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竜の卵を拾いまして  作者: おきょう
第四章

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出会いと再会③

「シェイラさんのお知り合いですか?」


 ゆったりとした口調で、ローリーが尋ねてきた。

 彼が首をかしげると緑がかった金色の髪が揺れ、首にかけられた大ぶりな色石の首飾りがこすれ合い僅かな音を鳴らす。

 吟遊詩人という肩書きに似合い、ローリーの声は耳に心地良く響く。

 シェイラは赤い竜と、その背後を飛ぶ水色の美しい竜を一心に見つめたまま、こくりと小さくうなずいた。


「はい。アウラット王子殿下の契約竜であるソウマ様だと思います」

「な……!? あの有名な火竜かあれ!」


 パーシヴァルが驚きながら赤い竜を指を差す。

 その間にも赤い火竜は地に降り立ち、人間の姿へと変わっていっていた。

 巨大な竜の体躯は小さく縮み、全身を覆っていた鱗が柔らかな肌へと変化する。 尾は短くなり消え、前足は長くたくましい人の男のものへ。

 燃えるように赤い髪が手でかき上げられ、露わになった赤い瞳がシェイラを映せば、とたんに彼は嬉しそうに破顔した。


「シェイラ」

 

 どこか甘さを含んだ声が、耳朶を打つ。


「ソウマ様!」


 シェイラは堪らずに駆け寄り、そして彼の目の前で歩を止めた。

 ……しかし、伸ばされた手にぐっと強い力で腕を引かれ、そのまま厚い胸の中へと閉じ込められてしまう。

 ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、すっぽりと収まってしまった彼の胸の中。

 日向にいるような心地の良い暖かさと、太陽の匂いに安堵し、ほっと肩の力が抜けかけた。

 でも直ぐにシェイラは我に返り、身ををよじって抜け出そうとする。


「だ、駄目です……!」

「はぁ?」

「駄目です!」


 両手で力いっぱい突っぱねて、なんとか一歩分の距離を確保する。

 おそるおそる目の前の相手を見上げると、予想は出来たがものすごく不満そうな顔だ。


「嫌なのかよ」


 唸りを含んだ不機嫌な声。

 シェイラは赤い顔のままで、勢いよく首を振った。

 ココやスピカばかりか、出会ったばかりの冒険者一行までいるのに。

 遠く離れているとはいえ目に見える範囲に水竜達も居て、そんな中で異性と抱き合えるほどに大胆な性格をしていない。注目をあびるのは、どうしても苦手だった。

 

「は。恥ずかしいです……」


 だから場所を考えてと訴えても、ソウマはますます不機嫌になるだけだった。

 彼の性格上、あまり世間体は考えないのだろう。

 

「せっかくの再会なんだから、いいじゃねぇか別に。冷たい」

「いけません! ひ、人前では時と場所を考えるのが普通です!」

「あー。つまり……」

「え?」

「それってさ、人前じゃなきゃ何をしても構わないってことだ?」

「な、な、な、なに……?」

「なにって、うん。なに」


 そう言ってにいっと歯を出して笑うソウマの表情は、何処からどう見ても性質(たち)の悪い大人の男のもの。

 彼の言う何が想像以上のものだと分かるから、シェイラは必死に何度も何度も首を横へと振った。

 


 ……そんな二人の、いちゃついているとしか思えない光景を、ソウマの後に降り立ち人の姿に戻ったクリスティーネはため息一つで流していた。

 シェイラとソウマの関係を知らなかったはずの冒険者一行でさえ、会話から完全に状況を理解し、気まずげに視線をそらす。


 ソウマ以外の誰もが大変に気まずい思いをしている状況の空気を壊したのは、無邪気な子ども達。 


「ソーマだー! たかいたかいしてー!」

「あっ、スピカも!」


 背中に翼をはやしたココとスピカが勢いよくソウマの両肩へと飛び乗り、騒ぎ出した。


「お、お前ら。相変わらず元気だなー」  

「あのね、おれ、いっぱいとべるようになった! がんばった!」

「ママといっしょにね、うみ、とんできたのよ」


 右の肩に乗ったココは、軽くソウマの髪をひっぱり気を引こうとし、スピカも負けじと一生懸命に声を張る。

 久しぶりに合えたことが嬉しくて堪らないと、興奮で赤らんだ顔が物語っていた。

 それだけ真っ直ぐに好かれるのはやはり嬉しいらしい。ソウマは二人の頭をがしがしと撫で、そのまま自分の顔の方へと引き寄せた。

 両側から柔らかな頬に挟まれる感触に、朗らかな明るい笑いへと彼は表情を変える。


「おぉ。かなり風の扱いが上達してるみたいだな。水竜の里にまで飛んで来れるようになるのはだいぶ後だと思ってたのに、一番にこっちに来るとは。シェイラもお前たちも凄いなぁ」

