約束の証③
シェイラとソウマの間に一悶着があった翌日の午後。
「ふんーふふーん」
ジークは呑気に鼻歌を歌いながら、金色の髪を緩やかになびかせていた。
のんびりと城内を散歩しているそこは、耳に届く木々の葉擦れの音が心地よく、また物珍しいものは何も無いために人もあまり近寄らない敷地内のはずれにある林。自然を愛する木竜に優しい場所だった。
そして整備された小道から外れたところに、人目を避けるかのように木々の間にハンモックが設置されていることをジークは知っていた。
(祭も終わったし、もう帰るだけだし。今日は長距離移動に備えてのんびり昼寝かなー)
木と木の間を練り歩き、ハンモックのある場所にひょっこりと顔をだしたジークは僅かに目を見開いて「おや」と漏らす。
ジークの昼寝場所にしようとしていた場所は先客に乗っ取られていた。
大柄な体を寝そべらせ、ゆらゆらと揺れているそれに、ジークは近づいていく。
「なーに黄昏てるの。ソウマ。そこ、俺の昼寝予定地なんだけど。どいてどいて」
「……ふん」
瞑っていた目を薄く開いてジークに気付いたらしいソウマは、しかし不機嫌そうに顔をそ向け、そのまま居座る。
「おやおやー?不機嫌だねぇ」
あっけらかんとした性格で明るく笑っている印象の強いソウマが、拗ねている。
その珍しさにジークは笑いを漏らした。
ジークの鼻先をくすぐるのは酒の匂い。どうやらソウマは昼間っから飲んで酔っているらしい。
赤ら顔に、目も充血気味で、見た目にも丸わかりだった。
竜が酔うのだから、それはもう相当の量と時間呑んでいたのだろう。
「何々。シェイラと喧嘩でもした?それで朝っぱらから今までヤケ酒してたってこと?」
からかいを込めた指摘に、ソウマは胡乱げにジークを睨みつけてくる。
「……あんただろう」
「何が?」
ソウマは寝そべっていた身を起こすと、ジークをさらに強い目で睨みつけてくる。
(相当怒ってるな)
分かりやすい様子に内心ほほえましく思いつつも、小首を傾げてみせた。
ジークからすればソウマは子供にも等しい年頃。
怒りに満ちた火の気をがんがん当てられようとも、微笑ましい幼子のちょっかいにしか思えない。
ソウマは余裕のあるジークにさらに苛立ったようで、赤い髪を苛立差しそうに掻き揚げて眉をひそめている。
そのあとソウマがこぼした声は、ひどく恨みがましい物だった。
「あんたが、余計な入れ知恵したんだ」
その指摘に、ジークはふわりと微笑む。
「余計なとは失礼な。君たちが彼女を囲い込もうとするほうが間違っているんだろう?」
「は……?」
「この城が一番良い場所なのだと。この場所にずっと居るのが正しいのだと、そう思い混ませるかのようなこと、していただろう」
笑いながらも問うジークの声は、とても厳しく冷たいものだった。
「彼女が外の世界への憧れを持っていることを知っているはずなのに。どうして手を離してやらないの」
「それは、城の中が安全だから……」
「安全?ねぇ?」
ジークはその返答に、馬鹿にするように鼻で笑って見せた。
確かに身体的な安全は守られるかも知れないけれど、利用して感情的な部分で傷つける様な人間は城の中の方が多いのに。
国と竜の橋渡し的存在であるネイファの王子、アウラットは王城にシェイラをとどめようと願っている。そしてソウマも自分のそばに縛り付けたいと思っている。
そのために彼らは無意識にしろ意識的にしろ、シェイラの選択肢を狭めるようなことをしている。
自分たちが守るから。
ここが一番安全だから。
欲しい知識を得られるから。
子育てにふさわしい場所だから。
君にとって何処よりも良い場所なのだと。シェイラにそう思わせていた理由の一端は彼らにある。
だからジークが言ってやった。
やりたいことがあるならすれば良い。行きたいところがあるなら行けばいい。
周囲の意見なんて考える必要もなく、己の心のままに飛べば良いのだと。
(―――ソウマも、人間臭くなったなぁ)
