世界の色が変わる時③
アンナ達がお茶の用意をして待っていると知っていても。
どうしても直ぐに、彼女の元へ戻る気にはなれなかった。
シェイラの頭の中ではぐるぐると焦りが渦巻いていた。
とにかくまずは状況を整理しようと、シェイラはベンチで眠るココの隣に腰かけながら、膝の上に抱いたスピカに尋ねてみた。
マイクのたどたどしい説明だけしかまだ、聞いていなかったから。
スピカの話も聞かなくてはいけない。
「スピカは、どうして力を使ったの?」
するとスピカは責められていると思ったのだろうか。
くしゃりと顔をゆがめ、シェイラの胸元あたりで手を握りしめてうつむいてしまった。
小さく肩が震えた後に、しゃくりあげた声が届く。
「……マ、マイクがころんで、けがして……だ、から……」
「―――だから?」
「スピカ、しん、ぱい…でっ……」
「そう……。そうなの。治癒の力、かしら? それはいつから?」
「はじめてよ。こんなの、しらなかったの」
「そう」
「しぇーらママ、ごめんなさい」
「スピカ……」
……ココの場合は、いまひとつ『どうして竜であることを隠すのか」を理解していない。
けれどスピカは、自分を隠すためだけに母親が最後の力を使った過去がある。
長い間一匹だけで闇の中に隠れ続けていたから、なんとなくでも自身が表に出てはいけない立場なのだと感じているようだった。
だからこれほどまでに後悔をしている。
してはいけないことをしてしまったと、動揺している。
(そんなに怯えなくてもいいのに。でもこの警戒心は確かに必要なもので、完全に否定も出来ないわ。……これから、どうしようかしら)
アンナはこんなに突飛のないことは、信じられないようだった。
でもマイクの必死な訴えに不思議そうに首を傾げてはいたし、何かあるのだろうとは思われたはず。
そしてマイクは、間近で見てしまった以上、誤魔化すのは難しい。
たとえ周囲の人間が信じなくても。
彼自身はずっと疑念に満ちた目でスピカを見てくるのだろう。
直ぐにこの宿から離れてしまうのもありかもしれない。
でもそれは、解決というには程遠い手段。
「うーん」
シェイラは深く息を吐く。
空を見上げ、流れる雲を薄青の瞳で追いながら、スピカのまっすぐで手触りのいい黒髪を、手で梳いた。
さすが火竜が選んだ昼寝場所は、穏やかに日の当たる場所で心地がいい。
日向ぼっこをしつつ、何度も何度も繰り返し頭を撫で髪を梳いていると、次第にスピカが落ち着いていくのがわかって、シェイラも安堵する。
(でも。スピカは別に悪いことをしたわけじゃないのに……。あれはないわよね)
時間を経て冷静に事態を考えられるようになったとたん、ふつふつとマイクに対しての怒りが沸いて来た。
子供に何をむきになっているのだと頭の片隅では理解している。
けれど怪我をしたマイクを治療したことで、何故スピカが『ばけもの』とまで言われなければならないのか。
(こんなに、こんなに可愛い良い子なのに!)
シェイラはスピカをきつく抱きしめた。
それから自分のほうへと引き寄せて、頭の上にキスをすると、意識して明るい声を出し、はっきりと述べた。
「偉かったわ」
「え?」
シェイラの声に反応して顔を上げたスピカの目には、涙が溜まっていた。
幼い子供の悲壮感ただよう表情に、シェイラの胸がちくりと痛む。
シェイラは丁寧に磨いた黒曜石のような綺麗な瞳を見つめ、スピカの額と額を合わせると、穏やかに優しく笑って見せた。
こんなの大したことではないから。大丈夫だと。そういう気持ちを込めて。
「マイクの怪我を治してあげたのは、とっても偉いわ。弱っている人に手を貸すことは良い事よ。それにいつの間にか黒竜の力が使えるようになっているなんて。凄いわ、スピカ」
「…………。で、でも、マイクは……」
「きっとびっくりしたのね。竜の力を見ることはあまりないから」
「びっくり?」
「えぇ」
「……また、あそんでくれるかな」
ぽつりと落とされたその台詞が、余りに予想していなかったもので、シェイラは薄青の瞳を瞬いた。
「スピカ?」
「きのーも、きょうも、たのしかったの。また、あそびたいの」
「…………」
きっと今回のことで、スピカはマイクのことを避けるようになるだろうとシェイラは思っていた。
でもスピカは、傷ついてもまだ、マックと遊びたいと言っている。
『ばけもの』と言われてもなお、関わりたいと思えるものなのだろうか。