「んふふ!」

「でしょでしょ!」


 ソウマの意識が子ども達へと移ったことに、ほっとしながらも少しだけ寂しいという何だか複雑なシェイラは、そこでやっと、クリスティーネの存在に気が付いた。

 確かに空を飛んでいたソウマの背後に、水色の色の竜の姿があったことを思い出す。

 あれがクリスティーネだったのだとやっと今、シェイラは理解した。

 

「クリスティーネ様!」


 跳ねたシェイラの声に、それまでシェイラとソウマのやりとりからすでに興味を失い、ぼんやりと明後日の方向を見ていたクリスティーネは、ゆっくりと振り向き涼やかで上品な笑みを向けた。


「――ごきげんよう、シェイラ」

「す、す、すみません。ご挨拶が遅れてしまって。その……」

「いいえ? 特に、どうでもいいですわ」

「そうですか。……申し訳ありません」


 恥ずかしい場面を見せてしまったことへの羞恥で僅かに顔を赤らめながら、シェイラは頭を下げた。

 次に顔を上げたあと、首をかしげて尋ねてみる。


「夏には里にお帰りになると伺っていたので、会えるのかなとは思っていたのですが。どうしてソウマ様と一緒に?」

「あら。シェイラがジンジャーへ手紙を出したのでしょう? 貴方を見つけるのに、竜の加護で位置特定するのが一番確実だということになりましたの」

「あ」


 ソウマが来た理由を理解したシェイラは、彼のほうを振り返った。

 ソウマはココを両手で抱えあげ、スピカを背中に張り付かせた状態でくるりと周ったりと、せわしなく子ども達をあやしつつも、こちらへ顔を向け頷く。


「ルブールにいるって書いてたから、一応はあの町にも寄ってみたんだ。でも加護の気配は海の方、風竜の気配も町中をいくらか探ってみたが一切なかった。ただ風の気はずいぶん満たされていたから、最近あそこで風竜が逝って世界の大気に戻ったんだなってのは分かった。……―――頑張ったな」

「…………」


 ソウマの優しい声で蘇ってきた、思い出せばまだ痛く疼く胸の喪失感に、シェイラは眉を寄せ、わずかに目を伏せた。

 もう二度と、あの不遜げで荒んだ雰囲気をまとう風竜に会えないのは凄く寂しい。

 でも、彼の死は悲しいだけのものではないと分かっているから。

 最後は確かに幸せそうに、ありがとうと言って笑ってくれていたから。


「―――大丈夫です」


 伏せていた瞼を上げ、真っ直ぐにソウマとクリスティーネに目を向けたシェイラは口元を上げて笑う。

 影のない、しかし彼女らしい少し控えめな笑顔に、ソウマとクリスティーネは何となく状況を理解し、すでに気持ちの整理はついているのだと安堵した。


「んで。まぁ、それについての詳しい話はまた後ででもすることにして。シェイラさぁ……」

「はい? 何か」


 抱き上げていたココを右肩へと戻したソウマは、シェイラの背後を指さした。


「さっきからそわそわしているその人間たちは、やっぱり知り合いか?」

「………あ!!」


 本当についさっきまで会話を交わしていた冒険一行のことを、シェイラは本気で忘れていた。

 城の竜達との再開が嬉しくて仕方がなくて、まったく周りが見えていなかったのだ。

 どれだけ竜にしか興味がないのだと自分で自分が恥ずかしい。

 そして大変な失礼をしたことに情けなくも思いながら、一歩身を引き、パーシヴァル達にソウマとクリスティーネを紹介することにする。

 

