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竜の卵を拾いまして  作者: おきょう
第三章

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その内側に秘すること⑥

『俺は若いころから世界を旅する竜だった。その頃、俺はリオナと知り合ったんだ』

「このルブールで、ですか?」

『あぁ』


 頭の中で響くヴィートの声は、とても静かで落ち着いたものだった。

 その声だけでしっかりとした強さを感じさせられる、今までの(すさ)んだ空気が嘘のように真摯な声に、シェイラは真剣に聞き入った。


 大気になって消えていく光の粒は、尾の先だけでなく翼や足先からも舞い上がり始めている。

 今、目に見えて身体が消えて行っているのだ。

 自分自身が消えていく様なんて、シェイラならば恐怖で狂乱してしまってもおかしくない。

 なのにどうしてヴィートの声はこんなにも優しい色をしているのだろう。

 シェイラは眉を寄せて今にも泣きだしそうな顔で、大好きな艶々の竜の鱗を撫でて、寄り添った。


『生意気で気が強くて、いつだって笑っている明るいやつで。やたらと構って来るのが鬱陶しいと思うのに、俺はどうしてかリオナの手を振りほどけなかった』

「…………」

『今思えば、俺はリオナのことを好きだったんだろうな』

「今、思えば……?」


 ヴィートの台詞に、シェイラの表情が曇る。

 竜達は恋というものに酷く臆病だ。

 潔癖なまでに否定し、拒絶している。

 今、シェイラの恋人であるソウマでさえ、恋を煩わしいものとして馬鹿にしている時があった。

 それは彼らが恋愛感情に伴う心の痛みを、恐れているから。

 そんな思いなどせずともつがいを得、子を残すことはいくらでも出来るのに。

 力のある相手と子を無し、さらなる優秀な子孫を得た方がいいのに。

 なのに、どうして苦しく面倒な思いをしてまで恋愛をするのだろうと言うのが、彼らの感覚だ。

 そしてヴィートは確かに『今思えば』と言った。


「―――それって……、ヴィートさんは彼女を受け入れなかったということですか?」


 躊躇いながら尋ねたシェイラに、ヴィートはゆっくりと頷く。


『あぁ。恋なんて、信じたくなかった。こんな気持ち何かの間違いだって、深みにはまる前にって、俺はリオナから逃げ出した。竜たるもの、伴侶は力の大きさで決めるものだろうと。--それで、里に戻ったあとに普通に、そこそこの雌とつがいになって子をなした。……でも、何十年たってもリオナの事が頭の片隅からどうしても離れなくてな。本当にまいった……」


 恋に溺れるのは愚かなこと。

 ヴィートは他の竜達と同じようにずっとそう信じて来た。

 だからリオナに対して沸いた自分の中の感情を、有り得ないと否定した。

 間違いだと。自分が恋なんてするはずがないと、彼女自身から距離を開けた。


『あれから百年近くも経った。年を取って自分の死期が近づいているのを悟ったとき、俺はこの街に戻ってきた。竜の加護に掛けた術が消えたことで、とうにリオナが死んだことも知ってた。でも、それでも無様にあいつの遺した何かがないかと縋ってしまった」


 ヴィートは首を伸ばして空を望み、目を細める。

 まるでそこに誰かを探しているかのような、遥か昔を瞳は映す。


『本当に、こうなって、無意識に彼女の姿を探すようになってから初めて、自分がどれだけリオナに固執していたのか……愛していたのかを自覚したんだ。恋愛なんて馬鹿のすることだなんて意地を張りまくってたことを、心底後悔した。あいつが居るはずないことなんて分かってるのに、ルヴールからどうしても離れられない。 でも、見つけた。……やっと』


 彼女が生きて来た軌跡を、やっと見つけた。

 彼女から受け継がれた命が、こうして元気にしているのを知れた。

 ヴィートはアンナを通し、リオナとの思い出に浸る。

 そうしている間にも、ヴィートの体はどんどん光に溶けて消えて行ってしまっている。

 シェイラはどうしていいか分からずにアンナにすがる風に見たけれど、彼女は無言で首を振るだけだった。

 アンナは、シェイラよりもずっと冷静に、事態を受け入れている。

 シェイラも混乱している頭の中でも、分かることは分かるのだ。

 命が消えゆくこの最後を、帰ることなんで出来ないと。もう、分かってる。

 でもどうしても受け入れられない。

 声も出ない様子のシェイラに、ヴィートは喉の奥で小さく笑った。



『――――なるほど、導きの竜か』


 彼のかすんでいく目に映るのは、消えていく竜の身体から零れ落ちる無数の光の粒子。

 そんな朽ち果てようとしている竜を、シェイラは今にも泣き出しそうな顔で覗き込んできている。

 そしてアンナと言う、ヴィートが愛をした人の、血を分けた少女も……。


(本当に、絶対にもう手がかりなんかないと思ってたのになぁ)