昔なら、どこの竜が何をしようとそれほどの興味は示さなかったはずだ。
仲間意識は結構強いものの、基本的には一匹で立つ孤高の生き物であるのだから。
しかし本来しない恋を知ってしまって、彼の性質は根本から揺らいでいる。
独占欲に刈られ、竜としての本質を忘れている。それが今のソウマだ。
ジークは竜として、どこまても正しい心を待っている。
だから仲間を引っ張る次期長という立場にいる。
そして若い竜たちに、教えを説くことも、彼の役割でもあった。
人であれば恋人同士はそばに居るべきものだと言うのかもしれない。
でも竜はたとえ親であろうが家族であろうが―――何者であろうが、竜を縛ることは許さない。
彼が立ち止まっている原因が恋愛感情がなら、尚更さっさと手放してしまえば楽で良いのにと思ってしまう。
(誕生したばかりの白竜達が、何かに惑わされることなくまっすぐに育つようにすることが、今回俺が城に来た一番の目的でもあるんだよ)
たとえそれが人間にとって自分勝手に映る行いであろうが。
ジークは心身共に竜だから、シェイラにも竜としての道を示している。
そしてシェイラが選んだものは、ジークが示した竜として自由に羽ばたく道だった。
(別に強制なんてしていない。彼女自身がこちら側を選んだんだ。―――この分だと、体だけでなく精神面も順調に竜に近づいていってるんだろうな)
正しい竜の道を歩もうとしているシェイラを思い描いたジークは満足気な笑みを絶やささない。
しかし微笑みながらも、ソウマには反論は許さないと言う強い意志をもって口を開く。
「俺の目にはね、巣から出て羽ばたこうとしている幼い竜を、君が身勝手な独占欲で飛び立たせない様ににおさえつけているように見えた」
「っ……」
「ソウマは胸の中に抱き込んで大切にしたいのだろうけど。それでは駄目だよ。いつかきっと歪んでしまう」
「でも、シェイラは出ても問題ない年頃だとしても、ココやスピカは外に出せないだろう。小さすぎる。まだ里から出ることを許される大きさじゃない」
「幼い竜を里から出さないと言う掟は、生まれながらに里の外にいる彼らには適用出来ない。何よりもシェイラもスピカもココも、他の竜とは違う特別な存在なのだから、掟やルールの枠にはあてはめられない。他の竜達よりも強くなって貰わないと困るからこそ、相応の苦労をした方が良いと思うんだけど。ソウマ――――。何度でも言うよ、竜は自由に空を駆けるもの。何者にも縛ることは許されない」
恋という感情に惑わされて竜の本質を見失いかけているまだ若い火竜に諭す。
図星だったのだろうソウマは、気まずそうな顔をした。
(別に俺の意見が絶対に正解だなんて思っていないし。力をどう使うかなんて本人たちの気持ち次第だ。でも流れで俺が恋人同士を引き離す悪役みたいになっちゃってるのは何かなー……)
ただジークは竜だから。
竜達を導く存在だから。
竜としての意を、貫くのみだった。
「そんな重く考え無いで良いじゃん。ここは快く彼女の希望を聞いてあげて手を放して、男気あげとけば?」
「……わかってる。というか分からされた。一晩中懇々と説き伏せられたからな。何言っても真っ向から言い返して来て……。なんだあれ、頑固すぎるだろう。こっちの意見聞き入れるつもり全くないだろう。元々あんな風だったか?くっそぅ……勝てる気がしねぇ」
ソウマが自分の赤い髪をかきまわし、疲れた風に溜息を吐く。
結局のところソウマは彼女に弱いのだ。
強くお願いされてはどんな頼みだろうが頷く以外無いという程度には。
「っぷ。なに、もう尻にひかれかけてる?」
「うっせぇ」
何十才も年下の少女に言い含められて複雑そうなソウマに、ジークは声を出して笑った。
そしてその笑いと、いくつかのからかいが止んだ頃。
一人の少女がソウマを訪ねてきた。
緊張した面持ちで衛兵に案内されてきた少女は、ソウマの姿を薄青の瞳に映すなり、勇ましくも睨みつけてくる。
彼女は手に持っていた一枚の封書を、勢いよくソウマの胸に叩きつけるのだった。
