もう一つの卵③
城を出たのがお昼を過ぎていたから、ロワイスの森近くの村にある小さな宿に着いた頃にはもう夕方ちかくになっていた。
森の中で日が暮れる事態は避けたい。
泊まることになっている村の宿にまっすぐと向かうことにした。
村は想像をしていたよりも大きく綺麗だった。
ただ大きな商店もなければ、舗装された通りもすくない。
広大な田畑がどこまでも続く穏やかな田舎の風景といった感じだ。
「ようこそいらっしゃいました。竜の方々をお招きできるなんて、とても光栄な機会を与えてくださったことに感謝いたしますわ」
「お世話になります」
入り口を入ってすぐに出迎えてくれたのは、おそらくこの宿で働いている人たち全員。
「…………?」
シェイラが視線を感じて後ろを振り向くと、出入り口にはひっきりなしに誰かが順番に顔をのぞかせに来ていた。
おそらく村の人たちだろう。
やはり竜に直接まみえるということは滅多にないことで、噂にでもなってるのかもしれない。
しかし人に興味を示さないクリスティーネとジークは、彼らと挨拶さえ交わさない。
己の部屋の鍵を受け取ると、すぐに階段を上って部屋へ行ってしまった。
いつもシェイラには優しく接してくれているクリスティーネが、他人をほとんど無視するような場面を見るのは、話には聞いていても少しの衝撃を覚えた。
シェイラの前ではやたらとお喋りだったジークも、人間など目に入らないと言った風だ。
「さぁさぁさぁ、こちらへどうぞ」
「え、あの……」
「ふふふ。どうぞどうぞ」
知らない人たちに囲まれるのは、あまり社交の得意でないシェイラにとってもなかなか気おくれのすること。
だけど今、まともに会話の成り立つものがシェイラ以外にいない。
さっそく通された食堂にはこの村の規模としてはめいっぱい豪勢な食事の用意がされていて、ここまでしてもらっておいてクリスティーネたちのように平気で素通りできる度胸は持ちあわせてはいなかった。
結局、彼らの歓迎を受けるのは竜の子の親代わりをしている人間の娘である立場のシェイラの役目になってしまった。
竜のためにこの席を用意した宿の者たちからすればさぞがっかりだろう。
(ココも食べる気分でないようだし……)
宴席の中。隣に座るココは果物を少しつまむくらいで、すでにこの席に飽きていることは明白だった。
赤い髪から生える角と、背中の翼に奇異な視線が集まっているのも、あまり機嫌がよくないことの理由だろう。
シェイラはシェイラで次々と盛られる皿の上の食事と、そそがれ続ける飲み物にあたふたしっぱなしだ。
(……どうにかして早く切り上げさせてもらえないかしら)
明らかに人でない見目のココが一緒に行くのだから隠すことも難しいと思って、今回竜の一向が行くことを村側に伝えてしまっていたことを後悔する。
(ソウマ様が人前では面倒くさいからたいていの竜が人間のふりをしているって言っていたのは、こういうことだったのね)
言葉では聞いていたけれど、実際に体験すると彼らの行動は正解だったと身に沁みる。
歓迎してもらってありがたいのは本当だ。
でも好奇なものへと向けられる視線が痛い。逐一の動作を事細かに観察されている息苦しさ。
そこでシェイラははたと気が付いた。
シェイラはどの人より興味深々に竜を見ていた。
(私が一番迷惑だったかも?)