「パーシヴァルさん、ローリーさん、レオさん、失礼いたしました。もうご存知のようですがこちらは火竜のソウマ様と、そして水竜のクリスティーネ様です」


次いでシェイラは、反対にソウマとクリスティーネに冒険者たちを紹介しようとした。


「ソウマ様、クリスティーネ様。こちらは剣士のパー――」

「シェイラさん」


 目の前にすっと伸ばされた手と声に、言葉を遮られる。

 見上げてみるとそれはローリーのもので、シェイラと目が合うなり彼は微笑を向けてきた 


「シェイラさん、有り難うございます。でも自分でご挨拶させてくださいませんか?」


 シェイラが頷いたのを確認したローリーは、さらに一歩前へ出ると、左手を胸へとあて、恭しく頭を垂れた。

 纏うただおだやかなだけだった雰囲気が、凛とした緊張感のあるものへと変わったようにみえた。

 厳かで静かな声で、彼は口を開く。


「我らがネイファの民をお導き下さる王家の契約竜であるソウマ様と、竜の研究者として名高きジンジャー・クッキー様の契約竜、クリスティーネ様に偶然とはいえお目見え出来たこと、至極光栄でございます。私は一介の吟遊詩人をしておりますローリーと申します。どうぞ宜しくお願い致します」


 ローリーほどに丁寧ではないとしても、剣士のパーシヴァルと弓使いのレオも、順に頭を下げて名乗り出ていく。

 シェイラはこの時、初めてレオの声を聴いた。

 無口なレオでもしっかりと挨拶をする気になるほどに、ソウマとクリスティーネはネイファの民にとって重要な竜なのだ。

 第二王子に常に寄り添う火竜ソウマは大変に知られていて、現在のネイファの国で一番に有名な竜だといっても過言ではない。

 シェイラも初対面のとき、『第二王子の契約竜』という肩書きにひどく驚いた。

 そしてクリスティーネも、彼女自身は余り人前に出ないが、竜の研究者のトップに立つジンジャーの契約竜ということで存在だけは良く知られていた。

 

(私は、ココとスピカの親か姉くらいとしか思われてないでしょうし)


 人の中で一切の無名であるシェイラとは比べられないほどに、二人はネイファの国に住まう人間にとって敬うべき相手なのだ。

 シェイラ自身は注目されることも、無意味に敬われることも居心地が悪いだけなので、今の状況は大変に有り難い。

 そして現在、人間の羨望の眼差しに射られている真っ最中のソウマとクリスティーネは、反対に大変に心地が悪そうだ。


「あー、うん。宜しく」

「…………」


 ソウマは軽く挨拶をする程度。そしてクリスティーネの反応といえば、片眉を上げた程度だった。

 クリスティーネはひとつ面倒臭そうに息を吐いてから、突然背中から翼を生やす。

 現れた水色の美しい翼が動き、僅かに膝を曲げた彼女は明らかに飛び立つ寸前の体制だ。 


「クリスティーネ様、どちらへ?」

「せっかく癒されに帰って来たのですもの、湖で水浴びでもしてきますわ」

「そうですか。久しぶり会えたので、出来ればもっとお話ししてみたかったのですが」

「……後でお茶に付き合ってあげてもよろしくてよ」

「はい! ぜひ」


(クリスティーネ様とミモレ様って、こういうところが凄く似てるわ)


 やはり姉妹なのだと思わず笑みを零してしまったシェイラを一瞥したあと、クリスティーネはあっと言う間に飛び立ってしまった。

 そんな水竜に向かい冒険者たちは丁重に頭を下げて見送る。

 しかしクリスティーネはそんな彼らに一切の興味も示さない。

 島の中央にある湖の方角へと飛んでいく彼女の姿を目で追いながら、シェイラはふと気づく。 


(そういえば、クリスティーネ様の竜の姿を近くで見たのって初めてだったかも。春節祭のときは遠かったし。あぁぁ、とっても綺麗な色の鱗の翼。ソウマ様の翼よりも骨格が細くて繊細な感じね。さっきの竜のままの姿をもっとしっかり見ておくべきだったわ! 何てもったいない!)


