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竜の卵を拾いまして  作者: おきょう
第三章

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世界の色が変わる時①

 シェイラがヴィートと出会い、屋根の上にいる頃。


 遊び疲れたココは、日向(ひなた)に置かれたベンチの上で横になり眠っていた。

 しばらくは馬車での移動ばかりで思い切り走り回る機会もなかったから、彼はそれはもう存分に遊び、完全に力つきてあっさりと眠りに落ちた。

 お腹の上には時々様子を見に来るアンナによって毛布が掛けられている。すやすと心地よさそうな寝息を立てる幼い顔は、幸せそうに緩み、陽の光りが消耗した体力を補充するかのように、ココへと降り注いでいた。

 

 ……そんなココを放って、スピカはマイクと庭の芝生の上を遊び回っていた。 

 ちょうど頭一つぶん、マイクの方が背が高い。

 最初の方に人見知りなスピカが大人しくおどおどとしていたこともあり、マイクは少しばかり彼女に対してお兄さんぶった態度をとっていた。

 ちなみにココはもう、子分である。


「へっへー! ここまで来れるのは、ともだちのなかでも俺だけなんだぜ!」


 マイクが木のぼりを披露し、登った先の木の枝に足を掛けながら、地上に立つスピカを見下ろしてくる。

 庭にある一番高い木。

三階にまで届くそれに登れることは、マイクにとって自慢の一つだった。

 得意気にする彼に、スピカは困った様子で眉を下げた。

 人の子が高いところから落ちればどうなるのかぐらい、想像出来るからだ。

 

「まいく、あぶないよー?」

「ぜんぜん平気だって」

「だめ! あぶないことしちゃだめー! あんなもいってたでしょっ」

「なんだよー」


 大きな声を出して怒るスピカに、マイクはふんと鼻をならした。


「ココならぜったいすげーって言ってくれるのになぁ」


 昨日から子分になったココは、知らない遊びをたくさん教えてくれるマイクを、本当に心から尊敬しているようだった。

 マイクがすること全てに、ココはきらきらとした目を向けてくる。

 なのにスピカは、最初は大人しかったくせに、慣れてしまうとまるで姉のアンナのように『してはいけないこと』をくどくどと説くのだった。


「あーあ。これだから女は…。わっかんねーかなぁ、このおもしろさが」


 少し危険なくらいが、わくわくして楽しいのに。

 そして高い木に登れるということは、男の間では尊敬されることなのに。

 スピカの面白くない反応に唇を突き出すマイクに、スピカが地上でまだ怒った顔で何かを言おうとしている。


「わかったよ。おりるって」


 これ以上、アンナに言われるような小言を聞きたくなかったマイクは、大きくため息を吐いてから、木から下りることにした。


「はやく! はやくおりてっ!」

「わかったってばっ! っちぇ、ココが起きたらまたのぼって見せてやるか」

「だめよっ」

「やーだーねー。ははっ!」


 そう言って笑いながら、マイクは木の幹をするすると器用に降りていく。


 危なげ無く降りてくる様子によかったとスピカが胸を撫でおろした。

 でも、あともう一,二メートルで地上につくと言う時。

 木の出っ張りに引っかけようとしたマイクの足元が、滑った。


「うわっ!?」

「まいく!!」


 足を踏み外し、勢いよく残りの距離を地上まで落ちてしまったマイクは、大きく尻餅をつく。

 

「いってー!」


 マイクは強く尻を打ってしまった。

 芝生の上だったので大事にはなっていないものの、どうしようもなく尻が痛い。きっと真っ赤になっている。

 スピカが走り寄ってきた時も、マイクは尻を抑えて絶えていた。 


「あ、ち!」

「え?」


 滑り落ちた時に木の幹で擦ったのか、マイクの足の内側には血が滲んでいた。

 膝からふくらはぎまでと、結構な広さにわたるの怪我。

 血が流れるほどの深さは無く、本当にじわじわと滲む程度のものだ。

 でも、スピカは血が出たということに酷く動揺している。

 

「だいじょうぶ?」

「へ、へいきだっ!」


 そう言いながらもマイクの目にはいっぱいの涙が溜まっている。 

 足よりも尻が痛い。

 でも男の矜持から、口には出せなかった。


「まいく」 

 

 スピカはその場にしゃがみこみ、彼の顔を覗きこんだ。

 

「……いたい?」

「……いたい」


 普段は勝気な茶色の瞳から、ほろりと零れた一粒の涙。


「どうしよう……」

「こんなのっ、放っておいていいって」

「でも」


 マイクからすれば、足をすりむいて怪我をするなんて日常茶飯事。

 でもスピカにとってはそうでは無かった。 

 ココもよく飛行を失敗して落ちてはいるけれど、丈夫な竜の体では数メートルくらいの落下では、ほとんど傷は付かない。

 だから誰かの怪我というもとには、本当に無縁だった。


 ――――否。


 遠い遠い昔、誰かの傷だらけの姿に、スピカは立ち会っていた。

 目元を赤く染めて、痛そうに眉を潜めるマイクの姿に。

 彼のこぼした一粒の涙に。

 ぼんやりとしか覚えていなかったスピカの記憶が、次々と鮮明に頭に思い浮かぶ。


「っ……」

「スピカ?」

「…………」


 様子の変わったスピカを不思議に思ったマイクが声をかけても、スピカは顔色を青くさせ、ゆるゆると首を振る。

 やがてか細い、傍にいるマイクにも聞こえないくらいの声で呟いた。


「……ま」

「え、何だって?」

「ま、ま」


 まざまざと蘇るのは、傷だらけの大きな黒い竜―――、母の姿。

 スピカを守る為に、元々僅かだった命の全てを使った竜。

 忘れていたわけではない。

 今までだって、きちんと覚えていた。知っていた。

 でもそれは本当に遠い遥か昔の記憶で、ぼんやりとしたものだった。

 卵の中から出て以来ずっと。

 こんなに鮮明に、頭の中に当時の光景が蘇った事なんて無かった。 


「つっ……」


 ぐっと息をつめたスピカの中の何かが、切り替わった。


「あ、れ……?」


 ぼうっとした目で空を見上げ、それから彼女はきょろきょろと左右を確認する。


「おい、どうしたんだよ。スピカ」


 焦った様子のマイクの言葉に、答えられる余裕は今のスピカには無かった。


(いままでと、ちがう)