好きで好きで大好きで、竜に関することならどんなことだって知りたかった。
幼いころから封じ込めてきた竜好きを大っぴらにできるようになった今、それは顕著なものとなっただろう。
でもそうすることは、竜からすれば絶対に迷惑で邪魔に違いない。
知っている竜たちはみんな笑って許してくれたけれど、どう考えても迷惑だった。
だってほんの1時間もこの場にいないシェイラ自身が、もやもやと複雑な気分なのだ。
(今はまだよくても、だんだん鬱陶しく思われるかも。ちょ、ちょっとだけ、抑えないと……)
その立場になって初めて知ったこの窮屈さを、竜たちに味あわせるのは絶対嫌だ。
興味が尽きることはないけれど、見せかけだけでも好奇心を抑えめにしようと、もぐもぐと口を動かし、話を振ってくる人々にうなずきつつ、シェイラは密かに思った。
「シェイラ様?お口に合いませんでしたでしょうか?」
竜のことを考えているあまり、食べながらも上の空になってしまったシェイラに気付いた宿の女主人が、ものすごく残念そうな声音で言った。
きちんと返事をしていたつもりだったけれど、やはり適当に交わせるほど上手くはなかった。
何よりもせっかくこれだけ用意してもらったのに、失礼すぎる態度だ。
シェイラは今度こそ相手に向き直って笑顔を作って首を振ると、フォークに野菜の煮込み料理を突き刺して口へと運ぶ。
「そんなことはないわ。とっても美味しい。こんなに歓迎していただいてとてもうれしいです」
「まぁ、良かったわ!」
手をたたいて喜ぶ女主人は、完全な好意でしてくれている。
宿代は普通に大人3人分と子供1人分に、国からの派遣ということでほんの少しだけ色をつけた程度だ。
その思いが嬉しい。嬉しいのだけど複雑で、とにかく失礼のないようにとシェイラは口と手を精いっぱい動かすことにする。
少し時間がたって、そろそろお腹も限界だという頃。
遠慮がちな若い女性の声がシェイラとココにかけられた。
「お食事中に失礼いたします。王城から来られた竜のご一行様はおられるでしょうか」
「……はい?」
顔を上げたシェイラは、座っている席まで歩いてくる少女に首を傾げた。
(私と同い年くらいかしら?)
少しふくよかで、目元は下がり気味で口元に浮かぶ笑顔がやさしい、おっとりとした雰囲気のある少女。
腰ほどまでのこげ茶色の髪は2本に分けておさげにされていて、歩くたびにわずかに揺れていた。
彼女はシェイラのすぐ脇まで来ると、手を前で腰を曲げた。
「初めまして、私はこの村の村長の娘のミネリアと申します。父は数日前から隣町での会合へと出かけてしまっていまして、娘の私が代わりにご挨拶に伺いました」
「まぁ」
つまり彼女が現在のこの村の代表者だということだ。
シェイラは慌てて立ち上がると、裾をつまんで小さく腰を落とす。
「急な来訪ですのにご丁寧で盛大な歓迎感謝しております。私は竜の方々に同行させていただいております、シェイラ・ストヴェールと申します。こちらの火竜はココ。水竜のクリスティーネ様と木竜のジーク様は……少し疲れてまったようで、もう部屋に戻らせていただいておりますが……。どうぞ宜しくお願いいたします」
「シェイラ・ストヴェール…?ストヴェールって。ストヴェール領を収めている方のお身内の方?」
「……?はい、父が領主を務めさせていただいています。
ミネリアの表情が、すっと消えた。
つい先ほどまでの笑顔が一転して、何の感情も映し出さなくなった。
「……ミ、ネリア様?」
「っ…あ、……ごめんなさい」
「どうかされたのですか?」
「あー、えーっと、ですね……」
ミネリアは何度か視線をさまよわせてから、弱く笑って頬を指でかいた。
「実は私もストヴェールの出身なんです。でも家族全員をいっぺんに無くしてしまって、こちらの村の村長さんの養子に迎えてもらったんです」
「まぁ…」
片手で口元を覆うシェイラに、ミネリアは困った風に眉を下げた。
そして手を前で結んで丁寧に腰を折る。
「家族を亡くした悲しい思い出の土地の名に、少し動揺してしまいました。ご不快な思いをさせてしまって申し訳ありません」
「いいえ。私こそ、つらいことを思い出させてしまってごめんなさい」
親しい人を1人亡くしただけでも、身を引き裂かれるほどに悲しいのに。
