遥かな未来に願うこと①
目の前にあるのは、籠の中のクッションに乗せられた白い卵。
シェイラが帰還の報告に来るのと一緒に持ってきたそれは今テーブルの上に置かれていた。
アウラット、ジンジャー、ソウマ、そしてシェイラの、集まった皆の視線がそれに集まっている。
ロワイスの森での少々やり過ぎた森の再生より、完全な人型になれたココの術の上達より。
なによりも注目される重大事項が、シェイラのもとに落ちてきたという竜の卵だった。
卵を囲む面々のなか、とりわけ熱い視線を送るのがアウラットだ。
アウラットは歓喜していた。
鼻血を吹いて倒れそうなほどに、興奮もしていた。
いつもは丁寧に後ろに流されている黒髪がどことなく崩れてもいる。
「美しい……」
恍惚とした表情で、まるでベッドの中で恋人に愛を囁くかのような甘く熱い声が熱い息とともに溢れた。
おそるおそる躊躇いつつ。そうっと伸ばした指先で、少しざらつきある卵の表面をなぞり、感動に肩を震わせる。
「あぁ……」
思わず溜息が出てしまうほどに、素晴らしい触り心地だ。
後光でも差していているのかと錯覚してしまうほど、きらきらとまばゆく輝いている。
実際には光など放ってはいないけれど、少なくともアウラットの目にはそう見える、まぶしくて直視することさえためらってしまうほど素晴らしい、白く小さな竜の卵。
「アウラット、落ち着け」
息まで乱れだしたアウラットに、隣に腰掛けるソウマが肘で脇をつついた。
ソウマはうんざりと言った様子で顔をしかめている。
ある程度の感情を共有してしまうがゆえ、アウラットの興奮は迷惑でしかないのだ。
しかしそんな台詞一つで、アウラットのこの興奮と感動が鎮まるはずがなかった。
アウラットは鼻息を荒くして卵をさした。
「だってソウマ!竜の卵だぞ!竜の卵!」
「あぁ、そーだな」
「竜の里に行っても触れさせてもらえないどころか遠ざけられたのに……。それが今ここにあるのだ。触れているのだ。夢にまで見た竜の卵……!」
「わかった。わかったから。とりあえず立つな。大人しく座って、大人しく話を聞け」
「乗りが悪いな。もっとこの貴重な卵についての考察を…!」
「それはシェイラに聞くべきだろう。話を止めるな」
「むっ!!?」
ふと周囲を見回すと、口をぽかんと開けて呆けているシェイラと、苦笑しているジンジャーがいた。
「……。……っふん」
アウラットは不満気に小さく鼻をならす。
もっとこの感動を語り合いたいのに、誰一人共感してくれない。
ジンジャーあたりはアウラットと同じ心境なのだろうが、年の功か同じ反応を示してはくれなかった。
周囲との温度差に、色々と不満はある。
しかし詳しい話を聞きたいのは事実なので、興奮のあまりに浮かしていた腰をとりあえず戻すことにした。
卵へ向けた視線を外さないままに、アウラットはテーブルを挟んで前に座っているシェイラに説明の続きを促した。
「それで、先ほど聞いたようにこの卵が黒竜のものだというのは間違いないのだな」
話を振られて初めて、面喰って絶句していた様子のシェイラは我に返り、こくこくと頷く。
「はい」
「どうして分かるのだ」
「どうして、と言われましても……なんとなく……でしょうか」
困った風に眉を下げるシェイラに、アウラットはうなずいた。
(なんとなく、か)
なんとなくでも、おそらく間違ってはいないのだろう。
(なにせ彼女は白竜だからな。あぁ、間違いない!)
