決意③
ソウマは騒ぎになる前に祭りに戻り、ミネリアは解放された。
彼女は一度家に戻って考えて、それでもユーラのもとに来る意思があるのならば義両親を説得してきてもらわないといけない。
王城や高位貴族の家だったなら彼女の身分で侍女になるのは難しかった。
でもストヴェール子爵家は片田舎の辺境貴族。
仕えてくれている侍女や使用人の中にも平民が当たり前のようにいる。
位を持たない家の出身の、キャリア志向で成り上がろうとする職業女性の場合は、まずこのような家で働いて能力を見せつけ、更なる上位貴族に務めるための紹介状や推薦を得て地位を上げていく。
だからミネリアの身の上がしっかり証明出来て、与えられた仕事をこなすだけの能力を示せれば、父であるグレイスからストヴェール家で働く許可も得られるだろう。
(問題は身の上の証明よね。ミネリアがクコ村の生き残りだって言うことは直ぐにお父様に知られるでしょうし。そうするとどんな経緯でユーラと親しくなったのかも疑問に思うはず)
いくら内緒にしていても、グレイスに今日のことが知られてしまうのは時間の問題だろう。
こんなことがあった……安全とは言い難い人物をユーラの側に置くことを、あの厳格な人が許可するだろうか。
(……ここは、ユーラ達の頑張りどころね)
シェイラも協力出来ることはするつもりだけれど、ユーラの性格からいって真っ向から自分でグレイスと対峙するのだろう。
シェイラはそんなことを頭の端で考えながら紅茶を口に含み、ユーラの方を見る。
――――今、塔から帰ったシェイラとユーラは二人きりで部屋に居る。
自分たち兄妹が白竜の血を引いていること。
シェイラは竜として生きていくこと。
竜になることにしたシェイラの近くにいると、ユーラや母に影響を与えてしまうかもしれないこと。
シェイラは長い説明を終え、妹の反応を大人しく待っているところだ。
「そういうことで、白竜の血の影響があるかもしれないでしょう?だから今はユーラ達家族とあまり長い間一緒にいるのはと問題があるのよ」
聞き入っていたユーラは、大きく長いため息を吐いて額を指で押さえている。
「……有り得ない」
「私もそう思うわ。でも、現実なのよね」
手に届かない存在だと思っていた竜の血が、自分たちの中に流れているなんて、考えもしなかった。
ユーラは落ち着くためなのかティーカップを手に持ち勢いよく飲み干した。
いささか乱暴に音を立てて空のそれを置き、大きく息を吐いたあとにシェイラを睨みつけてくる。
「もう!どうして教えてくれなかったの!?」
「ごめんなさい。お父様とお母様との約束だったの…血のせいで変に悩んだりしてほしくないって。お父様たちが二人で決めた決め事を、私が勝手に漏らしていいとも思えなくて」
ユーラはどこかあからさまにため息を吐きながら呟いた。
「……怖かったの」
その呟きに、シェイラがはっと顔をあげる。
「ユーラ?」
「最近のお姉さまは、私と違う世界を見ているみたいで。どんどん離れていってしまっているようで怖かった。でも、違うのは当たり前だったのね。違う生き物になるのだから、距離があるのは当然だわ」
「…………」
シェイラ自身でも気づかなかった変化に、ユーラは気付いていたと言うのだ、
(私…ユーラが嫌がっているのは、寂しいからってだけだと思ってたわ)
ユーラはただ今まで傍にいた姉妹を恋しがって、だから寂しくて反対しているのだと思っていた。
心配をかけていたなんて、考えもしていなかった。
ユーラはシェイラの自己嫌悪で沈んだ様子に気づいたのだろう。優しい口調で言葉を続ける。
「お姉さまには出来るならば側にいてほしいわ。人として生きて、同じものをみて同じ速度で生きて行ってほしい。生まれてからずっと追いかける存在だったお姉さまを置いて、自分だけが成長して老いて死んでいくなんて、そんな未来信じたくもないわ」
ユーラの顔が一瞬くしゃりと歪んで、シェイラは慌てた。
しかし次に呟くように落とされた言葉に、差し出そうとした手の動きが止まる。
「でも――――こんなの、納得するしかないじゃない」
「本当に?」
「だ、だって、さっきのお姉さま……。背中に翼が生えた姿も。いつもより鋭い目も。白の色味が強くなった髪も。あぁ、これが本当の姿だったのねって、納得してしまうくらい自然で似合ってたのよ。完全な人の姿のときよりも数段お姉さまに合っていると思ってしまったわ」
「………」
「お姉さまの居る世界は、とっくに私の手の届く距離にはなかったのね。っ……」
