白き竜、目覚める時②
長く白い石畳の道が続いている。
一直線に歩いていけば王城の南側につくられた正門へと真っ直ぐに続く緩やかな坂道。
そこは普段は階級の高いものが訪れる高価な品物を売る店が並ぶ通り。
王城へ用のある、しかも正門からの出入りが許される地位の者たちが良く使用することから、一般庶民にはあまり縁のない場所だった。
だが春節祭では様相は変わり、道は地位関係なく全ての者でごった返す。
通りにずらりと並ぶのはお高く着飾った店舗ではなく外に出された簡易な露店。
事前に届けさえだせば、今日はどこの誰だろうと店を出すことを許される。
「らっしゃいらっしゃい!安くしとくよ!」
「サフェロ地方の珍しい果物だよ!甘いよ旨いよ!」
「似顔絵はいかがですかー。記念にいかがでしょうー」
商人たちは地べたに絨毯を引き、または低い椅子に腰かけ、大衆的な食べ物や生活用品、異国からもちよられた珍しいアクセサリーに花々など。それぞれに持ち寄った品々を雑然と並べて売っていた。
広場では舞台が組まれ、踊り子による演武や有名な楽団の演奏、劇団員による演劇などが見られる。
大道芸人を取り囲む人の輪もところどころで見られ、歓声や笑い声がひっきりなしに耳に入ってきた。
この光景は今日の街中ではどこでも見られるし、どの小道に入っても人や店があふれている。
しかし小さな子供がいることもあって、シェイラたちは一番整備されたこの大通りで今年の祭りを楽しむことにした。
大通りから外れないかぎりは城が必ず見えるから、ココやスピカが迷子になった時は目印にして帰ることができると言うのも大きかった。
「ココ、スピカ。絶対に私かユーラのどちらかと手をつないでいてね。もし離れ離れになってしまったら、王城に帰りなさい。いざとなれば竜の姿になって飛んでいっても良いわ」
遠くに見える城をの屋根を指しながら、シェイラは子どもたちに何度も言い聞かせた。
後ろから衛兵がついてきてくれるから大丈夫だとは思うけれど、人ごみで見失う可能性もなくはない。
「わかったから!ちゃんとするからっ!はやくぅ!」
興奮で目を輝かせ、周囲をきょろきょろ見回すココは、今にも走り出してあっという間に迷子になってしまいそうだ。
シェイラはしっかりとココの片方の手を握って、ユーラを振り返る。
ユーラは心得ているとばかりにスピカの手をつないでいてくれていた。
当のスピカの方は、おっかなびっくりと言う風で、まだまだ戸惑った様子だけれど。
(ユーラのことを知れば、きっとすぐに仲良くなるわ)
なにせ自慢の妹なのだから。シェイラはにっこりと笑って彼女たちを見て、先へと促すのだった。
「しぇーらっ!あのひとなぁに?」
真っ先にココが興味を示したのは火のついた玉を幾つも投げては受け、投げては受けを繰り返している大道芸人だ。
火の玉が宙で弧を描くたびに、人々は歓声を上げている。
「すごいわねぇ」
「ねー。ココにもできるかなぁ」
「うーん…。燃えるもののないところでしましょうね」
「ないなられんしゅーしてもいい?」
「えぇ。構わないわ」
カラフルな衣装をまとった大道芸人が操るような火の玉は、ココからすれば何の危険にもならない。
球遊びさえ覚えてしまえば簡単にできるだろう。
(何であれ出来ることが増えるのは良い事だし。でも周囲の安全だけは確保しないと)
その大道芸人が新たに大振りな輪を取り出し、火の玉と一緒に放り投げだした。
「おおおおおお」
ココはもう大興奮で見入っている。
これはしばらく動きそうにない。少しこの場にとどまることにして、シェイラは大道芸人の前に置いてある籠にコインを幾らか投げ込んだ。
「スピカ、なにか気になるものがあった?」
ユーラがスピカへと尋ねている。
まだユーラへの警戒心が解けていないスピカはおずおずと。でもすぐそばにある露店を小さな指で指す。
きらきらと光るアクセサリーの店だ。
しかもネイファでよくある宝石を磨いたものではなく、貝殻や鳥の羽などをつかった少し異色なものだった。
「まぁ、きれい。異国のものかしら。お姉さま!私たちあっちを見てくるわね」
「えぇ。でもここから見えるところまでにしてね」
「はーい。行きましょう、スピカ」
「うー。………ママぁ」
ユーラに手を引かれているスピカが、シェイラを振り返った。
シェイラは、ココが火の玉に見入っているために離れられない。
「…………スピカ」
馬車を降りるときにぐずったスピカに、シェイラは今日は離れないと、そう約束をしていた。
だから本当に嫌がるようなら、シェイラのそばに居続けさせるべきだろう。
ココが満足してから、あとで皆で行くことも出来る。