* * * *
ソウマとジークが話している同時刻。
アウラットはジンジャーの研究室に上がり込み、机に突っ伏して唸り声を上げていた。
ぺたりと顔面を机に着け、背中を丸めている姿はとても一国の王子とは思えない行儀の悪さだ。
「私は恋人同士を引き離す原因になるつもりはないのだが」
ソウマが自分のために、自分の生涯尽きるまで傍にあることを決めていることは、うれしいけれど複雑だった。
親友の恋の邪魔をするつもりは更々無い。
「殿下が居ようといまいと、彼女はソウマ殿を連れていくことは無いでしょう?」
「まぁ。それはそうだが……理由の一端にはなっているだろう」
複雑な表情で嘆息したあと、アウラットは首を回して書物を開いているジンジャーを眇め見た。
「ジンジャーも弟子を失うことになるのだぞ?何を落ち着いている。シェイラに引継ぎをしたあとは引退してクリスティーネと隠居旅行に行く予定ではなかったのか」
「特に不備はございませんのう。私は頃合いを見て勝手に引退するつもりですから。それに外で勉強をしてくるというのはむしろ良いことだと思いますよ?弟子にはぜひとも各地から報告書を飛ばしてもらわなくては。白竜たる彼女にしか得られない情報を沢山得てきてくれるでしょうし。そもそも殿下も私も、若いころは世界を飛び回っていたではないですか。彼女だけ駄目だと言うのはあまりにも可笑しな話では?」
「――――あぁ……そうだな」
まだ王族としての束縛もゆるい子供とも呼べる年の頃。
ソウマとともに城を飛び出し色々なところにいった。
護衛も目付け役も連れて行かなかった。邪魔だった。
そこで見たものや出会った人や竜達と得た経験は、間違いなくアウラットにとって大きな財産になっている。
城に居たのではそういうものは手に入らない。
シェイラやココやスピカがそれらを手に入れにいくのは、むしろ推奨するべきだとアウラットも思う。
「しかし、本当に大丈夫だろうか。せめて護身術くらいは覚えて言って貰わないと……。あぁ……白竜が。白竜なのに。行ってしまうのか。昨日出したという白い翼を、まだ見せて貰っていないのに。出発するまえに絶対撫でさせてもらおう……」
シェイラが竜を選んだ以上、人間の王族としての命令はもう出来ない。
人と竜の盟約上、彼らの自由を縛ることはしてはならなかった。
「始祖竜も黒竜もしばらく見られないのか。あぁ、もう…絶望的だ」
机に突っ伏したままのアウラットがぶつぶつ呟く様子を、ジンジャーは平然とした笑顔で見守るのだった。
ジンジャーはふと思いついた風に書物から顔をあげると、話題を変えた。
「しかし殿下。ミネリアと言うお嬢さんの処分はしなくてもよろしいのでしょうか」
ソウマからの報告通りだとすると、彼女がしたことは殺人未遂。
どう考えても見逃されて良い事件ではない。
甘すぎる処置に訝しむジンジャーに、アウラットは机に突っ伏したまま放っておけとばかりに手を振る。
「十年前の災害の時、ストヴェール子爵は己の無力さを大変嘆いてらした。見離すことになった民達の身内の者たちに恨まれることなど織り込み済みで、憎しみや怨恨さえも受け入れることを決めてらっしゃる。……ユーラに向けられたそれも、危険性を持つミネリアを抱え込むことも、子爵殿は己に課せられた責のうちの一つとして受け入れてしまうのだろうな。シェイラもユーラもストヴェールの姓を持つ人間として責任を感じているから怒りより同情心の方が大きくなった。まったくお優しい一家だな」
その愚かなほどの甘さと優しさは、アウラットは嫌いではない。
城に仕える臣下達が権力欲しさで日々繰り広げている泥沼劇と比べれば、事件の発生から結末に至るまでの全てが微笑ましい。
本人たちが納得しているのならば、もう彼らの望み通りなかったこととして扱うことにした。
「そんなことを言って、事務仕事が増えるのが面倒なだけでは?」
ジンジャーの静かな指摘に、アウラットが答えることは無かった。