「……ユーラ、大丈夫?」
唇を引き締めて黙ってしまったユーラに、シェイラが心配そうに声をかけた。
ユーラは顔をあげてシェイラの今は普通の人間と同じ瞳をじっと見つめる。
何度か躊躇したあとに、うっすらと口を開いた。
「…お姉さまは、竜が好き?私たち家族よりも?」
それは演劇や小説の修羅場でも良くある「恋人と仕事どっちの方が大切なの?」とでも聞くような。絶対に比べるべきではない選択だった。
それでもユーラが本気で聞いているのが分かったから、シェイラはしばらく悩んだけれど、結局肩を落とす。
「……ごめんなさい。家族は、とても大切だと思うわ。私の助けを必要として貰えることがあるのならば、何がなんでも力になるつもり。でも…」
言い訳の仕様もなく、今のシェイラは家族よりも竜を優先している。
シェイラが選んだのは、竜の傍にいること。
――――家族よりも竜を選んだ。 だから。
「私はストヴェールには帰らない。いつも近くに居られた時のような、元の家族の形には戻らない」
「……。…まったくもう、仕方がないなぁ」
ユーラの溜息とともに吐かれた小さな声に、シェイラは瞬きをして小首をかしげた。
正面からみつめた妹の顔は、本当に言葉のままに「仕方がないなあ」と小さな子供の我儘を許すかのような微笑みだ。
ユーラは吹っ切ったように顔を上げる。
「本当はね、すっごく嫌だし。止めたい」
「っ…」
「お姉さまが訳のわからない何かに変わっていくのが怖かった。でもそれが何なのか分かってしまった。シェイラお姉さまの大切なものを、彼らと同じになっていく姿を見せつけられた。引き留められないのだって、この目で見て痛感させられた。そうしたらもう、シェイラお姉さまが幸せになれるのは、ココたち竜のそばなんだって、認めるしかないじゃない。すっごく悔しいけれどね」
「ユーラ…!」
目の端にうっすらと涙をためながらもふんわりと優しく微笑んでくれたユーラに、シェイラは頬を緩める。
しかしユーラは直ぐに様子を変え、耐えかねたようにくすくすと笑いを漏らした。
「そ、れ、にー、いつの間にか旦那様までみつけているみたいだしねー」
「え?」
「お姉さまはお父様の見つけてくる結婚相手との結婚を何の疑問もたず、何の抵抗もせずに受け入れて結婚するのだと思っていたわ」
「っ!」
勢いよくシェイラの顔に血が上る。
(気づかれてたのね……)
頬が熱くて、恥ずかしい。そういえば妹と恋愛話をしたことはなかった。
「っ……ソウマ様は、その……」
「あら、私の勘違いだったのかしら。目の前であんなに固く抱きしめ合ってくていれたのに?」
「い、いいえ。勘違いではないの。そうよ……えっと、彼とはそういう関係よ。でも、結婚とかそういうのはあり得ないわ」
「はい?どうして?お姉さまだってもう年頃だし、ソウマ様はすでに適齢期をとうに過ぎているようにも見えるわ」
ユーラが不思議そうに眼をまたたかせる。
「だって竜なのよ?」
そもそも人の行う『婚約』や『結婚』と言う制度自体が彼ら竜の文化にあるのだろうか。
彼らの言う『つがい』の意味も、人間が言う『夫婦』と、生涯一緒に居て家族を作るという点では同じではあっても、どこか決定的な溝がある。
彼との結婚や婚約などはシェイラは考えてはいない。そもそも思い浮かびもしなかった。
それは人間の文化であって、竜に当てはめるのはなんとなく違和感があった。
たどたどしくつっかえながらもユーラにそれを説明すると、ユーラは胡乱げに目を細めた。
「ふーん…?なんだかつまらないわね」
「つまらないって…」
「お姉さまはそれでいいの?婚約式で皆に祝福を受けたり、結婚式で花嫁衣裳を着たりって、女の子の憧れでしょう?」
「そう、ね……?」
確かに真っ白な花嫁衣裳に対するあこがれはシェイラにもある。
でもそれよりも、彼の特別であれればそれでいい。シェイラはそれで満足だと思っている。
「もうっ!じれったいわね」
ユーラは怒ったように鼻を鳴らす。
そして何かを考える風に思案して、口元に手を当ててぶつぶつと何か独り言をつぶやきだした。
「こうなれば私が……」
「ユ、ユーラ?変なことをしないでね?」
妹は一体何を考えているのだろうか。
不安に思って釘を刺してみたシェイラに、ユーラはにっこりと意味ありげに笑って頷いた。
「もちろん!私が願うのはお姉さまの幸せだもの!」
「……そ、う?」
(なんだか怖いわ)
でもしばらく気まずい関係だったユーラがにこにこと笑ってくれるのは嬉しかった。
