決意②
ユーラの台詞に、周囲を囲む兵や、シェイラやソウマさえあっけにとられてしばらく呆けていた。
ユーラは手を胸の前で握りこみ、必死に言葉を探している。
「だから、私がうっかり落ちてしまったんですってば!」
「いや……でも」
「……なぁ?」
ミネリアがすでに自白してしまっている今、ユーラが何を言いつくろっても、事実は明白だった。
身なりからしてただの平民の娘が、貴族の地位にいるものを突き落した。
これは明らかに罰される、死刑になっても仕方がないことだ。
それでもユーラは真剣なまなざしで、周囲にいる何人もの大人を見上げて堂々と言う。
「私、空から降ってくる花や竜に見とれて、足元がおろそかになってしまってて。それで、屋上の端に立っているのを忘れて、足を踏み出してしまったの」
「……ユーラ」
周囲の大人たちは、幼い10代前半だろう少女に戸惑いの表情を浮かべる。
彼女がどう述べても、事実は変えることなんてできない。
ミネリアの身の上には同情こそすれど、うっかり出来心でやってしまったなんて、兵たちが普段捕縛する罪人がしょっちゅう言っている言い訳だ。
しかし幼い少女に必死に言われては、困惑せずにはいられない。
甲冑をまとった大の男たちを相手に健気に頑張る少女の図は、視覚的にも兵の方が悪い風に思えてきてしまう。
兵たちに、僅かばかりにも戸惑いが広がっているのはシェイラの目にも見て取れた。
「いーんじゃねぇの。この場で収めておけば」
第二王子の契約竜の言葉に、誰もが耳を疑った。
普段親しくする人間をひどく限っている竜が動くことでの影響力はすさまじい。
「ソウマ様?」
「ほとんどのやつは祭りのクライマックスに夢中で大きな騒ぎにはなっていない。空の塔は敷地の端っこにあるから人目にも触れずらいし、知っているのは今ここにいるやつらだけだ。本人同士がここで仲直りすれば、それでめでたしめでたし、でいいんじゃないか?」
「いや…しかし……」
「町中でのもめごとなら情で見逃すことはままありますが、王の住まう城内で起こった事件はさすがに報告しないわけには」
「アウラットには俺が言っとくって」
「………いい、んでしょうか」
兵の問いにソウマは歯を見せてにっと笑ったあと。ぽつりと小さな声でつぶやいた。
「……つーか、手ぇ出されたのがシェイラじゃないならどうでもいい。大事になるのは面倒だ」
ソウマが漏らした台詞は本当に小さな声で、シェイラの耳には届かなかった。
泣きじゃくるミネリアに寄り添っているシェイラにまで届かないと分かっていたからこそ、ソウマは口にした。
おそらく正面から言葉を向けられた兵達にしか聞こえてはいなかっただろう。
一歩間違えれば標的はシェイラになっていただろうし、実際に彼女も塔から落ちると言う危険な事態になったのだが。
しかしシェイラ自身がミネリアを責めていないことと、何より結果的にこのハプニングで竜としての成長が促され、彼女がこちら側に寄ってくれたのだからまぁ良いかと言う感じだった。
人であろうと竜であろうとシェイラに対する想いは同じだが、しかし近しい存在になってくれることは距離が縮まるようで嬉しかった。
門番の兵たちは困惑の表情を浮かべ、ぼそぼそと相談しあう。
最初からずっと無言のままの護衛兵はいまだ一言も発さず、ミネリアの背後で彼女を見張っている。成り行きに任せるということらしい。
「うー…ん」
「どうする?」
殺人未遂をみのがすなんて、明らかに違反をすることになる。
それも、この場にいる者たちに共犯になれと持ちかけているのだ。
真面目に役目を務めている兵からすれば、受け入れるなんて有り得ない事柄だった。
それでも確実に。今、兵たちは揺れている。
ソウマの呟きを聞いてしまった以上、上に報告を出せば彼の反感を買うだろうと言う恐怖も少なからずあるようだった。
「あの!」
シェイラが声を張ったかと思えば、勢いよく深々と兵に頭を下げた。
「どうかお願いします!この場は見逃してくださいっ!」
「っ…!お、お願いします!}
すぐにユーラもシェイラの横に並んで頭を下げた。
門番兵たちは互いに顔を見合わせたあと、困った風な表情をこちらに向けた。
「あの、結論を出す前にひとつ聞いてもよろしいでしょうか」
「はい?」
