死にたがりの竜①
「きゅうっ!」
「きゅっ」
鳴き声と一緒に草地に思い切り飛び込んだのは赤と黒の竜。
緑の匂いを鼻をひくつかせ吸い込んだあと、二匹はじゃれあいながらゴロゴロと転がり出した。
ほんの少し傾斜になっているから、丘の傾斜で転がる勢いは増していく。
慌てたシェイラが小走りで先回りをし、腰を落して手で堰き止めた。
「きゅう!」
首をもたげて見上げてくる大きな瞳に、シェイラは思わず噴き出して笑ってしまう。
それらは爛々と輝いていて、興奮しているのがよく分かる。
「ふふっ。楽しいのは分かるけれど、もう少し大人しくしてね」
「きゅぃ!」
ヴィートと約束したその時間、シェイラたちは街外れの丘に居た。
海に面した側は絶壁の崖になっている。
でも少し離れれば緩やかな傾斜にふかふかの草地が広がり、その上の所々にシェイラの背丈以上もある大きな白い岩が転がっている。
町から離れていることもあり、何も珍しいものは無い。
加えて崖もあるから、子供達の遊びの場としても適さず、ほとんど人は近寄らないらしかった。
久しぶりに本来の姿で思う存分動き回れるココとスピカは、触れると気持ちいい草地の上で、体中に草を張り付けてころころ転がったり、飛び上がったりと喜んでいる。
竜そのままの姿で青空の下を自由に動けるのは、やはり気分が違うらしい。
シェイラは子供達が停止し、今度はバッタを追いかけだしたのを確認してから立ち上がると、傍に佇むヴィートへと向き直った。
「長時間飛ぶ練習って、どうするのですか?」
「練習と言うか、風と仲良くなりさえすればいけるだろう」
ヴィートは相変わらず気だるげな様子だ。
無精ひげも猫背も健在で、真昼の太陽の下がこんなに似合わない見目も珍しい。
「風?」
シェイラは青い空を仰ぎ見た。
町中のように遮るものが何もないから風が強つよい。
流れる白銀の髪を手で押さえつつ、首を傾げた。
「空を飛ぶのだから風を、というのは分かりますけれど」
竜は空を飛ぶ生き物だから、自分の纏う性質の気でなくても、ある程度なら風も扱うことは出来る。
術と呼べるほどの特化した技術は、流石に風竜にしか扱えないが。
「でも風と仲良くなるって具体的には?」
シェイラだって空を飛べるようになりたい。
だからどうやって練習すればいいのかを教えてもらいたかった。
でも『風』だなんて言われてもシェイラには分からない。
ヴィートは呆れた顔で溜息を吐いて、やる気なさそうに目をそらした。
「さぁ」
「さぁって……」
「感覚的なものだからな。俺らだって分からん」
「それなら、どうやって使えるようになればいいのですか?」
目にも見えない。どんなものかも分からない。
使っているヴィート自体が分からないと言うものを、シェイラが分かるはずがない。
「知るか。だから、竜になれば分かるんだよ。竜の子どもには分かる感覚を、人間のお前に理解できるようになんて説明できるか」
ヴィートの台詞に、シェイラは唇をゆがませた。
いまだに『人間』であることに縋り付いている自分を責められたような気がした。
「だって……」
怖いものは、怖い。
嫌だとか言うのではない。
もうココやスピカ、ソウマと一緒に一生を生きていくと決めている。
でも、自分自身の姿までが変わってしまうことを、あっさりと全部受け入れられるくらいに、シェイラはまだ竜に染まってはいない。
この気持ちがただの意気地なしなのだという自覚はある。
(だって私は人、なんだもの……。どう見たって人の手だわ)
手のひらを見下ろすと、人間らしい白い肌に覆われた指が目に入る。
丸く整えている爪先は竜の鋭いそれとは比べようもない。
(十六年間ずっとこの体で生きてきたのに、変わるって言っても)
見下ろしていた手のひらから顔を上げたシェイラは、ヴィートを見上げる。
「竜である自分を受け入れるって、どうすれば……」
「だから知らんって。しつこい。お前のことで協力できることはない。するつもりもない」
「っ…、意味がわかりません」
「だから、俺だって分からんって」
「竜なのにっ」
「竜でも分からん。そもそもそんなに小難しい理屈を考えるのは人間くらいだろう」
思わず睨んでみたものの、八つ当たりだなんてわかってる。
城に居た頃、ソウマもクリスティーネに気や力に聞いても『なんとなく』や『そんなもの』としか答えてはくれなかった。
本当に竜にとっては当たり前で深く考えもしないことなのだろう。