(私なら、絶対無理だわ。怖いもの)
あんな台詞を投げられてしまえば。
シェイラだったらもう、その相手に自分から近づくことは出来なくなるはず。
なのにスピカは、違うのだ。
「スピカ、凄いわ……」
「ママ?」
自分よりずっとずっと勇気のあるスピカを、シェイラは心から尊敬した。
涙目で見上げてくる、今自分の腕の中にいる幼い子が、こんなに凄い子だなんて知らなかった。
沈んで暗くなっていた気持ちに、仄かな灯火が付く。
シェイラは口元を綻ばせて笑顔を浮かべた。
「きっと大丈夫。仲良くなれるように、分かってもらえるように、頑張りましょう」
もしかしたらマイクはもうスピカと関わりたくないと思っているかもしれない。
でも、彼との関わりを望んでいるスピカの為にも、何とかしたい。
そうして笑顔でスピカを見つめたその後ろに、ふと。人の影が映った。
「……?」
何だろうと顔を上げたシェイラは、いつの間にか目の前に仁王立ちしているマイクと目が合ってしまう。
彼の眉はつり上がり、目元は僅かに赤身を帯びていた。
「マイク……」
「え?」
シェイラの言葉に、スピカも首だけで振り向いて彼をその目に映す。
きゅうっと、シェイラの胸元あたりの服地を、彼女が握ったのが分かった。
(しっかりしないと)
シェイラは息をのみこんだ。
次に彼がどんな罵声を…『ばけもの』と言う以上の台詞をかぶせてくるのかと考えると、身体が固くなる。
それでも腕の中の小さな暖かさを傷つかせたくなくて、守ろうと、抱きしめる腕に力を込めた。
「マイク。どうしたの? 食堂でアンナと待ってくれているものだと思っていたのだけど。何か用かしら」
「ね、姉ちゃんが、あやまって来ないとおやつなしって言うから……」
「アンナが?」
マイクは俯いてから、不服そうに唇を突き出す。
「でも誤らねぇ。俺、うそついてねぇし」
(それはそうよね)
彼は何も嘘なんて付いていない。
マイクの言う突拍子もない出来事はあまりに現実身が無さ過ぎて、周囲の大人が信じられないだけだ。
信じて貰えないことは、きっと酷く歯がゆい。
目の前に立つ彼の手は、固く握りしめられていて、僅かに震えていた。
間違いなく起こったことを、誰にも信じてもらえなかったことが悲しく、そしてとても悔しいのだ。
(これは、もう話した方がいいわよね)
実際に力を見てしまったマイクには、もう話してしまったほうがいいだろう。
冷静に考えられるようになった今、きちんと説明をして、分かってもらうように努めるべきだと思った。
何も見ていない、スピカの力を『有り得ないこと』と思いきっているアンナには、まだ言う勇気がなかったけれど。
実際に見て、力を受けた彼までを誤魔化すことはもう難しい。
「あのね、私たち……」
「大人はだまってて!!」
「っ!?」
説明しようと話し出したシェイラの声を、強いマイクの声で拒絶されてしまった。
思わず一瞬だけ、口をつぐんだシェイラを、マイクは真っ直ぐに睨んでくる。
そして彼は両手を腰に宛てて胸をそらし、顎を上げて宣言するのだ。
「これはっ! 俺たち子供どーしのもんだいなんだ!」
「え? あの、でも説明を……」
「だめ! だめだめだめー!」
大きな拒絶の声が、中庭に響く。
マイクはふんっっと息を荒げ、非常にやる気に満ちた顔でスピカを真っ直ぐに差した。
「俺が、俺の力でっ、むじつをしょーめいしてやるんだからな!!!」
「ええっと……」
「大人はぜったい、口だしすんじゃねー! わかったか!」
「は、ぁ……?」
――その後、アンナと一緒にお茶をしている時も。
夕方にココを交えて遊ぶ時も。
マイクは観察する風にじっとスピカを睨んでばかりだった。
そんな対応を取られると、スピカの人見知りで引っ込み思案な性格では、どうしても口数が少なくなってしまう。
余計にスピカとマイクの間に隔たりが出来てしまう。
そしてたまらずにシェイラがきちんと説明をしようと何度か試みてみても、すぐさまマイクは大きな声で静止し、両手で耳を防ぐのだった。
「マイク、きちんと話をしましょう」
「い、や、だ!」
「だからね? 分かりあう為には……」
「だーめーだー! だめだめっ! どうせ大人は俺のことしんじないんだ! ぜっったい、げんばをおさえてやるんだ!!」
……何か思っていたより違う方向へ、彼は熱く燃えてしまっているらしい。
『自分の力で謎を解明する』ということが、どうやらとても重要のようだった。