 口にはださなくとも、シェイラの思っていることは彼女の表情が雄弁に語っていた。

 きらめく瞳で小さくなっていく水色の翼を見つめ続けている。


「シェイラ。俺もしばらく滞在するから。取りあえずどれか一戸、家借りるよう話つけてくるわ」

「あ、ココもいく!」

「じゃあスピカもー」

「え。こら、ご迷惑でしょう」


 引きはがそうとソウマの肩に乗るココとスピカに手を伸ばすシェイラだったが、しかしその手はソウマに遮られた。


「ソウマ様?」

「じゃあこの二人預かってくわ。だからシェイラはほら、人間のこと任せた!」

「あ」


 ソウマは恭しく接してくる冒険者一行から逃げたいだけなのだ。

 彼はココとスピカの相手で忙しい素振りをものすごく強調しながら、そのままそそくさと立ち去ってしまう。


「……何か、お気を悪くさせてしまったでしょうか」


 明らかに態度の悪かった竜達を見送ったあと、肩を落とすのはローリーだ。

 パーシヴァルもレオも言葉には出さなくても気落ちしているのは明らかで、そんな彼らにシェイラは瞳を瞬かせたあと、ふっと柔らかく息を吐いて笑いをこぼした。


 このネイファで、いつしかから人は必要以上に竜を尊び、敬うようになった。

 でも竜達の性格からしてそういうのは合わないのだ。

 むしろもっと気楽に接した方が打ち解けられるはずだった。

 そういう、互いの存在が珍しいものでなく当たり前になって、人の町でも竜も当たり前に、あるがままの姿で気軽に出て行ける世界にしたいと、シェイラは少し前から思うようになっていた。

 そんな世を作るにはどうすれば良いのかまだ全然わからないけれど。


(でも、身近な人に竜との距離を近づけるための橋渡しのようなことなら、今の私でも少しは出来るかもしれないわ)


「竜の皆様はあまり堅苦しいのをお好きではないようで。もっと砕けたほうが仲良くなれると思いますよ」


 シェイラの言ったことは、すでに人間に刷り込まれた竜への羨望から難しいことではあった。

 シェイラみたいな、どこぞの誰とは知らない竜ならまだしも。

 ソウマとクリスティーネは国で一番に地位を持つ者に寄り添う契約竜だ。

 少しでも機嫌を損ねれば王の顰蹙(ひんしゅく)さえ買ってしまい兼ねないのに、気楽に話しかけることは難しいのだろう。

 パーシヴァルとローリーは顔を見合わせて苦笑い。

 無口なレオは眉を寄せて難しい顔をしている。


「高名な竜に対して気軽に、か……シェイラはなかなか難しいことを言うな」


 自らの頭をかきながら、困った表情をするパーシヴァル。

 そんな彼の隣にいるローリーは、ふと思いついたように口を開いた。 


「というか、シェイラさんは王城の竜達と親しいということは、もともと城に近しい竜なのでしょうか。若い娘さんということでずいぶん気軽に話していましたけれど、これって実は凄く失礼な態度だったり……」

「いえ! 私は全然! このままで! むしろもっと砕けていただいた方が気楽ですし!」


 先ほどの様に丁寧に頭を下げられるのは困ってしまうだけだと、シェイラは必死に主張した。 

必死に気を使わないで! と主張するシェイラに、彼は一応は頷いてくれた。


 そのまま彼らがこの島をどういうふうに回って来たのかを、立ち話で少し聞いたあと。

 パーシヴァルが両手を上げてうんと伸びをし、彼は自分のお腹に触れて眉を下げる。

 そしてすぐそばに置いてあった籠を目に入れた。


「腹減った。なぁ、そのドライフルーツ食べていい?」

「あ、はい。どうぞ」

「やった。いただきまーす。……うまっ!」


 摘まんだドライフルーツをもぐもぐと咀嚼するパーシヴァルを見て、ローリーが思いついたように、傍らで無言のままに立つレオに声をかける。


「そういえばそろそろ夕食の用意をしなければなりませんね」


 レオはこくりと小さくうなずいた。

 シェイラも空を見上げて太陽の位置を確認し、同意する。


「本当。もう数時間で日が傾き始めてしまいますものね」

「え?」


 ローリーの呆けた声に、空から彼へと視線を戻したシェイラは首をかしげる。

 不可思議なものをみるようなローリーの緑色の瞳の意味が分からずにますます首をかしげるシェイラがその理由を悟ったのは、手に持っていたいくつかのドライフルーツを食べ終えて発したパーシヴァルの言葉だった。


「うん? シェイラは竜なのに食事をするのか?」

「あ! う……えぇと。その。私、実は竜とはいっても純血ではないんです。だから普通に食事が必要なんです」

「へえー。竜と人との合いの子か……珍しいな。あぁ、他の竜みたいな威厳がないのか?」

「これ、パーシヴァル!」

「ふふ。構いませんよ」

「なぁなぁ、じゃあシェイラは料理って出来るわけ? 俺ら、獲物捕まえて焼くくらいしか出来なくてさー」

「えぇ、料理は普通に。でもこの里では料理どころか、そもそも調理設備もないからどうやってもまともな食生活は送れないんですよね。お肉が食べられるだけでもうらやましいです、私は狩りは出来ないので」

