白き竜、目覚める時④
ユーラは遠ざかっていく空をやけに落ち着いた気分でぼんやりと見上げる。
青い空に、勢いで外れてしまったらしい鮮やかなマリーゴールドの花飾りが舞っていた。
……どうしてこうなったのかは分からない。
でも塔のてっぺんから落ちたという事実だけは、なんとなく理解できた。
(きっと私が悪い子だから罰があたったのだわ)
姉を困らせた。
やりたいことを見つけて、進んでいこうとしている姉を泣き落としで引き留めようとした。
(人が変わっていくのは当然なのに。私以外の誰も違和感なんて感じていないようだったもの)
-――自分以外の誰も、シェイラの変わりように不安なんて口にしなかった。
だったらこれは、成長して独り立ちする人になら誰にでも見られる程度の変化なのだろうと、ユーラもうっすらと考えてはいた。
人が成長して大人になって、生まれ育った家や家族から離れていくという流れは自然なことだ。
でも我儘な自分はどうしても納得ができなくて。
大好きな姉の手を放したくなくて。
困らせる内容の手紙ばかりを送りつけた。
なのにシェイラはユーラを祭りに誘ってくれた。毎年と同じように花飾りをつくってくれた。
高い塔に喜ぶユーラの笑顔をみて、本当に嬉しそうにしてくれた。
だからきっと、これは罰なのだ。
たくさんの我儘を言った、自分への。
(笑顔で送り出せばよかったのに……)
なんとなく感じる不確かな不安で、ぎこちない関係を作ってしまった。
こんな状態のままで自分が死んだら、シェイラは一生罪悪感で己を責めるのだろう。
(ごめんなさい)
我慢しようときゅっと唇をかんだけれど、結局ユーラの瞳からは涙がこぼれてしまった。
滲んだ視界の先、青い青い空。
青に生える色とりどりの美しい花びら。
最後に見るものがこんなに美しいもので良かったと、悲壮な気持ちで思ったとき。
ユーラの視界に、塔から飛び出す姉の姿が映った。
(っ!?何やってるのよ!お姉さまの馬鹿ーー!!)
* * * *
「っ……!」
「しぇーら?!」
「ままぁっ!」
シェイラは妹を追って足を蹴り上げ、塔の屋上から飛び落りた。
普段のシェイラからは予想ができないくらい、素早く、無意識に身体が動いた。
「ユーラ!」
ぼんやりとした表情のまま、下へ下へと落ちて行っているユーラへと、シェイラは必死に手を伸ばす。
体重はシェイラの方が重いから、落ちる速度も速いはず。
だからきっと、追いつけるはずだ。
「っ……」
しかしいくら手をのばしても、手は何度も何度も空を切る。
どうしても、届かない。
それでもシェイラは風圧でかすむ視界の中、ユーラへと必死に手を伸ばした。
「ユーラ!」
ユーラの手をやっと捕まえたシェイラは、力を込めてその身体を引き寄せる。
ユーラはもう意識を手放しかけているようで、ぼんやりとした目をしていた。
「っ……!」
失いたくない。
大切な妹を、家族を守りたい。
そのための力が欲しい。欲しい。欲しい。
シェイラは心から、強く強く願った。
どんなものより何よりも、妹を守るための力を欲した。
「っ!!絶対、死なせない……!!」
ユーラの身体を抱きしめながらきゅっと強くつむった瞼の奥でシェイラが見たもは、一筋の純白の光――――。
ぱちりと瞼の裏で光がはねた。
それと当時に、シェイラの背中に小さな痛みが走る。
同時に地上へと一直線に落ちていた身体が浮き上がった。
「っ、…え?」
無意識に詰めていた息が、声を出したことで開いて肺の中に勢いよく流れ込む。
ひゅっと喉の奥がなる。
落ちていた嫌な浮遊感はなく、地上も近づいてこない。
ふわふわとした。まるで何かに守られているかのような、優しい空気にシェイラとユーラは包まれていた。
「……、ねぇ…さ、ま……?」
シェイラが目を開くと、正気を取り戻したらしいユーラが腕の中で薄青の瞳を瞬きさせながら驚いたような表情を浮かべていた。
「ユーラ!良かった…!」
「お、姉様……。それ、何…?」
「それ?」
首をかしげたシェイラは、ユーラの視線をたどって肩越しに自分の背後を振り返ってみる。
「なっ?!」
シェイラの背中に、竜の翼が生えていた。
時折動いて羽ばたく翼のおかげでシェイラとユーラが宙に浮いているのだと、シェイラはやっと事態を理解した。
「え……あ、きゃっ?!」
「ちょ!姉様、落ちてる落ちてる落ちてる!!」
ユーラがシェイラの肩を何度もたたく。
さっきほどの勢いはなくても、確実に2人は落ちて行っている。
もう三階程度の高さだから、屋上から落ちたときよりはましだろうけれど、このままでは確実に足の1本や2本折れてしまう。
(つ、翼!!ええっと!!)
