海をのぞむ町③
(何、怖い……)
その男の迫力に内心怯えつつも、シェイラは子供達を引き寄せ自分の後ろに促した。
守らなければと思う。
けれど、何の心構えもなく突然現れた威圧感のある彼に対して、完全に腰が引けてしまってもいた。
眉を下げて、おそるおそる口を開く。
「な、何者とは。どういうことでしょうか」
何もされていないのに失礼かもしれないが、どうしても身構えてしまう。
「あの?」
「………」
彼は自分から声をかけてきたにも関わらず、シェイラからの問いには答えずにしばらく無言を貫いていた。
細めた目で、こちらを上から下まで眺めてくる。
眉を寄せたとても不快そうな表情だ。
(何者って、何。ココたちのこと? どうして? …というか、もしかしてルブールの人では無いのかしら)
じっくりと向き合ってみると、シェイラは彼とこの町の人間との違いに気が付いた。
港町で育ったこの町の人々は底抜けに明るい。
また物も人も多く集まり、国の貿易の玄関口でもあるルブールは、商業的にはおそらくネイファで一番に栄えた町であるだろうから、仕事にあぶれるということはまず無い。
だからぼろぼろの衣服をまとった彼の恰好自体が、この町の人間としては異端に見える。
だとすると残るのは、自分たちと同じように外から来た人間であると言うこと。
ここは港だから、外国の者も多い。
ネイファで日常に着られるものとは、形も色も材質も異なった衣服をまとった人もしょっちゅう見かける。
この町でなら露出の多い水竜、クリスティーネの服装の奇抜感も少し和らぎそうなくらいだ。
(でも、なんとなく…?)
わずかに感じた違和感に、自分でも意味が分からなくてシェイラは首を傾げた。
(…こんな違和感を、そういえば以前も感じたことがあるような気がするわ)
世界をさすらう旅人や吟遊詩人に商人、楽団や劇団員、危険を好む荒くれ者の冒険者とも、彼は違う。
まったくこの人の街に、……いや、人間の中に溶け込めていない異質さは、町の外とか内とかの問題ではない様にも感じた。
(もっと別の存在。……まさか)
頭に湧いた可能性に、どきりと心臓が跳ね上がった。
何度か出会った彼らと、同じようなそうでないような、不思議な違和感。
彼らはここまで顕著に変な感じはしなかったけれど、でも似ている気がする。
シェイラの竜としての感覚が強くなったのか。
それとも彼が特別なのか。
はたまた只の勘違いなのか。
「あ、の……」
その可能性にシェイラは尋ねてみようと口を開きかけた。
しかしその前に、男の方がやっと言葉を発する。
「何故、こんなに幼い竜がいる。しかも二匹も」
「え」
「お前は、竜攫いか」
「ち、ちがっ…! 違います!」
普通、竜の子が里の外に出られるのはもっと成長して自分の身を完全に守ることが出来るようになってからだ。
それまでは里の竜みんなが見守り育てていく。
だから生まれて一年も経っていない竜が居るということは、里から連れ去られたのだと、そう考えられても仕方がない事だった。
でもそれを知っているのなんて、ごく一部なはず。
幼い竜の生態に関する資料は本当に少ないから、専門家くらいにしか行き渡ってはいない情報だ。
専門家でないとすると、後の可能性は竜本人であるか、だ。
「貴方は一体何なのですか?」
人の姿を取るココ達が竜だと分かるなんて、やはり彼も竜なのだろうか。
その可能性に、竜をこよなく愛するシェイラの好奇心がうずうずと疼きだす。
こうなると怖さより知りたいと言う気持ちが大きくなりすぎ、期待を込めてしっかり見上げて見たものの、男は藍色の瞳をきつく眇めるだけだった。
「っ…」
その視線の冷たさに、シェイラの背がびくりと揺れる。
(や、やっぱり怖いわ)
頭を出し始めていた好奇心が、びっくりして一気に引っ込んだ。
怖気づいてしまっている間に、彼は苛立ったふうに息を吐いた。
人より反応のゆっくりなシェイラに苛立っているのかもしれない。
「人の子よ、聞いていることに答えろ。早く」
「え、えっと。それは……。まずそちらから…」
「早くしろ。その口は飾りか。それとも言葉が理解できない馬鹿なのか」
「………」
