約束の証⑤
パーティー会場に足を踏み入れると、中に居た人目が一斉にソウマとシェイラの元へと注がれた。
「ストヴェール子爵のご令嬢とご一緒にいらっしゃるのは?」
「なんて鮮やかな赤い髪……!」
「一体どちらの殿方かしら」
「シェイラ譲が婚約したなんて聞いたことがないけれど。いったいどう言う関係だ?」
おそらくグレイスの招待客である王城に来る機会のあるような者たちは、ソウマの正体に気が付いたのだろう。
しかし大部分が「あれは誰だ?」と言ういぶかしげな表情をしていた。
注目にさらされたことで緊張が高まったのか、ソウマの腕に添えられているシェイラの手にきゅっと力がこもったのにソウマは気が付いた。
一点では絶対に引かない頑固さと強情さをみせるのに、また一点では何の接点もない様な人の目線程度に怯える控えめな少女の面もある。
そのギャップが面白く可愛らしく、ソウマはふっと柔らかい笑いを漏らしてから、励ます風に、丁寧に優しく、腕に添えられた手を軽く撫でるとゆっくりと部屋の中央部へとエスコートした。
興味深々と言った人々の中でも、ソウマは堂々とあたりを見回して目的の人物であるシェイラの父の姿を探す。
「そっれにしても……」
「……?ソウマ様?」
「いや。なんでも……」
わざとらしく咳払いなんかをしてごまかしてはみたものの、ソウマは珍しく自分が緊張しているのを自覚していた。
惚れた女性の親への挨拶と言うのも要因だが、何よりも隣にいる着飾ったシェイラと言うものが初めてで、彼女の隣に立つことがなんとなく気恥ずかしいというか、とにかく落ち着かなかった。
緊張した面持ちでソウマの腕に手をかけているシェイラの横顔をちらりと覗き見る。
(―――これで、どうして今まで手ぇ出されてなかったんだか)
白銀の髪と薄青の髪と言った人目を引く色に、大人しげで楚々とした雰囲気は庇護欲を誘う。
そして真っ直ぐに前を見据えた表情と、正した姿勢の良さに凛とした強さも感じた。
まとった衣服や化粧がどうこうではない。
目が、彼女自身に惹きつけられる。
人の美的感覚には疎い竜であるソウマでもどきりとするのだから、人間の男を魅了しないはずがない。
社交デビューして一年もたたない年齢だとしても、そこで噂にならないわけがなかったろうに。
「……ん?」
ソウマは違和感に目を瞬かせた。
(違う。最近、こう変わった…のか……?)
ここまで他者を魅了する娘がどうして手つかずだったのだろうかと考えて、ソウマは初めて彼女の変化に気が付いた。
出会ったころは、もっと印象が薄く人の目を引く少女ではなかった。
それはほんのりとした。
ほんの僅かな変化。
人を惹きつけてやまない竜の側の空気を、シェイラは薄らと纏っていた。
(―――あぁ。だから)
だから、周囲の男たちが目を見張り、魅了されている。
一体どこにあんな令嬢が隠れていたのだと。
あんな風だったか?と首を傾げてみているのだ。
彼女の中にある強大な気に圧倒されている。
(……まぁ。うん。外野の男は良いか。近づけさせるつもりは無いし。それより、今日の本命っと)
人間の男程度に負けるような気もしないので、ソウマは自身に向けられる視線の中を見渡す。
会ったことは無かったが、見通しの良い背の高さも役立ち、本日のホストである男はすぐに分かった。
ソウマとシェイラを凝視し、明らかに困惑と敵意のこもった目を向けてくる五十歳前後の男。
茶色い瞳と髪、逞しい体躯でどっしりと地に足を構えた印象だ。シェイラとは何もかもが似ていなかったが、彼の隣に佇む妻らしき女性はシェイラと同じ髪色と瞳を持っていて、雰囲気もそっくりだった。
ソウマは少しかがんで、シェイラの耳元に小声で話しかけた。
「シェイラ、あの人?」
堅い表情をしたシェイラが、ぎこちない動きで頷く。
「…………」
こんな時、どうしてやれば彼女の緊張が解けるのか、ソウマにはいまいちわからない。
二人きりだったならば抱きしめるなりなんなり方法もあるのだろう。
