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竜の卵を拾いまして  作者: おきょう
第三章

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その内側に秘すること⑤

 ココの放った炎は、風に煽られ威力を増す。

 ごうごうと盛る炎に、責められ、追い詰められ、ついにカミルは気を失ってしまった。

 地に伏してしまった彼の髪はチリチリになり、服はところどころ黒焦げに。

 重傷でないにしろ、広範囲の火傷を負っていた。


「……やり過ぎよ、ココ」

「きゅ?」


 溜息を吐きながら立ち上がったシェイラが一応は叱ってみたものの、ココは悪びれた顔一つしない。

 むしろ仕返しが出来たことに満足気だ。

 人に向けて火は使ってはいけないといつも言っているけれど、今回はシェイラも強く出られるほどに、ココが悪いとは思えない。

 カミルがしばらくは目覚めることがなさそうだと確認すると、シェイラは助けてくれたヴィートへと駆け寄った。


「ヴィートさん、来てくださって助かりました。有り難うございました」  


 小走りにヴィートへと近寄り、無言で立つ彼の顔を覗き込む。

 

「っ……?」


 しかしヴィートの目がシェイラへ向けられることはなかった。

 藍色の瞳はまっすぐに、しかし疑惑と驚愕が込められたまま、アンナを捉えていた。

 アンナは倒れたカミルの傍らに座りこんでいた。

 カミルが所持していた籠に入っていた縄を見つけたらしく、しばらく目覚めそうにないものの念のために縛ろうとしていたらしい。

 

「何故」


 ヴィートからこぼれた呟きは、おそらく無意識に落とされたもので、その証拠に後に続く言葉はない。

 暫く動揺に揺れていた彼は、アンナから目を逸らすと瞼を落とし、深く息を吐く。

 まるで落ち着けと、自らに言い聞かせるふうだ。

 

「シェイラ」

「は、はいっ」

「説明しろ」

「つっ!」

 

 彼が自ら興味を示してくれたことに、シェイラはぱっと顔を輝かせた。

 そして頬を緩ませて頷き、もう一歩、ヴィートへと近づく。

 間近から、背の高い彼を見上げたシェイラは、ふとヴィートの眉がぐっと顰めらていることに気づく。

 伸びっぱなしの髪が彼の表情を分かりにくくしていて、だから気づくことに遅れてしまった。

 心臓にチリっとした嫌な感じを受けたと同時に、ヴィートの体が揺れる。

 足元さえもう覚束(おぼつか)なくなっているのだと、ヴィートはその瞬間まで一切悟らせてはくれなかった。


「ヴィートさん!」


 シェイラはヴィートが完全に倒れる前に両手を広げて手を差し伸べた。

 でもシェイラでは大の男の体重を支えきれない。

 結局ずるずると、一緒に草地に倒れこむことになる。


「きゅ!」

「………きゅう」

「シェイラ? え、えぇ? どうしたの?」


 ヴィートと一緒に転んだシェイラは慌てて身を起こし、勢いよく起き上がりヴィートの名を呼ぶ。

 地に横たわるヴィートの肩を揺さぶり、うつむいている彼の体を力を込めて仰向きにした。

 触れた首筋は、ぞっとするほどに冷たかった。


「ヴィ、ヴィート、さん? 大丈夫ですか?」


 頬にかかった前髪を浚ったヴィートの顔色は、真っ白だ。

 浅く早い息を繰り返すヴィートはまるで今にでも消え入りそうなほどで。

 その存在が儚く見えた。


(―――――嫌な、感じ)


 背中を駆け上がる悪寒に、身震いする。

 こんなに突然、こんなに早く、彼が居なくなるなんて、考えたくはない。


「そ、そうだわ。ヴィートさん、待っていてください! すぐにお医者様を呼んで来ます!!」

 

