風纏う竜④
――――子供たちを宿に預けたシェイラが探すのは、当然あの風竜。
(どうせ我慢できないなら早いところ何者であるのかを知っておくべき、だわ……)
心の中で自分への言い訳を呟く。
昨晩、思いとどまったところなのに、あっさりと来てしまっている。
竜に関することだけは、何をどうしても我慢が聞かないのが、シェイラなのだ。
「どこに居るのかしら。目立つからすぐ分かりそうなのだけど」
背が高くて、荒んだ雰囲気をした、ぼろきれを何重にも重ねた風な変な格好の男。
異様な迫力のある彼は、一度見れば印象が強過ぎて忘れられないはずだ。
とりあえず昨日出会った商店の前で、きょろきょろと周囲を見回す。
すると、開店の準備をしていた商店の人らしい女性が声をかけてきた。
「あんた、昨日宿屋のアンナと一緒に走ってった子だろ?」
「え、はい……あ。その本…」
彼女の手には、アンナが男に投げつけた分厚い革表紙の本があった。
そういえば男に投げつけたあとに放って走りさってしまっていた。
店主は頷いてその本を差し示す。
「まったく。お節介で世話焼きなくせにそそっかしいんだからあの子は。宿屋にそのまま泊まったって聞いてるよ。持って行って貰おうとと思ったけど、どこかに出かけるみたいだね。なら帰ってからアンナに預かってるから取りにおいでって言っといて」
「は、はい。分かりました」
宿屋に自分たちが泊まったと言う事まで知られているらしい。
あの騒ぎは、やはり結構な噂になってしまったのだろうか。
だったら男についても何か知っているかもしれない。
「すみません。……あの人、どこへ行ったのか分かりませんか?」
「ん? 絡んでいた変な男?」
「そうです。黒ずくめの」
「やたらと迫力のある人だよねぇ。何だかおっかなくて、敵う気がしなくて手ぇ貸せ無くて悪かったね」
「いいえ。でもその人です。ご存じですか?」
尋ねてみると、店主は本を棚の上に置き、商品の果物を並べながら頷いた。
「最近よく見るようになったよ。目立つから覚えてるし噂になってる。確か町はずれの丘で頻繁に見るって聞いたね」
視線で差された方向に、シェイラも目を向けた。
「あちらですか?」
「そう。建物があるからここからは見えないけどね。あっちの方に歩いていけば丘に出る」
「分かりました。行ってみます」
「行くのかい、大丈夫かい? 用心棒にうちの旦那かそうか? まぁ昨日も隅で縮こまってた根性無しだけど」
シェイラは首を横へと振りながら、お礼を言う。
「有り難うございます。どうしても聞きたいことがあるので、行ってみます」
「そう? 気をつけてね」
「はい」
店の人に教えてもらった方向へ進むと、十五分くらいで建物と建物の間から、遠くに丘が見えるようになった。
それは町のすぐ外に、海に面して広がっているらしい。
(凄く遠いという程でもなさそうね。とりあえず、町を出て丘まで足を延ばしてみようかしら。でも時間がかかるかしら)
宿を出た時の様子だと、ココたちは今頃は楽しく遊んでいるだろう。
でも長時間置いておくことはやっぱり出来ない。
出来れば昼までには帰りたい。
道の端で少し足を止め、どれくらい時間が掛かるだろうかと考える。
「おい、お前」
「え?」
聞き覚えのある、低い声にシェイラはきょとんと瞳を瞬かせた。
そして確かに昨日聞いた声だと認識すると、勢いよくそちらを振り向く。
「貴方…!」
探していた、竜が半分小道に体を隠しながら立っていた。
ぼろきれを幾重にも巻いたような、目立つ格好をした藍色の髪の男。
どこか疲れた風な顔色で、猫背で、でも厳しい視線を彼は崩さない。
やはり彼はシェイラを竜を浚った悪人だと認識しているのだろう。
明らかに敵だと思われている。
彼はこちらへと伸ばした手で、シェイラの手首をつかむ。
「来い」
ぐっと、小道へと引き寄せられた。
「…………」
「抵抗しないのか」
「貴方を探していたんです。話をしたくて」
話をしたかった。だから、拒否をするつもりもない。
「……。だったら来い」
「どこへ?」
尋ねたところで、足元だけに強い風が当たる。
驚いて下を見ると同時に、突然の浮遊感。
「きゃあ!?」
掴まれた手から上へと引っ張られ、体が一気に飛び上がる。
とたんに捲れ上がるスカートを、慌てて抑えた。
ぐわっと内臓ごと上に上にと押し上げられる感覚。
しかしそれは長く続かず、あっという間に足は地に付けられた。
突然のことに、何か言おうとするけれど言葉は出てこない。
シェイラは只はくはくと唇を動かすのみだ。
(あ。……や、ね? 飛んだ?)