「ん?」


 焚き火を起こして調理しようにも、鍋もフライパンもなければ、シェイラでは食材の調達さえ難しい。こうしてドライフルーツを作るのがやっとなのだと、作ったばかりのそれらを盛った籠を示した。

 しかしパーシヴァルは怪訝そうな顔で首を傾げる。


「もしかして、シェイラ知らないのか? 」

「何をですか?」

「窯も調理道具も普通にあるぞ?」

「え、えぇ!? だ、だって、家の中のどこにもキッチンは有りませんでしたよ!?」


 思わず目を丸めるシェイラに、パーシヴァルは真顔で言う。


「家の中じゃなく、外。裏にあるだろ?」

「…………」


 その台詞に、シェイラは二度瞬きをすると、返事もせずに直ぐに身を翻し家の裏へと駆け出した。

 壁を伝い周り、家の裏手へと出ると、そこにあったものに思わず呟いた。


「あった……」


 家の裏にあったのは、土を盛り固めたものに薪火をおこす穴と、空気穴があるだけの非常に簡素なものだったが、確かに窯だった。

 更には家の軒下の壁沿いに木棚が置かれていて、きしむ両扉の戸を開けると、鍋などの調理器具と食器類が雑然と並んでいた。


「何てことかしら。まったく、気づかなかったわ」


 この里へ来てもう数日経っている。集落を隅々まで案内してもらい、近場ならば道も覚えた。

 でも人の家の裏まで覗くのはさすがにしようとも思わなかった。

 何となく図々しいというか、行儀の悪いようことのような気がして……というかいくら竜の里に興味があるとはいっても家の裏にまで何かがあるとは考えなかった。

 まさかこんなところにと、茫然とし固まるシェイラの肩に、ローリーが気遣わしげに手を置いた。


「完全に裏手ですし、シェイラさんの借りている家は裏手は一面壁になっていて窓からも確認出来ない造りのようですし。これは気づかなくても仕方ありませんよ」


 確かに裏に周らないと確認できない位置に調理設備はあった。 


「いえ。私、一度も聞かなかったんです」


 ミモレにもほかの水竜にも、一度だって調理設備のことなんてたずねなかった。

 食糧がなくて一緒に森へと入れば、果物のあるところを教えてくれた。

 きっと料理する場所だって、困っていると言えば、どこかに窯はないかと聞きさえすれば、簡単に教えてくれたのに。おそらくミモレはシェイラが調理環境に困っていることさえ気づいていなかっただろう。

 シェイラは誰かに聞くという、本当に一番最初にするべきことをすっかり忘れていた。

 家の中になかったから、もうこの里にはないものとして、ものすごく勝手な早とちりをしていた。

 己の間抜けさが情けなくて、思わず目の前の壁へと手をついてうなだれてしまったシェイラ。

 気遣わしげなローリーとは別に、パーシヴァルは明るい声をかけてきた。

 

「なぁなぁ、俺ら森に入って野草とか取ってくるから。一緒に飯、作ってくんない?」

「もちろんです! ぜひ!」

「やった!」


 一人前を作るよりもよほど作り甲斐がある。 

 料理が好きなのに、近頃まったく腕を振るう機会がなかったシェイラは、是非にと頷いた。

 さらには彼ら冒険者は野宿にも慣れているから、どの野草やキノコが食用か、食用でないかについてのきちんとした知識ももっているはずだ。

 キノコひとつでうんうん悩んでいたシェイラとは正反対の頼もしさに尊敬さえする。

 

「そういうことなら、私たちの荷物の中に、一通りの調味料もあるので持ってきますね。あ、昨日捕まえた兎が二匹丸々あるのでそれも使ってください」

「わぁ、有り難うございます。ローリーさん、助かります」

「いいえ。こちらこそ。そうだ、レオは釣りでもしてきてくれるかい?」

「あぁ」


 剣士のパーシヴァルが野草を捕りに行き、吟遊詩人のローリーが調味料と兎を取りに借りた家へ、弓使いのレオが魚を釣りに海へ。

 もちろん人間が集落を出る時には水竜の付き添いが必要なので、知り合った水竜に声をかけてから。

 そうしてそれぞれが目的の為に立ち去ったあと。

 シェイラは改めて、その調理場をしっかりと見まわした。

 野外にあるからもちろん綺麗とはいえない状態だし、木棚に収められていた鍋も包丁もところどころ錆びていて状態は良くはない。

 でも。


「普通のご飯が、食べられる……!!」


 錆びついた包丁を手に握るシェイラの表情は、大いなるやる気に満ちていた。




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