だがまどろっこしい事が苦手で基本的に大雑把なソウマにとって、この柔らかく微細なことで反応してしまう少女を言葉で励ますと言う方法は、非常に難しい。
(うんんー…。さっさと認めてもらって安心させるのが早いか)
結局、ソウマは目的を遂げてしまうのが一番手っ取り早いと悟った。
深く考えるのも苦手なのだ。
シェイラの足の速さに合わせつつも彼女の父親のもとへと向かう。
「初めまして、グレイス・ストヴェール子爵殿。メルダ・ストヴェール殿どうぞお見知りおきを」
人間の礼式にのっとって、片手を胸の前に置いて頭を下げる。
ソウマの普段ではありえない丁寧な口ぶりに、グレイスよりシェイラの方が驚いた様子を見せている。
ソウマは契約者であるアウラットに付き合って式典などには出ているから、貴族的な所作やマナーについて困ることはなかった。
「……ソウマ、様」
「私の事をご存じでしたか、子爵」
「知らないわけがないでしょう。大変有名ですし、娘の口からも良く聞く名前ですから」
大勢の人の目を気にしてか、グレイスはソウマがどこの誰なのか、何なのかは口にしなかった。
ソウマとしては別段気にしないし、シェイラに関することで嘘をつく気もないのだが。気を使ってくれたことには素直に感謝をし、その意味を込めて笑みを浮かべ会釈を返した。
「お話を、聞いていただいてもよろしいだろうか」
「…………」
グレイスがソウマを見上げ、そして隣のシェイラの顔をじっと凝視する。
シェイラが顔を上げて、父に力強くうなずくのを見て彼女の覚悟を知り、ソウマも覚悟を決めた。
「一体、何ですかな」
ある程度予想はできている風で、グレイスはソウマに続きを促した。
「本日伺ったのは、お嬢さん……シェイラとのお付き合いの許可をいただきににまいりました。」
ソウマのその台詞に、周囲の空気がざわりと動く。
その殆どは好奇心だろう。
なにせ何処の誰とも知らぬ男が、突然の公開告白だ。
グレイスは瞳を剣呑に細め、息を吐く風に頷いた。
「………ほう」
「お父様!あのっ……」
「シェイラは黙っていなさい。今はソウマ様と話しているのだから」
「つっ……」
グレイスは竜であるソウマを臆することなく正面から見据えて、やはりシェイラの心配していたことを口にする。
「そういうのは、事前に知らせがあってからのことではないしょうか。しかもこのように客人がいらっしゃる場で、非常に私的な内容を突然言い出すなど、大切に育てた娘を渡す男にふさわしい行動だとは思えませんな」
「礼をかいたことは申し訳ない。もう一人の令嬢に口添え戴いたままに来てしまったもので」
「ユーラに…?」
ピクリとグレイスの瞳が明後日の方向へと逸れた。
グレイスの視線をたどってシェイラも後ろを振り返ると、友人と共にシェイラたちの方を伺っていたらしいユーラがさっと人の影に隠れるところだった。
「それにシェイラもストヴェール子爵殿も王都を離れるのは時間の問題。順を追っていたのでは間に合わないかもしれ無いと思ったもので」
「…シェイラも、離、れる……?シェイラ、どういうことだ。ストヴェールに来るのか?」
不思議そうに尋ねてくるグレイスに、シェイラは首を横へと振った。
「いいえ。城を出ようと思うの。ストヴェールに帰るという意味でもないわ。ココとスピカを連れて、世の中を見て回りたい」
「っ!!」
ぐっと、グレイスの表情が厳しくなった。
シェイラはそんな父親に怯むこともなく、ソウマの腕から手を抜くと、自分の前で重ねて丁寧に腰を曲げた。
「ご報告が遅れてしまって申し訳ありません」
「決めたことなのか」
「はい」
グレイスは頭を下げた娘をしばらく見つめたあと、小さく嘆息する。
「…………お前の生き方に関しては、もう口を出さないと言っただろう。危険や苦労を承知で、考えて決めたのならばそれで良い」
「お父様!」
表情をほころばせるシェイラに、いまだ厳しいままの表情でだが許諾したグレイス。
グレイスの隣では、相変わらずおっとり微笑んでいる母が満足そうにうなずいてくれた。
グレイスは目と目で喜び合う妻と娘に小さく息を吐いたあと、再びソウマに向き合った。