どうして?と言う疑問を、まぁいいか。で終わらしてしまう彼ら。
あの頃はシェイラも竜ってそうなんだ、と納得するだけで良かったけれど。
今となれば分からないことがもどかしい。
(とにかく。どうにかしないと、本当に竜の里に行けなくなるわ)
これはヴィートに頼ったってどうすることも出来ないらしい。
自分自身の、問題なのだ。
一つの里も見ることなく、城に変えるなんて嫌だった。
ずっとずっと夢だった場所がすぐ近くにあるのだ。
諦めるなんて出来ない。
(……竜のいう通りなんとなくで、あんなに凄いことを出来る気がしないのだけど……)
物理的な、翼を動かして空を飛ぶことはもちろん。
説明もつかない不思議な力をなんとなくで操れる日はいったいいつ来るのだろうか。
別に急いではいない。
ゆっくりでいいと思う。
もし水竜の里に行くのに何年もかかってしまうのだとしても、それも経験としては有りなのかもしれない。
でも、こうしてあまりにも何も出来ないと少し自信を無くしてしまいそうになるのだ。
「きゅ?」
「っ」
スピカの鳴き声に、シェイラははっと割れに帰って首を振る。
いつの間にかそこに居て、足にすり寄ってくるスピカに笑って見せ、少しかがんで頭を一撫ですると、スピカは満足したようでまたココを追い走っていった。
シェイラはスピカを見送り、小さく深呼吸をした。
そしてヴィートに向き直る。
「ココとスピカは、飛べるようになるのですよね」
「あぁ。純粋な竜であるなら風の気も分かるからな、お前と違って」
微妙に嫌味な台詞を呟いて、ヴィートは彼らの方にゆっくりと歩いていった。
何歩か歩いたあと、ヴィートはこちらを振り向いて怪訝に片眉を動かす。
「お前はどうするんだ? 稽古なんて見ていても面白くないとおもうが」
「わ、私はその、とりあえず。……んー……、っつ」
シェイラは背中に意識を集中し、内側から外へと翼を出す。
「っよ、し」
ばさりと、鱗に覆われた白い翼を動かす音が耳を打つ。
見た目に反して重さを感じない翼は、気を抜けばその存在を忘れてしまいそうなほどに体に馴染む。
「私! 飛ぶ練習してきます!」
シェイラはヴィートに向かって大きな声で宣言した。
気持ちの問題なのだと言われても。
飛ぶために出来ることなんて、今は実際に羽を動かしてなれることくらいだ。
そして草にまみれてコロコロ転がっているココとスピカに視線を向ける。
浮くことも出来ない自分がここで子供たちに教えられることは何もない。
だから今は、全てをヴィート彼に任せよう。
「ココ、スピカ、頑張ってね!」
「きゅ!」
「きゅう」
それからシェイラは少し歩き、ココとスピカとヴィートとは距離を置いた。
声は聞こえないけれど姿はきちんと確認できる距離で、シェイラは深呼吸を繰り返す。
「よっ…え、と……」
背中に生える、鱗に覆われた竜の翼に意識を集中し、可能な限り翼を早く動かした。
しっかりと意識しながらであれば、一応思い通りに翼は動く。
翼のあおりに風が動き、草が揺れる。
しかしそれはそよ風にもならないほどに穏やかすぎる風。
自分の体が浮くほどでは、とてもない。
* * * *
――――そんなシェイラを呆れた風に遠目で眺めながら、ヴィートは呟きを漏らした。
「どれだけ練習したって無駄なんだがな」
いくら翼を動かそうが、それだけで飛ぶことは出来ない。
風を纏わなければ他の生き物より質量の重い竜の体を、あんな程度の大きさの翼で軽々と浮かすことなんて、物理的に不可能なのだ。
なのに白き竜の血を引く半端者の少女は、ぴょんっと足を蹴り、浮いている間に必死に翼を動かして更に浮こうとしている。
そんな飛び方をしても結局保つのは数秒程度。
必死にやっているようだが頑張りは報われず、あっさりと草の上へ落ちていく。
呆れた表情をするヴィートの視線の先で何度も何度も繰り返しているが、どれだけやっても進歩はなさそうだ。
そもそも風が彼女を包んでいない。
満足に、飛べるはずがない。
「はぁ。だから、飛ぶ練習より竜であることを受け入れろって言っただろーが」
ヴィートは悪態をつきながら首を横へ振る。
そして今度は、やたらと鳴き声をあげるの子竜達にも思い切り眉を寄せタ。
「きゅう、きゅっ?」
「うきゅー」
「きゅ!」
「うるさい。お前たちは大人しくしろ。親の心配をしている場合でないぞ」
煩いから、眇めた瞳できつく睨んだ。
「きゅ……」