乱暴な物言いにシェイラは口ごもり、視線をさまよわせる。
明らかに絡んでいる不審な男と、幼い子供連れの少女の姿は街中では目立つのか、すれ違う人たちが心配そうな眼差しをこちらに向けていた。
しかし助けてくれないのは、きっと彼があまりにも危険な雰囲気をまとっているから。
恰好だけみても、なんだか真っ当な人でないことは明らかなのだ。
親しくもない人間の厄介事に、出来れば関わりたくないのだろう。
「どうなんだ。里から攫って来たのか」
「…………」
どう考えたって友好的な雰囲気ではない。
(誘拐犯だと思われているのなら。この態度も分かる気もするけれど。でもココやスピカについて話してしまって良い相手だとは、とても思えないわ)
シェイラの持っているらしい竜達に好かれる要素は、やはりおぼろげ過ぎて、不信感を抱かれている者にまでは効くこともないのだろう。
むしろその意味なく翻弄されてしまう奇妙な感覚に、むしろ不快感さえ与えてしまうかもしれないと。旅に出る前に師であるジンジャーにも言われていた。
シェイラは小さく息を吸って呼吸を整えてから、彼に正面から向き合った。
「いいえ。貴方から答えてください。敵か味方かも分からない方に、この子たちの事をお話するわけにはいきません。貴方は何なのですか」
そのはっきりとした言葉に、男の片眉が僅かに動く。
彼は逡巡した後、まるで逃げるかのように、真っ直ぐなシェイラの強い視線から目を逸らした。
―――同時に突然、ガンッと言う鈍い音が鳴り。
男の頭が、思いっきり横へと吹っ飛んだ。
「え?」
正確には思いっきり横へと傾いただけだったが、勢いが良すぎてシェイラにはそう見えた。
驚きにシェイラは口を大きく開いて立ち尽くす。
背後から様子をうかがっていたココとスピカは、びくうっと大きく飛び上がった。
「ま、ママぁー!」
おびえたスピカが涙交じりに縋り付いてくる。
「ふぉぉぉぉ!!」
何故か興奮して喜んでいるココは奇声を上げている。
「え、え? え?」
おろおろするしかないシェイラは、次にばさりと何かが落ちた音に、地面を見た。
(ほ、本? 本が飛んできたの? 何処から? どうして?)
それは分厚い革表紙の本だった。
どうやら男はこの本で思いっきり叩かれたらしい。
余程痛かったのか、うずくまり、首を抑えて震えている。
「だ、大丈夫ですか……」
思わずその姿に手を差し伸べようとした。
「こっらー!! そこの不審者! 一体何しようとしてたのよ!」
それを遮るかのように響いた、高い女性の声。
顔を上げてその正体を観ようとするよりも前に、男へと伸ばしていたシェイラの手が掴まれる。
「え?」
「何ぼーっとしてるの! こっち! 逃げるよ!」
「え? あ、あの……」
何から何まで展開と勢いが早すぎて、とても頭が追いつかない。
彼女はシェイラから手を離すと、なんと同時にココとスピカを小脇に抱えだし、シェイラに「ついといで!」と叫んで駆け出した。
呆けている間に走りだされ、子供たちを連れられていればもうついていくしか選択はない。
「??」
シェイラの頭の中は疑問符でいっぱいだ。
この町に入ってから、急速に何かが展開しているようで、頭がおいつかない。
走りながらも振り返ると男はまだうずくまったままだった。
「あ、あのっ。子供たちを…!」
ココとスピカを小脇に抱えた前を走る彼女に声を上げた。
自分が竜攫いだと間違われた直後に、目の前で竜が攫われようとしている。
慌てるシェイラに、彼女は振り返って力強く笑い、頷いてきた。
ウェーブの利いた黒髪の、眼鏡をかけた女性だった。
彼女の浮かべるそれは、なんだかとてもさわやかな笑顔で、どう見ても誘拐犯のようなことをする人とは種類が違う気がした。
「大丈夫!! 私、この街には詳しいからちゃんと逃げ切れるよ!」
明るく、励ますふうに言われたその台詞に、シェイラはやっと状況を飲み込み始めた。
「………あ」
不審者に絡まれているように見えた自分たちを本を投げて男を撃退し、さらに一緒に逃げて助けてくれたのだ。
* * * *
女の人に導かれて辿り着いたのは、赤い屋根に白い外壁に伝う蔦植物の緑が映える、可愛らしい建物だった。
(これ、宿屋…?)