――――でも今、スピカは迷っている。
不安そうなまなざしでシェイラを見上げてきてはいるけれど、嫌がってはいなかった。
少し背中を押してあげれば、シェイラからも離れて、ユーラと行くことも出来る様子だ。
シェイラは少しかがんで、彼女を安心させる風ににっこりと笑ってみせた。
「どんなものがあったのか、後で教えてね。いってらっしゃい」
「………」
スピカの真っ黒な瞳が一瞬揺らいだ。
でもそのあとに、きゅっと唇を引き結び大きくうなずく。
「いて、きます」
「……ユーラ、お願いね」
「えぇ」
その後、ココも満足したころにユーラとスピカは戻ってきていた。
駆け寄ってきたスピカを褒める意味で抱きしめてから見ると、首元には薄桃色の首飾りを下げている。
「あら、可愛い」
「えへへー」
「良いでしょう、お揃いなのよ」
ユーラを見上げると、彼女の胸元にも同じものが飾られていた。
「きれいな桃色でしょう?貝殻を削って鳥の形に細工したんですって」
ユーラとスピカが顔を見合わせて微笑みあう。
思っていた以上に仲良くなったようだ。
嬉しいのは嬉しいけれど、ほんの少しだけ、嫉妬心のようなようなものも感じてしまった。
「次は何を見る?あ、何か食べましょうか!」
ユーラがココとスピカに話しかける。
ココはぱっと表情を輝かせ、シェイラとつないでいた手を離して小さくジャンプしながら両手を挙げた。
「あいしゅ!」
「アイスね?良いわね、決定っ!」
ユーラが大きく頷く。
「しぇーらママ、あいちゅってなーに?」
「冷たくて、甘いのよ。そういえばスピカはまだ食べ物を食べたことがなかったわね……甘いもの好きかしら」
「うーん。わかんない」
「そうよね。試してみましょう」
「ねぇ、お姉さま!せっかくならジェラートにしない?隣国の有名店が来るって、お友達に聞いたの」
「まぁ、そうなの。じゃあそっちにしましょうか。お店の出ている場所はわかる?」
「えぇ、あっちよ。ミリー時計店のあたりですって」
「あいしゅー!」
「ジェラートだって」
ユーラとココが、ミリー時計店の方へかけていく。
それがどんなものなのかいまいち想像できていないらしいスピカは、あまりはしゃぐことなくシェイラの隣に居る。
「ユーラ、ココと手をつないで!」
先に行った彼らをスピカと手をつないだ状態で追うシェイラが声を上げる。
それを聞いて思い出したらしいユーラがココへ手を差し出そうとする姿が見えた。
「……?」
少し距離が離れてしまったから会話まで聞き取れないけれど、ココが差し出された手を払い、拒否したようにみえた。
ココはユーラの停止を聞かずに、一人で走っていこうとしている。
(おやつに夢中になって、離れないようにって言う約束が頭から飛んでいってしまっているのだわ。もうっ…)
3歳児の速さだからあっと言う間にユーラも追いつくだろう。
しかしこの人ごみの中では、その前に見失いそうだった。
「ココ!駄目でしょうっ。止まりなさい!」
人ごみの中ではシェイラの声も掻き消えてしまう。
ユーラも追っているようだけど、人ごみのせいで前へは進めないようだった。
その好きに小さなココは隙間隙間をついて前進んで行っている。
「もうっ!…スピカっ、いらっしゃい」
シェイラはスピカを抱き上げた。
彼女の足の速さに合わせていては、余計にユーラやココから離れてしまうだろうから。
そのシェイラの肩をとんとたたく男がいた。
背後からシェイラを追いこし、なめらかに人垣をかき分けてあっと言う間にユーラまで追い越している。
あの無口な護衛の兵だった。予想していない自然で素早い助けにシェイラは驚きで目を瞬かせた。
「……。スピカ、行きましょう」
「はーい。ココはおばかしゃんねー」
彼の通ったすぐ後ろを追いかけて、ユーラの元まで追いついた。
「ユーラ、ココはどこに行ったの?」
「うーん……まだ遠くまでは行っていないと思うのだけど。ごめんなさい」
ユーラが困った風に眉を下げる。
「あっ」
「ひゃっ」
雑踏の中。ほんの微かにだけど耳に届いた同時に聞こえた方向を向く。
人をかき分けていくと、そこには尻餅をついたココと、正面に荷物を落として慌てた様子の少女がいた。
すぐそばに先に行ったはずの衛兵の男が立っている。
「ココっ?」
駆け寄り、ココは砂のついた両手の平を払っていた。
ココがその場にしゃがみ込んだシェイラを見上げてにっこりと笑う。
「どうしたの?」
訪ねたシェイラに答えてくれたのは、衛兵だった。
「申し訳ありません。私が追いつく前にこちらの女性とぶつかって転んでしまったようです」
