竜の卵を拾った日②
とりあえず行楽へ出かけるときに使っている籠にクッションを敷いた。
「ここへ入っていてくれる?」
「きゅう!」
すくい上げた火竜の子を、そっとクッションの上に乗せる。
そのあとは大急ぎで朝食の準備をして、自分付きの侍女に身だしなみを整えて貰った。
シェイラの白銀の髪はきちんとまとめられ、そこへ銀細工でできた上品な髪飾りが飾られる。
ドレスは淡いクリーム色でスカート部分がフレアーになっていて動くたびに広がる、最近流行りのデザインのもの。
北の国の血が混じった彼女は、髪も白銀ならば瞳も薄い青だった。
顔のつくりも薄く、印象に残りにくいためか、原色の服だとどうしても浮いてしまう。
だからこういった淡い色彩のものを身にまとうことが多いのだが、この見た目はシェイラ自身にとってはあまり好ましいものではなかった。
全体的にぼんやりと薄くて不健康そうに見える気がする。
無い物ねだりだとは分かっているけれど、色鮮やかに輝く華やかな女性に憧れてしまうのだ。
鏡にそんな自分を映して、王城に行っても失礼でない状態かどうかをチェックしながら、シェイラはまだ寝ている兄妹たちを想う。
(ジェイクお兄様とユーラが起きてくるのを待って相談しても良いかもしれないけれど。でもユーラが竜をみれば、それはもう騒ぎ出すに決まってるものね)
好奇心旺盛な彼女のおもちゃにされるまえに、この幼竜を安全なところへ連れて行かなければと言う結果にいたった。
だからシェイラは兄弟たちが起きる前に急いで、けれど極力物音を立てないようにそっと、屋敷を飛び出した。
「…いつ来ても大きいわ」
「シェイラお嬢様、本当にお付きの者は必要ないのですか?王城に侍女も護衛もお付けにならないで来るなんて…」
星空の門と呼ばれる東に面した門の前に、竜の入った籠を抱いたシェイラは立っている。
ここまで連れてきてくれた馬車の御者が、戸惑いながら声をかけてくれた。
「心配ないわ。しばらく城の馬車乗り場で待っていてくれる?」
「そうですか…。まぁ、シェイラお嬢様がこんなことされるのは珍しいですし、きっと大切な御用なのでしょう。分かりました。お気をつけていってらっしゃいませ」
御者が来客用の馬車乗り場へ向かうのを見送ったあと、シェイラはまた王城の方へと振り返る。
ここへ来たのは王城で開かれた国王主催の夜会に2,3回出席したときくらい。
まだ社交界デビューして1年目のシェイラには、大きくて荘厳な王城には馴染みが少なかった。
あまり来たこともないようなところへ幼いころから見守ってきた令嬢が一人で入っていくと言うのだから、御者の男が心配するのも理解できた。
「……どうせこの子を預けたら直ぐに帰るのだもの。護衛が必要なほどの用事でもないわ」
正面の広場や国立図書館は一般開放されているから、星空の門をくぐることは問題ない。
門番に会釈をして門を通って、その脇にある受付になっている小屋の窓口へと向かった。
「あの。宜しいでしょうか」
「はい。何のご用でしょう」
そこに立っていた衛兵は、シェイラの身なりから貴族の地位にいるの人間だと察してくれたのか、こちらへ当たりは柔らかかった。
(よかった…)
シェイラはほっと息を吐く。
この感じの男なら、場に不慣れなシェイラでも気負うことなく話が出来そうだ。
「竜使い様かそれに近い方にお会いしたいのですが」
「竜、使い…ですか。失礼ですが名前と要件をお伺いしても」
「はい」
シェイラは頷いて、左手で籠を持って右手でスカートのすそを摘まんでわずかに腰を落とす。
「ストヴェール子爵の娘のシェイラと申します。竜使い様にお会いしたい理由は、その…」
視線を伏せて口ごもるシェイラに、門番は何かを思ったようで、丁寧ながらも少しきつい口調になる。
「竜使いにお目当ての方でも?今は皆様勤務中ですから、あまり不謹慎な理由でのお取次ぎが出来かねますが」
「ち、違います。そういうのでなくて、この子のことなんです」
(追い返されてしまっては、王城まできた意味がないわ)
しかもこの竜をここで保護してもらえなければ、他に渡す当てはなく途方にくれるのは分かっていた。
だから余計に追い出されるわけにはいかなかった。
シェイラは慌てて籠を門番に見せた。
籠を突き出す少女に首を捻りながらも、衛兵はその中を覗き込む。
「……って、これっ…!」
目を丸くさせて驚愕している衛兵に、頷いて見せる。
「はい、竜の子だと思います。偶然拾って?…しまって、どうするべきかと思ってこちらへご相談に伺ったのです」