「ソウマ殿。私の意見は今言った通りです。娘の人生に口をだすつもりはありません。ただ……」
「ただ?」
ソウマが首を傾げると、グレイスは目を剣呑に細めソウマを睨みつけてきた。
「貴殿が娘を悲しませる原因になることがあれば、私は父として力の限りの怒りを向けるでしょう」
「…………心得ました。有難うございます」
ソウマは娘を手放してくれたグレイスへ心から感謝と敬意を込め、紳士らしく手を胸の前に置いてゆっくりと頭を下げた。
* * * *
グレイスとメルダから離れたあと、シェイラたちは次々と招待客から声をかけられた。
「おめでとう」「おめでとう」と杯を渡され、ソウマの出自を尋ねられる。
あいまいに誤魔化していると、背後から満面のユーラには勢いよく抱き付かれ、次には兄のジェイクが頭をなでて笑って祝福してくれた。
それぞれにお礼を言いながらも、自然な動作で人々の興味深げな視線から逃れ、休憩の為に隅に作り付けられた半個室のようになっている衝立の向こう側へとシェイラはソウマを誘った。
薄暗い置かれたソファに座ることもしないまま、ソウマを振り返ったシェイラは彼を見上げる。
「それで、どうしてこんな事を?ユーラに唆されたからって、その…あまりにも……」
あまりにも突然の来訪だった。
ユーラの後押しがあったとしても、明らかに怒っていたソウマがどうしてここに来てくれたのかが分からない。
首を傾げてみせるシェイラに、ソウマはどうしてかずいぶん吹っ切れた表情で苦笑して向き合った。
「離れる前に、逃げられないようにしておこうと思って」
「っ……」
「違う。そういう意味じゃない。シェイラが外に出るのを留めるのは、もうやめた。俺の勝手な独占欲での我儘だった。でも、その前に俺たちだけの中の関係ではなくて、みんなに認められた確固とした恋人になって置きたかった。親に紹介までしたらもう、別の人に変えましたなんて簡単にできないだろう?」
「っ…、そういう、事ですか……」
胸に手を置いて安堵の息を吐いたシェイラは、おずおずとソウマを見上げて眉を下げる。
「……まだ、怒ってます?怒るに…決まっていますよね」
シェイラはしゅんと肩を落とす。
ソウマのことは大切なのに、その彼のそばに居てほしいと言う願いを聞くことができないなんて。
考えれば考えるほどに自分は酷い恋人だ。
愛想をつかされてしまっても仕方がない程のことだと分かっている。
「あの時は混乱して縋りついてしまいましたけれど。あの、こんな我儘でどうしようもない私よりずっと良い人…いえ、良い竜はいるでしょうし……こんなに良くしてもらって、もうじゅうぶ…」
「いやいやいや。何考えてる。そんなつもりならここまで来ないから。わざわざこんな恰好して、まわりくどい人間の文化に合わせて両親に挨拶なんてのもしないから」
「っ……」
目を丸めるシェイラを、ソウマが広い胸の中に抱き入れた。
ふわりと香った太陽の日向の香りに安堵して、あの燃えるような圧倒的な怒りが消えていることをやっと実感したシェイラは泣きそうになる。
シェイラは自分を抱きしめる逞しい腕に手を添える。と、ソウマはシェイラの頭に顎を載せた状態で囁いた。
あまり恋愛的な意味で真面目なのはお互いに慣れていなくて、なんとなく正面から顔を合わせるのを避けているのかもしれない。
「怒ってない。むしろ俺が……そう言うのは竜として当然の感情だってこと、忘れてた」
「竜として…?」
「誰かに縛られることを嫌う。自由気ままに飛び回る。色々理由つけたってさ、城が少しでも息苦しいとか、外に出たいと思うようになったのは、そういうことだろう。里の場合は定住しているやつが多いけど、人里では狭すぎて一所に落ち着くのは難しいんだ。契約者がいればまた別だけどな。何で離れるんだって疑問が分かったから。ちょっと落ち着いた。――――今はもう、むしろ楽しみにしている。どんな風に成長してかえって来るんだろうって。ここに。俺のところに」
「が、頑張ります」
「……絶対、ここにしか帰ってくるのは許さないからな」