するとココとスピカの体が小さく跳ねあがり、次に怯えたように大人しく草地に足をつけた。
「よし、始めるか」
ヴィートは大人しくなったこの隙にと、彼らの前に片膝を付ける。
丁度ヴィートの胸のあたりの、膝をついてもまだ小さすぎる子供たちからすれば見上げるほどに高い位置で彼は手を掲げ、風の気を集めた。
上向けた手のひらの中に、風が小さな渦を巻く。
人の目には見えない、しかし竜の目にははっきりと映る風の気だ。
やがて風の渦は徐々に凝縮され、ボール状の形に出来上がった。
「ほら」
「きゅー! きゅっ!」
「きゅう?」
珍しかったらしく、興味津々に飛んでその高さまで来た二匹の子竜達。
ヴィートは高くその風の玉を放り投げた。
それは空中でほどけ、すぐに大気に風の玉は溶けていく。
首を伸ばして天を仰ぐ火竜と黒竜の子どもたちは、口をぽかんとあけてその様子を凝視していた。
「風の気を高めてこれくらい出来るようになれば十分だろう」
先ほどシェイラに言った通り、詳しい説明はいらない。
見て、感じれば、どうなっているかを理解出来るものなのだ。
あとは慣れでしかない。
何度か繰り返し、手の中に集中して集れられるようにさえなれば、それを翼に集めたり体に纏わせ飛行を楽にするコツを掴んだと同じことだ。
この程度の風ならば、どの種族の竜であったとしても操れる。
「きゅ!」
ココはその風の玉がよほど面白かったのか、やる気に満ちた赤い瞳を輝かせた。
ヴィートの視線の高さを飛びながら、両方の前足をかざし、周囲に舞う風を集めていく。
スピカも彼の隣まで浮遊して、その様子を覗き込んだ。
ヴィートは腕組をして立ち、彼らの様子を眺めている。
風が動く気配を感じながら。
「きゅぅ?」
少しして、こてんっと、ココの首が傾げられる。
ヴィートの手の平の上に出来たような、凝縮した玉にはどうしてもならない。
どれだけ集めても、爪の間からすうすうとそよ風が抜け出てしまう。
「きゅ、きゅー!」
「きゅうっ!」
スピカがしっぽを振りながらココを応援し、ココは頷いて再度気を取り直してチャレンジする。
しかし何度やり直しても、結果は同じだった。
「……きゅー」
ココはしゅんとうなだれた。
左右に揺れていた尻尾も下へと下がる。
何だか難しそうだと理解したスピカも、同じように落ち込んでしまう。
早々に諦めそうな子供たちに、ヴィートは大きく溜息を吐いて首を降った。
「まだ開始して五分だろうが……。どれだけ甘ったれなんだ。大丈夫だ。風の気は分かるんだろう?」
「きゅっ」
「きゅうっ」
「だったら慣れだ。なんとでもなる」
ただ感覚を覚えれば良いだけで、出来ないはずがなかった。
「ココは、ちょっと時間かかるかもだが」
「きゅ?」
「持ってる力が大きいから、扱いにくいだろう」
間近で感じるココの纏う火の気の強さに、ヴィートはそう考えていた。
この年頃の竜ではまだ得られるはずのない程の力を秘めた子。
力が大きいがために扱うのは大変だろう。
「きゅ……」
「落ち込むな。一度扱えるようになれば、きっと他の火竜よりも、風も上手く扱えるようになる」
「きゅう?」
「あぁ、絶対だ」
しっかりと頷いて見せるヴィートに、一端落ち込んでいたココはみるみるまにやる気と取り直していく。
「きゅうっ!!」
喉をそらし、ひときわ高く鳴いたあと、また前足をかざして練習を始めるのだった。
その様子を見ていたスピカも次第にやる気になったのか、ココの隣で同じような姿勢で風の気を集め始めた。
そんな子供たちに、ヴィートは密かに溜息を洩らした。
平常を装ってはいるけれど、彼は僅かに動揺している。
話には聞いていたけれど、まだ目の前に始祖竜と黒竜がいるということに違和感がぬぐえないのだ。
シェイラを含め、彼らは自分たちがどれだけに貴重で有り得ない存在なのか、まったく理解していないように思える。
いや、理解はしていても実感が無く、そして深く考えてもいないのかもしれない。
しかしその能天気さこそが、生まれゆえに将来的に面倒事に巻き込まれるだろう彼らの、強みになるか、弱みになるか。
そこまで考えて、ヴィートは首を大きく振って意識を拡散する。
深く考えたって仕方がないことだ。なるようになる。
(あー……。将来のことなんて、もう俺には関係ないのに)
ヴィートは自分の役目はこれで終わりだと思っている。
きっと二度と彼らに関わる時は、もう来ない。