扉をくぐる直前、軒下にかけられた風見鶏の看板が目に映った。
ネイファの国では、まだ国民全員が文字の読み書きを出来る程の教育を受けることは難しい。
だから宿屋を始め本屋、武器屋、花屋などの主要な店には、それぞれに国内で統一された絵柄を用いた看板が目印にかけられている。
風見鶏は宿屋を示す目印だ。
「ふーっ! ここならもう安全だよっ!」
額に汗をにじませつつ、爽やかな笑顔を浮かべた少女が振り返る。
「ヤバそうな男だったねー。危なかったなぁ!」
「え、えぇ、そうですね」
「あー。いいのいいの! お礼なんて! 全然いいの! ちょっとしたお節介なんだから!」
「えっ、っと……」
シェイラは返答に困って、眉を下げる。
「周りにたくさん人が居るのに誰も助けないなんて、みんな薄情よね。うーん…、どっちも一見してこの街の人間じゃなかったから、さすがに少し他人事になっちゃったのかなぁ」
こちらをしげしげと眺めてくる少女に曖昧に笑いながら、とりあえず状況を把握しようと周囲を見回した。
古めかしい木製のカウンターの横に、奥へと続く廊下と、上の階へと昇る階段が見える。
今、立っているカウンターの前の空間は広くとられている。
その空間にソファーにローテーブルが三セットほどと、壁際には暖炉と小さめの本棚が置かれていたから、ここは宿泊客のための憩いの場でもあるのだろう。
暖炉の上にはテディベアが置いてあったり、花が活けてあったりする。
ほっとする優しい空間に、危ないところに連れ込まれたわけでは無さそうだと安堵の息を吐く。
(つまり、彼女は本当に親切心で助けてくれたの、よね? あの竜……かもしれない男性の話を、もっときちんと聞きたかったのだけど。でも彼女は完璧に親切心からしてくれているから、文句を言うのも違う気がするし)
自分達はどこから見ても怪しい男に絡まれた若い女と子供だった。
でも人通りは多くても素通りする人ばかりの中、たった一人だけ助けの手を差し伸べてくれた彼女に、抗議なんてとても出来ない。
シェイラは手をお腹の前で揃え、腰を折った。
「あの、有難うございました」
「ふふっ。いーえ」
お礼を言うと、相手は恥ずかしそうに少し頬を染めてはにかんだ。
なんだか和やかな空気が漂って、お互いに微笑みながら見つめ合う。
数秒だけそうして、シェイラは目線を降ろした先、彼女の左右の小脇に抱えられているココとスピカにはっと我に返る。
「…………」
スピカは青い顔をしてもう完璧に固まっていた。
シェイラと目が合うなり、みるみる間に黒い瞳を潤ませ、両手をこちらへと伸ばして来る。
「ま、ままぁ……」
「スピカ。ご、ごめんなさいっ! 大丈夫?」
「あらら? 泣き虫さんな子だねぇ。あははは」
今にも涙が零れ落ちそうなスピカの様子に、彼女はけらけらと笑い出した。
「あの、降ろしていただけますでしょうか」
「はいはい」
彼女がココとスピカを木板の床の上へ下ろすと、その動作で肩口からウェーブの利いた黒髪がはらりと流れ落ちた。
彼女はたっぷりとした長い髪を耳にかけ、後ろへ流してから顔をあげる。
目が合ったと同時にはにかまれた。
銀縁の眼鏡の奥にある丸々とした瞳は澄んでいて、綺麗だ。
そしてどこかあどけなさを感じさせる無邪気な笑顔が、魅力的だった。
「ママぁー!」
「むぅー。もっとぉー!」
「おや?」
シェイラへと走り寄って来るスピカとは反対に、ココは降ろされたされたのが不満みたいで、女性に再び持ち上げてくれるようにとねだりだしてしまう。
ぴょんぴょんと何度も飛び跳ね、服まで引っ張りだした。
「こ、こらっ! ココ!」
「いいよいいよ。弟がいるから慣れてるし。ほら、おいでー。……ねぇ、貴方たち、旅の人?」
ココを再び抱き上げながら、女性はそんなことを聞く。
「えぇ、そうです。王都から来たばかりなんです」
シェイラが頷くと、にっと歯を見せた笑顔で小首を傾げてみせてきた。
「だったら今日のお宿はお決まりかしら」
「宿? あぁ…」
ここは宿屋だった。
「貴方は、この宿屋の方だったのですか?」
「うん。うちは宿屋『赤い屋根の家』。経営してるのは両親ね。私はお小遣い稼ぎの手伝い。で、どうする? 別に強制はしないよ? 押し売りなんて格好悪いことは主義に反しますから」
「そうね……。もう夕方だし、丁度宿屋も探していたし…」
怪しい店でもなさそうで、それにぱっと見でも暖かな良い宿屋なようだ。
ここに泊まることに、問題はなかった。
「では一週間。でも、もしかすると日は伸びるかもしれないのですが、構わないでしょうか」
ルブールまで来て水竜の里行きをあっさりと諦めるなんて出来ない。
少し日がかかっても、何か海を渡ることの出来る方法を探すことしした。
(ずっと移動ばかりだったし。他所の土地をじっくり見るのも楽しそう。きっとそのうち何か見つかるわ)
何よりも竜の里へと行くための冒険中なのだ。
(そうよ。こういう困難に当たり、道を阻まれ、それを乗り越え苦労して里にたどり着く方が、よほど素敵だもの!)
