白き竜、目覚める時①
まだ肌寒い初春を終え、心地よい暖かな風吹く季節へと変わる区切りの日を、春節の日と呼ぶ。
その日は王の名の下での祭りが王都で開かれ、都の街の隅々までが色とりどりの花で飾られる。
国内外から集まった商人の出す出店が通りにずらりと並びだすと、人々は春の花を身にまとい、待ちわびていたとばかりにそろって外へと飛び出した。
少し前までまとっていたジャケットも、ストールももう必要ない。
ぽかぽかとした陽だまりに誰の口からもほっとした安堵の息がこぼれ、顔と顔を見合わせて笑いあう。
国一番栄えたその街は、普段よりも一層にぎやかな活気に満ちていた。
「はい、どうぞ」
祭りに向かうため、ココとスピカと馬車に揺られているシェイラは、向かい合って座っているスピカの頭に赤い薔薇で作った花輪をのせた。
スピカが完璧な人型をとれるようになったから、やはり短い時間だけでも街を見ようということになった。
花は王城の庭師に許可をもらって、温室になっているガーデンで積ませてもらい作ったものだ。
ガーデンにはシェイラと同じように街へ繰り出そうと予定している、侍女や衛兵やはもちろん、下働きの者たちも訪れて花を選んでいた。
その髪の色にはこの花が映えるとか、シンプルな服を着るなら大きな花飾りでアクセントをつけるべきだとか、女性への贈り物なら花言葉を考えてとか、意見を交わしながら選ぶのは楽しかった。
「ココはこれね、白のマーガレット」
白のマーガレットを3本と、真っ青なシルクリボンで作った飾りをピンで胸につける。
「かわいいねぇ」
「ねー」
「よかった、ココもスピカも似合っているわ」
ココがシェイラの膝の上を指した。
「それは?しぇーらのとおなじの」
「これ?これはユーラのよ」
シェイラの膝の上にはもう一つ、シェイラの編み込んだ髪に一輪だけ差しているマリーゴールドの花と同じもので作った飾りがあった。
「ゆーら…?」
「スピカは初めてね、私の妹なの。仲良くしてね」
オレンジと黄色の鮮やかなマリーゴールドは、淡い色ばかりを身に着けている普段のシェイラでは考えつかないものだ。
でも今日はユーラとお揃いにしたかったから、ユーラに似合うものにした。
実はユーラを祭りに誘っていて、今から待ち合わせの場所に行くところだった。 急に予定を決めてしまったから、家に知らせが届いたのはぎりぎりだったろう。
でも朝一に了解のむねの手紙が届いた。
父は仕事で、母と兄は予定があるらしい。もしかすると、シェイラとユーラが話す時間を作るために、予定があるということにしてくれたのかもしれない。
なによりもユーラが今日付き合ってくれるということは、まだ見限られていないのだと安堵した。
(ロワイスの森に出かけてしまっていたりで、あれから一度も会いに行けてはいないのよね……。まだ怒ってるかしらから。花も、喜んでくれると良いのだけど)
毎年兄妹の花飾りを用意するのは家族の中でも手作りが好きなシェイラの役割で、他の家族の分は昨晩作って今日の朝一で届くように送ってある。
頑なになってしまって話を聞いてくれないユーラの気分を、少しでも浮上できないかという思いと、今年は本人からのリクエストがなかったこと、そして単純にシェイラ自身がお揃いが嬉しいというのもあって、今年の花は妹と同じものにした。
馬車が止まって、御者が到着したことを告げて扉を開けてくれる。
御者は最近スピカを護衛してくれているあの無口な衛兵で、今日も一日護衛をしてくれるようだ。
一番先にココが置いてもらった踏み台に足をかけて、赤い髪をはねさせながら飛び降りた。
次にシェイラが降りたあと、もちろんスピカが続くものと思って振り返った。
しかしスピカは顔を出して周りを伺ったあとに、中に引っ込んでしまった。
「どうしたの?」
「……やー…」
「……嫌なの?」
スピカは眉を下げて、口をすぼめながらこくりと頷く。
人見知りで、用心深くて、臆病な子供。
(そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫なのに)
怯える必要なんてない。怖いものはないのだと。シェイラは安心させるふうに笑顔で手を差し出した。
「スピカ、いらっしゃい。大丈夫だから」
「いやっ!かえる………っ!」
ものすごく激しく首を振って拒否されてしまった。
「うーん……、でも勿体ないわ?絶対に楽しいのに」
「………たの、しい?」
「えぇ」
「……ぜったい?」
「絶対」
「ほんとのほんとー?」
「本当よ」
「むぅ」
スピカは窺うようにシェイラの顔をじっと見上げてきて、それが真意なのかどうかを迷うようなそぶりを見せていた。
「大丈夫よ。ずっと手をつないでおきましょう?私と一緒でもいや?」
首を傾げて聞いてみると、スピカは無言でふるふると首を横へふった。
それから何度か躊躇しながらも、シェイラの差し出した手の上に小さな手を伸ばしてくる。
きゅっと握って引いてみると、今度は大人しく馬車から降りた。
「スピカ、こわいのー?へんなのー」
「ココ」
からかいを込めた言葉を投げるココをたしなめる。
でもその言葉はシェイラの言葉よりもよほどスピカに利いたらしい。
スピカはふっくらした頬をさらに膨らませて、あからさまにムッとした。
「こ、こわくなんてないっ」
そういうと頑なに握っていたシェイラの手を放して、スピカは広場の中へとかけていく。
(良かった…っ、あ)