シェイラは苦笑して、冷めてしまった紅茶を煎れ直すために立ち上がろうとする。
しかしユーラはそのシェイラの手を引いて引き留めてきた。
「どうしたの?」
見下ろすと、彼女は先ほどまでの笑顔とは違う、真剣なまなざしを向けてきていて、シェイラは無言のままに椅子に座りなおす。
「―――あのね。ちょっと話を変えてもいいかしら」
「えぇ、もちろんよ。何か言いたいことがあるのね」
ユーラはこくりと大きく頷いてから、口を開いた。
「シェイラお姉さまがストヴェールに戻らず、自分の道を決めたことをきっかけに、私も考えたの。自分の未来」
「もしかして何かやりたいことがあるの?」
「そうよ。私、やっぱり剣が好き。令嬢なのにそんな野蛮なものって、あまり良い印象受けていないって分かっているけれどそれでも好き。その好きなもので、好きな人たちを守りたい。私……騎士になりたいの」
「ユーラ」
シェイラは困惑に眉を下げる。
兵とは違い、騎士と言うのは一代限り有効の爵位でもあり、名誉職でもある。
「ユーラ、それはとても難しいことよ?」
「もちろん。分かっているわ」
そもそもが騎士と言う地位になれるのは貴族の子か、もしくは例外的に大会などで名を挙げた凄腕の者に限られる。
資格のある者達が試験で選出されて騎士見習いになり、その後城で厳しい訓練に耐え、更なる振るいにかけられた上、なおかつ大きな実績をあげ国に貢献したと認められなければ、正式な騎士の位は与えられない。
だからこそ騎士を名乗れるものはひどく数が少なく、皆が憧れる英雄の象徴なのだ。
「騎士たちの中に、女性はほとんど存在していないわ。女性であれば男性より力の強さや体格で劣ってしまうから、だから今の女性騎士なんて国中数えても両手で数える程度なのよね。しかもそのうちの三分の一は爵位は持ってても現役を引退していて現場には出てきてらっしゃらないみたい。どうしても結婚を気に引退してしまう傾向が大きくなってしまうみたい」
「ユーラ、そこまで調べていたのね」
「えぇ。本気だもの」
男性でも難しい騎士になれるほどの実績を、女性があげることは酷く難しい。
それをユーラは目指すという。姉として心配にならないわけがなかった。
シェイラの不安そうな表情を受けながらも、ユーラは言葉を続けた。
「あと二年もすれば私は十五歳になるから、私も騎士見習いとして城に上れるでしょう?」
「えぇ…そうね。一般的には十五からと聞くわ」
平民の子供は十歳ごろから働くものもいるようだ。
でも恵まれた環境のある貴族の子供は大体が教育や教養を学び終えた十五歳前後から、男児はそれぞれの家を継ぐ為の準備に入るか、もしくは職を得る。
だから一般的に、十五が親元を離れ一人前になる為の区切りの歳だと言われている。
女児は同じ年頃にそのまま結婚か、花嫁修業としての他家での侍女職を得るか。
または実家でさらなる教養を磨くか。
シェイラはそんな貴族の令嬢の一般的な道からはすでに大分逸れている。
「爵位をもつ貴族の子なら見習いまでなら、試験である程度の力量を出せればなれるのよ。まぁ、十五よりもっと早く試験を受けても良いかもしれないと思ったけれど。調べたら試験って結構難しいみたいだから、きちんと見合う力をつけてからにしようかと。とりあえず私は、その試験のためにストヴェールで二年間は猛特訓することに決めたわ」
「それ、お父様とお母様には?」
「まだ内緒。お姉さまに、一番最初に教えたのよ」
「ユーラ……」
シェイラは身を乗り出して腕を伸ばすと、ユーラの手をとってきゅっと握りしめ瞼を伏せた。
(ユーラの目指す道は、とても大変なものだわ)
シェイラのようにもともと持っていた白竜の血を使い、それを選ぶのではなく。
ユーラは自分の努力でなりたい地位を得ようとしている。
きっと怪我もすれば、女性なのに騎士を目指すのかと揶揄されたりもするだろう。
心配で仕方がなかったけれど、しかしシェイラがユーラの決めたことを応援しないはずがなかった。
「とっても素敵な夢ね。応援するわ。頑張って」
シェイラが顔を上げて頷くと、ユーラは嬉しそうにはにかんで見せた。
「有難う」
「ユーラ、ユーラが一番に私に話してくれて、本当にうれしいの。だから私も、まだ誰にも話していないことを一番に話したいわ」
「なあに?」
ユーラが不思議そうに首を傾げた。
シェイラはしばらく口をつぐんで、覚悟を決める。