「……前を見ずにはしゃいで走っていたココが女性にぶつかってしまったのね」
「はっ」
当たった拍子にココは尻餅をつき、少女は荷物を落としてしまったのだろう。
シェイラは嘆息して、ココの顔を覗き込む。
「けがはしていないのね?」
「うん」
「だからあまり急いでは危ないって言ったでしょう?お姉さんに謝らないと」
ちょっと怖い顔を作って叱ると、目をそらされてしまう。
「だって……」
「だって?」
「だってだって!はしりたかったし!」
「……ココ?ええっと、勘違いだったら悪いのだけれど、ココからぶつかったのよね」
「だぁって!ココ、わるくないもん!」
「……」
ふいっと勢いよくそっぽを向かれて、シェイラは眉をひそめる。
(反、抗期……とかかしら……)
明らかに飛び出していったココが悪いのに。
それを認めようともし無ければ、謝ることもない。
嫌々期と呼ばれるなんでも嫌がる時期や、出来ないはずなのに突っ張って一人で何でもしてしまおうとする時期など、自我が芽生え始めた年頃の子にはあって当たり前のものだ。
だからこそ、こういう時は厳しくして言い聞かせなければならない。
「お姉さま!相手の方に……」
「そうね」
シェイラは地面に尻餅をついたココの手をひいて立たせると、その赤い頭を少し強めに押して頭を下げさせた。
不満そうな唸り声が聞こえる。
でもこれは許してあげるわけにはいかない。
ココと一緒にシェイラも頭を下げて、目の前の女性に謝罪をする。
「本当に、申し訳ありませんでしたっ。ココ」
「うー。やっ」
「ココ。……いい加減になさい」
「う…」
シェイラの堅く少し冷淡なその声に、ココの肩がびくりと跳ねる。
恐る恐ると言った風に見上げてくる赤い瞳に、厳しい表情を返すと、ココは見るからにしゅんと肩を落としてぼそぼそと謝罪に口を開く。
「ご…めーな、さい……」
「申し訳ありませんでした」
「あの、シェイラ様。大丈夫ですから、頭をおあげになってください」
「っ…?」
相手がシェイラの名を知っていたことに驚いて顔を上げると、目の前にいたのは長いおさげ髪の少女だった。
「ミネリア様……!」
「お姉さま、お知り合い?」
ミネリアのものだったらしい荷物を拾い上げたユーラが、訪ねてくる。
「えぇ。この間知り合ったのよ」
シェイラは簡単にミネリアの事を紹介した。
長いこげ茶色の髪をした、ややふっくらした体系の、おっとりとした雰囲気のある少女。
ロワイスの森に行ったときにお世話になった村の村長の娘だ。
「ユーラ・ストヴェールと申します。どうぞお見知りおきください、ミネリア様」
場所柄もあって少し腰を落とす程度の簡素な挨拶をするユーラ。
「スト、ヴェール……」
ミネリアの顔が曇った。
やはりミネリアにとっては両親を失った土地であるストヴェールはつらい場所でしかなく、名前さえ聞きたくはないのかもしれない。
そんなミネリアの様子に気づかなかったらしいユーラが、拾ったミネリアの荷物を前に掲げて声を上げる。
「それにしてもお姉さま、これ。クッキーみたい。絶対崩れてしまっているわ」
「えっ?!ほ、ほんとうにごめんなさい!」
「あっ。い、いえ…。お気になさらず。多少崩れてしまっても味は同じですから」
「弁償するわ。幾らだった?」
「めっそうもないです。大丈夫ですよ」
「でも……」
紙袋には店名らしい異国の文字が書かれている。
きっと祭りの今日しか売られていないもの。
この日に王都にまで来て買ったのだから、もしかするとこれを目当てに来たのではないかと思うのだ。
何もお詫びをさせてもらえないのは心苦しい。
「あ。……そうだわ。ミネリア様は、竜はお好きかしら」
「……はい?ネイファの民ですから、もちろん。もうすぐ始まる竜達の春呼びも楽しみにしています」
「だったら、人ごみもなく、とっても良く見られる場所に、お詫びに招待させてくれないかしら?」
「人ごみもなく?」
「とっても良く見られるばしょ?」
ミネリアの疑問詞のあとに、ユーラの疑問が続いた。
竜の春呼びは、この祭り一番の見世物だ。
丁度彼らが飛ぶ真下にあたり、王城の良く見える広場では貴族や招待客への野外特別席が作られ、宴の中でその様子がゆったりと鑑賞できる。
しかし城外の良く見える場所は人々が押し掛けるから、人ごみの中で見るしかない。
もちろん大空を飛ぶのだからどこからでも見えるのだが。
それでも人は全体がよく見える一部の高台などに殺到してしまうのだ。
だから一般のものがゆったりとそれを鑑賞するのはとても難しい。
でもシェイラは今日、空の塔の屋上という一等の特等席で見る許可をもらっている。




