まれるから、気から生まれた奴等とはちょっと違う。でもまぁ似たようなもんだな」
「あ、そうでしたね」
世界に漂う大気から直接に生まれたのは始祖竜と呼ばれるものだけで、それが歴史上の最初の竜。
本当に世界の何処にでもあるほどに量が多く、時にあふれるほどに濃厚になるその力が凝縮して、始祖竜は誕生したらしい。
朝露や、音楽、人の想いから生まれるような精霊の纏う力は、竜から比べて小さすぎて、だから実体化することもなく儚くあっさりと消えてしまう。
「あ」
―――ローリーの奏でる音が変わった。
今度はテンポが速く、跳ねるような明るい音楽で、シェイラもスピカもあっさりと乗せられ、思わず体を揺らしてしまう。
そしてその明るい音からポンポンと生まれて消えていく精霊に、スピカと一緒に目を奪われ、夢中になるのだった。




