風纏う竜②
朝目覚めると、同じベッドで寝ていたはずのココが隣に居ない。
シェイラはぐるりと室内を見渡し、寝乱れた髪を手で梳きながら、眉を寄せた。
「………何処に行っても同じなんだから」
陽を力の糧とする火竜はたいへんに早起きだ。
それは良い。
ただ日の出と共に目覚めるココの習性には、さすがにシェイラもついていけていなかった。
闇を好く黒竜であるスピカは、ココとは反対に傍らですこやかに寝息を立てている。
シェイラは黒い竜の鱗を撫でた。
「うーん。王城ならともかく、ここは知らない土地だもの」
シェイラが居なくても侍女や衛兵が見守ってくれる場所ではもうない。
部屋に姿が見えないのは、やはり困ったことだろう。
だから勝手に出歩かないようにと、何度も注意している。
それなのに一切聞く様子もなく、更に外套がコートかけにそのままであるのに気付いてしまえば、止めどなく小言はこぼれてしまった。
「あぁ、しかも外套を放っていってる。うっかり翼を出してしまったら困るのはココなのに」
シェイラは唇と尖らせた後、そんな自分に気付いてはっと手をそこに押し当てた。
唇を引き結んでから眉を下げて、溜息を吐く。
(あまり口煩くはしたくはないのに)
出来れば楽しく毎日を過ごしたい。
でも外套のことだけでなく、注意しなければならないことはそれこそ次から次へと出て来てしまうのだ。
わんぱくで悪戯好きなココは特に、だった。
人ごみでは繋いでおかなければならない手もすぐに離して走っていってしまうし、気が付いたら翼を出して木の上に飛び乗っていたりもする。
「最近は、叱っている時の方が多いかもしれないわ。気を付けないと……。でもこの外套、人目から翼を隠すためとはいえ、動きにくいみたいなのよね。あまり好きでないみたい」
出来るだけ動きやすいようにと、翼が出ても覆えるぎりぎりの短さにはしていた。
生地は薄いから夏でも涼しく軽い。
それでも活発に動く子供からすれば邪魔になるのだろう。
もっと動きやすい羽織を探すべきだろうかと考えながらも、シェイラはとにかくココの姿を探すことにする。
「一番行きそうなところと言えば」
目当てを付け、窓辺に歩きよってカーテンを開く。
木枠を押して開くと差し入る海辺の町の朝陽はとても眩しく、シェイラは薄青の瞳を眇めた。
潮の香りのする風が、降ろしたままの白銀の髪をゆるやかに翻らせる。
肩から前へ落ちてしまう髪を耳にかけ、後ろに流してから、木枠から身を乗り出してみた。
地上を探すと、中庭にはやはり予想していた通りの赤い髪があった。
宿屋の少年マイクも一緒で、揃ってしゃがんでより添い、何かを話しているようだった。
「ずいぶん気が合うのね。二人揃ってどんな悪戯を考えているのかしら」
昨日の様子からしてマイクも元気で悪戯っ子な感じなのだろう。
苦笑いを漏らしながら、シェイラはココの名を呼ぶ。
「っ、ココー」
気付いたらしい二人が顔を上げ、立ち上がった。
「もうっ、勝手に出て行ったら駄目でしょう。一言教えてちょうだい」
「むー。だってぇ。しぇーらねてたしー」
「寝ていても、起こしてくれて良いから。ココが急に居なくなると驚くのよ?」
「姉ちゃん、おおげさだなー。家の中なんだからだいじょうぶだってば」
マイクがココとシェイラを見比べ、大きく首を振って得意げに鼻の下を指で擦っている。
それから目いっぱい胸を張り、シェイラを指差して来た。
「そういうの、かほごって言うんだぜ! 俺しってる!」
「かほごー?」
「か、過保護。マイクは難しい言葉を知っているのね」
シェイラの言葉に、マイクは嬉しそうに笑った。
(たしかに、宿の中だし。心配しすぎなのかもしれないけれど)
宿の建物にぐるりと囲まれた中庭は、受付を通り、宿の中を横断しないと辿り着くことは出来ない造りになっている。
外からは見えないし、そうそう危険というものもないのだろう。
城にある庭のように少し目を離せば見失うほどに広大なわけでもない。
確かに過保護すぎると思われても仕方がないのかもしれない。
「……で、でもっ。知らない間に離れられたら心配になるわっ」
「だからそれがかほごだって! つよい男にそだたないんだぜ!」
「つ、つよいおとこ!」
ココがマイクの台詞に顔を輝かせた。
なんだかとても尊敬の念を抱いているようだ。
知らない間に、兄と弟、もしくは師匠と弟子と言う風な関係が出来上がっているのかもしれない。
「しぇーら! かほごだめ! コ…、お、おれ! つよいおとこになるから!!」
「俺!? 今、俺って言ったの!?」
「お、れ!」
シェイラはなんだか大変なショックを受けてしまった。
思わずふらりと窓枠にもたれて項垂れる。
「そーまもおれっていってたし! つよいおとこ!」
「え、えぇ?」
マイクはそんなココを褒め、ココは嬉しそうに胸を張っている。
「俺……やだ、せめて僕とか私に変えさせるべきかしら……いえでもそれではソウマ様の一人称が悪いみたいになってしまうし」
シェイラはぶつぶつと口元で呟きつつ、眉をさげた。
「口調一つ変わっただけで、なんだかぐんと成長したように見えてしまうのね」
手を離れてしまうことが、胸に小さな穴が開いたような寂しさを感じさせる。
「あぁ、でもきっと呼び方の問題ではないのよ」
シェイラは自分の手からココが離れようとしていることが、ただ単純に寂しかった。
しかし成長はやはり喜ぶべきこと。
ひとつ大きくなった子供が、誇らしいとももちろん思う。
だからまだ違和感の残る一人称に強く反対することも出来なくて、シェイラは息を吐いてから笑顔を作った。
そして階下にいるココに聞こえるように声量を上げる
「分かったわ。でも宿の外には絶対に出ないでね」
「っ! はーい!」
「大丈夫だって姉ちゃん! 俺がしっかりみといてやるよ!」
「有難う、マイク。お願いね」
シェイラがくすくすと笑いながら手を振って頷いた時、背中から「きゅう」と小さな声がした。
振り返ったシェイラはベッドの中でくるりと尻尾から丸まった竜の姿で寝ているスピカを見た。
寝起きの為に焦点のおぼつかない瞼が、うっすらと開いている。
濡れた漆黒の瞳が、窓から入る陽に眩しそうにぱしぱしと瞬かせていた。
シェイラは窓を開けたままでカーテンだけを引いて室内に影を作った。
「おはよう。スピカ、ごめんなさい。起こしてしまったわね」
「きゅ」
声をかけると、スピカがゆっくりとした動作で首を伸ばした。
小さな翼を広げてふらつきながらもシェイラの元まで飛んでくると、胸元に抱きついて来て「きゅう」と甘えた声を出す。
尻尾を振りつつ身を摺り寄せてくる姿がたまらなくて、シェイラはスピカを抱き寄せ、おはようのキスを滑らかな鱗に纏われた額に落すのだった。
「スピカはもうしばらくだけ、甘えたさんで居てちょうだい」
きっとこの子も直ぐに手から離れて行ってしまうのだろうと分かりながらも、シェイラは小さく黒い竜の耳元に囁いた。
スピカは囁く声に安心したのか、胸にすり寄って瞼を震わせている。
黒竜にとって早起きがつらいことを分かっているから、シェイラはとんとんと優しくその背を叩くのだった。