 慌てているせいでもつれる足を叱咤して、シェイラは立ち上がる。

 ココとスピカの頭をそれぞれ撫で、アンナにこの場を頼んで駈け出そうとした。

 しかし、思いの他に強い力が手首をつかみ、シェイラをその場に引き留める。

 シェイラは泣きそうに顔をゆがめた。 

 早く医者を、早く町に行かないとと、そればかりを頭で考えるのに、原因になっているヴィート自身がそれを阻むなんて。

 急がないと、間に合わないかもしれないのに、どうして許してくれないのか。

 手首をつかむ手から逃れようと力を込めたけれど、ヴィートはこんなになっているのに、まだ力では全然敵わない。

 びくともしない腕を必死で引きながら、シェイラは震える声で懇願する。


「ヴィ、ヴィートさん。離してください。早くお医者さまっ……」

「無駄だ」


 浅い息を吐きながら、とぎれとぎれに彼は言う。

 

「今ので……残っていた風の気は、使いきった。人の医者に、どうにか……出来る、わけがないだろう」

「でも! もしかしたら竜医師がこの町に居るかも!」

「それでも無駄だ」

「っ……で、でも。だって―――」


 竜を専門に診る竜医師は、空の塔にしかいない。

 それほどに人の医療を、竜達は必要としていないからだ。

 王都の空の塔にいる竜医師も、ほぼ竜の身体に関する研究職である。

 だが、もしかすると過去にそうだった人がいるかもしれない。

 そんなゼロに等しいほどの可能性に縋り、探そうとするシェイラに、ヴィートはゆっくりと、しかし強く首を振る。

  

「いらない。それ、より……」


 ヴィートは散漫な動きで、視線をシェイラの背後へと移動させた。

 つられて見てみると、そこにはどうしていいのか分からずに立ちすくむアンナが居た。

 さらに後ろには、きっちりと縛られたカミルが倒れていたから、拘束し終わったあとにこちらに来てくれたのだろう。


「っ……。誰だ」


 ヴィートの低くかすれた声に、アンナの肩が跳ねる。


「あ、アンナと申します。風の、竜様」


 アンナは、先ほどの迫力のある竜の咆哮を聞いた。

 カミルを一睨みで牛耳った場面を見た。

 そんな甚大な力を目の当たりにした直後では、ココやスピカに対するほどに軽い調子で接することは難しく、彼女の肩はこわばり緊張しきっていた。


「……シェイラが、会わせたいと言っていた人間か」

「は、はい……」

「まさか、こんな事があるとはな」

「ヴィートさん?」 

「…………」

 

 シェイラを強い力で引き留めていた、腕の力が弱まると同時に。

 ヴィートは深く長い息を吐く。

 吹く海風にさらさせて舞い上がった髪の間から、ヴィートの顔が覗いた。

 露わになったのは、不遜で荒んだ雰囲気の、乾いた表情しかしなかった彼とは思えないほどに、優しく幸せそうな、やわらかな笑み。


「っ…………」


 これまでのヴィートからは想像もできないその表情に、シェイラは薄青の瞳を見開いた。

 驚いて、そしてこの状況で何を言えばいいのか分からなくて言葉を詰まらせている間に、ヴィートの姿が、また竜の姿へと変わっていく。

 纏っている衣服がどこからか吹いた自然ではない暖かな風で浮き上がり、ふくらみ、大きく形を変えていく。

 そして徐々に、艶やかな鱗をその身に纏わせていく。

 人などあっさりと制してしまえるだろう鋭利な爪が伸び、ぐっと地に立いれられて大地を大きく(えぐ)った。

 