 もう彼女の痕跡は何処にもないのだと諦めて。

 諦めたけれど諦めきれなくて最後までこの街に居付いてしまった。

 そんな最後の数日に出会ったのがシェイラと言う白竜の血を持つ少女だ。 

 この奇跡のような出会いを導いてくれた彼女に、ヴィートは優しく微笑んだ。


(きっと本人に自覚はないのだろうが)


 この上のないほどに小さな可能性であった絆を、導き、運んで来て、繋げてくれたのは間違いなくこの少女。

 それはかつて多くの竜達に慕われ、世の行く末を導いて、絆を繋いで来たと言われる白竜の姿だった。

 もはや潰えた昔話としか思っていなかったものを、長い竜生の最後に垣間見れたことに、ヴィートは感謝した。

 思考さえぼんやりとし、全てが世界に溶けだそうとしているヴィートは、ふっと笑いとともに息を吐く。


『楽しかった。最後にお前に出会えて本当に良かった。ありがとな』

「つっ……や、やだぁっ……」


 子供みたいにくしゃくしゃに顔をゆがめて、首をふる子。

 人の子としても、竜の子としてもまだ幼く、頼りない少女だ。

 ヴィートはもう形を成していない、光の粒子となってしまった前足を伸ばし、その柔らかな頬に触れた。

 やわらかで薄い皮膚を傷つけないようにそっと。


『大丈夫』

「ヴ、ヴぃーと、さ、ん…?」

『………今は、まだ』

「な、何……?」


 今はまだ竜たちと人の一部分のみに知られているだけの白竜や黒竜、始祖竜のことが人の世に広まれば、彼女たちはひどく生きにくくなるだろうとヴィートは思った。

 きっと無遠慮に多くの期待を乞われ、かなわなければ懐疑と不満をぶつけられる。

 人と言うのは勝手に期待して勝手に落胆し、勝手に憎む生き物だ。

 もちろんそうでない者も大勢いるけれど、それは希少な存在だった。だからこそ、今シェイラのことをしっても彼女の傍に居続けるアンナという人間は貴重なのだ。

 しかしそのことにシェイラ自身が自覚をするのはまだ先なのだろう。

 彼女はまだ普通に人の中に溶け込めていると、人の枠から外れてはいないと、考えているから。


『………いや』


 おっくうな動作で首を振ったあと、ヴィートは笑う。

 笑えたかどうかも、もう分からないが。


『泣くな。ただ竜としての形を失うだけだ』


 竜としての生を終えれば、こうして体は分解され世界をさすらう大気に戻るだけ。

 だから苦しくもないし、痛くもない。

 何度も言っているのに、シェイラは理解できないのか辛そうに瞳を揺らす。

 満足な竜生を送れた。たった一つの後悔も、受け継がれた彼女の命を垣間見て霧散した。

 リオナが幸せな家庭を作ったのだという証拠に、これで良かったのだと思えた。

 ただ少し。シェイラの作る未来をもうしばらく見守りたかったと、今更過ぎる欲が出て来てしまう。

 でももうそれは叶わないから。


『――――ちゃんと見てる。しっかりやれ』

「やっ……!」


 悲鳴のようなシェイラの声を最後に、ヴィートの意識はふつりと消えた。



* * * *

 

 ―――――しっかりやれ。

 その一言を彼が漏らすと同時に、残っていたヴィートの全身が光に包まれる。


「っ……!」

「なに、これ」


 アンナとシェイラは、巻き上がる風に顔を上げた。

 ヴィートであった光の粒が、風に乗って巻き上がる。

 夕暮れもすぎ、薄暗くなり始めていた森の中でゆらゆらと光りが散っていく光景は、見たこともない程に幻想的で。

そして、泣きたくなるほどに美しい光景だった。

 シェイラは手を伸ばして、今の今までヴィートだった光の粒をつかもうとした。


「っ……」


 しかし確かにつかんだはずの光は、手のひらの中には残っていない。

 ――――風が、吹く。

 風竜であった彼をのせ、風とともに世界に散って溶けていく。


「ひっ、……っく」


 本当に、ヴィートはいなくなったのだと。

 頭の中で理解はできても、納得はまだまったく出来なくて。

 切なくてきゅうきゅうと胸を締め付ける喪失感に、涙がほろりとこぼれた。


「きゅう」

「っ……」


 ココとスピカが、シェイラにそっと寄り添う。

 その暖かさに、また胸が痛くなった。 


「――――ご先祖様の、初恋の竜。かぁ……」


 隣にいるアンナが、静かで落ち着いた声でつぶやいた。

 彼女は突然に引っ張り込まれたのだ。

 ヴィートに会ったのも初めてで、だからシェイラの様に悲しみと言う感情はあまりわいてこないのかもしれない。

 それでも何か思うところはあるようで。

 アンナは銀縁眼鏡の奥の瞼をそっとふせ、手首に収まる腕輪をそっと撫でていた。



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