シェイラは安堵の息を吐いてから、噴水をめがけて走る小さな子供たちに声を張る。
「だめよ!人が多いのだから手をつないでないとはぐれてしまうわ!」
――――広場の中央にある噴水の前。
ココとスピカと手を繋ぎながらそこに到着したシェイラは、人の波の中で辺りを見回した。
「ここでまちあわせー?」
「そうよ。私と同じ色の髪と瞳をした子を探してね。支度に少し手間取ってしまったから、もう着いていると思うのだけど」
白銀の髪は王都では珍しいから目印にもなる。
「あっ、いた!」
スピカが指した場所に、ユーラは立っていた。
「ユーラ」
「シェイラお姉さま」
「お久しゅうこざいます。お嬢様」
ユーラの隣には彼女の付き添いであろう男性が立っていて、シェイラに気付くなり深く腰を折って挨拶をしてくれた。
ストヴェール家で執事をしてくれている人の一人で、ユーラもシェイラも幼いころからよく知っている人。
彼はシェイラ達と、背後について来てくれている護衛兵と軽く挨拶を交わしただけで、すぐにその場から立ち去った。
最初からここまでの護衛としてついてきただけで、夕方にまたユーラを迎えにくるということだった。
「それで?一体どうして、増えているのかしら」
「まぁ。ユーラ、スピカが竜の子だと分かるの?」
「お姉さまが連れてくる子どもなんて、それくらいしか思い付かないもの。それにやっぱり人とは雰囲気が違うのよね。子供なのに存在が大きく感じるわ……」
あっさりとスピカを竜だと見抜いたユーラは手を腰に当てて、3歳ほどの子供の姿をとるココとスピカを睨みつけつつ見下ろしてる。
はたから見れば幼い子供をいじめているようにしか見えない。
人見知りの激しいスピカはシェイラの後ろに隠れてしまって、ココは張り切って応戦しようと身を乗り出していた。
ある意味で言えば一触即発の場に、シェイラは2匹と一人の間を右往左往する。
ユーラはココとスピカにひとしきり敵意を向けたあと、次にシェイラを睨み上げた。
「お姉さま!!」
「は、はい?」
「私はお姉さまとストヴェールに帰りたいって、言ったわよね?何度も出したお手紙にもそう書いていたわよね?!」
「そ、そうね。書いてあったわ」
ロワイスの森に行っていたり、スピカが目の離せない状態だったりしたおかげで、ユーラが送ってくれた手紙に対してシェイラが返せたのは三分の一程度だった。
その事に罪悪感を感じているから、シェイラはなんとなくこの件に関しては及び腰になってしまう。
「なのに!どうして!!倍に増えているの?!」
「ユーラ、人前で声が大きすぎるわ」
「お姉さまっ」
「う……、ど、どうしてと言われても。出会ってしまったのだから仕方がないじゃない。こんなに幼い子供を見離せと言うの?」
「違うわっ。竜なら任せる人はたくさんいるでしょう?それなのに何故お姉さまが背負い込んでいるのよ!」
「ユーラ」
「なに?!」
シェイラは腰を曲げて、大きな声に目を丸く見開いて固まっているココとスピカを抱きしめた。
「この子たちはもう、私の子どもなの。子を手放すことは、私にはできないわ」
「っ……!!!」
ココとスピカそれぞれの頬にキスをして目の前の妹を見上げると、彼女の表情がきゅっとこわばった。
口元を堅く引き結んだかと思えば、眉を寄せて、今にも泣きだしそうになっている。
慌てたシェイラは、肩にかけたバッグの中にあるものを取り出した。
なんとか空気を換えなければと、大きな明るい声を張る。
「あぁ!そ、そうだわ。ユーラ。はいこれ。今年はマリーゴールドにしてみたのよ」
ユーラはそれを受け取ると、シェイラの髪に飾られたのと見比べて、みるみる間に表情を明るくする。
「マリーゴールド…!お姉さまとお揃いね?」
花飾りを受け取ると、ユーラ本来の明るく素直な表情がすぐに戻ってきた。
シェイラのつけているものはそのまま1輪さしたシンプルな状態で、ユーラのものは何本かを編み合わせてリボンで飾った少し大きめの花飾りだ。
けれどお揃いであることに気付いてくれたようで、シェイラは頬をほころばせてうなずいた。
「そうなの。今年はリクエストを聞く暇がなかったでしょう?だから勝手に決めてしまったのだけど、気に入ってくれたかしら」
「えぇ!とっても素敵!」
弾んだ声を上げるユーラに、シェイラも微笑みながら彼女の手の中の花飾りをとる。
後ろを向かせて、藍色のリボンと一緒に編み込んでいた髪にそれを差し、バッグの中に入れていたピンで固定する。
「ユーラ。あなたの言いたいことはもちろんわかっているわ。でもせっかくのお祭りですもの。けんか腰にならないで、楽しみましょう?」
何本かのピンを差し入れたあと、少し離れてバランスを確認しながらシェイラが言った。
ユーラはもともと怒りっぽい性格でもなく、楽しいお祭りなども大好きな子だ。
自分の不機嫌さで周りの空気を壊してしまうということも、良く理解している。
だから今日は楽しむ日なのだと説明すれば、ユーラは素直に承諾してくれると、シェイラは思っていた。
「………わかったわ。とりあえず。とりあえずっ、休戦ね。今日だけよ」
予想どおり少し唇を突き出しながらも、こくりと一つ頷く。
シェイラとの諍いがあったために嫌そうに見せていたけれど、正直なところで言えばユーラは竜を大好きなのだ。
ユーラは膝を曲げて、シェイラにしがみついたままのスピカに目線を合わせる。
おびえた幼子を安心させるためにふんわりと笑みをつくり、初めましての挨拶をした。