シェイラと男がいつの間にか立っていたのは、二階建ての民家の屋根の上だった。
とりあえず落ちそうで怖いから、掴まれていないほうの手でも隣の男の服の裾を握りしめる。
男は一瞬だけ不快そうに片眉を動かした。
そしてやがて人間ではこんな場所から逃げられないと理解したのか、シェイラの手首を掴んでいた手を離した。
でもシェイラは握った彼の服を離すつもりはない。
(竜の背に乗っていた時は空まで行っても怖くは無かったのに、体一つで飛ばされてしまえばもの凄く恐ろしいわ)
火竜のソウマがシェイラを背に乗せた時に使った守りの術は、本当に人を大切に守るための術だったと、身を持って知った。
ふと男を見上げ、驚いた。
「え、飛んだのに。でも翼、生えていないわ。飛べるはずがない……」
確かに地上から、この高さまで飛んだのに。
男の背中には何も生えていなかった。
竜が術で作り出して纏っている服は、翼の干渉を受けないのか生地は敗れることなく通り抜ける。
でもシェイラが作った子供たちの外套のような、人の手が入ったものは通り抜けることは無い。
だから隠すために、ココとスピカには外套を着せているのだ。
(たとえ彼の纏っているものが術で作ったものではないとしても……服で隠すなんて無理なのよね)
大人の姿をした竜に生える翼はやはりその体格に見合ったもので、とても大きい。
子供達の背中に生える可愛らしい翼ではないから、どれだけ彼が纏っているような厚い布に覆われた服であったとしても、とても隠せるはずがなかった。
だから彼は、本当に翼を出さずに軽々と、この屋根の上に飛び上がったと言う事だ。
「す、凄い。もしかして竜術、ですか?」
「無理やり連れられてきたのに何を喜んでる」
「だって、凄いです! 風竜の術、初めてみました!」
彼を見上げるシェイラの顔は、興奮で赤く硬直していた。
尊敬の眼差しで見つめられている風竜は非常に不可解そうだ。
「………。術というほどのものではない。風を足にまとわせて、少し大きく跳んだだけだ。人間は屋根の上までわざわざ確認しないからな。人目が有るところだと、昨日みたいな邪魔が入るだろう。」
「なるほど」
彼は翼を頼って飛ぶのではなく。
風の力を使い、足で大きくジャンプして下の小道から上の屋根まで跳びあがった。
状況を理解し、落ち着いて足元を確認すると、斜めになった不安定な足場が怖い。
(落ちそうだわ)
シェイラは思わずその場に座り込んだ。
興味本位でそっと身を典出し地上を見下ろし、また高さに身震いする。
そろそろ顔を上げ、彼の服の裾を握ったままでゆっくりと周囲をうかがう。
「わぁっ……」
風が、吹く。
遠くには海が、船が、空が見え、広く眺めの良い景色に感動さえする。
高さと不安定な場所にいる恐怖は、単純にもその景色の美しさに掻き消えた。
「で」
なんとかシェイラが落ち着いたところで、立ったままの男が口を開く。
「で?」
首を傾げて同じように返すと、男は眦を細めて不機嫌そうな顔をする。
「怒られたいのか?」
「な、何がですか!?」
急速に温度が下がった男の声色が怖い。
腰を曲げて顔を近づけられると、剣呑な色をはらむ藍色の瞳が目の前に迫る。
そんな風に睨みつけられれば、とたんにシェイラの体は再び固まってしまう。
「話しは分かっているだろう。竜の子を、どこへやった。まさかもう売ったのか」
「は?」
シェイラは一瞬意味が分からなくてもう一度、首を傾げた。
しかしすぐに理解をし、大きく首を振る。
「まさか! 売るなんて!」
「だったら牢にでも繋いでいるのか? 鱗を剥いで武器でも作るつもりか。飼いならして愛玩具として扱うつもりか」
「有り得ません! 絶対無いです!」
「だったら今どこに居る。竜の子は竜の里にいるものだ。人が身勝手に手に入れるなど許さない。返せ、返さないと……」
「返さないと?」
「………」
ひゅっ、と小さな音が耳元でなったかと思えば、前髪が浮き上がる。
瞬きをする間に、何本の白銀の髪がはらりと目の前に舞い、膝へ落ちた。
痛みも何もない。
けれど目の前で切り落とされた事実に、シェイラは僅かに涙ぐみ、男の服を掴んでいた手を離し、座ったままで後ろへと後ずさった。
(か、風って怖いわ!)
竜の扱う風の切れ味に、シェイラは顔を青ざめさせる。
目に見えないから、どこから来るかも分からなくて更に恐怖をあおられた。
早く竜の敵ではないと理解してもらわないと身の危険が、と気が焦る。
「あの! あの、あのあの子たちは、私の子なので!」
「は? そんなはずないだろう。お前は人間で……」
「えっと、だから……! 私は絶対竜の子を浚ってなんて無いと言いたくて!」
(あぁぁ、上手く説明できない! 変なことを言ったらその瞬間に切り刻まれそう!)
どうしよう、どうしようと思うばかりで、ぐらい的な台詞が出てこない。
元々口も上手くないから、混乱する頭では余計に説明が下手になってしまう。
でもこれだけ竜の子どもの為に怒っていると言うことは、彼は本当にココとスピカを心配してくれている。
そして彼らを守ろうとしている。
そんな竜だからこそ、絶対に分かって貰いたい。
「あっ、そう! これです!」
「これ?」
思いついて勢いよく顔を上げたシェイラは、背中に力を込め。
――――――白い翼を、彼の目の前にさらすのだった。
背中から突然生えた、真っ白な翼。
色素が薄くなり、鋭さがました竜の瞳。
おっとりとした空気が一転し、凛とした雰囲気の女性へと、彼女は変わる。
「っ……白、竜…だと……?」
もうこの世には存在しないのだと、そう思い込んでいた白竜が今目の前に現れたことに、風竜の男は震える声を漏らした。
驚愕に見開かれた藍色の瞳が、その動揺の大きさを表している。
シェイラは背中の翼を確かめるふうに、一,二度はためかせてから、目の前で呆然と立ちすくんでいる男を見上げた。
相手があまりに動揺していると、逆にこちらは落ち着いてしまうものだ。
「あの、とりあえず座りませんか? 視線の高さが違いすぎてゆっくりお話ししずらいですし…かといって落ちそうで怖くて、私は立ち上がれませんし……」
自分の隣をとんと叩き、シェイラは彼を促すのだった。