「竜の、姿。どうして?」


 地上から見上げるのではなく、今目の前に巨大な竜がいる。

 翼は広げられることも羽ばたくこともなく、だらりと地へと落ちていた。

 その表面をシェイラはためらいながらも手を伸ばして撫でる。

 大きく上を仰がなくては顔を見ることさえ難しい巨大な体躯に手を当て、ひんやりとしていて滑らかな感触を感じた。

 他の竜達と同じ触り心地、なのにどうしてかとても弱々しくて、切なくなった。 


『人の身を保つことも、もう難しいか』

「え。なに、これ。頭の中に声が響いてる?」

「………竜の姿の時は、人の言葉を離せないから。こうやって意志の疎通を図るらしいわ」

「へ、へぇ。凄すぎる……」

「きゅう!」

「きゅっ」


 シェイラはもたれかかる様にヴィートへとすり寄り、額を鱗へと着けた。

 藍色の鱗に顔を寄せながら深呼吸して、泣かないように堪えてから、再び顔を上げる。


 人の姿を保つこともできないほどに、ヴィートは風の気を()っしている。

 おそらくこうやって人の頭の中に声を届けることも、相当の無理をしてやっているのだろう。

 そうまで無理をして、ヴィートはシェイラたちに何かを伝えようとしてくれている。

 そんなことしていないで、力を抑えて少しでも元気になってほしいのに。

 でも彼の気持ちを思えば止めるべきではないとも分かるから、もどかしくて、胸がずきずきと痛かった。



* * * *


-―――まさか。


まさかまさかまさかまさか。


 彼女を目に入れた瞬間。すでに鋭気を失いつつあったヴィートの身体に、かっと熱がのぼった。

 アンナと名乗った彼女が、シェイラの横に寄り、恐る恐るヴィートの鱗へと手を伸ばしてくる。

 眉を下げて戸惑った様子ながら、澄んだ瞳で真っ直ぐに見上げてくる。

 そのしぐさも、表情も、何もかもが彼女(・・)に瓜二つで、鱗に触れられた先の細い手首に良く知ったものが存在していたことで、あぁ、と深く息を吐いた。

 ヴィートがある一人の人間の少女に送った己の一部。

 竜の加護をはめ込んだ腕輪が、アンナという少女のもとにあった。


『リオナの、血縁者か……』


 ヴィートが念話で送った呟きに、アンナもシェイラも不思議そうに首を傾げていた。

 ……竜の加護は贈った相手が死ぬと効力を失う。

 だから彼女(リオナ)が世を去ったと同時にぷつんと切れた絆で、命を終えたのはヴィートも知っていた。

 しかしそんな腕輪は、遠の昔に葬られたものだと思っていた。

 別れ際、放り投げるように、「必要のないものだから捨てておけ」と言いつつ渡したような、そんな程度のもの。

 たとえリオナが所持をしていてくれたとしても、力を失った加護など、ただの飾り石にもならない。

 だからその後に誰かが持ち続けてくれているなんて、ヴィートは考えたこともなかった。

 ヴィートが一心にそれに視線を注いでいることに気づいたらしいアンナは、自分の右腕を大きく伸ばし、大きさの違いすぎるヴィートの目に映るようにと精一杯かざしたた。

 腕輪の石とヴィートの顔を見比べながら、ヴィートの先ほどの呟きに答える。


「リオナという人は、ごめんなさい。知りません。これは私のご先祖様の形見だと聞いています。曾お婆ちゃんから祖母へ受け継がれて、母、私へと、我が家の女系に代々渡されてきました。……貰ったご先祖様の、一番の宝物だったんだって」

『たから、もの』

「……? 風竜様?」


 ヴィートの喉の奥が、震えた。

 「グォゥ」と、低いうなり声が大気を震わせ、驚いたアンナの瞳が丸まった。

 驚く表情さえリオナに似ていて、見れば見るほどに、確実に血を受け継いだ人間だと分かる。

 ―――自身の一部を、宝物だと。

 そうリオナが言ってくれたのだと、ヴィートは初めて知った。

 この町にヴィートが来た理由が、探していた人の痕跡が、今やっと見つかった。 

 

(諦めていたのに)