「拾って、ですか…。えぇっと、とにかく承知いたしました。竜使い様にまでは分かりませんが、責任者の方にお取次ぎをします。私が案内いたしますのでこちらへ」
「宜しくお願いいたします」
頭を下げて、衛兵に案内されるままに付いていく。
一般開放されている正面の広場を抜けて、左手の建物に案内される。
その後に何度か渡り廊下を歩き、また何度か曲がり角を曲がって、たどり着いたのは庭園。
花々が美しく咲き誇るその庭は、一面に芝生が植えられていて、まるで自然にできた花畑のようにも思える。
しかしあつらえられたガーデンテーブルやベンチ、おそらく人工的につくられただろう形の綺麗すぎる小さな小川に、王城の中の花園なのだと改めて思わされた。
「少し、お待ちいただけますか?」
「はい」
背の高い植物も多いため、衛兵の姿はすぐに死角に紛れて見えなくなった。
ぼんやりと立って花園を見学していたけれど、籠の中の幼竜が何やら鳴き声を上げたのでそちらへと目を向ける。
「きゅ…ぅきゅー…」
「……?どうしたの?」
なんだか悲しげな鳴き声だ。
『大丈夫よ』と励ましの意味を込めて、首筋を指で撫でてやる。
しばらくそうしていると、竜の子の赤色の目がとろりと揺れた。
良く見ると爬虫類系の生き物によくある縦に瞳孔が入った目をしていた。
竜の子が眠たそうに瞼を半分ほど落とすと、瞳に影が落ちる。
(眠たくてぐずっていたのかしら)
くるりと丸まって尻尾を抱きしめるような体勢でうつらうつらしている竜に、思わず笑みが盛れる。
そうして竜を見守っているところへ、衛兵が戻ってきた。
「…お待たせいたしました。シェイラ様」
「いいえ」
戻ってきた彼を見上げると、後ろには背が高く鮮やかな赤い髪の男の人を連れていた。
年のころは20代後半か、ひょっとすると30歳くらいの、大柄な男だ。
(庭師か…下働きの使用人さんかしら……)
シェイラがそう思ったのは下衣も、シャツも簡素なものだったから。
王城に出入りする高い地位の貴族にしては彼の身なりは合っていない。
しかしそれでもこの場で許されているのだから、汚れても構わない職務に付いている人だと想像したのだ。
(恰好だけ見れば下働きの人間だけれど…でもなんとなく違和感が)
シェイラはその違和感に首をかしげる。
何よりも異彩を放つ風貌が、普通の人とはかけ離れていた。
一般的に赤毛と呼ばれるものは、赤みを帯びた茶髪を指す。
けれど彼の髪は本当に鮮やかな赤で、まるで良く熟れた林檎のようだ。
瞳は髪よりも深い色で、その瞳がシェイラを上から下まで眺めてから何故か細められた。
シェイラはその威圧のある視線に緊張をしつつも会釈を返す。
赤髪の男を連れた衛兵がシェイラの目の前に立ち、手を建物の方へ向けて促すような動作をした。
「火竜のソウマ殿とアウラット王子がお会いになるそうです」
「……………アウラット王子殿下…ですか…?」
「えぇ、王族ながらも竜と契約した竜使いでもあります」
「あっ、あの。そんなに大それたお方で無くても…。竜にかかわる関係者であるならばどなたでも」
「緊張されるのは分かりますが。こちらのソウマ殿が望まれていることですので」
「こちらの…?」
申し訳なさそうに言う衛兵の台詞に、シェイラは驚いて彼の後ろにいる赤髪の男を見る。
「火竜…ソウマ様…?」
どこからどう見たって人間の、この男を衛兵は火竜だと言った。
火竜ソウマと言えば国の民ならだれでも知っている。
第二王子アウラットと契約したことで名高い竜だ。
驚きを隠せないシェイラの反応に、ソウマは面白そうにクッと喉の奥で笑う。
「お嬢さん…シェイラだったか?人型に変化した竜を見るのは初めてみたいだな」
「あ…人型どころか、竜と直接お目見えしたのも初めてです。祭りの時の催しで空を飛ぶのを拝見したことはありますが…」
ソウマの問いに答えながら、シェイラは我に返って青ざめる。
アウラット王子に一番の信頼を得る火竜に、会釈だけのあいさつで済ませてしまった。
装飾の少ない簡易な服装から、衛兵と共に案内をしてくれる使用人だと思ってしまっていたのだ。
普通は身分の低い方から名乗るものだから、それが正解だと思っていた。
シェイラは慌ててスカートの裾を持って丁寧にあいさつをしようとする。
「おぉっと、待った待った。俺は堅苦しいのは嫌いでな。気を使わないでいい」
「で、でもっ…」
「それより早くアウラットのところへ行かないか。そのチビっ子竜のこと、詳しく話してくれ」
「……わかりました」
きちんとした挨拶をさせて貰えないのは心苦しい。