 スピカの目に見える世界が、気が付いた時には一転していた。

 何が違うのかと聞かれれば、答えることは難しい。

 けれど確かにこの瞬間、スピカのそれまで感じていた世界が確かに変わった。

 世界の()を感じられるようになった。


「………」


 スピカはそっと、マイクの傷の上に小さな手を当てる。


「スピカ?」


 不思議そうに尋ねる彼の声。

 ただ『友達』になったマイクが心配で。怪我をした彼の痛みを取りたかった。

 少しでも好意を持った誰かが、痛みで苦しむ姿を見たくなかった。

 そんな気持ちから、スピカは無意識に行動を起こしていた。

 誰に教わったでもないのに、どうしてかどうすれば良いかが分かってしまう。

 感じることの出来るようになったそれらを、スピカは手のひらに集める。

 そうすると、出来上がるのは月夜の優しい闇に似た癒しの力。

 体をめぐる穏やかな夜の闇を、そっとそっと手のひらに集めて赤い傷口の上にのせる。


「な、なに…?」


 マイクの震える声がまた聞こえたけれど、集中していたスピカの頭の奥にまでは届かなかった。

 意識して、強く出過ぎないように、癒しを込めた。

 ふんわりと、とろけるような優しく微笑むスピカが、マイクの目を見つめて、内緒話をするかのように囁いた。


「じっとしててね」

「っ……?!」  



 ―――マイクは驚きでこげ茶色の目を見開く。

 怪我をしているということさえ、この瞬間は頭からすっとんでいた。


 甘くてとろりとした、幼い子供には似つかわしくない声と顔。

 そんなまるで大人の女性のような、暖かくて強い顔をする同じ年頃の少女に、出会ったことがなかった。

 動揺する間も無く、ぞくりとした、感じたことのない違和感が背中を駆け上がる。

 違う。と思った。

 スピカは自分とは違う存在なのだと、マイクは直感で感じた。

 さらに驚いたのは、みるみるまに引いていく、足の痛み―――。


「な、なに?」


 思わず見下ろすと、それは気のせいではなく。本当に傷がふさがっていっている。

 傷の周辺を包むの暖かで優しい感覚。

 その温もりに引きずりこまれそうだった。

 そしてマイクは、見る見る間に傷が消えていく不思議な光景に、息をするのさえ忘れ魅入っていた。

 

「…………っ」


 やがて完全に傷がふさがると、膝にかざしていたスピカの手が外される。


「うそ。うそだろ……?」


 マイクは震える手のひらで、そこへ触れ、確かめる為に膝小僧をこすった。

 何度も何度も擦り、傷が消えたことを確認する。

 渇いた血がわずかに手のひらに付いたけれど、本当に傷が跡形もなく消えていた。

 マイクは、誰がみても明らかなほどに大きく動揺していた。

 彼の唇からかすれた声が零れ落ちる。


「っ、な、んだよ……」


 背中から冷たい感覚が昇って来て、マイクの身を震わせた。

 頭の中は混乱するばかりで、心臓がばくばくと飛び跳ねる。

 足よりも痛かったかずの尻の痛みなんて、もうとっくに飛んで行ってしまっていた。


「お、おかしいだろ」 


 いくら子供のマイクにだって、傷が勝手に消えないことくらいわかる。

 この子は変だ、人間じゃないと、マイクはスピカに対して思った。

 つい数分前まで友達として遊んでいた相手が、もうまったく別の、わけのわからない生き物にしか見えなくなった。


「っ……お前っ!」


 マイクが顔を上げてみると、目の前にいるスピカはきょとんと呆けたような顔をして、自分の両手を見ていた。

 両手を握っては開いて、握っては開いてしている黒髪の女の子。

 その様子では、彼女自身もなんだか戸惑っているように見えた。

 それから困ったふうに、縋るふうにマイクを見てきた。

 困っているのは、――――こちらなのに。

 不安げに揺れるスピカの黒い瞳に、彼女が心配になる気持ちが無くはなく。

 でも、それを口に出すほどの素直さも冷静さも、あいにくとマイクは持ち合わせてはいなかった。 

 何よりも今起きたことへの混乱も合わさって、どうして良いのかが分からない。

 マイクはどうして良いか分からなくなった時、いつも一番に思い描く人の名を呼ぶ。

 思いっきり息を吸って、あの人に聞こえるように。


「ね、ねえちゃーん!!」


 悲鳴にも似た声が、姉であるアンナの耳に届くまで声を上げる。

 そして次に続いた彼の台詞に、スピカは息を詰め、言葉を無くす。


「ば、ばけもの! ばけものがいる!! こいつ、ばけものだっ! たすけて!」


 マイクは勢いよく立ちあがると、スピカから逃げるように、その場から走り去ってしまう。

 しゃりと歪み泣きだしそうな顔になるスピカには、目もくれなかった。 



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