「その……先程シェイラ様の背中にあったもの、竜の翼ですよね。それも白い…絶滅した種の色です」
空の塔を守っている門番たちは、よくここに出入りするシェイラの顔ももちろん見知っている。
ジンジャーの弟子くらいにしか思っていなかったシェイラが、実は白竜だなんて衝撃なのだろう。
「……このことも含めて、黙っていてもらえると助かるのですが」
「極秘なのでしょうか」
「いえ、竜の里には知れ渡ってしますし。塔の研究者の皆様もご存じです。ただ私があまり注目を浴びるのは得意ではないので広まるのはなんとなく困るというか…」
「確かに注目されるのは明白ですね……」
2人の兵は互いを見合い、うなずきあう。
それからユーラの方を向いて、苦笑を浮かべた。
「――――私たちは何も見なかった。それで宜しいのですね」
「……!はい!」
「ありがとうございます!」
張りつめていた空気がやっと解けようとほどけかけた。
しかし一番に納得がいかない風なのは、ミネリアだった。
「っ…でも、そんな……。許されて良いことではありません」
ミネリアは頬に涙の跡を残し、目を真っ赤にはらしながらゆるゆると被りをふる。
何よりも数時間前に出会ったばかりの少女が、殺そうとした相手を当然のように庇うことがミネリアには理解できなかった。
ミネリアを庇うためだけに屈強な兵達と対峙するなんて。
でもユーラの表情から一切の裏が無いことは分か る。
一体どういう風に育てば、これほどまでに真っ直ぐで正義感溢れる人間になれるのか。
(こんな人、知らない……)
ミネリアの中に、ユーラへ対する尊敬の念さえ湧いてくる。
そして同時に自分のしたことに対する罪悪感と後悔に苛まれた。
「ねぇ、だったら私付の侍女にならない?」
「え?」
周囲の視線が、ユーラへと集中する。
ユーラは『とってもよいことを思いついた!』と言う風に口端を得意げにあげてミネリアに笑いかける。
「私は今年13になるから。ずっと傍にいてくれた乳母がもういなくなってしまうの。代わりに一人、私についてくれる侍女を増やすという話になっているのだけど、ミネリアに努めてもらうというのはどうかしら」
「ユーラ……?」
こんな遠い地に来るほどに、ミネリアはストヴェールから離れたがっていた。
あの土地は、直視できないほどに彼女にとって辛い場所だからだ。
ストヴェールの家で働くということは、ミネリアにとって良いことであるはずがない。
家名だけでなく、実際に近いうちにあの地へと帰るのだ。
頭の中に響くという亡くした家族の怨恨の声と、自分の心の中にある複雑な感情が、毎日毎日よみがえることになる。
妹の発案に、シェイラは戸惑いの声をあげた。
「ユーラ、それはあまりにも……」
「わかってるわ。でも、だからこそ誘っているのよ。ミネリアが逃げるなら、ストヴェールから逃げたいというのならそれでいいの。このまま村で村長の娘として平穏の中で生きていけばいいわ。でも、もし過去を過去のものとしたいのなら、ストヴェールの地で、ストヴェールの名をもつ私のそばにいて何年もかけて戦って、それで自分で乗り越えるべきだわ」
「……ユーラ様」
「それに私、ミネリアと仲良くなりたいわ」
「でも、今回みたいにまた衝動的に動いてしまうこともあるんじゃないか?」
ソウマの言葉に、シェイラも強くうなずく。
しかしユーラは胸を張って否定する。
「ソウマ様。私は勉強や作法はともかく、剣技や体術に至っては自身があります。今回は気を抜いていたからうっかりこんなことになりましたが。ミネリアと一緒の時にきちんと警戒心を持つようにしていれば、彼女程度に危害を加えられるような腕はしておりません。……ね、ミネリア。良いかしら。罪悪感を持っているのなら、私の傍で私のために働いてちょうだい。そして……」
ユーラは手を伸ばしてミネリアの頬をさする。
痛々しい涙の跡をぬぐうかのような仕草をしながら、優しく微笑んでみせた。
「そして、一緒に頑張りましょう?」
「つっ……!ユー、ラ…、さま……」
ミネリアの赤い目元からは、またぽろぽろと涙がこぼれだした。
今度は懺悔と後悔だけの涙ではなく、喜びも含んだ涙が。
生涯彼女についていこうと。
ミネリアが己の主を決めた瞬間だった。