竜の冒険記に心奪われた過去を持ち、現在も憧れているシェイラは、そう思ってしまう。
そんな物語の中のような冒険に夢見ているからこそ、一番楽に水竜の里に行ける方法……水竜のクリスティーネの協力を得ずに、竜の里を目指している。
さきほどまでは何だか心寂しくて不安になっていたけれど、そう思ってしまえば冒険へのわくわくが強まって、楽しみになってくる。
女性はココを降ろしたあとカウンターの裏側へと回った。
帳簿とインク瓶、羽ペンをカウンターの下から取り出し、嬉しそうにうんうんと頷いて、帳簿へと必要事項を記入していく。
「ありがとうっ! 一週間ね。延長も大丈夫だよ、混む時期でもないし。むしろがら空きだから助かるわ」
「良かった。ちょうど宿も探していたんです」
「そうなんだ。えーっと、あとは宿賃だけど、うちは一泊銀貨八枚ね。ベッドが一緒でいいなら子供料金は取らないけどどうする? まだ小さいし広さ的には大丈夫かと思うけど」
「一緒で大丈夫です」
「はいはーい」
帳簿に書き終わった後、女性はカウンターの下から鍵を取りだし、シェイラへと渡しながら、宿の中の設備を案内し始めた。
「部屋は二階。食事は一階の食堂で、これは別料金だからその都度に払ってね。もちろん外に食べに行ってくれても良いけど。うちの料理美味しいからおすすめだよ。私の母さんが作ってるの」
「はい。ぜひ。お母様のお料理、楽しみです」
「おかあさまぁー?」
シェイラの台詞に、彼女は目を丸めて大きな声を上げる。
その後けらけらとお腹を抱えて笑いだした。
(なんだかとても笑い上戸で、元気な人ね)
後ろへ流されたたっぷりとした黒髪も小刻みに揺れている。
「あの、何か、変でした?」
「あー、ううん。聞きなれない響き過ぎただけ。ごめんね。私はアンナだよ。同い年くらいでしょう? 呼び捨てでいいよ」
シェイラはその親しげな台詞に、少し驚いたあと、おそるおそる口を開いた。
「アンナ、さん?」
「ア、ン、ナ!」
びしり、っと人差し指を刺された。
距離の近くなった、眼鏡の奥にある黒い瞳がきらきらと輝いていた。
ずいぶんと楽しげに口端を上げる少女は、先ほどからとても人懐っこく積極的だ。
少し引っ込み思案のシェイラにとっては、出会ったばかりなのにこんなに距離感無く、ぐいぐい来る積極的な人は、慣れるまでにはどうしても時間がかかってしまう。
「ア、アンナ」
シェイラがとまどいながらも、促されるままに名前を読んでみると、アンナは顔を綻ばせる。
「よしっ! よろしくねっ」
「…………」
シェイラは口を開けて呆けたまま、薄青の瞳を見開いた。
本当に彼女は、心から嬉しそうに笑うのだ。
(か、可愛い。ちょっと、好きかもしれないわ……)
笑顔を絶やさない明るさと元気さに、心は擽られ、ときめいてしまった。