一度に家族全員を亡くした過去を、自分のせいでぶり返させてしまった。
シェイラも目の前のミネリアに腰を折って謝罪すると、彼女は慌てて首を振る。
「や、やめてください!領主様で、子爵家のお嬢様が平民に頭を下げるなんて駄目ですよ!」
「……?申し訳ないと思ったらだれであろうが頭を下げるわ。確かに下の位の人を見下す貴族の方も多いけれど、まともな感性を持った大抵の人はそうだと思うのだけれど」
「……はぁ。そう、ですか…ね…?」
「えぇ」
貴族全体を相対的に見れば爵位やそれに伴う権力を笠に着るものもかなりの数いるのだろう。
けれど少なくともシェイラの目に映る範囲ではあまり見かけない。
ストヴェール家の子育てが実直で、父も母も堅実で真面目な性格で、だから周りに集まるものも自分に否があると認めればきちんと謝罪をする。
そう言う人間が多かったのだ。
あからさまな敵意を向ける人とほとんど出会ったことがないのも、保護者である両親の人柄のおかげだろう。
どれだけ幸せで恵まれた環境で育てられたのか分かってはいるつもりで、両親に感謝もしている。
「………ぷっ」
ミネリアが小さく噴き出した。
くすくすと笑う彼女に、シェイラは首をかしげる。
「あの…?」
「ごめんなさい。貴族の方と接することはほとんどない上、しかも竜の保護者を務められるような方、畏れ多い存在だとばかり思っていたから、なんだかほっとして」
優しい笑顔になったミネリアは、少しふくよかな頬を赤く染めて、目元をやさしく下げた。
「この村に滞在してくださるのは数日のことと聞いております。短い間ですが、竜の皆様とシェイラ様のことを、父の代理として心より歓迎いたします。どうぞ何なりとお申し付けくださいませ」
「ありがとうございます」
翌朝、荷物を宿に置いてすぐ近くのロワイスの森へと出立するシェイラに、見送りにきたミネリアが小包を渡してくれた。
「これは?」
「差し出がましいかと思いましたが、お弁当です。竜の皆様は食事は必要ないということでしたので、マフィンを。……ご迷惑でしたでしょうか」
「まさか。とっても嬉しいです。だって、ほら」
シェイラがココと、背後にいる竜2匹を振り返ると、彼らはきらきらと瞳を輝かせていた。
普通の食事にはあまり興味を示さないけれど、甘いお菓子に目がないらしい。
もともと料理をする文化のない竜にはお菓子というものはどうやっても再現できないものなので、人里にいる竜しか口にできない、竜の里に住む竜憧れの品なのだとか。
ソウマや風竜のカザトなんかは、酒をたしなむこともあって塩気のあるおつまみ系ものの方が好みのようだった。個々での好き嫌いもあるのだろう。
「ふふっ、良かったです」
ミネリアは口元に手を当てて笑ったあと、すぐに真剣な顔になった。
彼女の口調も重く、低いものに変わる。
顔色も幾分悪く血の気が失せている様子だった。
「ロワイスの森は、数か月前を境に呪われた闇の支配する場所へと変わってしまったと聞きます。皆様が元に戻してくださるのだとか……」
背筋に冷や汗を感じながら、シェイラはうなずいた。
「そう、です…」
普段立ち入りは禁止されているとはいえ、突然消し炭化した森のことは地元の人間には少しばかり漏れているらしい。
「呪われた森に行くなんて、何があるかもわかりません。どうか…どうかお気をつけて…!」
ひしっと両手をつかまれて、目じりに涙の浮かんだ真剣なまなざしを向けられる。
ミネリアとともに見送りに出てきていた宿の女主人や従業員からも、心配そうな声や励ましの声があがった。
「こんな若い娘さん達とひょろっこい兄ちゃんに任せるなんて、申し訳ねぇ…」
「怪物がでたらすぐに逃げるんだよ!!」
「大丈夫かねぇ……心配だねぇ…」
「わしがもう少し若ければのう。うぅ…!」
「やっぱり俺が一緒に行こうか」
「やめておけ!危険すぎる……!死んじまうぞ!」
(あぁ…。うちの子がやったんです騒がせて不安にさせてごめんなさい。ごめんなさい!)
心の中で何度も謝罪しながら、シェイラはこくこくと頷いた。
村へ到着してからやたらと歓迎されていたのは、不気味な呪いを解き放つ勇者的存在が来てくれたからでもあったようだ。




