約束の証①
シェイラの目の前に積まれているのは、紙の束だ。
中身は竜に関する研究をしている人間からの研究結果。
学校などで優秀な成果をだした人間が作った論文。
古代の遺跡で発掘された品々のリスト。
国から調査を依頼したギルドや冒険者たちから上がってくる報告書。
それら全てが竜の分野を統括する空の塔あてに送られている。
シェイラがしているのは内容ごとに区分けをし、誤字や脱字を見つければ修正する、というような誰にでもできる雑用だ。
それでも大変な勉強になるだろうと、ジンジャーが振ってくれた仕事の一つになっていた。
最初のころはどう区分わけして良いのかも分からず、ジンジャーにつきっきりで教えてもらっていたが、今は自室に運んでもらって一人でできるまでに成長した。
シェイラが仕事をしている傍らでは、ココとスピカがおやつの時間を楽しんでいる。
大人しく食べてくれている間に進めようと、それらを広げたのは良いのだが。しかし思ったようには進まなかった。
「いやー!ココのー!」
「スピカのよー!」
真面目に仕事に取り組むシェイラの傍ら。
部屋の中央に置かれたテーブルを前に、壮絶な戦いが巻き起こっている。
子供たちの幼い声は部屋の外にまで響いているかもしれない。
「こらっ。半分にしなさい」
手を止めて執務机から移動し、彼らの背後にたったシェイラは揉めている原因である残り一枚のクッキーを取り上げた。
「はい、どうぞ」
半分に割ってからココとスピカそれぞれの小さな手のひらに乗せる。
スピカはそれを嬉しそうに頬張る。
しかしココはすごく不満そうだ。
半分になったクッキーを少しかじりつつ、唸り声を上げる。
「むうー……」
「ココ?スピカも、仲良くしましょう?」
「ココわるくないもん。スピカのほうがいっぱいたべたもん!」
頬を膨らませたココを見たスピカは、釣り上がり気味の目を細めてわざとらしく首を振った。
「ずっとかぞえてたのぉ?まったく、みみっちーおとこはモテないのよ、ココ」
「みみ?」
「スピカ、どこでそんな言葉覚えたの?」
「じじょのおねえさんがいってたの。やさしくておかねもってるおとこをねらいなしゃいって」
「スピカはあまり大人の話に混ざらないの。それにお金で人を判断するようなことを言うのも駄目よ」
「えぇーー?」
(生後1ヶ月もたたずに覚えることじゃないわ…)
人見知りで慣れていない相手だとまったくの無言になるスピカだったけれど、慣れてしまうとおしゃまで結構な気の強さを見せる。
「ココ、ほっぺについているわ」
ココの頬にクッキーのかけらがついているのに気が付いて、シェイラは手を伸ばしてそれを払った。
その様子をみたスピカは両手を口にあててぷっと大きく吹き出す。
「あかちゃんみたーい」
からかいの台詞に、当然ココが反応しないわけがない。
顔を真っ赤にして息を吸うと、大きな声でまた叫ぶ。
「ちっがーう!」
「だってあまえんぼうなんだもの!」
「ちがうもんー!!」
「……っ」
子供たちの元気な声に、シェイラはこっそりとため息を吐いた。
(元気なのは良いのよ。良いのだけど…)
買い言葉に売り言葉。どんな台詞にも動作にも反応して小競り合いに発展する。
気が付けば取っ組み合いになって床を転げまわっていることもしょっちゅうで、子供たちから一時も目が離せなくなっていた。
(でも、楽しそうなのよね)
喧嘩ばかりで困ることは困るけれど。
それでも今までは喧嘩する相手さえ、ココにはいなかった。
喧嘩し、仲直りし、笑いあえる友達ができた。
「友達がいないと学べないことがたくさんあるわ」
「しぇーら?」
たとえば今回みたいにクッキーが一つ余っていたとすれば、今までならそれは自動的にココのものとなっていた。
でもほとんど同じ年の頃の、数か月しか生まれの変わらないスピカと言う相手が出来たから、一つのクッキーをもらえる確率ははんぶんになった。
割って分け合ったとしても、量が半分になってしまう。
これまでの大人ばかりの環境だと、一番小さなココにはどうしても誰もが甘い顔をしてしまっていた。
一番に甘やかされて優先される立場であることが当然だったココは、立場の変わりように当然不満層で、ことあるごとに癇癪をおこしていた。
少しココの我儘が増えたのは、スピカと言う張り合う相手が出来たからかもしれない。
(きっとこうやって何度も喧嘩をして、ゆっくりと分け合うことや思いやりなんかを学んでいくのね。今はまだ、納得いかなくて駄々を捏ねてばかりだけど)
また喧嘩をはじめそうなココとスピカの頭を撫でると、二人は動きをとめてシェイラを見上げてきた。
シェイラは子供たちと視線を合わせてから、やや真剣な顔を作って話を始める。
「スピカとココが良い影響を受けあっているように。たくさんの人や竜と出会うことは、必要なことだと思うの」
「?」
「お城は私たちをとっても大切にしてくれるけれど、でもそれで満足してはいけなかったと言うこと」
沢山の物事を、学ばなければならない。
それはおやつの分け方だけでなく。スピカやココ、そしてシェイラが竜として生きていくために必要な勉強。
甘やかされて、大切にされて、必要なものがすべてそろった、何不自由のないこの場所では出来ない勉強。