妹がこんなに色々考えていて、厳しい道に飛び出そうとしているのに、自分がここで立ち止まっていていいわけがない。
(……ミネリアの心の葛藤に気付く機会はいくらだってあるはずだったのに、私は狭い視野のせいで気づけなかった。そのせいでユーラを危険な目に合わせしまった)
もっといろいろなものを冷静に見ていられたなら、あんなことが起こる前に何かできたかもしれない。
殺されかけたにも関わらずあっさりと彼女を許し、そばに置くことにした妹は、シェイラよりよほど強い心をもっているのだろう。
シェイラをストヴェールに連れていきたいと頑なだったのも、変わっていくシェイラを心配してのこと。
ただ一緒にいたいと言うだけの我儘なんかじゃなかった。
(そもそも私がもっと上手く立ち回れていたら……。きちんとユーラと面と向かって接っしていたならば、ユーラを悩ませることにはならなかった)
妹との仲違いなんて初めてで、逃げ腰になってしまっていた事は分かっているたのに。
それに今回、妹の方がよっぽど大人な対応を出来るのだと見せつけられた。
シェイラは塔から飛び降りると言う無謀なことをしてしまっただけ。
命が助かったのはソウマのおかげ。
事態を収束させたのはユーラの力。
これでは姉としては役立たず過ぎて情けが無い。
「お姉さま?」
「っ……」
ユーラの声に、思案にふけっていたシェイラは我に返る。
「どうされたの?」
心配そうな表情に笑って見せて返す。
そして小さく深呼吸し、覚悟を決めてから口を開いた。
「ユーラのことを、本当に凄いと思ったの。私なんかよりよっぽど先の事をしっかりと考えていて、誰かの為に前にでる勇気も行動力も持っていて、格好良い、自慢の妹だわ」
「そんな……、誉め過ぎよ」
「そんなこと無いわ。私もね。ユーラ程には難しくても、もっと成長したい。その為に甘やかされっぱなしの今を変えたいの。ここを……城を出るわ。ココと、スピカと3人で」
ユーラの目が驚きに見開かれる。
信じられないと言う風なその表情に、シェイラはゆっくりと頷いた。
「このままでは、いけないと思うのよ」
――――少し前から違和感は持っていた。
家族がストヴェールを離れると聞いたとき。
自分がこの王城を離れればどうなるかを想像した。
もやもやとした気持ちは確かにあったのに。
でも竜を育てるために一番環境が整った場所が王城だからと、自分を納得させてしまった。
どうしてもやもやするのかを、もっとしっかり考えなければならなかった。
好きなことをすればと、ジークが言ってくれたとき。
何をしたいかを想像した。
そう、シェイラは何かをしたかった。
そしてするべきことを考えた。
ココやスピカ、そしてシェイラはこれからとても大きなものを背負わなければならない。
今の甘ったれたままであって良いはずがない。
強大な力をどう使うのかで、世界さえ変わってしまうかもしれない。
シェイラも翼を手に入れた以上、本格的に”竜”としての意識を持ち、強く生きなければならないのに。
なのにこの王城で、この狭い場所で、呑気に平穏こうとしていた。
なにもかもが揃えられた便利で安全に暮らせる場所が一番事もたちの為になる良い場所のだと、信じてしまっていた。
(優しすぎる場所は、飛び越える障害が何もなくてまったく成長できないの。少なくともここは私には居心地が良すぎて、どうしても安寧に浸ってしまうわ)
それに子供たちがこの閉ざされた、小さくて優しい場所しか知らないままではいけないだろう。
教科書や教師に話をきくだけで無く、実際に見て、感じないと、どうしても芯にまで届かない。
色々な考え方や物や景色を、彼らには知っていてほしい。
だから、どうせなら見に行こうと思った。実際に、触れて、感じに行こうと。
「……本気?」
「えぇ」
「御付の人も、護衛も付けないで?」
「そうよ」
「―――危険は…承知の上なのよね」
狙われやすい幼い竜を連れていて、危険で無いはずがない。
シェイラはまた頷いて、言葉をつづけた。
「きっと大変な事ばかりで……もしかしたら、途中で諦めてしまうかもしれないわ。でも……」
生まれてからこれまで、大切にされて育てられてきた自覚はある。
兄や父が守ってくれたから、変な人に絡まれたこともないし、悪意のある人との付き合いもない。
苦労という苦労を何ひとつしたことのない、大事に育てられた貴族の少女が、小さな子供たちを連れて旅をするのはとても難しいことなのだろう。
世の中はそこまでやさしくないと、理解はしているつもりだった。




