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竜の卵を拾いまして  作者: おきょう
第三章

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その内側に秘すること④

 勢いよく振り落された大の男の手。

 衝撃でくらりと目の前が一瞬暗転したシェイラは、しかし何とか堪えて意識を戻す。

 ぶたれた左の顔半分が、焼ける程に痛い。時間がたてば、腫れるのだろう。

 誰かに暴力を受けたのは城で一度刺された時以来だった。


(痛い。――でも、取り戻したわ)


「ココ」

「きゅう」


 シェイラの腕の中には今、確かにココが居る。

 男が手を振りかぶったタイミングで、懐に飛び込み、どうにか赤い竜の姿をしたココを引きはがした。

 シェイラは草地に手をついて身を起こしながら、もう片方の腕でココを固く抱きしめた。

 暖かくて小さな火竜の子の重みに、泣きそうになった。

 

「シェイラ!」


 アンナが駆け寄って来て、シェイラの脇に膝をつくなり不安げな眼差しを向けてくる。

 

「大丈夫!? ココも怪我はしてない!?」


 シェイラとアンナ、二人でココの体をぐるりと見て、怪我がないようだと安堵する。

 竜の姿で、固い鱗に全身が覆われていたのが幸いした。

 人の状態のやわらかな皮膚のままだったら、きっと擦り傷では済まなかっただろう。 

 きゅうきゅうと鳴きながら縋り付いてくるココに、シェイラは深く安堵の息を吐く。

 しかし直ぐに頭上から、悪意の込められた言葉が投げかけられ、体が強張った。


「くそっ!! さっさとその竜よこせよ! ほら、火傷の慰謝料も必要だしさぁ。お前、邪魔。鬱陶しいんだよ!」

 

 それまでの彼の口から出たとは思えない、支離滅裂にシェイラを責める台詞。


「わ、渡すわけないでしょうっ。それより、どうしてこんなことをっ!」

「はっ。うちの母さんに聞いたんだよ」

「母さん、リジー様?」


 馬車で一緒だった、おっとりとした老婆が脳裏に蘇る。

 彼女と似た穏やかな笑みを、目の前の彼も少し前までは浮かべていた。


「馬車の中で、あんたと黒い髪の子が寝ているときに。その子が自分で言ってたんだってよ。竜に出会えたなんて何て幸運なんだって、喜んでたよ」

「っ!!」


 シェイラは思わず、腕の中のココを見下ろした。

 ルブールの町にたどり着くまでの乗り合い馬車の中で、確かにシェイラは結構な時間を眠りの中にいた。

 眠っている間好奇心旺盛なココが周りの人と楽しそうに話をしていたのは知っている。

 でもまさか自分から、絶対に言ってはいけないことを言っているなんて。


「ココ、どうして……」


 ココはシェイラにすがり付きつつも、僅かにびくりと体を跳ねさせた。

 その動揺こそが、事実なのだと語っている。


(……――いいえ。ココは悪くないわ。私のせい)


 幼い子供に『駄目だ』と言って、そのうちの幾つを確実に守れるというのか。

 責任は全部、親である自分にある。

 こんなに震えるくらいに怖い思いをさせているのは、シェイラが親として足りなかったからだ。


「俺は母さんみたいに、あんな風に単純に喜ぶだけなんて有り得ないな。君も、その竜がどれだけの価値があるのか分かっているのか。そうやって可愛がっているだけじゃなくて、俺なら有効に使えるのに!」

「有効? 使う?」


 シェイラの顔にかっと血が上る。


「貴方は竜を価値のある『物』としか捉えていないのですね。そんな人に絶対に、うちの子は渡さない」


 使わせるなんて、絶対にさせるつもりはない。

 ぎゅうぎゅうとココを抱きしめ続けるシェイラは、顔を上げてカミルを睨みつけた。  

 ―――その激情から、竜の気が覗く。

 瞳が獰猛で鋭利な竜の瞳に変化していることには、シェイラ自身は気づかなかった。

 アンナは息を飲んで言葉を詰まらせた。

 目の前で直接にシェイラの怒りに充てられたカミルは、びくりと肩をこわばらせる。

 しかしそれだけで何の変哲もない少女を竜と断定は出来なかったらしい。

 彼は(かぶり)を降りすぐに己を取り戻し、大きく抗議の声を上げた。


「このっ、生意気な……! 絶対許さない!!」

「シェイラ!」

  