 ヴィートは浅く息を吐き、急く心臓を落ちつける為に自分の前足をきゅっと握りこむ。

 鋭い爪で草地が削れ、濃い色をした土が緑の地から顔を覗かせた。


『シェイラ』


 ヴィートは心配そうな表情で覗きこんでくるシェイラに視線を向け、静かに念話を送った。


『俺はもう。消える。死ぬんだ』

「っ!」


 そうヴィートが言うと、予感はしていただろうに、シェイラの目は見る見る間に見開いていって、何度か口を閉じたり開いたりを繰り返した。 

 そして信じたくないと。否定するかのように頭を振ってみせる。


「何をめったなこと言って……!」

『事実だ』

「や、です……」


 消え入るような細い声で、シェイラはその変えようもない事実を拒絶する。


『寿命だ。竜は気の凝縮体。年月を経て個としての形を保つことが出来なくなれば、風の大気に交わり世界を巡るまわる風となる。そしていずれまた竜として生まれるだけだ』

「そ、んな……」


 人の死とは違い、竜の死は本来あるべき場所に戻るだけのこと。

 風は常にともにある分身。

 交わり戻ることに恐怖などありはしない。

 ヴィートはおっくうな動作で自分の尾を動かしてみせた。

 視線をよせた尾の先の、想像していなかった現象に二人の少女が息をのむ。

 そこはすでに形を保てずに、光の粒子となって大気に溶けだし始めていた。

 緩やかな風にさらわれて、光は周囲へと舞い散り溶けてゆく。

 幻想的ともいえるその光景にヴィートは目を細め、一つ息を吐いた。


『自分の死期くらいちゃんと分かって、後悔のないように生きてきたんだ。ただ、な…』

「た、ただ?」


 シェイラの洩らす声はもう涙まじりの震えた声になっていた。

 死ぬなんて、消えるなんて、そんなの信じたくはないのだろう。

 もしかすると誰かの死に立ち会うのは初めてなのかもしれない。

 けれど当の本人であるヴィートは、これまで感じたことのない程の満足感を感じ、笑みを漏らしている。

 そんな知らないヴィートの表情に戸惑うシェイラと、呆然としている様子のアンナ。

 ヴィートは二人の少女と幼い竜達をそれぞれに視界に入れたあと、また力なく笑った。

 「グォゥ」と、言葉にならない声を上げて。


『ただ、一つだけ気になることがあった……。だから俺は、死ぬ前にこの町に、ルヴールにきた』

「気になること?」


 シェイラと、そしてアンナが眼鏡の奥にある瞳を瞬かせて首を傾げていた。 

 ヴィートは彼女の眼鏡の奥、古い記憶にあるものと良く似た瞳を見つめた。


『リオナ。俺が恋をした人間の娘を探して』


 シェイラもアンナも呆けたように口を開いている。

 スピカとココは、いまいち状況が分からずに、でも騒ぐことなく神妙な顔でヴィートにより添ってきた。 

 同じ竜であるから、死がつらく苦しいものではないのだとなんとなく分かっているのだろう。 

 その間にもどんどん、彼の身体は光りの粒子となって周囲に散っている。


『リオナとも、ちょうどお前たち位の歳の頃に出会った。お前には俺みたいになってほしくないからな。聞いておけ』

「っ……」


 ヴィートはシェイラの鎖骨の中央に光る赤い竜の加護に気付いていた。

 シェイラがこのまま竜である己を受け入れず中途半端なままでいるならば、ココやスピカだけでなく、その加護を送った火竜をも巻き込むことになる。

 しかし長く飛べようが飛べなかろうが、完全な竜であろうがあるまいが、周囲にいる竜達は構わないのだろう。

 でもヴィートは、どうしても彼女に半端なままでは居てほしくなかった。

 自分のように逃げて(・・・)後悔しないように。

 だからヴィートはシェイラに、中途半端で居ることは悪いことだとでも言う風に説いていた。


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