何よりも礼儀と格式を重んじる貴族社会で、一番基本的な挨拶を軽視するなんて今までのシェイラの感覚ではありえなかった。
けれど相手は竜。しかも自国の王子が信頼を向けるほどの。シェイラは恐縮しつつも大人しく頷いた。
衛兵に案内されて火竜のソウマとともにたどり着いたのは、それまで通ったどの扉よりも大きな両開きの扉だった。
一目で『偉い人がいる』部屋なのだと分かってしまう重々しい外装に、無意識に緊張して息をのむ。
固まってしまったシェイラの背に、大きな手がそっと当てられた。
「っ……?」
見上げてみるとソウマだった。
「心配しなくても大丈夫だって。アウラットは気安い奴だから」
彼は歯を見せてにっと笑う。
励ましてくれているのだと分かって、少し心が落ち着いた。
「シェイラ・ストヴェールと申します」
「アウラット・ジール・リエッタだ」
部屋を守る衛兵に開けて貰った扉の先に居たのは、黒髪を後ろへ撫でつけた、灰色の瞳を持つ20代半ばの男性。
中肉中背、背も高くも低くもなく、容姿も美しいとも醜いとも言えない。
得ていえば、どこにでもいる普通の青年だ。
しかしさすがのシェイラも、自分が生まれ育った国ネイファの王子の姿くらい知っている。
何よりも真っ直ぐに背筋をのばした堂々とした立ち姿には気品があるし、柔らかく微笑む笑みのなかにも隙の無さがうかがえる。
身に着けている衣服はもちろん、指輪や首元のスカーフに添えられた飾りの宝石も、全て一級品。
生まれも育ちも『王子』なのだと、誰がみても納得できた。
アウラットは座っていた椅子から立ち上がると、ソウマの後に続いて入室したシェイラの前に立った。
全身を興味深そうにじろじろとシェイラを見ていたかと思えば、口元に指を当てしごく真面目な顔を作る。
「ソウマが女性を連れてくるとは…。はっ!もしかして婚約の報告にでも来たのか?」
「ちげーよ。どうしてそうなるんだ」
とたんに真面目に装っていたアウラットの顔が崩れ、悪戯っ子のような屈託のない笑顔が浮かんだ。
「お前がわざわざ私の元に女性を連れてきたんだ。しかも普段は関わろうともしない人間の女性だぞ?これは何か重要な報告だと思うのは当然だろうが」
軽口にソウマが呆れたようにため息をつく。
「重要は重要だが、方向性が違う。これ、この籠の中みてみろ」
「籠…?」
ソウマに言われてアウラットが初めてシェイラの持つ籠の存在に気が付いたらしく、さらに一歩歩幅を詰めた。
「あのっ、この子…なのですが…」
シェイラは慌てて籠の中がよく見えるように、前に突き出して見せる。
アウラットがそこを覗き見ると、とたんに彼の瞳が驚きに瞬く。
「っ……火竜の、子…?ずいぶん小さいな」
「あぁ。俺もさっき見て驚いたが、生まれてそう日はたっていないだろう」
「今朝孵ったばかりです」
籠の中を見たアウラットの表情が真剣身を帯びたものへ変化した。
竜の子は気持ちよさそうに身体を丸まらせて眠っている。
「ソウマとシェイラの子供ってことは…」
「あ、ありえません」
「アウラット、いいからそっち方面の話題から離れろ。―――ったく、俺が聞いた限りでは拾ったってことなんだが、詳しいことはまだ聞いてない。2度手間になるだろうからアウラットと一緒に説明を聞こうと思ってな」
「へぇ。どうやら本当に不測の事態が起こっているようだな。シェイラ殿、よくよく話を聞かせてもらおうか」
「はい」
立ったままだったシェイラを、アウラットはその部屋の中にある扉の向こうへと誘う。
見渡すとこの部屋にはいくつかの扉がついていた。
どうやら今シェイラ達のいる室は、アウラットが使用する数ある部屋の各々へとつながる中間地点のようなものらしい。
応接用のテーブルとイスが1セットの他は絵画と幾つかの調度品しかない。
王子が使うにしては質素すぎる場なのは、ここが腰を落ち着けるために使われることはめったにないと言う証拠なのだろう。
十数個もある扉のうち、ある一つの扉の取っ手に手を駆けながら、アウラットはシェイラを振り返る。
王子様らしいさわやかな微笑みをたたえていた。
「ちょうど良い時間だ、朝食を食べながら話をしようか」
彼の開いた部屋は、20人程度が駆けられるだろう大きなダイニングテーブルが置かれた部屋だった。
いつでも客人を迎える準備はしているようで、中に控えていた給仕や侍女が次々と頭を足れる。
(そう言えば家で食べてこなかったわ)
作るだけ作って食べてくるのを忘れてしまうくらい慌ててた。
気付くと同時に胃をくすぐる香ばしい香りに刺激され、シェイラは素直に頷いた。