 アンナの悲鳴が届くと同時に、シェイラは再び振り落された拳に震え、身を縮めた。


 そして、吹いたのは―――――風。


「え」

「うわっ?!」 


 ふわりと軽やかに、目の前の男が空へと舞い上がる。

 渦巻くの風と、舞い上がる草や砂。

 シェイラやアンナの目にも確認できる、密度の高い竜巻だ。

 規模以上に大きな力を有しているらしいその竜巻は、カミルの体を見上げる程に高くまで放り投げてしまう。

 瞬間に風はとたんに止まり、落下した彼は地に思い切り叩きつけられた。


「っ……!」


 勢いよく地に打ち付けられた男の体は背中をしたたかにうち、息をつめた後に大きくむせている。

 立ち上がれないようで横たわったまま、げほげほとせき込むカミル。

 柔らかな土と草地だから、命の危険まではないのかもしれない。

 しかしその苦痛に満ちた表情から、骨の一本や二本は犠牲になっていそうだった。

 そして何が起こったのか、誰もが自体が把握できないままに、獰猛な鳴き声に大気そのものが震える。


「グオォォォォォーーー!!」

「っ……!」


 地上にいるシェイラたちに、暗い影が落ちる。

 全員が見上げたのは空。

 真上にいたのは、巨大な竜。

 艶やかな藍色の鱗に覆われた姿で、首を反らし、牙を剥き出しに吼えるその風竜は、翼をはためかせる。


「うわぁ!!」


 男がまた転がった。 

 まるで軽やかな玉蹴りの玉のように、あっさりと体が再びに宙に踊る。

 それほどに強い風がカミルを襲っているのに、シェイラたちには凪いだ穏やかな風しか当たってはいない。

 もう一度、カミルが地上に落下する。

 

「か、はっ……」


 薄茶色の瞳を見開き、声にならない声を上げたカミルは、そのまま動かなくなった。

 

「…………」

「ったく。これだから人間は」


 とん。とシェイラの傍らに降り立ったのは、一瞬で姿を変えた、背中に藍色の翼を生やし、頭に角を覗かせたヴィートだった。


「しぇーらママ!」

「スピカ!」


 彼の背後から現れたのはスピカだった。


「いつの間に……」

「ココがヴィートがちかくにいるっていってたでしょ? だからさがしてきたの! ママをたすけてって、おねがいしたの!」

「そうだったの、有り難う。スピカ」


 シェイラとアンナがココに必死になっている間に、スピカはヴィートを呼んで来てくれていたのだ。 

 緩く吹く風により、ヴィートが身にまとう幾重にも重ねられた布がはためいている。

 髪に隠されている顔もあらわになっていて、その鋭い竜の瞳が怒りを含んでいることを知らしめた、 


「ひっ、……!」


 竜の怒りに触れ、おびえない人間がいるはずがない。

 人よりずっと大きな力と体をもつ存在。

 畏怖さえ感じるほどの圧倒的な差を目の前にして、彼は真っ青になっていた。

 ただ、怯えるカミルに反してシェイラはひどく感動していた。

 襲われて、怖い思いをしたことなど、今はあっさりと飛んで行ってしまっている。打たれた頬の痛みさえも、忘れてしまった。

 

(す、ごい……)


 今のヴィートが人と違うところは、背中の翼と鋭さを増した瞳だけだ。

 なのにこの迫力。

 竜の姿の時も素晴らしく恰好良かったけれど、今の状態でだってまったくその迫力は衰えていない。


(さすが、竜! 素敵すぎるわ!)