シェイラは必死に背中の翼を動かして飛ぼうとした。
「っ……!?……!む、むりぃ!」
飛び方なんて分からない。
どうやって浮いていたのかも、思い出してみようとするけれどどうやっても出来なかった。
背中に力を込めて動かしてみようとしても、動いているのかどうかも怪しい。
「ユーラ!」
「お姉様…!」
ユーラとシェイラはお互いの身体を固く抱きしめあう。
何かに縋っていないと恐怖で押しつぶされそうだった。
今度こそ落ちる!と思った。
その瞬間。
シェイラの身体を、力強い腕が勢いよく引き上げる。
「あー、びっくりした」
ぎゅっと、ユーラごとシェイラの身体を逞しい腕が抱きしめた。
同時に耳元に長い安堵の息がかかった。
陽なたぼっこをしているの時のような優しい香りと、その聞きなれた低い声から、誰が助けてくれたのかを知ったシェイラはやっと緊張をといた。
とんでもない状況にいるはずなのに、彼の腕の中にいるというだけで肩の力が抜けていく。
「俺がするから、飛ぼうとしなくていい。力抜いて任せていろ」
「ソウマ様……」
安心して泣きそうになりながら見上げたソウマの額には、うっすらと汗がにじんでいた。
よほど慌てて駆けつけてくれたのだろう。密着した身体からはどくどくと早鳴る心臓の音が聞こえた。
普段より高い体温の身体をシェイラに寄り添わせて、ソウマは安心させるようににっと歯を見せて笑う。
「……お姉様」
その声に視線をユーラへと戻すと、シェイラに抱きつきながらソウマにも抱きつかれている形になっているユーラは、呆けたようにソウマを凝視していた。
彼の背に栄えていて規則的に羽ばたいている赤い翼と、ソウマの顔を見比べて。
次にシェイラの背に栄えている白い翼も、ユーラは口を開いたままで凝視した。
「きちんと説明するわ」
シェイラはユーラにしっかりと頷いた。
もう誤魔化すなんて出来ない。
きっと両親は結婚して長兄を授かった時、竜の血について沢山話し合ったのだ。 そのうえで子供たちには重荷を背負わせないために秘めておこうと決めた。
両親の苦悩がなんとなく分かるからこそ、ユーラがどうしてと泣いて縋って来ても理由を口にはしなかった。シェイラはその大切な約束破ってしまうことになる。
(お父様とお母様に謝らないと。―――それに……しても……)
心臓の早鐘が鳴りやまない。
「………」
ソウマに地上に下ろしてもらい、ユーラとソウマから少し距離をとったあと。
シェイラはおそるおそる、首元の襟から服の中に手を差し込んで、自分肩から背中のあたりに触れてみる。
肌を伝って、肩甲骨のでっぱりあたり。
確かに今までは無かったものが確かに生えている。
その違和感と身体の変化への不安に、背中から冷たい汗が流れるのを感じた。
これでもう。本当に。
(私は―――人間では無くなった……)
大切な何かを失ったかのような虚無感を感じつつ、指の先で何度も何度も皮膚と翼の境目を撫でる。
翼をする指先が小刻みに震えていて、感覚もおぼつかなかった。
でも確かな翼の存在を時間をかけて確認する。この感触が真実なのだと、身体に納得をさせなければ。
「シェイラ、大丈夫か……?」
ソウマの気づかわしげな声に、シェイラはびくりと肩を揺らし、慌てて服の中から手を抜いて彼を見上げる。
きっと違和感のありすぎる顔になってしまったけれど、どうにか泣き出さずにこくこくと頷いた。
(これは私自身が望んで、決めた結果なのだから)
後悔なんてしていいはずがない。
今すぐは少し難しくても、受け入れていかなくては。
シェイラは口端を上げて見せて「大丈夫です」と言おうと口を開きかけた。
しかしそれを遮る声が降ってきた。
「きゅーーー!!」
「きゅっ、きゅう!!!」
大きな鳴き声に上を見ると、塔の上からすごい勢いでココとスピカが飛び降りてきている。
「え、何?」
「おう?」
「ちょ、ココ、スピカ、止まりなさいっ…!危ない!」
「きゅっ!!」
「きゅう!!!」
一直線にシェイラに向かって降ってくる2匹の竜を胸に受け止めて、その衝撃に一瞬息をつめた。
「っ……」
「大丈夫か?」
シェイラが後ろへ倒れないように支えてくれたソウマにこくこくと頷いて、すぐに受け止めたココとスピカを見る。
「……?竜に戻ってる…?」
「きゅっ、きゅ、きゅううう!!」
「ぅゆ!!きゅ!!」
「え、えっと…落ち着いて?」
「きゅっきゅーきゅ!!」
「きゅーう!!きゅっきゅう!!」
「きゅうきゅうきゅう!!」
「ぅぅゆ!きゅっ!!!」
きゅうきゅうきゅうきゅう泣き続ける二匹の竜は、うるんだ瞳でシェイラにしがみつき、必死に何かを訴えている。
シェイラには何を言っているのかはまったくわからなかった。
それでもココとスピカの必死な顔と声を聴けば、意味位はきちんと理解できる。
「……心配かけてごめんなさい。驚いて人化が解けてしまったのね」
「きゅっ!!きゅ!!」
「ぅゆぅ!!!…きゅいっ!!」
「大丈夫。大丈夫よ。どこも怪我なんてしていないから」
「うきゅうぅー…!!」
安心させるように笑って見せて、腕の中の竜たちをきゅっと抱きしめる。
人の子より質量のある竜を二匹抱き続けるのはシェイラの力ではなかなか大変なことだった。
じんと重痛い腕の痛みよりもココとスピカを安心させてあげたい。
何よりも子供の声と暖かさにほっと力が抜けて、いつの間にか指先の震えは収まっていた。