アウラットにとっては、白竜というだけで十分な説得力だった。
今の彼に冷静な判断は非常に難しい。
「で、この卵もやはり始祖竜なのだろうか」
アウラットは今度はシェイラの隣に座っていたジンジャーに訪ねた。
ジンジャーはこほんと一つ咳をしてから、長いひげを梳きつつ難しい顔をする。
「……ココと同じようにシェイラ殿に魅かれてこの世に誕生したのなら、可能性は高いと思います。しかし孵って力を使うようになってからでないと何とも判断はつきかねますな。我々人間では分からないようなものをソウマ殿は何か感じますでしょうか?」
「いいや?竜の卵だなーってくらいだな」
「そうか……」
アウラットは白い卵の表面をまた一撫でして、小さく呟いた。
「……親は、シェイラでないといけないのか」
「アウラット」
ソウマの咎めるような声が横から入る。
正面に座るシェイラが、取り上げられてしまうのではないかと言う不安そうな顔をした。
まだ生まれていないから、刷り込みもまだなのだ。
生まれるときに目の前にいれば、もしかして自分が竜の親になれるのではなんて夢を描いてしまってもしかたないじゃないか、とアウラットはまるで子供のように頬を膨らませるのだった。
「小さな竜を二匹も……たしかになかなか難しいことだと思いますが、黒竜本人が願っておりますからのぅ。シェイラ殿はココをしっかり良い子に育てておりますし、大丈夫でしょう」
ジンジャーもアウラットが親になるには賛成できないようだ。
卵が現れた状況と言い、卵からシェイラが受け取った思念と言い、シェイラが育てるべき流れなのだとはアウラットも理解はしている。
とてもとても惜しいけれど、竜がそう望んでいるのだから仕方がない。
アウラットは苦渋の思いで涙をのみ、卵の乗っている籠をそっとシェイラの方に寄せるのだった。
* * * *
「たまごぉ。たーまごぉ。まごまごぉぅ~♪」
籠に入った卵を前に、ココは左右に体を揺らしながらご機嫌で歌を歌う。
ココの卵の時はシェイラが思いっきり衝撃を与えてしまったから今度は慎重にと、力の加減の難しいココが触るのは禁じていた。
でもやはり気になるようで、テーブルの上に置かれた卵をひたすら見ている。
見ているうちに自作の卵の歌まで出来てしまったというわけだ。
「しろーいっ、まるぅーいっ、た、ま、ご、さんっ~♪」
いつもなら庭に遊びに出ている午後の早いこの時間も、部屋でシェイラと卵を傍らにおいて絵本や歌、積木などで大人しく遊んでいる。
「ココ、お外で遊んできて大丈夫よ?この子が来てもう1週間、ほとんど外に出ていないじゃない」
今週は曇りが多く、窓辺から十分な光が入って来ているとは言い難かった。
だから遮るもののない外へと促さなければならない。
「やー!たまご、りゅーがでてくるとこみるのっ!」
「でも陽を浴びないとココの元気がなくなってしまうわ」
「んうぅ。やー」
「……なら、卵も一緒に日向ぼっこしましょうか」
「いっしょ?しぇーらも?たまごも?」
「一緒。護衛をお願いしましょう」
過去の経緯を踏まえ、無防備な卵を外に出すときには兵に警備を頼むことになっていた。
シェイラもできるだけ外出を控えて部屋の中に引っ込んでいる。
でもココも一緒に引き込もるのは考え物なので、衛兵を呼んでもらって外へ出ることにする。
二人の衛兵はすぐに手配された。
シェイラとココは籠の中の卵と一緒に庭に面した方の扉から外へ出る。
「んんーー!!」
直に日を浴びたココは、目を細めて気持ちよさそうに伸びをする。
ふくふくの頬にも朱が差して、ほっと安堵した風に小さく息を吐いた。
「ほら、太陽の下は気持ちが良いでしょう?遊んでいらっしゃい」
「はーい」
ぽかぽかと暖かな春の空気に接して、卵への興味も幾分薄れたのか、背中から翼を生やして木の幹に登り始めた。
ちなみにココの背中の翼は、完全な人の姿をとれるようになってから1.5倍くらいに大きくなっている。