 ソウマに怒りをぶつけられた時、確かにシェイラは怯えて泣きそうになった。

 ヴィートに叱られた時も、身を固くした。

 なのに今はむしろこの迫力に感動さえしている。

 格好いい!と思ってしまっている。

 ひりひりと肌を焼くほどの激情が、自分を素通りして男へと流れているから、素直に興奮出来るのだ。


「……ヴィート、さん。本当に風竜なのですね。竜の姿、とっても大きくて迫力があって!」

「おい」

「かっこういい……」


 ほうっ、ととろけるような瞳で見上げられたヴィートは明らかに後ずさった。

 アンナも若干、引き気味だ。

 

「この状況で喜べるなんて、シェイラったら大物だわ」


 そんなアンナの小さな呟きは、感激に打ち震えるシェイラの耳には留まらずに流れていった。

 ヴィートはひくひくと口元を引きつらせながら、熱い眼差しから目をそらす。

 そんな彼のそぶりも気につかず、ただきらきらとした憧れに満ちた瞳で見上げるシェイラ。

 しかしヴィートの肩越しに見えた光景に、はっと我を取り戻し、悲鳴交じりの声を上げるのだった。


「ヴィートさんっ」


 カミルが、背後から短剣をヴィート向けて付き差すところだった。


(まだ動けたの!?)


 太陽の光に反射して光るのは、ストヴェール子爵家の紋章の入ったもの。

 カミルの脇腹にシェイラが突き刺したその剣先には、振り下ろされる前から血が滴っている。

 人の姿の状態では、剣は肌を貫いてしまう。相応の怪我は避けられない。

 シェイラは一瞬にして頭から血の気を引かせたが、ヴィートは落ち着いた様子で僅かに首だけで振り返り、カミルを睨みつけただけだった。

 更なる強い、威圧感。ぞくりとした寒気が、シェイラとそばに立つアンナにまで伝わった。


「ひ、ぃ……っ」

  

 それだけで、大口を開けた肉食獣に食べられる直前のような恐怖がカミルを襲う。

 彼は目を恐怖に見開き、身を震わす。

 剣は手から抜け落ち、草地に音を立てて転がった。

 

(今の今まで、ヴィートさんは加減をしていたのだわ。本気になれば、睨みだけで意識を奪ってしまえるかもしれない)


 ぞくりとした何かが背中を這いあがったのをシェイラは感じた。

 そしてそれは、そばにいる固い顔をして立ち尽くしているアンナも同じなのだろう。


「や、…っ!!」  


 腰を抜かしたカミルが、後ずさろうとするが、震えが止まらず上手くいかないようだった。

 ヴィートは深く溜息をはき、体ごとカミルに向き直る。

 幾重もの布の奥。

 怒りに満ちた竜の眼光が、彼を正面からとらえた。


「っ……」

「ったく、竜の子をさらおうなんて……本当に人間は欲深い」


 竜は人々に愛される、国にとって大切な存在だ

 それでも悪意を持ち、利益のために希少な竜を手に入れたいと言うものも沢山いる。

 それは武器などに加工できる角や鱗目当てだったり。

 飼いならして力を得ようとする欲だったり。

 理由は様々だけれど、手にすれば人にとって利益になるものであることは確かだった。


「ひぃっ……」


 カミルの顔色はもう血の気が失せて青ざめている。

 がたがたと震える男を前に、ヴィートはココに視線を送った。 


「ココ、いけ」


 顎をくいっと向けて彼が支持を出すと、シェイラの腕の中にいたココはゆっくりと瞬きを繰り返した。


「きゅっ!」

「ココ?」


 ココの表情がきりっとやる気に満ちたものへと変わる。


「あ」


 シェイラの腕の中からいそいそと抜け出したココは、宙を飛びながらお腹と頬を大きく膨らませる。

 白いお腹がまんまるになった。


「あ、あぁ……」


 彼らがしようとしていることを察したシェイラは、止めるべきかどうか手を伸ばして右往左往するばかりだった。

 もう戦意を失っている相手に、そんな事。と思わないでもない。

 でも草地に腰を落としているシェイラの背中におんぶするかのように乗って来たスピカが、肩口から耳元に囁いてくる。


「いーのよ、ママ。わるいこには、おしおきしないとだめなの」

「す、ピカ……?」


 首だけを回して振り向いたシェイラの目には、とっても怖い笑顔をたたえたスピカが映った。

 


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