「ココ。スピカ」
「「なぁに?」」
幼い子供たちに、シェイラは優しく微笑んだ。
「私たち、このまま城で甘やかされたらだめになるわ」
「しぇーらはダメじゃないよ?」
「いいこよー?」
可愛いことを言ってくれる子供たちに、思わず頬が緩んでしまう。
「ふふっ…有難う。でもとっても駄目なのよ。あのね、皆でもっと大人になるために、外に出ようと思うの」
「どこかいくのー?」
「おそと?」
「そう。城から離れて、守ってくれる人たちのいないところ。旅に出ましょう。誰かに守られなくても立てるくらいの、一人前の竜になるために」
「たび?」
(白竜の導きの力は、まだ全然使うことはできないけれど)
それでもココとスピカの行く末くらいは良い方向へ導いてあげたい。
自分自身ももうすこし成長したい。
甘えたな自分が今何もできない弱いままなのは、どんなことでも手を差し伸べてくれる、優しい人ばかりの場所にいるからだと気づいてしまった。
簡単に手を差し伸べられたら、意思の弱い自分はあっさりと流されてその手を取って頼ってしまう。だから、外にでたい。
「どこか行きたいところはある?」
「うーん…うみ!ココ、うみみたーい」
「海ね、ずっと言ってるものね」
「スピカはあんまりいきたくないかも」
「どうして?」
「しらないひとがいるとこやー」
「少しずつでも人見知りを治せるように頑張りましょう?」
「えー…。んー。でも、しぇーらママはいくのでしょ?」
「そうね。でもスピカがここが好きなら、誰か信頼のおける人に任せようとも思うわ」
絶対に離したくは無い大切な存在だけれど。
竜の行く道を強制することは、シェイラにも出来ない。
「いっしょがいいのー。スピカもいくー」
「ねぇねぇ、おそとってどんなとこ?」
話の流れで机の上に世界地図を広げた。
ココとスピカとどこに行きたい、ここには何があるだろうと話しこむ。
子供たちの顔は見知らぬ世界を想像してきらきらと期待に満ちて輝いていく。
(この分なら大丈夫かしら)
ほっと息を吐きかけた時に、部屋の扉がノックも無しに乱暴に開かれた。
「っ…?!」
扉が壊れるかと言うほどに勢いよく開かれたその大きな音に驚いて、三人揃って振り返った。
「ソウマ様?」
扉を開いたのはソウマだった。
酷く慌てた様子の彼に、シェイラは首を傾げながらも駆け寄る。
何かあったのだろうか。
「ソウマ様、どうかされたのですか?何か急ぎの御用でも」
「シェイラ。……城を出るって本当か」
シェイラを呼んだソウマの声は、ひどく堅いものだった。
「は、はい」
「………」
「あ、の……?」
ソウマは目の前にいるシェイラを睨みつけてくる。
「っ……」
明らかに、怒っている。
(ど、どうして。言うのが遅かったから?でも祭だった昨日は忙しくて会えなかったし)
覚悟を決めたのはつい昨日のことだ。
ジンジャーには今朝仕事を受け取りに行ったときに簡単に説明したから、ソウマは彼に聞いたのだろう。
でもジンジャーとしたのも世間話程度の会話だった。
きちんとした報告は子供たちの同意を得て、必要な知識や物を調べ、ぼんやりとした希望がはっきりと説明できる形になってからするべきだろうから。
「あ、……あの、ソウマ様には今夜にでもお話に行こうと思っていたのですが」
「違う。そうじゃなくて。何でいつの間にそんな意味の分からない展開になってるんだって言う……。あぁ、もう……ちょっとこっち来い」
ソウマが乱暴に手を引いて、シェイラを廊下へと連れ出した。
「え、あの。でもっ」
「しぇーらぁー」
「まってぇ」
「ソーマ!いじわるだめー!」
振り返ると、椅子から飛び降りたココとスピカが今にも泣きだしそうな顔でシェイラを追ってきている。
「っ……」
しかしソウマは、子供たちが追いつく前に扉を閉めてしまった。
バンっと壁が揺れる程に荒く閉められたその音に、シェイラも一瞬びくりと肩を揺らす。
「ココ、スピカ…!」
扉の向う側から、それを叩く音と泣きそうな声がする。
今のココとスピカの、人の子の姿ではドアノブには届かない。
竜に戻るとノブを回すには手が不自由だ。
人の姿のままで羽を出した状態でやれば良いだろうけど、それよりも手っ取り早い方法……ココがドアを燃やしてしまうと言う方法をとってしまうのではと言う不安が頭に上った。
「ソウマ様!ちょっと!待ってください!」
「………」
シェイラの手を引くソウマの力は、緩まらない。
むしろ反論すればするほどに彼は乱暴な仕草でシェイラを連れて行こうとしていた。
いつものように歩幅を合わせてくれることもせ無く、シェイラは半ば引きずられているような状態でぐんぐん廊下を進まされる。
「シェイラ様?何かございましたでしょうか」
「あ、良かった」
騒ぎに気付いてくれたらしい侍女が慌てた様子で来てくれた。
シェイラはすれ違いざまに口早に子供たちを見てくれるようにお願いをする。
本当は自分が部屋に戻りたいけれど、ソウマの手の力は強くて、払うことは難しかった。
彼女が頷いてくれたことで取り敢えず安心し、シェイラはやっとまともにソウマの背を見上げる。
ぴりぴりとした痛いほどの空気。
「っ……」
声を掛けることも躊躇うほどの貼り詰めた広い背中に、息をのんだ。