もっと力を使いこなすことができるようになれば、もっと成長した人の姿にもなれるらしい。
上を仰ぐとココは木の枝にぶら下がって歓声を上げている。
シェイラは木下から手を振った。
ココの背後、木の葉の向こう側のさらに向こう。雲の隙間から除く青い空をしばらく見てから、あることに気が付いて、シェイラは手の中の籠を見下ろす。
「……太陽の光って、大丈夫よね?」
火竜のソウマが寒いところを苦手にしている。
水竜のクリスティーネは乾燥が苦手だ。
つまりは持っている力の性質に反したものが駄目なのだろう。
だったら闇を糧とする黒竜は、光を好かない可能性もあるのかもしれない。
「でも、太陽を避けるってとっても難しいわ。普通に外に出られると良いのだけど」
とりあえずシェイラは念のため、ハンカチを籠にかぶせて卵に影を作っておく。
――――春節祭はもう来週に迫っていて、城内は城に招かれた客人たちでにぎやかだ。
シェイラとココの暮らす場所は、客人を招くような場所とはずいぶん離れている。
だからそんなに客人と会う機会もなかったけれど、それでも騒々しさは伝わってきた。
毎日歓迎のパーティーなども行われているようで、祭の準備と並行しての接待に城で働く人たちはもちろん、アウラットもソウマも忙しそうだった。
ただ楽しみにしていた春節祭に、シェイラが参加できる可能性はひどく狭くなっている。
なぜならば、卵があるから。
もし春節祭までに孵ることができても、さすがに人の姿をとるところまでは難しいだろう。おそらく街に出るのは諦めることになるのだ。
だから少しずつ賑やかさを増していく周囲から、取り残されている気分もあった。
(残念だけど……、何よりもこの子のためだもの。それに、空の塔に登る許可をいただいたし)
そのことを思い出すと、自然とシェイラの口元は綻んでいく。
竜が空を舞い春を呼び込む、王城の真上で行われる【春呼び】と称される祭りのメインの催し。
それを空の塔の屋上から見られることになったのだ。
一人と一匹では味気ないと思われたのか、大人数で無い限りシェイラの好きに人を招待してもよいとアウラットとジンジャーに言って貰った。
もしかしたらソウマが、シェイラが楽しみにしているのを知って彼らにとりはかっらってくれたのかもしれない。
遮るもののない、誰よりも近い場所で竜たちが飛ぶ姿を見られる。
それも四種の竜が共演するのだ。胸躍らないはずがない。
(ユーラは、誘ったら来てくれるかしら。お兄様とお父様お母様は…もう予定を決めてしまったかしら)
街中に出られないのは残念だけれど、同じくらいの楽しみを貰えた。
誰を誘おうかと考えていると、木の幹から飛び降りてきたココがシェイラの背中に止まった。
翼はぱたぱたと動いていて半分飛んだまま、シェイラの肩に顔を載せて、手の中にある籠を覗きこんでくる。
小さな指が、それを指す。
「うごいてるよー?」
「え……?」
手の中の籠を見ると、確かにハンカチがわずかに動いている。
慌ててそれをめくってみると、すでに卵には亀裂が入っていた。
小さく開いた穴から、おそらく鼻先と思われる部分が覗いている。
「っ!!!」
「おおおおおー!」
「た、た、た、大変……!」
シェイラは背中にココを引っ付けたまま、庭先に置いてあるガーデンテーブルの元までかけていった。
不安定な場所では難だろうと、揺らさないように気を付けつつテーブルの上に籠を置く。
シェイラの慌て様に気が付いたらしい衛兵二人も、気になるようでそろそろと近づいてきた。
彼らに刷り込みをされては困るので、申し訳ないがほんの一、二歩だけ下がって貰うようにお願いをした。
「ふぉーー」
「まさか竜の誕生を見られるなんて……」
「すっげぇ…。すっげぇ……」
三人と一匹の見守る中、徐々に徐々に白い殻は破られていく。




